前回観た『X』、『Pearl』の三部作の最後、これが動画サイトを覗いたらあったので、思わず観てしまった。
そう、自分はミア・ゴスの演技に心底惚れ込んでしまったようだ。ミア・ゴスを観たいがために観たと言っても過言ではない。
続き物だけど、『Pearl』はスピンオフというか、パールの若かりし頃の話であって、今作も『X』もマキシーンの話だ。
どれもミア・ゴスが主演だから、何となくこんがらがっている。どれを観てもいいけど、最後の作品はやっぱり前作二つを観た後の方が、「あーそういうことなの?」と納得できるかもしれない。
ネタバレ無しで語るならば、そういう終わり方するのか~っていう驚き。
展開がどうとかより、使われたネタに対して「え、そっち!?」という驚きだった。ネガティブなものではないが、ポジティブでもない。
あんまり言うとネタバレになるから明言が難しいけど、僕は正直、全然違う人がマキシーンを狙っていると思っていたので、黒幕の正体を明かされた時に「嘘でしょ!?(今更出てくるの?)」と二重で驚いた。
とにかく、意外性というか、そっちだと思わなかったっていうか・・・・・・そう感じた人は結構多いのではないかと思う。
マキシーンがまた神経図太いもんで、あれだけの惨事に見舞われたのに、本名のまま女優を目指しているってのがまた・・・・・・アメリカからどっかに移り住んだわけでもないし・・・・・・。
徹頭徹尾、自分の願いのため、夢のために生きている姿は賞賛もんだと思うけど、いくら後見人みたいな人が居るとはいえ、本名のままで、事件のあった農場と同じ国内のままで、ポルノ映画からハリウッドスターに駆け上がるなんて、できるかな?
できるのがマキシーンなんだよ、と言われると頷いてしまう。それがこの映画の魅力なのかも。てきとうなこと言っているわけじゃないよ。
ミア・ゴスの演技には満足しているけど、設定については前作よりも気になったな。そこは不満かもしれない。
先述した後見人なんだけど、最初にどういう人間なのか解っていなくて、有力な大物に偶然拾われて(というか寵愛を受けて)、そこの養子にでもなったのかと思ったのよね。或いは愛人みたいな。
だけど、そういった男女の関係ってのは一切無さそうだったし、父親役を務めるってわりにはいつも一緒に住んでいるわけじゃないし、どこでどう出会って、どうマキシーンに惚れ込んで、こんな立ち回りをするに至ったんだ・・・・・・?
そこも想像の余地が残っているっちゃそうかもしれないけど、劇中で補完してくれてもよかったのにー。
まぁ、マキシーンって自分のこと全然話さないし、謎を残したままの方が雰囲気あるでしょってことなのかねぇ?
映画も最後まで観ていると「こういう作りにしたのか~」て思えるから、んまぁ明かされない部分があっても納得できるような・・・・・・いや、それは甘い評価と言われてしまうか?
映画の舞台が80年代のアメリカで、この時代の映画を観たことある方なら、ちょっと懐かしい気持ちになれるのかも。
僕はこの時代が終わる頃に産まれたから知らないものばっかりだけど、似た年代の映画を何本か観たことあったから、カラーにしろ、場面転換にしろ、何となく懐かしさを感じた。
前作でもそうだったけど、オマージュを大事にしているのかなぁ。そのものへの尊敬を感じられるオマージュは僕も好きなので、そういうところは観ていて気分がいい。
二つの前作を観て、尚もマキシーンの物語の顛末を知りたいって方にお勧め。
今回はマキシーンの暴れっぷりやエロは少ないので、そこを求めている方には物足りないかも。
ここまで凄いと、ミア・ゴスは台本貰った時に何を思ったのか聞いてみたくなっちゃうね。
どんな心理状態で演じられるんだ、これ。
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[続きはこっちで]
2025/11/19
(主に)映画感想文
友人からは「観なくてもいいよ!」と言われたけど、これの続編が面白かったから「一作目ってどんなだったんだろ」と興味本位で観たのがこれ。
ちなみにアマ●ラで観られるようだったから再契約したのだけど、本編の途中で広告入れるとかどういうことなの。月額払ってんのが馬鹿みたいじゃねぇか。頼むよほんと。
あらすじもネタバレも割愛して、言いたいことだけ記しておきたい(単純に時間が無いのだ)
主演のミア・ゴスに『Pearl』でハマりつつあったのだが、今ではすっかり虜と言ってもいい。
彼女はすごく女性的、魅力的な立ち居振る舞いを見せるけど、内面の混沌としたものとか正視に堪えないものってのを上手に表現してくれる。その演技力に脱帽。この女優が凄い。
劇中の老婆パールと、農場を訪れた性に奔放な若者の一人マキシーンのどちらも演じているとのこだけど、演じ分けとかサイコダイビングっていうのかな、演じるにあたっての心掛けとか、どういうふうに考えていたのだろう。
マキシーンは如何にも若さを謳歌している女性って感じで、野心もあるし、頭もきっと悪くない。自分を特別だと信じ込むことはできるのは、若さの特権なのかも。
対してパールは「いずれ私のようになる」と呪詛を吐き出すくらいには、自分の思い通りの人生を歩むことができなかった――と見える。続編を観た後だと、時代だね~とか、成程ね~と思うけど、ダンサーになれなかったことが一番効いているのかな?
しかし、早々に自分の可能性に見切りをつけた側としては、老いても尚その光に縋り続けるパールの精神はすげーなと思えた。
若さを謳歌する、世間一般だと青春だとか何だとか言われているような種々様々なライフイベントなるものを一通りこなせず、そのまま老いていくのは口惜しかったことだろうよ。時代が影響しているなら尚更。
そういう人って自分が老いた時にまざまざと見せつけられると、いとも簡単に発狂するのね。或いは、老いた頃に手に入っても理想と現実の乖離が起きて、上手く活かすことができない。またはただの馬鹿になる。
僕はただの馬鹿になった人の方をたくさん見たから、若い間にできることを蔑ろにするってのは恐ろしいことだと思った。この年齢で学生時代に手に入らなかったものが手に入ると、人間はこうも蒙昧になるのだなと呆れたもんだった。
ただ老いるっても、何十年も経たねばそうならないわけで、その間に一切の変化が無かったとすれば、そりゃ殺人犯せるほどになるでしょうね。これも続編を観た後だから言えることだけど。
ただ、僕はパールが殺人鬼になったとは続編を観た時に思わなかった。『X』の方では明確な羨望を持って、手慣れた感じで次々に殺していったけど、若い時のアレコレは殺人鬼への過程だと思えなかったんだよな。その辺は感情移入の差かな。
やってきた若者達に特に何を思うってことはなかったけど、映画監督の青年が自分のカノジョがあぁなった後、シャワーを浴びながら泣いているのは少し不思議だった。
何もかもを犠牲にして自分の思う傑作を作りたい人なんだと思っていたから、「あ、そこで傷付くし、自分のカノジョはそういう娘じゃないって思っていたんだ」と驚いた。
何と言うか、この程度のことで傷付いて泣いちゃうほどの人なら、野心溢れる映画なんて作れないんじゃないかなぁ、なんて・・・・・・偉そうに言ってしまった。
血眼になって何かを作りたいって人はどっかしらのネジが外れていることが多いから、そこは普通の感覚なのかよ! と肩透かしを食らった気分だった。
愛とセックスは別物とマキシーンが言っていたけど、それはそうだと思う。お前も混ざれば良かったろ、と見当違いなフォローをしたくなったシーンだった。
で、幾つかの感想を見てまわったけど、やはり皆様が一番のグロテスクさを感じたのが例のシーンだったみたい。
僕は「あぁこれも愛の形か」と思ったね。執着が愛と換言できるなら、ハワードとパールの間に起こったことも、パールからマキシーンにちょっかい出したことも、愛の形の一つと形容してもいいんじゃなかろうか。無理かな。
若い人しかそういうことしちゃいけないってわけじゃないって言われれば、それはそう。いくつになっても性に溺れたい人はそうなんでしょうよ。
でも、これが原因で後にハワードがあんなことになるとは・・・・・・あまりにも・・・・・・コメディホラーみたいな現象だったな。
僕は女性嫌悪が酷い時もある人間だけど、女性の悦びとか哀しみを綴った作品は好きだ。リアルに存在する人から向けられる、そういった感情は迷惑だ。
どうしようもない渇望だとか羨望だとか、それが憎悪や怨嗟に転化する瞬間の生々しさと勢いにいつも圧倒される。どうしてこうなったのだろう、あぁそういうことだったのね、そしてぶちかます一撃は最高に輝いて見える。
女ってのは業が深い生き物なんだろうか。
それとも、男が関わるからそう見えるだけだろうか。非常に面白く、厄介だ。
でも、僕はパールの考え方も、行動も気に入っているよ。
2025/10/31
(主に)映画感想文
数々の名作を勧めてきた友人が「こんな映画を観たんだけど、是非観てほしい!」と勧めてきたのがこれ。
どうやらシリーズ物らしいのだが、初回の作は観なくても話が解る(というか、別物として観られる可能性)というので、前作に当たる『X』は観ていない。
たぶん疲れる映画なんだろうなと思っていたので、観られる精神状態になれる時を待っていたのだが、雨降りの本日、そういう心境になれた。やはり観たくなった時に観るに限る。
『X』で出てきた殺人鬼のおばあちゃん、パールの若かりし頃を描いた作品なんですって。
殺人鬼に至るきっかけ、過程を表した作品なのだということは聞いていたから、こんな理由なのかなぁと想像しながら観ていたわけだが、その辺はまぁ想像通りではあった。
想像通りっていうか、自分に重なる部分は幾つもあったので(法に抵触するようなことはしていない、念のため)、パールの環境や心境にえらく感情移入したものだ。
1918年のアメリカが舞台。パールは銀幕のスターを夢見る女性で、旦那のハワードは出兵中。実家である農場で、厳格な母親と、病気で身動きの取れない父と暮らしている。ハワードはどうやらこの農場に婿入りしているらしい。
母親は「最善を考えている」らしくて、とにかく厳しい。あれこれ指示してきて、娘の行動もすぐに見抜く。
父親はそんな母娘の間で口も利けず、身体の自由もきかないまま、母親に叱りつけられる娘を見ている。その世話になって、息も絶え絶えにモルヒネを飲まされていた。これは病状の緩和のために飲んでいるのかな?
パールは映画の中の踊り子に憧れていて、自分には才能がある、絶対にスターになれると信じて、牛舎で動物達に踊りを披露しながら、その時を待ちわびているようだ。
動物相手に踊っているだけなら、まだ可愛げもあるんだけど、ぽやぽや歩いてきたアヒルをでかいフォーク状の農具で殺し、池に住むワニに餌付けしている辺りから「あれ、なんかこの娘・・・・・・?」と気付かされる。
もう既に片鱗が見えている、見えているよ、パールちゃん!
ネタバレ無しで感想を書くと、あぁ~そうなのよ、解る、解るよぉ~という、ねっとりとした納得を抱いた。
パールほど酷くはないが、自分の実家も皆が抑圧され、歪み、社会生活を普通に送っているけども病んでいた。そういう環境に居たら、子どもはどのようになるか? 歪むに決まっとる。
パールの年齢がちょっと解らなかったけど、たぶん20代半ばとかなのかな。ハワードも出兵したってことは若いんだろうし。今の価値観からすれば、結婚する年齢は早い方よね。
故に、若さと衝動を持て余しているようにも見えた。ただ毎日、農場の手伝い、幼子のように母親に小言を言われる、動けない父の介護って、若い人が背負うには苦しいと思う。まだいろんなことしたいだろうし、縛られたくないよね。それはいつの時代も感じるものなんじゃなかろうか。
で、またそれを町の映画館で遭った映写技師に言われて、客観視ができちゃったところが、ターニングポイントになっちゃうのよね。一時的にでも、ここでパールは認められたんだから。
それが自信に繋がって、やる気に繋がって、この勢いを失いたくないって思うのも当然よ。
その勢いを殺ぐ実家と母親に嫌気が差すのも、仕方ない。正しく「私は誰にも止められない」の状態だった。
パールの体験した環境は厳しいもんだったね。
親からの抑圧、貧しい生活、ぶつけどころの無い欲求・・・・・・でも、根源的なパール自身の欲求は誰にでもあるもので、しかしそれを与えるには周りにも余裕が無かったってのが、こうなった原因なのかなーなんて思った。
この歯車がどこか一つでも違っていれば、パールが堕ちるところまでいくのを止めることができたかも?
彼女も反省しているような素振りはあったからね。もう止まれなくなっちゃったけど。
あと、やっぱり主演女優の演技力に度肝を抜かれる。古いアメリカ映画っぽい表現も相まって、ものすっごく雰囲気があるんだよね。映画が彼女についてきている、みたいな。
この方は『X』でも特殊メイクをしてパールを演じているらしいので、この役にうってつけなのでしょう。そうでしょうよ、ラストとか凄かったもん。
夢見る田舎町の娘、重圧に喘ぐ娘、性欲を発散しきれない娘、とにかく若さとか愚かさ、過ちを詰め込んで、たっぷり演じきっているのよ。見応えがめちゃくちゃあるのよ。どうやってキャラ作りしたんんだろう。
叫ぶ演技も、泣く演技も、身体張ってバシッと決めている。とある場面で泣く演技とか、うわーーめっちゃ悔しいんだろうなってのが伝わってくる。圧巻でした。
こんなに演技で圧倒されたの、『VVitch』の弟くん以来だな。あれはもう一度観たい。
個人的には非常に楽しませてもらったけど、人に勧められるかというと難しい。
軽い気持ちで観るにはグロステクな心情や描写、ちょっと性的な表現もあるので、その辺に興味や理解を示せる人が観たら面白いかも。
若かりし頃がこんなんで、老婆になった時にどういう行動に出ているのか、とっても気になりました。
近いうちに『X』も観てみようと思います。友人からは酷評だったけど。
[続きはこっちで]
2025/10/22
(主に)映画感想文
何とか時間を作ることができたので、無料期間が終了する前に映画を観ておくことにした。
積んでいたのは『アンドリューNDR114』、それから『悪魔のいけにえ』の二本。
前者は友人から、映画そのものというより小説の話を聞いていて、映画があるらしいけど有料なんだね~って話をした。「どんな内容かも解らないのに支払わせるわけにもいかないし」と友人が渋っていたのも思い出した。
そんな映画が狙ったように無料で公開されていたので、感謝しつつ観ることにした。
ちなみに友人にもこの情報は伝えて、彼女は先に観ていた。曰く、恋愛描写が強めとのことだったので、原作を読んだらまた印象が変わるのかもしれない。
原作は読んだことがないので、まるっきり映画から入ったクチ。
それでもアイザック・アシモフの名前は聞いたことがあったし、サムネの画を観たらどういう話なのかは予想がつくようになっていた。機械が心を持って云々ってことかなぁ、と。
今でこそ機械にまつわる創作はたくさんあるけど、その原点となるのがこの原作と言っても過言ではないらしいので、それを映像化した作品ならきっと良い気付きを得られるだろう、とわくわくしながら観ていた。
今更どうこうあらすじを書き連ねるものでなし、ネタバレという程のこともなし、昔の名作に野暮なことは言わないのが吉だ。
人でないものが人のような感情や心を持った作品っていうと、僕が思いつくのは『ブレード・ランナー』だろうか。あとキツくて最後まで観られなかった『A.I.』とか??
この映画の主人公であるアンドリューは最初から感情があったわけじゃなく、長女の命令がきっかけで感情を会得したのね。業者から見れば確かに故障とか、不良品、欠陥品になるわね。
でも、このアンドリューが実に面白く、愛されるようなキャラクター性を持っている。見事な体現をしてくれたロビン・ウィリアムズに脱帽よ。この方、『ジュマンジ』でも凄く良い演技をなさっていたな。
とにかく感情が芽生えてからのアンドリューはコミカルで、愛嬌があって、見ていて気分の良いキャラだった。
そんな彼を友人とするサー、どちらかと言えば父親寄りの感性を持つリトル・ミスが良い味出しているのよね。立ち回りや、アンドリューへの影響等々。
母親とグレちゃった長女は「あくまでも機械」というスタンスだったけど、そういう視点もあった方がリアルだ。誰も彼もがアンドリューを”人間”のようには扱えないね。
アンドリューの外観が二足歩行だったからなのか、それとも演じた方のグッジョブなのか、不気味の谷現象はあまり発生しなかった。
そんなつもりないって自分で否定していたけど、僕はどうやら人でないものが人の真似をすることに嫌悪感を抱き易いらしい。そうなのかなって思ったのは初音ミクの台頭の時で、確信を持ったのはニーア オートマタの機械生命体の諸々を見た時だ。
これもまた自然な感情なんだと思うけど、相手からすればあまり気持ちのいいものではないよね。って、こうやって人間扱いしようとするのに、彼らが人間に限りなく近い振る舞いをしていると、理屈ではない部分で「うーん」て思ってしまう。
そも人間とは何かって定義をしないことには・・・・・・難しいなぁ。
劇中でも、一部に人工的な臓器を使っているなら、完全な人間なのか、それでも人間なのかって思わせるような問答があったけど、そうだよね、生身が人間なのか、機械でも心があれば人間と呼べるのかって、かなり複雑な内容だわ。
機械と人が愛し合うってのも、心があってこそだね。だって、人間を愛するメリットなんて機械には無いからね。
アンドリューは最後に人間らしい終わり方を選択し、好きな人の隣で目を閉じたけど、これって幸福な方法なのかね。そうかもしれないね。
ポーシャもまた生命を維持することをやめて、アンドリューと再会するべく静かに永眠したね。あの終わり方、とても綺麗だとは思った。
それを看取ったのがガラテアってのがね・・・・・・ガラテアは何を思うんだろう、彼女も感情を獲得しているんだよね?
主人が居なくなって、アンドリューも居なくなって、そうやって知っている人が減っていくことに対し、寂しいって思ったりするのかな。
寂しいといえば、アンドリューは自分が関わってきた人達を見送ってきたんだもんね。
歳を取ったからだと思うけど、最近こういう「皆を看取り、自分も息を引き取る」という展開にとても弱い。自分も最後はこうやって、関わった人達を見送ってから静かに去りたいなって思う。
幸い、僕は次世代を残すことに恵まれたけど、それが死ぬ時の満足感にどう繋がっていくのか、今からは何も解らない。自分の世界が存続できればいいって考え方も、勿論捨てていないけど。
人間が心を失うことだってあるわ、それって人間っていうより化け物って言われることの方が多い気がする。
心があるか無いかが人間の分かれ目なら、どういう分け方ができるのでしょう。感情じゃないよ、心だよ。じゃあ、感情と心ってどういうふうに違うんだろう。
あと素晴らしいのは音楽。大袈裟じゃなくて、素朴で、でも耳に残る良い音だった。
OPも良かったね。ものつくりの工程を見ていたら、『イノセンス』を思い出した。SF作品を作る人なら、アシモフは読んでいて当たり前だったりするのかね。
時間が無くてとっちらかった感想になったけど、観て良かった。
晩年にまた観たくなる気がする。それがいつのことになるのか、僕にも解らない。
いつその時が来るのか解らない、それが人間の寿命なんだって。怖いね。怖いけど、自然なことだ。
自然であること、あるがままを受け入れること、難しいけど人間だからこそやっていきたいね。
2025/01/22
(主に)映画感想文
勢い込んで感想を書いていたのに、それが全部さっぱり消えてしまって何を言いたかったのか忘れてしまった。まぁいいか。
異種間恋愛ものだってことが早々に解っていて、でもギレルモ・デル・トロだしなぁと敬遠していた映画だったけど、やっと観た。
すっきりと描かれたロマンスだったので、後腐れなく観れた感じ。寧ろ、同種間の恋愛すら書けずにどうしたもんかと思っていた自分にとっては、この映画のすっきり具合は見習いたいところ。
人によっては半魚人の設定は何なんだとか、あれは結局どういう存在だったんだとか、そういう部分が気になると思うけど、この映画の肝は恐らく異種間恋愛ってところだけなので、考えずに感じた方が楽しめると思います。
小説も出ているようだ。そっちを読んだ方が設定とかは解るかもしれない。
主人公のイライザの地味な色が段々と派手な暖色系へ移り変わっていく、彼女の心境の変化。毎日が楽しくなり、気持ちが弾んで笑顔を見せるようになり、周りが見えなくなっていく様は正しく恋愛真っ只中の女性。
彼女を取り巻く10年来の友人(黒人)、隣人の絵描き(ゲイ)、彼女自身(聾唖者)という、1960年代のアメリカではちょっとだけ受け入れにくい存在。彼ら自身はとても良い人柄を持っている。なんだかんだ、マイノリティ同士だからこそ協力し合うって印象を与える。
イライザ自身が海の世界から来たんじゃないかと思わせる言動の数々、雨が降ることを解っていたり、窓の外の水滴を少しだけ操るような描写が目を引いた。彼女が唐突に歌って踊り出すミュージカルシーンも、彼女が人魚姫のような存在だったなら納得かなって。脚を手に入れる代わりに失った声で、聴こえないけど彼への愛を歌う。
人間側の悪役として描かれたストリックランドの苦労人っぷり。家庭も仕事も円満に見えて、その実、この人が満たされることってあんまり無かったんだろうな。好きでもない色の高い新車を買って、早速ぶつけられたところとか、同情せずにはいられなかった。
と言ったところで、ストリックランドの環境は彼自身にもちょっと非があるんじゃないかって感じるけど。家庭にしろ仕事にしろ、選び続けているのは彼だろうしね。そういうことを認められるほど、強い人間でもなさそうだったね。
ソ連のスパイだったディミトリは半魚人に興味を持ったばっかりに、仲間から異動命令を食らい、ストリックランドとも対立することに。この人の最期は報われそうになかったな。途中まで何だか良い人に見えていたから、少しは救いがあっても良かったな、なんて。
様々な要素を絡めながら、恋愛模様を描いた正しくロマンス映画。恋愛映画とか普段全く観る気にならないけど、異種間恋愛となると話は別。
とはいえ、先述の「イライザは海の世界から来たのでは」説を僕は推しているので、異種間というか、最後は同種間というか・・・・・・まぁ姿は二足歩行以外、そんなに似てないけどね。
イライザは水中が好きなのかと思ったんだよ、自慰行為も必ず風呂場だったし・・・・・・とか言って、風呂場なら汚しても洗い流せるからここでやるのかなって思っていました。ちょっと違ったみたいです。
巷の考察や感想を読んでみたら、結構居たんだ、イライザは人魚姫なんじゃないかって方が。あの首の傷を見たら誰だってそう思うよね。僕はあの傷を見て映画のダゴンを思い出したから、だからイライザを人間とは思わなかっただけかもしれない。
半魚人も、小説版だと神として描かれているみたい。クトゥルー的存在かと思った。
感情表現がちゃんとあって、イライザのこともちゃんと好きだったようだ。どこか可愛げのある仕種がいいなーと思わせるが、隣人の猫を食った時はヒェッてなったぞ。それを「彼の本能によるものだから」と理解を示した隣人も凄いが。
ってな感想をもっとつらつら書いていたのに、一瞬でパァだ。30分がパァだ。
とにかくあまり気負わずに観られる恋愛映画です。グロテスクな場面とか、性描写もがっつり映ることがあるから、一人で観るのをお勧めします。
2024/06/10
(主に)映画感想文