それらが溢れているのだと思う。
久しぶりに書ける機会を手に入れた。
最近、PCを家族が持ち出しているので、二ヶ月近く何も書けていない。
小説どころか、ブログすら書いていなかった。
なもんで、久しぶりに書いている今がとても楽しい。
アウトプットは大事だ。誰かに話すことも大事だけどね。
友人が昔住んでいたという場所へ連れていってもらい、楽しく過ごした後だった。
その子が何度か話に出してきた人があまり好きじゃなくて、どう反応していいのか解らなかった。もっと言えば、話をしてほしくなかったのだと思う。
FF14絡みで知り合った人で、精神的に脆い部分がある人だから理解できるだろうと友人は踏んで、僕にその人を紹介してくれたようだった。
その人自身と僕とは話したことがない。いつもその友人か、後にその人の恋人となる人を入れてしか、遊んだことがない。
だから、僕はその人がどんな人なのか知らない。解っていない。
解っていないなかで、その人は度々病んで約束を反故にすることがあった。今日遊べると言った数時間後に「体調が悪くて」と、自分の思い通りに動けないようだった。
最初はそれも辛かろうと心配していたけど、やがてその人がインしなくなり、元々僕が進めたかったコンテンツをクリアする計画はやっぱり頓挫した。
人数不足を補い、あわよくば仲良くできればということで知り合った人だったけど、ものの一ヶ月で不信感を抱くことになるとは。
でも、その人の恋人も、友人も、その人と今でも変わらず遊んでいる。そこに僕は居ない。祖の人も僕と遊ぶのは気まずいだろうと思う。
僕は二人から事情を聞いただけで、本人から直接の謝罪や説明はされていない。
そんな状態で何ヶ月か過ぎ、友人がその二人と遊んでいることがあると知り、友人と遊びに行った際にその人の話をされて、かなり苛立ってしまった。
僕のその人に抱く印象は極めて悪い。精神的に脆いとはいえ、ドタキャンはやはり嫌な気持ちになるし、説明はあって然るべきなんじゃないかとも思う。
その人との間に知人よりも進んだ関係性があれば、ここまで苛立つことはなかったかもしれない。周りの人間がどう言おうと、僕にとっての評価の軸は僕の感じたことだけなのだから、そこで躓いたなら、その人が挽回しようとしない限り、僕から歩み寄ることはできない。
約束を反故にして悪いと思っている、薬をのんで怠いから起きていられない、それらを本人から聞いていれば、違ったのではないか。
そこまで説明する義理が無いと言われれば、やはりその人とは関わらないようにするだろう。
共通の知り合いが居るから、僕が一人でモヤモヤすることになる。
ドタキャンは昔によくやられた。その友人もやはり余裕が無くて、「ドタキャンされて辛かったんだよ」と言った時に「でも君も季節の変わり目とかに来てたよね」と返されたことがショックだった。
季節の変わり目だから本人やその子どもが熱を出してもしょうがない、とでも言いたげだった。僕はただその時のことを「あの時は余裕が無くてね、ごめん」とか言ってほしかっただけなんだけど、その謝罪ってのはこんなにも難しいことなのか?
加えて、現在僕を苛立たせるその人と、友人が仲良くしている恋人の仲など、僕にとっては何の関わりも無い。
だけど、友人からその話が出てくる。出てくる度に、ヘテロは嫌だなと嫌悪感が頭をもたげる。聞くに値しないと思っているのだろう。
無礼者が誰とどう付き合っていこうと、僕に謝罪してくれなかった時点で、遠い国の出来事のようなものだ。現実味が無い。
というか、恋人に誠実に在る前に、こっちに誠実に在れよ。僕は友人ですらないのに、貴女を許容しようとしたんだぞ。
結局、僕は自分を蔑ろにされて怒っているだけだ。
そして、友人にそのことを伝えられず、持て余している。
僕は友人と仲良くしたくて、僕のことを解ってほしいとまで思っているけど、友人にとっての僕はその他大勢とあまり変わらないのだ。
変わった関係性をまた誰かに期待している自分に、心底、嫌気が差した。というか、馬鹿だろう。本物の馬鹿だ。
あれだけ痛い目に遭っても誰かとの稀有な関係を望む、その頭の中は大層なお花畑だろう。僕の愚かな希求が、僕自身の首を絞め上げている。
こっちを蔑ろにしている人間にまつわる全て、気に入らない。関わりなど持てない。
恋人を大事にするけど、それ以外は踏み台とでも無意識に考えているんじゃないか、恋愛主義の異性愛者は。無礼者。
友人が憶えているかは解らないが、僕は大事なものを失う羽目になったから、恋愛感情も異性愛者も蛇蝎の如く忌み嫌っている。
その感情が揺さぶられる。自分にとってそれは苦しいものだ。
だけど、それらは友人にも、例え無礼を働いたその人や、その人を支える恋人には関係のないことだ。だから、僕は強い理性で以て対応する。
そうだ、僕は精神的に脆いけど、病んでいるけど、そんじょそこらの人間とは潜った修羅場の数が違う。
思考する能力も、どれだけ自分が辛くても他者を優先できるだけの理性を、僕は持っている。
かつてドタキャンした上に言い返してきた友人や、今回のその人にはそれらが無い。自分が辛くなれば周りを犠牲にし、他責思考であることを厭わず、恋愛やその時の友人関係へと逃げ込み、不義理を働く。そして、それらを忘れる。
僕の根底にあるのは、恋愛感情と異性愛者への嫌悪、自己愛、自分の苦痛を抑えられるだけの理性と思考能力、自責の念が転がっている。
特に自責の念は強く、どれだけ他者の所為にしようとしても「そんな人間を信じた自分が悪いのだ」と返っていく。
他者を馬鹿にすることで、卑下することで、何とか自分を保っている。そんな僕を周りは馬鹿にするし、大事にできないだろう。だから僕は僕だけを愛する。
とにかく、疲れた。危うく今日の遊びの場に二人を呼ばれるところだった。
「次は二人も呼べるかもね」と言われて、上手く答えられなかった。僕は黙っていてもいいかな、なんて思った。そんなの、成人して十何年も経った人間の対応じゃないよね。
でも、気を遣ってしまうんだよ。自分に余裕なんて無いのに、嫌なのに、気を遣ってあげようとするんだよ。
そこに感謝してくれる人も、「お前が辛いんじゃないのか」て気付いてくれる人も居ないのに。僕を保護できるのも、庇護できるのも、僕だけなのに。
嫌いだ。異性愛者は嫌いだ。恋愛感情で幸せいっぱいに笑う人間どもも嫌いだ。早く生命の本分を果たして朽ち果てろ。僕から大事なものを奪っていくな。
友人にそういう本音を吐けないのは何故か? 友人は、その二人と仲良くやっているから。そこに余計なものを挟みたくなかった。
ほらな、気を遣っている。僕は僕のことが話せない、それだけでこんなにも辛くなるというのに。馬鹿だ。馬鹿だ。
僕の居場所を奪うのは、いつだって異性愛者の恋愛感情だった。
傷付けてくるのも、約束を破るのも、全部そうだったじゃないか。
もう近付くな。
それから、僕自身もよく弁えろ。特別な人間など、居ないんだよ。
セレナ達みたいな存在でもなきゃ、義理に厚い関係なんてできないんだよ。
人間に多くを求めるな。そうしなくていいように、僕は僕だけを愛し、信じ切るしかない。
ルーンが出したハガルは、ここに掛かっていたみたいだ。
つくづく当たるよな、ルーンは。
なら、僕が話し合いをする日は来るのかな。唯一無二の関係は作れるのかな。
さっきと言っていることが違うね。結局はどんな時でも頼れる人が欲しいんだね。
お願いだから、目を醒ましてくれ。そんな希望は持つんじゃない。
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2026/01/13
日常
前回観た『X』、『Pearl』の三部作の最後、これが動画サイトを覗いたらあったので、思わず観てしまった。
そう、自分はミア・ゴスの演技に心底惚れ込んでしまったようだ。ミア・ゴスを観たいがために観たと言っても過言ではない。
続き物だけど、『Pearl』はスピンオフというか、パールの若かりし頃の話であって、今作も『X』もマキシーンの話だ。
どれもミア・ゴスが主演だから、何となくこんがらがっている。どれを観てもいいけど、最後の作品はやっぱり前作二つを観た後の方が、「あーそういうことなの?」と納得できるかもしれない。
ネタバレ無しで語るならば、そういう終わり方するのか~っていう驚き。
展開がどうとかより、使われたネタに対して「え、そっち!?」という驚きだった。ネガティブなものではないが、ポジティブでもない。
あんまり言うとネタバレになるから明言が難しいけど、僕は正直、全然違う人がマキシーンを狙っていると思っていたので、黒幕の正体を明かされた時に「嘘でしょ!?(今更出てくるの?)」と二重で驚いた。
とにかく、意外性というか、そっちだと思わなかったっていうか・・・・・・そう感じた人は結構多いのではないかと思う。
マキシーンがまた神経図太いもんで、あれだけの惨事に見舞われたのに、本名のまま女優を目指しているってのがまた・・・・・・アメリカからどっかに移り住んだわけでもないし・・・・・・。
徹頭徹尾、自分の願いのため、夢のために生きている姿は賞賛もんだと思うけど、いくら後見人みたいな人が居るとはいえ、本名のままで、事件のあった農場と同じ国内のままで、ポルノ映画からハリウッドスターに駆け上がるなんて、できるかな?
できるのがマキシーンなんだよ、と言われると頷いてしまう。それがこの映画の魅力なのかも。てきとうなこと言っているわけじゃないよ。
ミア・ゴスの演技には満足しているけど、設定については前作よりも気になったな。そこは不満かもしれない。
先述した後見人なんだけど、最初にどういう人間なのか解っていなくて、有力な大物に偶然拾われて(というか寵愛を受けて)、そこの養子にでもなったのかと思ったのよね。或いは愛人みたいな。
だけど、そういった男女の関係ってのは一切無さそうだったし、父親役を務めるってわりにはいつも一緒に住んでいるわけじゃないし、どこでどう出会って、どうマキシーンに惚れ込んで、こんな立ち回りをするに至ったんだ・・・・・・?
そこも想像の余地が残っているっちゃそうかもしれないけど、劇中で補完してくれてもよかったのにー。
まぁ、マキシーンって自分のこと全然話さないし、謎を残したままの方が雰囲気あるでしょってことなのかねぇ?
映画も最後まで観ていると「こういう作りにしたのか~」て思えるから、んまぁ明かされない部分があっても納得できるような・・・・・・いや、それは甘い評価と言われてしまうか?
映画の舞台が80年代のアメリカで、この時代の映画を観たことある方なら、ちょっと懐かしい気持ちになれるのかも。
僕はこの時代が終わる頃に産まれたから知らないものばっかりだけど、似た年代の映画を何本か観たことあったから、カラーにしろ、場面転換にしろ、何となく懐かしさを感じた。
前作でもそうだったけど、オマージュを大事にしているのかなぁ。そのものへの尊敬を感じられるオマージュは僕も好きなので、そういうところは観ていて気分がいい。
二つの前作を観て、尚もマキシーンの物語の顛末を知りたいって方にお勧め。
今回はマキシーンの暴れっぷりやエロは少ないので、そこを求めている方には物足りないかも。
ここまで凄いと、ミア・ゴスは台本貰った時に何を思ったのか聞いてみたくなっちゃうね。
どんな心理状態で演じられるんだ、これ。
[続きはこっちで]
2025/11/19
(主に)映画感想文
友人からは「観なくてもいいよ!」と言われたけど、これの続編が面白かったから「一作目ってどんなだったんだろ」と興味本位で観たのがこれ。
ちなみにアマ●ラで観られるようだったから再契約したのだけど、本編の途中で広告入れるとかどういうことなの。月額払ってんのが馬鹿みたいじゃねぇか。頼むよほんと。
あらすじもネタバレも割愛して、言いたいことだけ記しておきたい(単純に時間が無いのだ)
主演のミア・ゴスに『Pearl』でハマりつつあったのだが、今ではすっかり虜と言ってもいい。
彼女はすごく女性的、魅力的な立ち居振る舞いを見せるけど、内面の混沌としたものとか正視に堪えないものってのを上手に表現してくれる。その演技力に脱帽。この女優が凄い。
劇中の老婆パールと、農場を訪れた性に奔放な若者の一人マキシーンのどちらも演じているとのこだけど、演じ分けとかサイコダイビングっていうのかな、演じるにあたっての心掛けとか、どういうふうに考えていたのだろう。
マキシーンは如何にも若さを謳歌している女性って感じで、野心もあるし、頭もきっと悪くない。自分を特別だと信じ込むことはできるのは、若さの特権なのかも。
対してパールは「いずれ私のようになる」と呪詛を吐き出すくらいには、自分の思い通りの人生を歩むことができなかった――と見える。続編を観た後だと、時代だね~とか、成程ね~と思うけど、ダンサーになれなかったことが一番効いているのかな?
しかし、早々に自分の可能性に見切りをつけた側としては、老いても尚その光に縋り続けるパールの精神はすげーなと思えた。
若さを謳歌する、世間一般だと青春だとか何だとか言われているような種々様々なライフイベントなるものを一通りこなせず、そのまま老いていくのは口惜しかったことだろうよ。時代が影響しているなら尚更。
そういう人って自分が老いた時にまざまざと見せつけられると、いとも簡単に発狂するのね。或いは、老いた頃に手に入っても理想と現実の乖離が起きて、上手く活かすことができない。またはただの馬鹿になる。
僕はただの馬鹿になった人の方をたくさん見たから、若い間にできることを蔑ろにするってのは恐ろしいことだと思った。この年齢で学生時代に手に入らなかったものが手に入ると、人間はこうも蒙昧になるのだなと呆れたもんだった。
ただ老いるっても、何十年も経たねばそうならないわけで、その間に一切の変化が無かったとすれば、そりゃ殺人犯せるほどになるでしょうね。これも続編を観た後だから言えることだけど。
ただ、僕はパールが殺人鬼になったとは続編を観た時に思わなかった。『X』の方では明確な羨望を持って、手慣れた感じで次々に殺していったけど、若い時のアレコレは殺人鬼への過程だと思えなかったんだよな。その辺は感情移入の差かな。
やってきた若者達に特に何を思うってことはなかったけど、映画監督の青年が自分のカノジョがあぁなった後、シャワーを浴びながら泣いているのは少し不思議だった。
何もかもを犠牲にして自分の思う傑作を作りたい人なんだと思っていたから、「あ、そこで傷付くし、自分のカノジョはそういう娘じゃないって思っていたんだ」と驚いた。
何と言うか、この程度のことで傷付いて泣いちゃうほどの人なら、野心溢れる映画なんて作れないんじゃないかなぁ、なんて・・・・・・偉そうに言ってしまった。
血眼になって何かを作りたいって人はどっかしらのネジが外れていることが多いから、そこは普通の感覚なのかよ! と肩透かしを食らった気分だった。
愛とセックスは別物とマキシーンが言っていたけど、それはそうだと思う。お前も混ざれば良かったろ、と見当違いなフォローをしたくなったシーンだった。
で、幾つかの感想を見てまわったけど、やはり皆様が一番のグロテスクさを感じたのが例のシーンだったみたい。
僕は「あぁこれも愛の形か」と思ったね。執着が愛と換言できるなら、ハワードとパールの間に起こったことも、パールからマキシーンにちょっかい出したことも、愛の形の一つと形容してもいいんじゃなかろうか。無理かな。
若い人しかそういうことしちゃいけないってわけじゃないって言われれば、それはそう。いくつになっても性に溺れたい人はそうなんでしょうよ。
でも、これが原因で後にハワードがあんなことになるとは・・・・・・あまりにも・・・・・・コメディホラーみたいな現象だったな。
僕は女性嫌悪が酷い時もある人間だけど、女性の悦びとか哀しみを綴った作品は好きだ。リアルに存在する人から向けられる、そういった感情は迷惑だ。
どうしようもない渇望だとか羨望だとか、それが憎悪や怨嗟に転化する瞬間の生々しさと勢いにいつも圧倒される。どうしてこうなったのだろう、あぁそういうことだったのね、そしてぶちかます一撃は最高に輝いて見える。
女ってのは業が深い生き物なんだろうか。
それとも、男が関わるからそう見えるだけだろうか。非常に面白く、厄介だ。
でも、僕はパールの考え方も、行動も気に入っているよ。
2025/10/31
(主に)映画感想文
所詮、素人がネットで調べて「こういう事例に当て嵌まるかも」と思っているだけだが。
鬱、不安障害、愛着障害、アダルトチルドレン等、自分に該当しそうなものはたくさんある。
それらが環境による原因で育った根源的なもので、成長していく自分がどうにも消化できなかった成れの果てということも。
原因は家庭にあっただろうけど、こうなった責任は自分にある。この世の不条理は全て当人の力量不足によるものだ。
そう考えろと、遠回しに教わったのだから。
だから、時々、他責思考なるものに依存している友人らを見て、羨ましいと思う時がある。
人の所為にできれば、それを他者に伝えられれば、「私にも悪いところはあった」と言わずに済んだら、どれほどの救いが待っているのだろうか。
自分の所為ではない、誰かのこういうところが悪かった、毎度その理屈で片付けることができたら、見たくないものを遠ざけて自分を休めることができたら、後の人生で笑うことができるのだろうか。罪の意識に苛まれずにいられるだろうか。
でも、そういう友人らも陰では納得していない。だから他者を攻撃する。自分の所為だなんて思ったら、自分が壊れるし、全てから遠ざかってしまう。
それを僕は見てきたし、実際に攻撃対象になって悲しい気持ちになったこともあるから、良くないよなぁと余計に自戒の念を強くした。
だけど、もう自分の所為にするのにも疲れた。僕も誰かの所為にして、誰かに「もういいよ、頑張ったよ。逃げてきな」と言われたい。
でも、人間はそう言って裏切るから、他者に甘えるよりも自分の命を終わらせた方がいいのかもしれないと、その可能性も捨てきれない。
先日の親との口論以来、子どもが可愛いと思えなくなった。薬を増やすべきかもしれない。
皆が皆、敵だった。あの場に居て、何も言わなかった母親も、解らないという顔をしている子どもも、普段から戸惑ってばかりの旦那も、皆が敵だった。勿論、父親も。
冷静に見れば、父親の言うことは合っているけど、今の自分にとっては難しいことだ。そんなこと言われて支配されるのは御免だよ、と、これくらいのことが咄嗟に思えたら良かったのだが。
真正面から受け止めて、深く傷付いたのだと知った。被害者が子どもなのだと言われた時、じゃあ僕の周りは敵ばかりだから、やっぱり僕のことは僕が救わなきゃ! と声がした。
それから、現実の自分と内側の自分と、明らかに年齢の乖離がある。否、本当は内側の自分は成長していなかったのかもしれない。
敵だ、敵だ、敵ばかりだ。だから、頑張った末にどうしようもなくなったら、逃げてもいい。全て捨てて逃げていい。死ぬくらいなら、そうしよう。だって、僕を大事にできるのは僕だけなんだから。子どもは僕が居なくても育つ。旦那も僕が居なくても生きていける。
そう声がする。僕が言っている。そう理解した。
ただ、友人らと離れるのは度し難い。彼、彼女らのお蔭で今の僕はまだ生きている。生きていけているのに、それらも捨てるのは今までの人生を捨てるに等しい。
やはり家族とは救いにならず、僕の人生を縛り上げ、押し込め、圧壊させるものなのだ。
だったら、責任に報いようと頑張って、頑張って、でも壊れそうだと自分で判断したなら、捨てよう。逃げよう。どこに逃げればいいのか解らないけど、死なずに済むのならそれでもいいじゃないか。
だって、ちゃんと死ねるかどうか解らない。もうこれで終わりだと思った時に「本当は生きていたかった」と気付くのが、とても恐ろしい。だから一歩を踏み出せない。
それに、僕はまだ書き上げていない。何も終わっていない。物語を続けたいと願って、迷いながらも書いてきたのに、それをこんな形で途切れるなど許してよいものか。
解らない。疲れたから休もうと言っても、休んだところで治るかも解らない。
それはたぶん、今後も頑張れる糧のある人が取るべき手段であって、僕のものじゃないな。そうだろう。
休んだって、結局これだ。最初から分不相応なことに手を出していた。
それでも手を出したのだから、最後まで何とかやりたいと思っていた。できるようにならなければと思っていた。
できなかったら?
実家と縁を切り、離婚し、子どもは養育施設に預けることになるのか?
それで、自分の行く末は? あるだけの金を持ち出し、最低限の大事なものを持って、勇気を出して死ぬのか?
死ぬくらいなら捨てて、どっかに行こう。それならできるよね? と、自分の声がまた聞こえる。
ポポルじゃなくて、もっと小さい頃の自分を装った声。この胡乱な精神状態は、信じていた人間に絶縁された時のものに似ている。それだけ傷付いて、行き場が無い。
その場凌ぎの関係を持つだけでは、もう誤魔化しようがない。そんなものはまた面倒なことになるに決まっている。
あ、でも、こんな状態じゃあ唯一無二のものも、きっと近付いてきてくれない。どちらにしろ、僕には救いなど無いんだ。
救われないのか。じゃあ、諦めてここに居るしかないか。
それとも、物語を書くことに集中して、仮初の救済を試みるか。
真の救済を何だと思っているのだ、肉体から後悔なく離れることか。
その後は・・・・・・帰るんだ、世界に。居るべき場所に。ポポルの中に。
そういう蒙昧なものを信じて生きるのも、人間を信じて生きるより、よほど良いのだろう。
相変わらず紅弥達が話し掛けてくれるけど、それに応えることも今は難しい。
内側の声が大きい。被害者ぶっている所為か、どんどん大きくなる。
自分の状態を理解しているつもりだった。発狂もできない、中途半端で哀れな存在だなと。
子どもが可愛くない、皆が敵に思える、僕のことはどうでもいいのか、そうやって庇われる歳でもないが、それはお前らが言っていい言葉ではない。
とにかく憎悪した。妊娠、出産を経た自分を呪うしかない。馬鹿なことをしたものだ。
子どもも、旦那も、実家の人間も悪くない。全ては自分が悪かった。
じゃあどうする? 死ぬしかないんじゃないか。知らねーよ。
2025/10/24
日常
数々の名作を勧めてきた友人が「こんな映画を観たんだけど、是非観てほしい!」と勧めてきたのがこれ。
どうやらシリーズ物らしいのだが、初回の作は観なくても話が解る(というか、別物として観られる可能性)というので、前作に当たる『X』は観ていない。
たぶん疲れる映画なんだろうなと思っていたので、観られる精神状態になれる時を待っていたのだが、雨降りの本日、そういう心境になれた。やはり観たくなった時に観るに限る。
『X』で出てきた殺人鬼のおばあちゃん、パールの若かりし頃を描いた作品なんですって。
殺人鬼に至るきっかけ、過程を表した作品なのだということは聞いていたから、こんな理由なのかなぁと想像しながら観ていたわけだが、その辺はまぁ想像通りではあった。
想像通りっていうか、自分に重なる部分は幾つもあったので(法に抵触するようなことはしていない、念のため)、パールの環境や心境にえらく感情移入したものだ。
1918年のアメリカが舞台。パールは銀幕のスターを夢見る女性で、旦那のハワードは出兵中。実家である農場で、厳格な母親と、病気で身動きの取れない父と暮らしている。ハワードはどうやらこの農場に婿入りしているらしい。
母親は「最善を考えている」らしくて、とにかく厳しい。あれこれ指示してきて、娘の行動もすぐに見抜く。
父親はそんな母娘の間で口も利けず、身体の自由もきかないまま、母親に叱りつけられる娘を見ている。その世話になって、息も絶え絶えにモルヒネを飲まされていた。これは病状の緩和のために飲んでいるのかな?
パールは映画の中の踊り子に憧れていて、自分には才能がある、絶対にスターになれると信じて、牛舎で動物達に踊りを披露しながら、その時を待ちわびているようだ。
動物相手に踊っているだけなら、まだ可愛げもあるんだけど、ぽやぽや歩いてきたアヒルをでかいフォーク状の農具で殺し、池に住むワニに餌付けしている辺りから「あれ、なんかこの娘・・・・・・?」と気付かされる。
もう既に片鱗が見えている、見えているよ、パールちゃん!
ネタバレ無しで感想を書くと、あぁ~そうなのよ、解る、解るよぉ~という、ねっとりとした納得を抱いた。
パールほど酷くはないが、自分の実家も皆が抑圧され、歪み、社会生活を普通に送っているけども病んでいた。そういう環境に居たら、子どもはどのようになるか? 歪むに決まっとる。
パールの年齢がちょっと解らなかったけど、たぶん20代半ばとかなのかな。ハワードも出兵したってことは若いんだろうし。今の価値観からすれば、結婚する年齢は早い方よね。
故に、若さと衝動を持て余しているようにも見えた。ただ毎日、農場の手伝い、幼子のように母親に小言を言われる、動けない父の介護って、若い人が背負うには苦しいと思う。まだいろんなことしたいだろうし、縛られたくないよね。それはいつの時代も感じるものなんじゃなかろうか。
で、またそれを町の映画館で遭った映写技師に言われて、客観視ができちゃったところが、ターニングポイントになっちゃうのよね。一時的にでも、ここでパールは認められたんだから。
それが自信に繋がって、やる気に繋がって、この勢いを失いたくないって思うのも当然よ。
その勢いを殺ぐ実家と母親に嫌気が差すのも、仕方ない。正しく「私は誰にも止められない」の状態だった。
パールの体験した環境は厳しいもんだったね。
親からの抑圧、貧しい生活、ぶつけどころの無い欲求・・・・・・でも、根源的なパール自身の欲求は誰にでもあるもので、しかしそれを与えるには周りにも余裕が無かったってのが、こうなった原因なのかなーなんて思った。
この歯車がどこか一つでも違っていれば、パールが堕ちるところまでいくのを止めることができたかも?
彼女も反省しているような素振りはあったからね。もう止まれなくなっちゃったけど。
あと、やっぱり主演女優の演技力に度肝を抜かれる。古いアメリカ映画っぽい表現も相まって、ものすっごく雰囲気があるんだよね。映画が彼女についてきている、みたいな。
この方は『X』でも特殊メイクをしてパールを演じているらしいので、この役にうってつけなのでしょう。そうでしょうよ、ラストとか凄かったもん。
夢見る田舎町の娘、重圧に喘ぐ娘、性欲を発散しきれない娘、とにかく若さとか愚かさ、過ちを詰め込んで、たっぷり演じきっているのよ。見応えがめちゃくちゃあるのよ。どうやってキャラ作りしたんんだろう。
叫ぶ演技も、泣く演技も、身体張ってバシッと決めている。とある場面で泣く演技とか、うわーーめっちゃ悔しいんだろうなってのが伝わってくる。圧巻でした。
こんなに演技で圧倒されたの、『VVitch』の弟くん以来だな。あれはもう一度観たい。
個人的には非常に楽しませてもらったけど、人に勧められるかというと難しい。
軽い気持ちで観るにはグロステクな心情や描写、ちょっと性的な表現もあるので、その辺に興味や理解を示せる人が観たら面白いかも。
若かりし頃がこんなんで、老婆になった時にどういう行動に出ているのか、とっても気になりました。
近いうちに『X』も観てみようと思います。友人からは酷評だったけど。
[続きはこっちで]
2025/10/22
(主に)映画感想文