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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

 こちら無事にクリアできたので、簡潔にでも感想を残そうと思った。
 Switch2が手に入ったのが昨年11月、そこから引っ越しやら何やらで元気が無くて、ちゃんと始めたのが今年に入ってから。
 一ヶ月半で大体クリアできるだろうと思っていたが、サブミッションが多いのと、そのうち幾つかが面倒で放置していたのと、いろんなポケモンを捕まえて育てるのが楽しくて、長々とプレイしていた。
 そして今もプレイしている。M次元ラッシュ買ったのだけど、まぁこれは後日に書くとして・・・・・・まだクリアしてないし・・・・・・クリアできるかどうかも解らないし・・・・・・。


 巷では良い噂を聞いていたので、ZAを始めるわくわくはそれなりにあった。
 レジェンズの系列だから、アルセウスの時ほどではないにしても、きっと面白いだろうな、と。
 レジェアルはプレイしたポケモンの中で一番好きなので、そこに追従する形で好きになれたらいいなぁという希望があった。

 いやー、ちょっと操作に慣れるまでは難しかったけど、慣れると面白い。
 アクション面が強化されていて、相手の攻撃を避けながら技を打つのが楽しかった。自分が避けるのに必死で、ポケモンや共闘している仲間に当たっていたけど。これはもはや肉壁。
 子どもには難しい操作かもしれないとか聞いたけど、確かに。複雑なタスクだから、あちこち見ているうちにやられちゃうかもしれないね。序盤の自分が正にそうだったね。

 それでも、懐かしいポケモンも出ていたので、初代直撃世代は大歓喜でしたよ。
 アーボとかポッポが再び出てくれたのも嬉しい。それからミニリュウね。昔も必死に捕まえて育てて、ハクリューからカイリューの流れがぜんっぜん理解できねーなって啞然としたもんだ。
 ピカチュウとイーブイはまぁどこにでもいるとして、ピッピとか、M次元だとプリンも出る様子。

 このグラフィックで見たかったのはガーディやロコンなど。
 というか、今作でほのおタイプ使おうと思ったらリザードンしか使っていなかった。
 カエンジシはちょっと・・・・・・だいちのちからで嫌な目に遭ったので、使う気になれなくて・・・・・・。
 バクーダのデザインが結構好きだったけど、メガシンカの姿には首を傾げてしまったので、使ったり使わなかったり・・・・・・マフォクシーに至っては、どうしてキュウコン路線でいかないんだと更に首を捻り・・・・・・。
 そんなこんなでほのおタイプでもっと使いたくなる子が居れば良かったなぁ、なんて生意気にも思いました。
 アローラライチュウがまた貰えたのも嬉しかったな。普通のライチュウも好きだけど、アローラ版も何だかふわふわしていて可愛らしい。

 M次元で捕まえたい子は何種類か居るのだけど、もうミロカロスを手に入れられればそれでいいかもしれない。
 それくらい本編には一部除いて満足したし、M次元でのドーナツ作りと異次元ミアレ探索が苦痛なのである。

 本編についてはネタバレ回避しながら話したいところだけど、結構切羽詰まった状況だったんだなミアレって驚いた。
 XYやっていないから、余計に大袈裟に受け取ってしまったのかもしれない。AZさん、座って接客してどうぞ。

 そして、某箇所で言われていた「主人公はムショ帰り」という設定がツボに入った。というか、納得しかない。
 いや、サビ組の事務所に行った時の態度といい、たまに見せる選択肢のきつさといい、こいつ只者じゃないだろ。ムショ帰りって言われたら全て合点がいくよ。
 いつも女の子で始めるところ、今回は男女どっちにしようか迷ったけど、やっぱり女の子。この娘がムショ帰りって、ちょっと面白い。

 好きになれたキャラか、うーん、ユカリ様だろうか。やべーけどおもしれー女ですね、あの方。
 今回もそんなに嫌だなってキャラは居ない、あ、そんなことなかった、居た。
 うちは女の子で始めたから、ガイでした。サビ組イベントと、タワー突入前のイベントで「なんだこいつ」って5回くらい言いました。
 今作のライバルキャラ、物語での見せ場での言動、おかしいだろ。タウニーは画像でしか見ていないけど、もっとやばいだろ。
 ガイもタウニーも外見が好みだっただけに、トンデモ言動で好感度ダダ下がりですわ。何であの台詞と流れでいけるって思ったんだろ。
 別のところでも言われていたけど、これなら最終イベントで星になった方がまだ納得できたのでは????

 そんな疑問を残しつつも、ZAは面白かったと言えます。ポケモンみんな可愛い。ミアレはやばい街だが、きっと毎日飽きないと思う。
 ムショ帰りの主人公には相応しい修羅の国ですね。オヤブンがホロの外でも活動できているの、大丈夫なんですかね。


 来年にまた新しいポケモンが出るというので、それまでにやりたいゲームを幾つか終わらせます。
 ぽこポケ、ドラクエ7リメイク、FF8、ライドウ、428など、積んでいるものは多い。じわじわ終わらせてはいるが、それより先にやりたいものが出てきてしまう。
 あ、ベルセリアとエクシリアもやらなければ。買わなければ。

 先ずはぽこポケを始めるためにも、M次元をキリのいいところで終わらせよう・・・・・・

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まさかこの歳まで生きていられるとは思わなんだ。
更に、光を望むような考え方を保っていられるとも、思わなんだ。
これまでの生き様に、どんなことを感じてきたろうか。
十年前の自分はいったいどこまで予想できていただろうか。
今となっては笑うしかない数々の出来事で、この十年はあまりにも長かった。

その間にも、対人関係は深くなり、或いは離れていった。
自分から繋ぎに行ったものもあるし、手放したものもある。
二十年も信じて終に梯子を外され、それがきっかけで思考も生き方も洗練された。
より強く、より孤独に、より逞しく、しかし戦い抜くだけの勇気は未だ持てない。
半身となってくれるような存在を求め、人間以外の存在と懇意にしながらも、己の無力さや未熟さを痛感している。

人間として、というか生命としての役目をひとつ終えることはできたが、生み出したものに最後まで責任が持てるかは解らない。
自分にはできると思っていた当時こそ、マタニティー・ハイだったのでは?
よくもまぁ分不相応なことを願ったものだ。
だが、それを嗤うことのできる者がどれほど居るだろうか。

自責思考の始まりと、諦観からの狡猾さを学んだ。
やはり敵は敵のままだ。味方とする必要はあるが、最後まで信じず、気を抜かずに対峙することだ。
稚い自分の過去から学んだ怒りと教えを無駄にする勿れ。
兎にも角にも油断を見せてはならない、相手を喰らう程の覚悟で以て、人間とは関わらねばならない。

傍らで、自分の証明を欠かさないようにしなければならない。
即ち、書くことをやめてはならない。歌うこともまぁやめない方がいい。
昨日観た銀魂の映画は魂が震えた。生き返った。
こんなふうに誰かに何かをもたらすものを書きたいと、久しぶりに考えることができた。
それは晩年になって達成されることかもしれないし、一ヶ月後にはできているかもしれない。
今はまだ力が足りないし、誰かの為に書く気にもならない。
この感動や情動を礎に、またひとつずつ積み重ねていけばよい。
僕にしか書けないものを書く、それが至上の歓び。それは昔から知っている唯一の幸福の体現だ。

僕はどれだけ僕を失わずにいられるだろうか。
来年はまだ生きているだろうか。
大事にしたいものをどれだけ持っていけるだろうか。
来世に期待して死んだ時、目覚めるのはポポルの元だろうか。
永い旅路の果てに得るものは、魂に刻み込まれるのだろうか。
唯一無二の存在にいつ会えるだろうか、今の僕では役不足ではないだろうか。
あのひとはいつまで待っていてくれるだろうか。

僕は弱い、だから強がる。
この世の何もかもを統べるかのように振る舞い、数多のものを下に見ながら、天を仰いで自由を描く。
誰の追従も許さない。きっと辿り着いてみせる。
セレナ達と生き残って、堂々とした死を迎えてみせよう。
大いなる力に殺されるか、小さな怒りに殺されるか、そこもまた解らない。
あとどれだけのものを生み出せるだろう?

光だ。何もかもが輝いて見える。
それは死のうとした時に見えた光景に似ている。
何もかもくだらない。何もかも素晴らしい。
空が飛べないなら翼は偽物だ。
飛ぶためには今のままじゃ駄目だ。
早く次にいきたい。僕はここにいる。失われて堪るかい。

ランディに寄せて。紅弥の手を取って。
まだ巫子でいられるだろうか。死の間際まで気高くいられるだろうか。
ただの妄執、それとも真実か、もう一歩だけ世界の先をいきたい。
僕には翼がある、脚がある、力がある、そう信じないと生きていけない。
本当は疲れた。信じたくない。捨てられるのはもう嫌だ。
そんな自分に何かが手を差し伸べてくれる瞬間を、まだ待っている。永遠に来ないかもしれないのに。

ただ、光だけは射し込む。僕を焼き尽くすための光がそこにある。
照らし出された輪郭も影も僕に違いない。
すべて呑み込むほどの影と、灰の中から生まれ変わる奇跡をください。誰に頼めばいいのか。

絶対に呑まれない。人間にはもう負けない。
喰らってでも生きてやる。お前らに負けやしないからな、と啖呵を切りたい。
お前らを焼く光を、きっと。

この小ささが、醜さが、如何にも僕らしい。
愛される悦びを、選ばれる歓びを、あなたが、どうか。


 それらが溢れているのだと思う。

 久しぶりに書ける機会を手に入れた。
 最近、PCを家族が持ち出しているので、二ヶ月近く何も書けていない。
 小説どころか、ブログすら書いていなかった。
 なもんで、久しぶりに書いている今がとても楽しい。
 アウトプットは大事だ。誰かに話すことも大事だけどね。

 友人が昔住んでいたという場所へ連れていってもらい、楽しく過ごした後だった。
 その子が何度か話に出してきた人があまり好きじゃなくて、どう反応していいのか解らなかった。もっと言えば、話をしてほしくなかったのだと思う。
 FF14絡みで知り合った人で、精神的に脆い部分がある人だから理解できるだろうと友人は踏んで、僕にその人を紹介してくれたようだった。
 その人自身と僕とは話したことがない。いつもその友人か、後にその人の恋人となる人を入れてしか、遊んだことがない。
 だから、僕はその人がどんな人なのか知らない。解っていない。

 解っていないなかで、その人は度々病んで約束を反故にすることがあった。今日遊べると言った数時間後に「体調が悪くて」と、自分の思い通りに動けないようだった。
 最初はそれも辛かろうと心配していたけど、やがてその人がインしなくなり、元々僕が進めたかったコンテンツをクリアする計画はやっぱり頓挫した。
 人数不足を補い、あわよくば仲良くできればということで知り合った人だったけど、ものの一ヶ月で不信感を抱くことになるとは。

 でも、その人の恋人も、友人も、その人と今でも変わらず遊んでいる。そこに僕は居ない。祖の人も僕と遊ぶのは気まずいだろうと思う。
 僕は二人から事情を聞いただけで、本人から直接の謝罪や説明はされていない。
 そんな状態で何ヶ月か過ぎ、友人がその二人と遊んでいることがあると知り、友人と遊びに行った際にその人の話をされて、かなり苛立ってしまった。

 僕のその人に抱く印象は極めて悪い。精神的に脆いとはいえ、ドタキャンはやはり嫌な気持ちになるし、説明はあって然るべきなんじゃないかとも思う。
 その人との間に知人よりも進んだ関係性があれば、ここまで苛立つことはなかったかもしれない。周りの人間がどう言おうと、僕にとっての評価の軸は僕の感じたことだけなのだから、そこで躓いたなら、その人が挽回しようとしない限り、僕から歩み寄ることはできない。
 約束を反故にして悪いと思っている、薬をのんで怠いから起きていられない、それらを本人から聞いていれば、違ったのではないか。
 そこまで説明する義理が無いと言われれば、やはりその人とは関わらないようにするだろう。
 共通の知り合いが居るから、僕が一人でモヤモヤすることになる。

 ドタキャンは昔によくやられた。その友人もやはり余裕が無くて、「ドタキャンされて辛かったんだよ」と言った時に「でも君も季節の変わり目とかに来てたよね」と返されたことがショックだった。
 季節の変わり目だから本人やその子どもが熱を出してもしょうがない、とでも言いたげだった。僕はただその時のことを「あの時は余裕が無くてね、ごめん」とか言ってほしかっただけなんだけど、その謝罪ってのはこんなにも難しいことなのか?

 加えて、現在僕を苛立たせるその人と、友人が仲良くしている恋人の仲など、僕にとっては何の関わりも無い。
 だけど、友人からその話が出てくる。出てくる度に、ヘテロは嫌だなと嫌悪感が頭をもたげる。聞くに値しないと思っているのだろう。
 無礼者が誰とどう付き合っていこうと、僕に謝罪してくれなかった時点で、遠い国の出来事のようなものだ。現実味が無い。
 というか、恋人に誠実に在る前に、こっちに誠実に在れよ。僕は友人ですらないのに、貴女を許容しようとしたんだぞ。

 結局、僕は自分を蔑ろにされて怒っているだけだ。
 そして、友人にそのことを伝えられず、持て余している。
 僕は友人と仲良くしたくて、僕のことを解ってほしいとまで思っているけど、友人にとっての僕はその他大勢とあまり変わらないのだ。
 変わった関係性をまた誰かに期待している自分に、心底、嫌気が差した。というか、馬鹿だろう。本物の馬鹿だ。
 あれだけ痛い目に遭っても誰かとの稀有な関係を望む、その頭の中は大層なお花畑だろう。僕の愚かな希求が、僕自身の首を絞め上げている。

 こっちを蔑ろにしている人間にまつわる全て、気に入らない。関わりなど持てない。
 恋人を大事にするけど、それ以外は踏み台とでも無意識に考えているんじゃないか、恋愛主義の異性愛者は。無礼者。
 友人が憶えているかは解らないが、僕は大事なものを失う羽目になったから、恋愛感情も異性愛者も蛇蝎の如く忌み嫌っている。
 その感情が揺さぶられる。自分にとってそれは苦しいものだ。
 だけど、それらは友人にも、例え無礼を働いたその人や、その人を支える恋人には関係のないことだ。だから、僕は強い理性で以て対応する。

 そうだ、僕は精神的に脆いけど、病んでいるけど、そんじょそこらの人間とは潜った修羅場の数が違う。
 思考する能力も、どれだけ自分が辛くても他者を優先できるだけの理性を、僕は持っている。
 かつてドタキャンした上に言い返してきた友人や、今回のその人にはそれらが無い。自分が辛くなれば周りを犠牲にし、他責思考であることを厭わず、恋愛やその時の友人関係へと逃げ込み、不義理を働く。そして、それらを忘れる。

 僕の根底にあるのは、恋愛感情と異性愛者への嫌悪、自己愛、自分の苦痛を抑えられるだけの理性と思考能力、自責の念が転がっている。
 特に自責の念は強く、どれだけ他者の所為にしようとしても「そんな人間を信じた自分が悪いのだ」と返っていく。
 他者を馬鹿にすることで、卑下することで、何とか自分を保っている。そんな僕を周りは馬鹿にするし、大事にできないだろう。だから僕は僕だけを愛する。

 とにかく、疲れた。危うく今日の遊びの場に二人を呼ばれるところだった。
「次は二人も呼べるかもね」と言われて、上手く答えられなかった。僕は黙っていてもいいかな、なんて思った。そんなの、成人して十何年も経った人間の対応じゃないよね。

 でも、気を遣ってしまうんだよ。自分に余裕なんて無いのに、嫌なのに、気を遣ってあげようとするんだよ。
 そこに感謝してくれる人も、「お前が辛いんじゃないのか」て気付いてくれる人も居ないのに。僕を保護できるのも、庇護できるのも、僕だけなのに。

 嫌いだ。異性愛者は嫌いだ。恋愛感情で幸せいっぱいに笑う人間どもも嫌いだ。早く生命の本分を果たして朽ち果てろ。僕から大事なものを奪っていくな。
 友人にそういう本音を吐けないのは何故か? 友人は、その二人と仲良くやっているから。そこに余計なものを挟みたくなかった。
 ほらな、気を遣っている。僕は僕のことが話せない、それだけでこんなにも辛くなるというのに。馬鹿だ。馬鹿だ。

 僕の居場所を奪うのは、いつだって異性愛者の恋愛感情だった。
 傷付けてくるのも、約束を破るのも、全部そうだったじゃないか。
 もう近付くな。
 それから、僕自身もよく弁えろ。特別な人間など、居ないんだよ。
 セレナ達みたいな存在でもなきゃ、義理に厚い関係なんてできないんだよ。
 人間に多くを求めるな。そうしなくていいように、僕は僕だけを愛し、信じ切るしかない。

 ルーンが出したハガルは、ここに掛かっていたみたいだ。
 つくづく当たるよな、ルーンは。
 なら、僕が話し合いをする日は来るのかな。唯一無二の関係は作れるのかな。
 さっきと言っていることが違うね。結局はどんな時でも頼れる人が欲しいんだね。

 お願いだから、目を醒ましてくれ。そんな希望は持つんじゃない。


 前回観た『X』、『Pearl』の三部作の最後、これが動画サイトを覗いたらあったので、思わず観てしまった。
 そう、自分はミア・ゴスの演技に心底惚れ込んでしまったようだ。ミア・ゴスを観たいがために観たと言っても過言ではない。

 続き物だけど、『Pearl』はスピンオフというか、パールの若かりし頃の話であって、今作も『X』もマキシーンの話だ。
 どれもミア・ゴスが主演だから、何となくこんがらがっている。どれを観てもいいけど、最後の作品はやっぱり前作二つを観た後の方が、「あーそういうことなの?」と納得できるかもしれない。

 ネタバレ無しで語るならば、そういう終わり方するのか~っていう驚き。
 展開がどうとかより、使われたネタに対して「え、そっち!?」という驚きだった。ネガティブなものではないが、ポジティブでもない。
 あんまり言うとネタバレになるから明言が難しいけど、僕は正直、全然違う人がマキシーンを狙っていると思っていたので、黒幕の正体を明かされた時に「嘘でしょ!?(今更出てくるの?)」と二重で驚いた。
 とにかく、意外性というか、そっちだと思わなかったっていうか・・・・・・そう感じた人は結構多いのではないかと思う。

 マキシーンがまた神経図太いもんで、あれだけの惨事に見舞われたのに、本名のまま女優を目指しているってのがまた・・・・・・アメリカからどっかに移り住んだわけでもないし・・・・・・。
 徹頭徹尾、自分の願いのため、夢のために生きている姿は賞賛もんだと思うけど、いくら後見人みたいな人が居るとはいえ、本名のままで、事件のあった農場と同じ国内のままで、ポルノ映画からハリウッドスターに駆け上がるなんて、できるかな?
 できるのがマキシーンなんだよ、と言われると頷いてしまう。それがこの映画の魅力なのかも。てきとうなこと言っているわけじゃないよ。

 ミア・ゴスの演技には満足しているけど、設定については前作よりも気になったな。そこは不満かもしれない。
 先述した後見人なんだけど、最初にどういう人間なのか解っていなくて、有力な大物に偶然拾われて(というか寵愛を受けて)、そこの養子にでもなったのかと思ったのよね。或いは愛人みたいな。
 だけど、そういった男女の関係ってのは一切無さそうだったし、父親役を務めるってわりにはいつも一緒に住んでいるわけじゃないし、どこでどう出会って、どうマキシーンに惚れ込んで、こんな立ち回りをするに至ったんだ・・・・・・?
 そこも想像の余地が残っているっちゃそうかもしれないけど、劇中で補完してくれてもよかったのにー。
 まぁ、マキシーンって自分のこと全然話さないし、謎を残したままの方が雰囲気あるでしょってことなのかねぇ?

 映画も最後まで観ていると「こういう作りにしたのか~」て思えるから、んまぁ明かされない部分があっても納得できるような・・・・・・いや、それは甘い評価と言われてしまうか?

 映画の舞台が80年代のアメリカで、この時代の映画を観たことある方なら、ちょっと懐かしい気持ちになれるのかも。
 僕はこの時代が終わる頃に産まれたから知らないものばっかりだけど、似た年代の映画を何本か観たことあったから、カラーにしろ、場面転換にしろ、何となく懐かしさを感じた。
 前作でもそうだったけど、オマージュを大事にしているのかなぁ。そのものへの尊敬を感じられるオマージュは僕も好きなので、そういうところは観ていて気分がいい。

 二つの前作を観て、尚もマキシーンの物語の顛末を知りたいって方にお勧め。
 今回はマキシーンの暴れっぷりやエロは少ないので、そこを求めている方には物足りないかも。

 ここまで凄いと、ミア・ゴスは台本貰った時に何を思ったのか聞いてみたくなっちゃうね。
 どんな心理状態で演じられるんだ、これ。




 友人からは「観なくてもいいよ!」と言われたけど、これの続編が面白かったから「一作目ってどんなだったんだろ」と興味本位で観たのがこれ。
 ちなみにアマ●ラで観られるようだったから再契約したのだけど、本編の途中で広告入れるとかどういうことなの。月額払ってんのが馬鹿みたいじゃねぇか。頼むよほんと。

 あらすじもネタバレも割愛して、言いたいことだけ記しておきたい(単純に時間が無いのだ)
 主演のミア・ゴスに『Pearl』でハマりつつあったのだが、今ではすっかり虜と言ってもいい。
 彼女はすごく女性的、魅力的な立ち居振る舞いを見せるけど、内面の混沌としたものとか正視に堪えないものってのを上手に表現してくれる。その演技力に脱帽。この女優が凄い。

 劇中の老婆パールと、農場を訪れた性に奔放な若者の一人マキシーンのどちらも演じているとのこだけど、演じ分けとかサイコダイビングっていうのかな、演じるにあたっての心掛けとか、どういうふうに考えていたのだろう。
 マキシーンは如何にも若さを謳歌している女性って感じで、野心もあるし、頭もきっと悪くない。自分を特別だと信じ込むことはできるのは、若さの特権なのかも。
 対してパールは「いずれ私のようになる」と呪詛を吐き出すくらいには、自分の思い通りの人生を歩むことができなかった――と見える。続編を観た後だと、時代だね~とか、成程ね~と思うけど、ダンサーになれなかったことが一番効いているのかな?

 しかし、早々に自分の可能性に見切りをつけた側としては、老いても尚その光に縋り続けるパールの精神はすげーなと思えた。
 若さを謳歌する、世間一般だと青春だとか何だとか言われているような種々様々なライフイベントなるものを一通りこなせず、そのまま老いていくのは口惜しかったことだろうよ。時代が影響しているなら尚更。
 そういう人って自分が老いた時にまざまざと見せつけられると、いとも簡単に発狂するのね。或いは、老いた頃に手に入っても理想と現実の乖離が起きて、上手く活かすことができない。またはただの馬鹿になる。
 僕はただの馬鹿になった人の方をたくさん見たから、若い間にできることを蔑ろにするってのは恐ろしいことだと思った。この年齢で学生時代に手に入らなかったものが手に入ると、人間はこうも蒙昧になるのだなと呆れたもんだった。

 ただ老いるっても、何十年も経たねばそうならないわけで、その間に一切の変化が無かったとすれば、そりゃ殺人犯せるほどになるでしょうね。これも続編を観た後だから言えることだけど。
 ただ、僕はパールが殺人鬼になったとは続編を観た時に思わなかった。『X』の方では明確な羨望を持って、手慣れた感じで次々に殺していったけど、若い時のアレコレは殺人鬼への過程だと思えなかったんだよな。その辺は感情移入の差かな。

 やってきた若者達に特に何を思うってことはなかったけど、映画監督の青年が自分のカノジョがあぁなった後、シャワーを浴びながら泣いているのは少し不思議だった。
 何もかもを犠牲にして自分の思う傑作を作りたい人なんだと思っていたから、「あ、そこで傷付くし、自分のカノジョはそういう娘じゃないって思っていたんだ」と驚いた。
 何と言うか、この程度のことで傷付いて泣いちゃうほどの人なら、野心溢れる映画なんて作れないんじゃないかなぁ、なんて・・・・・・偉そうに言ってしまった。
 血眼になって何かを作りたいって人はどっかしらのネジが外れていることが多いから、そこは普通の感覚なのかよ! と肩透かしを食らった気分だった。
 愛とセックスは別物とマキシーンが言っていたけど、それはそうだと思う。お前も混ざれば良かったろ、と見当違いなフォローをしたくなったシーンだった。

 で、幾つかの感想を見てまわったけど、やはり皆様が一番のグロテスクさを感じたのが例のシーンだったみたい。
 僕は「あぁこれも愛の形か」と思ったね。執着が愛と換言できるなら、ハワードとパールの間に起こったことも、パールからマキシーンにちょっかい出したことも、愛の形の一つと形容してもいいんじゃなかろうか。無理かな。
 若い人しかそういうことしちゃいけないってわけじゃないって言われれば、それはそう。いくつになっても性に溺れたい人はそうなんでしょうよ。
 でも、これが原因で後にハワードがあんなことになるとは・・・・・・あまりにも・・・・・・コメディホラーみたいな現象だったな。

 僕は女性嫌悪が酷い時もある人間だけど、女性の悦びとか哀しみを綴った作品は好きだ。リアルに存在する人から向けられる、そういった感情は迷惑だ。
 どうしようもない渇望だとか羨望だとか、それが憎悪や怨嗟に転化する瞬間の生々しさと勢いにいつも圧倒される。どうしてこうなったのだろう、あぁそういうことだったのね、そしてぶちかます一撃は最高に輝いて見える。

 女ってのは業が深い生き物なんだろうか。
 それとも、男が関わるからそう見えるだけだろうか。非常に面白く、厄介だ。
 でも、僕はパールの考え方も、行動も気に入っているよ。

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