ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
というと聞こえがいいというか、かっこいいのだけど、要は自分を見失っているのである。情けないことに。
取り戻すには吐き出すしかあるまい。不浄なものも、嚥下できなかったものも、纏めて文章にするなり歌にするなりして、また新しいものを取り込むために吐き出すしかない。
言葉吐しをするほど、自分を透明にできると信じる。そうでなければ、ここから助かるには死ぬしかないのだから。
この二年ほどは育児が中心になり、そこに相まって家族に対する失望も絶望も先鋭化された。
それはあたかも人間関係というものに期待できなくなった四年前の崩壊のよう。形骸化した信頼だの親愛だのをして、僕は僕のみを信じて生きることに決めるしかなくなった。でなければ、この育児という生命の大仕事を全うできないからだ。
全うしなければならないのか? 僕が選んだことだから。
だけど、僕を失ってまで続けることなのか? 人間として生きている以上は、やり遂げなければ。
それは周りの印象の為に行っていることなのでは? 社会に生きる者として、敵は作りたくないんだもの。
そんなものはクソくらえだ。
僕を救えない者どもに、持たざる者どもにどう評価されたところで、それが僕の何になる。
僕は所詮、独りだ。家族と少しは距離を縮められたような気がしたけど、本当に気がしただけだった。
いつの時代も僕を追い詰めるのは僕で、その影には常に幼少期から続く因果だの呪詛だのが入り込んでいる。
この血脈を途絶えさせるどころか、また新たな呪いを生み出してしまった。まぁ呪いそのものとなるかどうかは解らない、旦那の血も入っているし、本人の気質もあるだろうし。
独立した人間として生きていくまで、僕は子を守らねばならない。その間、弱った僕を守れるのもまた僕だけだ。或いは守護者達が最期まで供についてくれるだろう。
その育児のさなか、人間相手に様々な感情が渦巻く。
ここ数年続いていた「他の人間を知って自分の世界を広げよう」という試みは、現在まったく止まってしまった。煩わしいし、どうせ穢される。
停滞した環境では僕の生み出せるものもやがて濁るが、そうならないために他人と関わると傷付くことが多い。オンラインゲームを代表に、そんなことがやや次いで起きた。
人に気を遣いたくなくても遣ってしまう。勝手に相手の過ごしやすいように、相手の感情を読み取り、対応してしまう。その結果、辛くなるのは此方だ。
だから一人でいる方が気楽になった。それどころか、一人になれないと苦痛だ。
そういう時間を少しでも持てるようにいろいろ使ってはいるが、それでも溜まったストレスと嫌悪感で圧壊する時がある。そういう時は大抵、体調に出る。
そうやって半年に一回、早めに実家を切り上げて一人で過ごす時間を少し多めにとる。そうすると、少しは歯車の回りも良くなって、自分の中を整理することができる。
整理すると言っても、こういった書き殴りだとかゲームで発散しているうちに、少し細かくなって呑み込み易くなるだけなんだが。年単位で咀嚼しなければいけないもの故、抱えた重さはどんどん辛くなっていく。
自分だけが辛いのだとは思わない。皆、大なり小なり辛いだろう。
だけど、この辛さを理解してくれる者が居ない、そんな状況で先ず一週間を生き延びなければならないということが、最近とても難しくなっていた。とにかく辛い、苦しい、終わりにしたいという内側の声が大きくなって、耐えられなかった。
終わりにしたい、この一言がどれだけの悲鳴なのかは自分にしか解らない。誰とも会いたくない、何も考えたくない、ただ書いていたいと純粋に望む。望むほどに罪悪感も強まり、自分を苛む声や狭める檻が実体を濃く表してくる。
日々、ゲームをしたり、フレンドと遊んだり、週末に友人らと会うことによって、正気は何とか保たれている。
一週間のうちにどんどん気力ゲージが無くなって、合間や週末に友人らと話すことで回復するから、騙し騙しやっていく。それを続けていれば、子どもが大きくなって手が掛からなくなって、自分と向き合う時間が増えていく筈だ。
今はまだ幼いから守らねば。あと、部屋も狭いから我慢せねば。
自分の部屋のように使っている物置から出たくない。誰もここに入ってこないでほしい。僕の聖域は保たれるべきなんだ、毎日そう思うようになった。
閉ざされていく心に、育児の重たさが堪える。
最近とみに思う、被造物は造物主を愛するようにできている。でないと、生き残れないからだろう。特に幼い間は。
だから、子どもが慕ってくれるのは本能に則ってのこと、ということになるが、それを哀れに思う自分が居る。僕みたいな人間から産まれたばっかりに、僕なんかを慕わなければならないなんて、かわいそうだ。
本能など無ければ、もっと自分のことを自分で考えられるなら、僕などを慕うことはないだろう。人間に好かれん生き物であることは、重々承知している。
だから、今これだけ慕ってくれている時間を無為なものと感じる。いつか無くなるものに愛着を持つなど、馬鹿馬鹿しいと。
僕は本当に心を閉ざしているのだろうか。家族だの親子だのと無用なものに取り囲まれて、狂気を感じているだけなのだろうか。
カウンセリングも投薬も続けているけど、良くなっていく気はしない。ゆっくりと悪くなっている。
先生は「こういうものは良くなったり悪くなったりを繰り返して、少しずつ良くなっていくものです」と言っていた。じゃあ今は悪くなっているだけなんだろうか。
こういう時はamazarasiやsyrup16gが聴きたくなる。内側に籠って、自分の壊れていく様を見るのは初めてではないけど、何でこんなに虚しいのだろう。
とにかく、自分を取り戻していかねば。
いつまでこうして書いていられるか解らない。天災、病気、心の壊死、死ぬ原因はいくらでもあるし、その時を自分で選ぶことはできない。
来るべきその時まで、僕はできる限り後悔せずにやっていくしかない。僕の心が生きている限りは書ける。繋げる。
頼りになるのは自分だけだ。その為に何でも利用しろ。浄も不浄も呑み込んで蠕動を続けるしかない。
醜い様を嗤うものは多いだろうが、誰しも真似できることではない。
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