自縄自縛
これがそうだとしたら、愚か極まりない。
月の満ち欠け、毎月の体内での現象、いろんな理由を付けてみるけど、結局は精神がまたしても囚われているだけ。
のめりこんでいられるものが無ければ、こんなにも簡単に過去に舞い戻って、ぶすぶすと燻った怒りを持て余す。なんという時間の無駄。
それが解っていても、自分ではどうすることもできない。本当にそこで諦めていいのだろうか。
出産を経て、子育ての間中、いろんなところに対して牙を剥いている気はする。
余裕など無いし、ふとした時に考えは飽和するし、自分を保つので精一杯だ。産んだことに後悔は無いが、相手を見る度に「お前がこうなると解っていれば産まなかった、だから子を持つことを躊躇ったというのに、阿呆め!!!」と侮辱したくなる。
信頼など、とうに失せている。好きにやればいい。家族として生きていくには申し分ないどころか、自分のスペックでは付き合えない部類の人間だということは重々承知しているが、それでも僕が信頼を置けるような人間ではなかった。やっぱりそうだった。
心の拠り所に人間を据えるのは、さすがにもうやめたい。
そう思って、ゲームに没頭していった。隙間時間さえあればゲーム、書くことの内容を考える、それで自分を保っている。
前に自分が書きなぐった小話なども、非常に役立っている。この時のためにも書き残したのだと思えるくらい。体調を崩したこともあるけど、書きたいものをどんどん書いて良かったと思える瞬間。
そうなのだ、やっぱり自分を救えるのは自分だけ。依存したところで、執着したところで、人間には重すぎる。僕のことを受け止めきる人間を捜していたけど、そんなもん存在せんわと諦めがつく。
だけど、友人からは「君はまだ人間に期待しているんだろう」と言われた。それもそう。
昔よりだいーーーーぶ、いや、かなりその頻度や度合は減った筈だが。
それでも、過去を思い出せば、こんなことを言われて傷付いた悲しかった悔しかったということを思い出してしまえば、それをぶつけて受け止めてくれるものを探したくなる。
人じゃないとすれば、不可視の存在か。最近は忙しくて、たまにしか会話をしていない。
一人の時はよく声が聞こえるが、誰かと居るとそっちに集中するから、まぁ聞こえない。
それもいつまで聞こえるんだろう。僕はいつまでその世界の住人でいられるだろう。漠然とした不安をいつも抱えている。
長年、信頼していた人間に梯子を外された。こいつは一生許さないが、どこかで会って冷静に話をしたいとも思う。今際の際で果たされるか。
長く付き合ってきた友人の中の自分の優先順位は下だったと解り、あれだけ話を聞いてきたのになぁと恨めしくなってしまう相手が居る。結局、自分が尽くした分だけのものが返ってこないから怒っているのだ、僕は。
この二人と関わった時間は長いように感じているが、この二人にとってはそうでもないのだろう。僕以外にいろんな出会いがあって、そっちの方が奇跡に近く、楽しいものだったから。
二人に費やした思考の時間も真心も、二人の中の僕の順位が低ければ屑にしかならない。僕はそれが受け入れられない。
諦めがつかず、二人に認められるか、謝ってもらえるまで、一生こうしてモヤモヤしたしょーもないもんを抱えるつもりなのか。不毛な。
これこそが、依存の後の執着だ。僕は執着している、まだ燻っている。
だから思い出して辛くなる。何であんなに僕のことを傷付けて平気なの、他の人と話しているのって落ち込んでいく。
SNSで空リプのよーなことをして試している時だってある、未だに。呆れたね。
そんな愚かな自分に転機は訪れるのか? 僕はちゃんと成長しているのか?
ハマれるものが少しでもあれば、気にせずにいられた。相手に良い感情を向けることができていた。
だけど、余裕が無くなってくると妬ましさや恨みが蘇ってくる。ってことは、その前にあった”良い感情”は嘘なんじゃないか。どんな時にも発揮されなければ、それは仮初なんじゃないか。
こんな相手を選んだ、こんな相手に期待した、自分が馬鹿だった。愚かだった。見る目が無かった。
そんなふうに自分を責めないと、次に進めない。他人を責めても謝ってくれない、認めてくれない。開き直って、逆に傷付けにくる。
だったら、そんな奴らより上にいく。お前達は持たざる者だから仕方ないな、と上から物を言ってやる。
馬鹿にすることでしか、自分を違う存在なのだと思えない。この方法はきっと間違っている。
かといって、世界平和を願えるほどの高尚な精神が今から持てるわけもない。
同じく余裕があれば、相手の幸せを願うことも可能だろう。今はそんなふうにはなれない。願えない。本当は願えない。
じゃあ不幸を願うのかと言うと、それも違う。何も願わない。ただ、また会って話したいとか、遊びたいとか、自分主体で考えているだけ。
僕にとって他者は何なんだろうか。自分が死ぬまで付き合ってくれる玩具か何かだと思っているのだろうか。
以前、診断メーカーをやった時に「他人は自分の玩具みたいなもんだと思っている」と出て、驚いたことがある。そんな指摘を受けたことはないが、妙にしっくりきた。じゃあ、そうなんじゃないか。とんでもないな。
そんな人間に好かれても、そりゃ誰だって逃げるよ。
それに、僕が正義感を翳して物を言ったことで、この二人も少なからず傷付いているし、どこかで嫌になったりもしただろう。
また仲良くなりたいってのも不毛かね。二人とも、自分の選択が正しいと信じている。本当は選んだんじゃなくて、時間切れでそれしかもう行く道がなかっただけなんだけど・・・・・・まぁ、それはこっちの視点からの話だ。
僕にとって、この二人は間違いなく友人だった。二人にとってもそうだったらいいけど、今となっては解らない。
でも、僕はこの二人を大事にしていたのだろうか。この二人の間でも何かあったりしたからな、ここは所謂、カルマメイトってやつかもしれない。魂のレベルで何かあったとしか思えない。
それを視るだけの力は僕には無いから、誰にも話せない憶測だ。いつまでも気になるのは、僕がこの二人を繋げるからだろう。たぶん。
それにしても、しんどい。もう思い出したくないし、嫌な感情を抱えたまま過ごしたくない。
子どもの相手でいっぱいいっぱいなのに、終わっただろう自分の傷痕に苛まれるのはどういうことか。自分の所為だとしたら、やはり最大の敵は自分なのだ。
仲良くできれば良かったけど、もっと僕が言い方を考えられたら良かったけど、今言っても詮無いこと。
これから先、どんなふうに関わっていけばいいのかを考える。
僕が関わらない方が幸せなのかもしれないけど、それは僕が決めることじゃない。僕が関わりたいと思っているなら、考えていかなくちゃ。
執着から手放す方向へ、まだその先は見えない。どうしたらいいか解らない。
感性が似ている友人に相談してみようか。彼ならどんなふうに考えていくだろう。