ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
というものを友人から訊かれて、上手く答えられなかった。
嫌いな人間のタイプはたくさん居ると思う。「君は人間嫌いだろう」と人から評価されて、「人間が嫌いなんじゃなく、嫌いな奴が人間に多いだけだ」と即座に答えるほど。
嫌いとまではいかないけど、苦手だからなるべく付き合いたくないタイプーーということでいいのだろうか?
それをずっと片隅で考え続けていたが、何となく解ってきた。嫌いじゃないけど、付き合わずに済むなら付き合いたくないタイプとでも言おうか。
細かな情緒のやりとりが声ないし対面でできない人間が、苦手だ。何を考えているのか解らないから、距離を取りたくなる。
正直、野生動物の方がまだ直感や本能に任せて感情を発露していると思う、そのレベルでこちらから見て感情が死んでいるようなタイプが苦手だ。
尤も、相手からすればちゃんと感情があるし、表に出しているのに、僕が全く感じ取れていないだけという可能性もある。
そこを阻害するのが、僕が自負として持っている感受性の高さだ。つまり、自分の感受性に引っ掛からないから、この人の感情は死んでいると、そのように認識しやすいのかもしれない。傲慢な話だが。
オンラインゲームでフレンドになった人はそこそこの数が居るけど、続いているのはごく微か。それも対面で遊んだことのある人に限られる。
元来、僕は筆まめな人が好きだ。それは誠実さの一種であり、ちゃんとこちらと関わろうとしているのだと思えるから、好感が持ちやすい。
反対に筆無精が苦手だ。こっちの時間を何だと思っているのだろうと、嫌悪感や忌避感を抱きやすい。
最近、フレンドになった人は、連絡すればちゃんと返信がある。だが、主体性は無いように見えた。それがこちらの不満や不安を煽るのだが、まずそういう考えに至らない部類の方のようだった。
いつメンというものに憧れ、筆無精な人間に辟易しているようだったから、それなら仲良くできるかもと思って、こちらから声を掛けた。
チャットを介して話をしてみた時、相手の感情があまり窺えず、振る話題に苦労した。というか、ほぼこちらが喋ってばかりだった。
二回目の遊びの時、通話しながら遊んでみた。聞かれたことには答えるけど、自分からあまり喋らない人だった。
それどころか、話題を膨らませることもなく、粛々とコンテンツを消化し、こちらは振る話題に窮して、終わった後に「ただの接待だなぁ」と疲労感を覚えた。
そこで思い出したのが、別のオンラインゲームで仲良くなったフレンドのことだった。
その人もやっぱり返事はちゃんとしてくれるけど、チャットではあまり自分のことは話さなかったし、こちらにも興味が無いようだった。
通話もしたことあったが、会話は弾まず、これでは疲れると思って僕はチャットに切り替えた。
しかし、戦闘中にボタンひとつで送れるスタンプ機能はよく活用する人で、こちらがナイスプレイを見せると、すぐさまスタンプで反応してくれて、そこは嬉しかった。
ここで疑問なのが、僕がどういうフレンドを欲しいかということだ。
これもまた生来の気質だが、僕は会える友人が欲しいと思う傾向にある。ネットを介して会った人でも、いつかは生身で喋りたいと思い、それをずっと実行してきた。
ネット上だけで完結する関係というものは、あまり自分に合わない。それは若い頃から理解していた。
「何でそんなに会わないといけないのか?」と訊かれたこともあるが、会った方が相手のことが解るからに決まっている。物理的な距離をすぐ覆すことはできないけど、生きている間に何度も会っておきたいのだ。
まぁ、この質問をしてきた友人も、文章と実際に会って話すのとでは印象が大きく変わる人なので、そういうタイプは僕みたいな会って話すタイプがあまり好きではないのかもしれない。
なもんで、スタンプで反応してくれるフレンドと遊ぶのは楽しかったけど、実際のチャットや通話で盛り上がれなかったのが残念だった。
後にこの話をカウンセリング先でして、「実際の細かなやりとりよりも、ゲームを通したやりとりの方がいいのかもしれないね」という意見を貰い、成程と合点がいった。
相手が欲しいのは、ゲームができるフレンドだ。それ以外で関わるつもりがない。リアルに居るような友人ではなく、ゲームを一緒にやるだけのフレンドが欲しかったのだろう。
だから向こうから誘ってきたことは無いし、こちらから別ゲームに誘っても反応が無かった。
・・・・・・それは僕から見れば、ゲームフレンドbotでしかないが。
そして、今回のフレンドもそれに近い。スタンプ機能は無いから、意思疎通を取ろうとすると通話ありきになりがちだが、自分から話を振ることがあまり無ければ、相槌を打っても話を膨らませる気が無さそうと窺えるところが、とっても苦手だ。
事前に「話下手なので」とか何とか言ってくれれば、こちらも配慮できるんだけど、それが無い。相手が話しにくいかもとか、こう思うかもっていう予想や予測が立てづらいのかもしれない。
僕は感受性が人より優れていると自信を持って言えるし、細かな情緒のやりとりが得意だ。それは対面の時に最も発揮され、余裕があれば通話でも何とかなる。
だが、今の余裕の無い僕では、感受性ばかり過敏になって、相手の受け取らなくていいものまで受け取ってしまっている。
僕は自分の得意な分野で相手を知ろうとし、仲良くなろうとしていたが、それが相手にとっては重荷になっていたのかもしれない。こっちのペースに合わせなきゃいけなくなるからね。
・・・・・・とはいえ、初対面の相手なら気を遣って、何が好きですかとか、これはどうですかってところを切り口に話を始めるもんだと思うけどな。
この辺は接客経験が無いとできないことか、そも相手に興味を持っていなければできないことか?
とにかく相手はゲームを通してでしか、こちらと関われないのかもしれない。
どうしよう、そういう人は僕に必要ない。
PR
大学時代の友人と一年に一度は定期的に集まるようになって、何度目か。
今日もその会に行ってきたわけだが、そこで意外なことを友人に言われたので、整理するためにも書かずにいられなかった。
なにせ引っ越してからこっち、自分の部屋は無いし、家族とは扉一枚隔てているだけで、以前よりも物音はよく聞こえるし、独り言もばっちり聞こえる。
そんな環境で書けるかーいって、半年近くほぼ何も書かなかった。書けなかった。
もっと一人になれる場所で~なんて言っていたら、このまま書けずにいきなり死にそうだ。そんな焦りだけはあって、条件とか環境とか関係なく、とにかく書き出してみたかった。
そのきっかけとなったのが今日の会だったので、友人らには感謝せずにいられない。
僕は明暗で言えば、明らかに暗の方の存在だ。自分でも自覚はあるし、かつて友人だった人、或いは仕事先の人からも「ネガティブな方の人間だ」だの「あなたの話を聞くと暗い方へ引き摺られる」だの、好き放題言われたものだ。
僕は人の話を聞いて共感こそすれ、引き摺られることがあまり無かった。だから、かつて友人だった人の言う”引き摺られる”の意味が解らなかった。
今にして思えば、もう交友関係を続けていけるような間柄ではなかったのだろう。喧嘩したこともあったし、その際に相手を泣かせてしまったこともあって、そのわだかまりは解けたものだと思っていたが、相手の中ではそうじゃなかった。同じ次元でものを見ることはできなかったんだ。
そんな自分に対して、今日会った友人は「君と話すと元気になるし、表現も的確だ」と評価され、もう一人からも「こうした方がいいって押し付けてくることもないし、寧ろ話を聞いてもらって要点が整理できる」といった旨のことを聞いて、とても意外だった。
更に、先の友人は随分と昔に僕に対して「閉鎖的なんじゃないのか、勿体ない」と言ってきたことがあって、当時の僕はそれに反発したものだった。
そのことを憶えていた友人は「あの時はそう言ったけど、今にして思えば君はしっかり考えていた。閉鎖的なんじゃなくて、長く付き合える人を見抜いていた。それに比べれば自分らなんて、まだ子どもだ」と言って、「昔の友人が残っているということは、その時からブレていない」と再び評価してくれた。
意外や意外、僕は誰かに何かを与えられる存在になりたかったけど、実際にはなれないだろうと思っていた。
確かに、人によって場所によって、話すことや思考を柔軟にしていこうと心掛けてはいたが、自分の軸に沿わないことを話したことはない。八方美人ではない。
閉鎖的なんじゃないかって言われたことを、まさか二十年近く経って「自分の見方の方が誤りだった」みたいに言われるなんて、思わなかった。
その時の僕は図星を突かれて、こいつに何が解るんじゃいって怒って、それで反論していた気がする。
子どもじみた反抗だったのに、二十年近く経って友人は自分の認識を改めた。その一つの答えのようなものを聞けたということが、僕にとっては偉大な奇跡だ。
それに、もう一人の友人が言った「話を聞いてもらって整理できる」というところは、僕がよく会う友人に抱く感想そのものだった。
彼女は筆力もあるし、思考する力もあるし、僕なんかよりよっぽど読書家で、ゲーマーで、他人に左右されることはない。そんな彼女に自分に起きたことを話すと、客観的な視点からずばずば言ってもらえるので、僕の思考の組み立てにとても役立つのだ。
そんな役割を、まさか自分が誰かにしていたとは。話を聞けて良かった。
僕の存在価値なんて、友人によって認められるところがやっとだ。
家族も旦那もその他の人間も信用ならないところがあるけど、自分が選んだ友人達は今でも好きだし、できる限り関係を続けていきたい。相手の人生に関わることができなくなったとしても、その幸福を願える自分で在りたい。
ただ、この先を生きていれば別れは必ず来るだろうし、或いは予期せぬ訣別が待っているかもしれない。既にそんな訣別を経験した僕は心が壊れて久しいが、友人達のお蔭で生きていられる。多くを望まずに、彼、彼女らの幸福だけを願える。
そこは感謝するかな、訣別した奴に。でも、許すことはできない。また話したいけど。
僕も、誰かを元気にできるようなことを話せるんだ。
TPOを弁えてこそだし、もしかしたらそう言ってくれた友人だって僕の話をもっと深く聞いたら、自分の感覚をまた訂正することになるかもしれない。
だけど、今日聞いた話は間違いなく友人が感じたことだ。それを伝えてもらえるだけの成長を、僕はきっと遂げている。
それ自体はきっと喜ばしい。良いことだ。僕の糧になる筈だ。信じたい。
僕は彼らの死を見届けてから、死にたい。友人らの老いと魂の旅立ちを祝福したい。
最後にそんな我儘を言ってもいいと思う。僕だっていつ死ぬか解らないけど。
怪獣映画をお勧めしてくれる友人に言われて、わざわざ探して観てしまったよ『温泉シャーク』。
名前からして以前観た『シャーコーン』とかと同じ類かと思っていたら、日本発のサメ映画なんだとか。しかし、中身はわりと怪獣映画と聞いて、物は試しじゃ観てみようぞと、マイシアター+に登録までした。
余談だが、このマイシアターとはいったい何なのであろう・・・・・・知らない間に知らない制度ができている。一週間は無料のお試しができるようだが、この手のものは解約し忘れるので、忘れないようにここに記しておかねば。
そんなことより、この映画の中身だが、多くは語れない。
というのも、僕自身がまだ怪獣映画に対する経験が浅くて、どう評価したらいいのかがさっぱりなのである。さっぱり、ほんと。
近年こそ怪獣映画の金字塔であるゴジラにまつわるものを観て、カッコイイだのカッコイイだの、果たしてカッコイイイだのと宣っているが、その前は怪獣映画をどう楽しんでいいのかが解らず、遥か昔に地上波で観たモスラが可愛いとか、その程度のレベルだった。
サメ映画は追っかけようとして手当たり次第観たから、多少はあれこれ言えるかもしれないけど、怪獣映画についてはまだまだ・・・・・・
そんな僕でも楽しめたのがこれ、温泉シャーク。
現代らしい要素――インフルエンサーだの、配信だの、3Dプリンターだの――が盛り込まれていて、確かにサメも全貌が映りはしたけど、どこか怪獣映画を思わせる作りだと感じさせられたのは何故だろう。
ミニチュアで多くが表現されていることに気付けるようになったのは、ここ3年くらいで培われた眼なのだと思いたい。爆破シーンとかCGよりもリアルだもんね。
でもその陰で同じ友人に紹介されたダイコン版ウルトラマンがちらつくから、彼の罪は重いね。
で、温泉シャークは「そんなの無茶苦茶だよ!」という設定がありながらも、どこかで説得力を生み出す場面が存在する。それっぽいんだよね、物凄く。現代の説明と、映画の設定が上手く噛み合わさっているというか。海外のサメ映画ではやらないんじゃないかなって、何となく思いました。
暑海市ってあるけど、熱海市だよね、この道路見たことあるよ~って解ると面白くなってきちゃうね。
熱海市=温泉って結びつきから生まれたこの映画、大切にしてください。聖地巡礼に向かいたいと思っています。
こういう映画って、ちゃっちい部分とツッコミ入れたくなるようなギャグと、途端に温度差が発生するシリアス展開と、塩梅がとても難しいと思うのよね。
その点、温泉シャークでは次々と人が襲われるし(サメの数はクラファンに左右されていたようで、劇中では400ものサメが出演しているんだとか)、主要キャラだと思っていた人が次々に死んでいくし、最終的に残った面子見ても「え、お前らなの?」と予想し得ない展開が続きました。
この疾走感っていうのかな、相手に考える隙を与えない怒涛の勢いってのは大事だと思う。煙に巻くんでなく、ちゃんと説得力を持たせて且つ相手を巻き込んで坂を転げ落ちている――ような感じ。
ツッコミたいんだけど、画面の向こうで次はこれ次はこっちって話が進んでいくから、笑いながらも囚われて観ちゃう。そして、どこかしらに感動ポイントのようなものが捻じ込まれる。
そこを盛り上げるのが、壮大なBGMの数々。いやー曲がみんなかっこよかった。
あとEDの『灼熱の戦歌』がすっごい好みで、覚えてカラオケで歌いたいなって思いました。
映画に限った話じゃないだろうけど、大事なのは物語を邪魔しないで引き立てる音楽なのだろうか。サントラ欲しいな。
そういえば、あのマッチョさんは実はサメの転生した姿とか、こっちが無茶なことを考えていたんだけど、最後まで解らなかったな。
街の復興も1ヶ月くらいで軌道に乗ったっていうし、暑海市の人達めっちゃ逞しいっすね。その中で、社会的な生活を送れるとは思えないマッチョさんは、是非とも万巻さんと手を組んで街の発展に貢献していってほしい。
あと、友人がこの映画を勧めてきた理由の一つとして、彼の平沢進が音響で参加しているという話があったから。
成程、確かにエンドクレジットには御大の名が。なにやってんすか、ヒラサワ。
大物のパターンを録ったということなんだけど、まったく気づきませんでした。何年か経った後に見直した時、そこを意識してみようと思います。
あらすじも、映画の評論らしいことも、何ひとつ言えません。言いません。
とにかく観てみるといい。圧倒されるといい。こういう映画が好きな人には堪らないんじゃないかな。その”こういう”の中身が言えないから、誰のための感想にもならないね。
にしても、あのサメたちの眼、ちょっと可愛く見えてしまったな。
エラが温泉マークなのもいい。かわいい。
画面の向こうから押し寄せる姿には、DB映画のメタルクウラを想起した。絶望感ね。
こちら無事にクリアできたので、簡潔にでも感想を残そうと思った。
Switch2が手に入ったのが昨年11月、そこから引っ越しやら何やらで元気が無くて、ちゃんと始めたのが今年に入ってから。
一ヶ月半で大体クリアできるだろうと思っていたが、サブミッションが多いのと、そのうち幾つかが面倒で放置していたのと、いろんなポケモンを捕まえて育てるのが楽しくて、長々とプレイしていた。
そして今もプレイしている。M次元ラッシュ買ったのだけど、まぁこれは後日に書くとして・・・・・・まだクリアしてないし・・・・・・クリアできるかどうかも解らないし・・・・・・。
巷では良い噂を聞いていたので、ZAを始めるわくわくはそれなりにあった。
レジェンズの系列だから、アルセウスの時ほどではないにしても、きっと面白いだろうな、と。
レジェアルはプレイしたポケモンの中で一番好きなので、そこに追従する形で好きになれたらいいなぁという希望があった。
いやー、ちょっと操作に慣れるまでは難しかったけど、慣れると面白い。
アクション面が強化されていて、相手の攻撃を避けながら技を打つのが楽しかった。自分が避けるのに必死で、ポケモンや共闘している仲間に当たっていたけど。これはもはや肉壁。
子どもには難しい操作かもしれないとか聞いたけど、確かに。複雑なタスクだから、あちこち見ているうちにやられちゃうかもしれないね。序盤の自分が正にそうだったね。
それでも、懐かしいポケモンも出ていたので、初代直撃世代は大歓喜でしたよ。
アーボとかポッポが再び出てくれたのも嬉しい。それからミニリュウね。昔も必死に捕まえて育てて、ハクリューからカイリューの流れがぜんっぜん理解できねーなって啞然としたもんだ。
ピカチュウとイーブイはまぁどこにでもいるとして、ピッピとか、M次元だとプリンも出る様子。
このグラフィックで見たかったのはガーディやロコンなど。
というか、今作でほのおタイプ使おうと思ったらリザードンしか使っていなかった。
カエンジシはちょっと・・・・・・だいちのちからで嫌な目に遭ったので、使う気になれなくて・・・・・・。
バクーダのデザインが結構好きだったけど、メガシンカの姿には首を傾げてしまったので、使ったり使わなかったり・・・・・・マフォクシーに至っては、どうしてキュウコン路線でいかないんだと更に首を捻り・・・・・・。
そんなこんなでほのおタイプでもっと使いたくなる子が居れば良かったなぁ、なんて生意気にも思いました。
アローラライチュウがまた貰えたのも嬉しかったな。普通のライチュウも好きだけど、アローラ版も何だかふわふわしていて可愛らしい。
M次元で捕まえたい子は何種類か居るのだけど、もうミロカロスを手に入れられればそれでいいかもしれない。
それくらい本編には一部除いて満足したし、M次元でのドーナツ作りと異次元ミアレ探索が苦痛なのである。
本編についてはネタバレ回避しながら話したいところだけど、結構切羽詰まった状況だったんだなミアレって驚いた。
XYやっていないから、余計に大袈裟に受け取ってしまったのかもしれない。AZさん、座って接客してどうぞ。
そして、某箇所で言われていた「主人公はムショ帰り」という設定がツボに入った。というか、納得しかない。
いや、サビ組の事務所に行った時の態度といい、たまに見せる選択肢のきつさといい、こいつ只者じゃないだろ。ムショ帰りって言われたら全て合点がいくよ。
いつも女の子で始めるところ、今回は男女どっちにしようか迷ったけど、やっぱり女の子。この娘がムショ帰りって、ちょっと面白い。
好きになれたキャラか、うーん、ユカリ様だろうか。やべーけどおもしれー女ですね、あの方。
今回もそんなに嫌だなってキャラは居ない、あ、そんなことなかった、居た。
うちは女の子で始めたから、ガイでした。サビ組イベントと、タワー突入前のイベントで「なんだこいつ」って5回くらい言いました。
今作のライバルキャラ、物語での見せ場での言動、おかしいだろ。タウニーは画像でしか見ていないけど、もっとやばいだろ。
ガイもタウニーも外見が好みだっただけに、トンデモ言動で好感度ダダ下がりですわ。何であの台詞と流れでいけるって思ったんだろ。
別のところでも言われていたけど、これなら最終イベントで星になった方がまだ納得できたのでは????
そんな疑問を残しつつも、ZAは面白かったと言えます。ポケモンみんな可愛い。ミアレはやばい街だが、きっと毎日飽きないと思う。
ムショ帰りの主人公には相応しい修羅の国ですね。オヤブンがホロの外でも活動できているの、大丈夫なんですかね。
来年にまた新しいポケモンが出るというので、それまでにやりたいゲームを幾つか終わらせます。
ぽこポケ、ドラクエ7リメイク、FF8、ライドウ、428など、積んでいるものは多い。じわじわ終わらせてはいるが、それより先にやりたいものが出てきてしまう。
あ、ベルセリアとエクシリアもやらなければ。買わなければ。
先ずはぽこポケを始めるためにも、M次元をキリのいいところで終わらせよう・・・・・・
まさかこの歳まで生きていられるとは思わなんだ。
更に、光を望むような考え方を保っていられるとも、思わなんだ。
これまでの生き様に、どんなことを感じてきたろうか。
十年前の自分はいったいどこまで予想できていただろうか。
今となっては笑うしかない数々の出来事で、この十年はあまりにも長かった。
その間にも、対人関係は深くなり、或いは離れていった。
自分から繋ぎに行ったものもあるし、手放したものもある。
二十年も信じて終に梯子を外され、それがきっかけで思考も生き方も洗練された。
より強く、より孤独に、より逞しく、しかし戦い抜くだけの勇気は未だ持てない。
半身となってくれるような存在を求め、人間以外の存在と懇意にしながらも、己の無力さや未熟さを痛感している。
人間として、というか生命としての役目をひとつ終えることはできたが、生み出したものに最後まで責任が持てるかは解らない。
自分にはできると思っていた当時こそ、マタニティー・ハイだったのでは?
よくもまぁ分不相応なことを願ったものだ。
だが、それを嗤うことのできる者がどれほど居るだろうか。
自責思考の始まりと、諦観からの狡猾さを学んだ。
やはり敵は敵のままだ。味方とする必要はあるが、最後まで信じず、気を抜かずに対峙することだ。
稚い自分の過去から学んだ怒りと教えを無駄にする勿れ。
兎にも角にも油断を見せてはならない、相手を喰らう程の覚悟で以て、人間とは関わらねばならない。
傍らで、自分の証明を欠かさないようにしなければならない。
即ち、書くことをやめてはならない。歌うこともまぁやめない方がいい。
昨日観た銀魂の映画は魂が震えた。生き返った。
こんなふうに誰かに何かをもたらすものを書きたいと、久しぶりに考えることができた。
それは晩年になって達成されることかもしれないし、一ヶ月後にはできているかもしれない。
今はまだ力が足りないし、誰かの為に書く気にもならない。
この感動や情動を礎に、またひとつずつ積み重ねていけばよい。
僕にしか書けないものを書く、それが至上の歓び。それは昔から知っている唯一の幸福の体現だ。
僕はどれだけ僕を失わずにいられるだろうか。
来年はまだ生きているだろうか。
大事にしたいものをどれだけ持っていけるだろうか。
来世に期待して死んだ時、目覚めるのはポポルの元だろうか。
永い旅路の果てに得るものは、魂に刻み込まれるのだろうか。
唯一無二の存在にいつ会えるだろうか、今の僕では役不足ではないだろうか。
あのひとはいつまで待っていてくれるだろうか。
僕は弱い、だから強がる。
この世の何もかもを統べるかのように振る舞い、数多のものを下に見ながら、天を仰いで自由を描く。
誰の追従も許さない。きっと辿り着いてみせる。
セレナ達と生き残って、堂々とした死を迎えてみせよう。
大いなる力に殺されるか、小さな怒りに殺されるか、そこもまた解らない。
あとどれだけのものを生み出せるだろう?
光だ。何もかもが輝いて見える。
それは死のうとした時に見えた光景に似ている。
何もかもくだらない。何もかも素晴らしい。
空が飛べないなら翼は偽物だ。
飛ぶためには今のままじゃ駄目だ。
早く次にいきたい。僕はここにいる。失われて堪るかい。
ランディに寄せて。紅弥の手を取って。
まだ巫子でいられるだろうか。死の間際まで気高くいられるだろうか。
ただの妄執、それとも真実か、もう一歩だけ世界の先をいきたい。
僕には翼がある、脚がある、力がある、そう信じないと生きていけない。
本当は疲れた。信じたくない。捨てられるのはもう嫌だ。
そんな自分に何かが手を差し伸べてくれる瞬間を、まだ待っている。永遠に来ないかもしれないのに。
ただ、光だけは射し込む。僕を焼き尽くすための光がそこにある。
照らし出された輪郭も影も僕に違いない。
すべて呑み込むほどの影と、灰の中から生まれ変わる奇跡をください。誰に頼めばいいのか。
絶対に呑まれない。人間にはもう負けない。
喰らってでも生きてやる。お前らに負けやしないからな、と啖呵を切りたい。
お前らを焼く光を、きっと。
この小ささが、醜さが、如何にも僕らしい。
愛される悦びを、選ばれる歓びを、あなたが、どうか。