ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
田舎の祖母が他界した。
緊急入院の後、肺炎に罹ったとかで予断を許さぬ状況が続き、意識のレベルが低下してそのままという感じだったようだ。
これで父方も母方も、祖父母は皆が居なくなった。
会わずに何年も経った側のことも、最後に会いたかった側のことも、昔のことで鮮烈に憶えていることがそれなりある。
だから、死に顔を見ても、寝ているようにしか見えない。
涙は浮かぶが、それは彼女の生き様を称賛するものであって、同情などではない。
あ、でも、祖父が他界してから、祖母は随分と落ち込みがちだった。
それを押して生きていたのは、孫二人の行く末を憂いてのことだ。
結婚したか、子どもはできたか、毎度話す度に聞かれたが、彼女なりの気遣いだったのだろう。
祖父が居なくなったら話を聞いてくれる人がおらず、祖母は寂しい思いをしてきていた。
やっとそれが報われて、祖父の魂が迎えにきたろうと、こっちも安堵する。
田舎に帰るのが当たり前な上、関東から抜け出せるその旅路が昔から好きだった。
東北の空気や気配などが好きだった。
小さい頃はきょうだいと二人で先に行かされ、祭りを見たり、海に行ったりしたものだ。
祖父は冗談やキレのある一言がよく出てくるタイプで、あの浜辺には幽霊が出るぞと脅してきたりもした。
それでも海に行くのは好きだった。
そこで売っている、ちりんちりんアイスが好きだった。
祖母は健脚を誇り、大抵の場所へはバスと歩きでほいほい進んだ。
僕らが小さい時も引き連れてバスに乗り、遠いデパートまで買い物に出ていた。
ボケかツッコミかでいえばボケだが、言いたいことはすぐに言う早さもなかなかのものだった。
買い物帰りに僕らが公園で遊びはじめ、巻き込まれても楽しそうに笑っていた。
僕は昔の家こ窓から見えた隙間の空を、未だに憶えている。
家と家との間、本当に狭いところだったんだけど、そこから見た空が好きで、手元に書いていた聖剣の話も筆がのってきていた。
数年後、古い家や小さな畑は取り潰され、駐車場になった。
次に引っ越した家は二階建てで、周りにも家があるのに静かな住宅街だった。
タンスやカーテンの隙間など、どこか気になる場所がいくつもあった。
能力に目覚めてからは、何でもない路地に生じる妙なゲートを垣間見たりもした。
あと宗教施設から来る音が規則正しかった。朝早くの方はやめてほしかったがな。
田舎に帰省して、そこで小さな頃の思い出がある。
これはとても贅沢で、結構なことだと感じている。
僕が死ぬ時の走馬灯に、きっとこの時期のことは出るだろう。
僕が楽しかった時、嬉しかった時として、この頃の細かな思い出、どうでもよい瞬間を思い返す、体験する、それだけで僕は満足できる。
整えられた祖母の死に顔は寝ているようだった。
祖父が亡くなった時も、親戚の方に「病気で苦しんだりすると、死に顔も苦しそうになるんだって。でもそうならなかったのは不幸中の幸いよね」と言われて、なるほどなぁと思った。
まぁたとえ苦悶に満ちた表情だったとしても、綺麗にするもんなんだろうが…
この年齢になってくると、死はまた身近な隣人として近付くから、対抗して自分の死に様をきっちり決めておきたい。腹を括りたい。
終活を少しずつ始めて、一番泣くであろう人との交感に咽ぶ。
でも、死なないことには異変が生じる。人間は不老不死用の生き物ではないから。
コロナが流行ってから、まったく行けなかった。
でも、それで行かなかったことを責めたりはしない。自分で考えて決めたんだもの。
今回も、その日のうちに田舎まで行って、次の日の朝に帰るっていう慌ただしい日程になったけど、これで良かった。
祖母が居なくなったことは悲しい。
でも、思い出がいっぱい。忘れているだけで、もっとたくさんの話をしたの。
思い出があるから平気。寂しくはない。
視えていふから。あそこの椅子に座って、ぼんやりしている。
祖父に迎えに来てもらえて、やっと終わったんだ。
本当によくがんばったと思う。
おちゃめで、おしゃべり好きで、激情家の祖母だった。
そんな祖母と、ここぞって時に庇ってくれる祖父と、きょうだいで祭りに行ったのは、今でも憶えている。
好きなんだよ、ここ。
また来たい。また会いたい。
じぃにも言った、またねと。
だから、明日の朝出発する時も言う、またね。
本当に寝ているみたいなんだもの。
話しかけたら目を瞬いて、起き上がそうな。
頬は冷たく、少し柔らかさがあった。
夏の日っていうと、スーパーまで一緒に行った道。
公園に寄って、大きなブランコに三人揺れた。
何もかも大事な思い出。
振り返られるだけのものを手に入れていたことを、僕は自分に誇りたい。
だから、またね なんだよ。
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