忍者ブログ

京都一喜一憂旅


こんばんは、ふらみいです。いつも心が折れて自業自得の涙を流す、わたしです。

金曜の夜からまた大阪に行って、土曜に京都に行ってきました。
中学生の修学旅行で行った時以来の京都です。
あの時のリベンジも兼ねて、と言いたいところではありますが、生憎、そこまでどこに行ったかを憶えていないのです。
とりあえず、清水寺に行って「これは落ちたら死ぬな」と思ったことと、でんでん太鼓を雑貨屋で買って「これでフラミーが呼べるよォォ!!!」と1人でテンション上がったことは憶えております。えぇ、昔からそんなんです。


大阪からだと、京都線の新快速で20分ほどで着くようです。はやーい。
ウチから新宿より遥かに近いし速いです。すばらしーい。

行くなら1日フリーパスがお得なようです。箱根にある、ロープウェイもバスも乗れるようなアレ。
京都は主にバスで移動することが多く、徒歩よりは良いでしょう。
降りる駅だけ確認して、バスで移動して、迷ったら一旦、京都駅に戻ることをお勧めします。

清水寺に最初に行って、全く記憶に残っていないことに驚く
あれェ、こんな場所だったっけェ??(ノ∀`)
もう初めて過ぎる。本当に何も憶えておらんぞ。班の人達と回った筈なんだけど、高台の景色しか残ってない・・・・・・というか、それもCMとかで捏造された記憶なのかしら。


ちょっと手前で情熱的なポージングの方が写ってしまいましたが、門です。
三年坂の前だから、きっと正門。大きい。立派。


例の場所に行く前に、「仏さんの胎内へ還って生まれ変わる」という体験、「胎内めぐり」ができるという場所に行きました。
随求堂(ずいぐどう)なる堂の地下に全く光を通さない空間を造り、そこを仏様の胎内として人が通り、ぼんやりとした光源に照らされた梵字の描かれた石に触れて願い事をし、還ってくるという。

暗闇に閉ざされた後、心身が生まれ変わって地上に出てくるということですが、いやー生まれ変われなかった
いやでも、真っ暗闇はすごかった。暗所恐怖症の方には、かなり厳しい場所です。動けなくなることうけいあいです。
先を行く友人も「これは怖いな」としきりに言っていたので、本当に怖かったのだと思います。
かくいうわたしも最初は光が感じられなくて、すぐに自分の目が開いている筈なのに閉じてしまっているような感覚を覚えました。頼みの綱は、手すりだけです。手すりに沿って歩いていくだけです。
落とし穴とか、いきなり出現する壁とか、そんなものある筈ないのに考えちゃうんだね。怖がり。

けど、また少しして、今度は暗闇が普通になってきたのだった。
手すりに沿って、ゆっくりと自分が歩いている感覚を覚えていって、いつの間にか「ひとつ積んでは父の為、ふたつ積んでは・・・・・・」と呟きだす。
マンキンでアンナ女将が口寄せする時に唱えていたことばが好きでしてね、特に意味は無かったのですが。
それでも、周りの人にもし聴こえていたなら、怖かったろうなって思う。ごめんなさい。



で、そこを出てからは景色を見にいきました。
これは例の見晴台(なのだろうか)から真正面の景色。うん、見覚えが無い


そして例の景色ね。反対側の通路から撮りました。
これはCMでも使われるような超有名な景色だから、記憶に残る残らないとか関係ないな。
曇天なのが惜しいけど、それでも良い眺めでした。友人の誘導が素晴らしい。


ちなみに、見晴台に居た時に撮った下の光景。
こうして見ると、確かに高い場所だけど、中学生の時に受けた「死にそう」って印象は薄いなぁ。
打ち所悪かったら死ぬだろうけど、即死できる高さではないというか・・・・・・解らないな。
3つの滝も写していますが、これも全く憶えていなかった


寺の中にあったお茶屋さん。大神を思い出して、思わずぱちりこ。
「そこかよ!」とツッコミを入れられましたが、舌切って響きは気になるだろ。




清水寺を出て、目の前の三年坂を行く。お土産通りってやつですね。
土曜なのに、どこかの学生さんが修学旅行で来ていたようです。
平日に来させてあげなさいよ・・・・・・、土日じゃ人が多くて、学生さん達ゆっくり見られないんじゃないか?



とある路地裏。この生活感が溢れる景色、嫌いじゃない。
ごみごみした街ってのは慣れないものだけど、斎藤芽生さんが描く絵のような路地裏は好きです。
東京の路地裏がやっぱりTHE・路地裏って感じで好きだけど、ここの落ち着いた感じもノスタルジー。


次に行ったのが、三十三間堂。正式名は蓮華王院本堂というらしいです。たくさんの仏像が並ぶ圧巻の写真が有名な場所、と言えばいいでしょうか。
これは友人のリベンジです。小学生の時に行くの楽しみにしていたのに、尺の都合で行けなかったらしい。

堂内は撮影禁止の為、資料が何も無いのですが、いやーそれでも圧巻。すごかった。
ちゃりんちゃりん小銭入れて、ろうそくまで灯してきちゃったよ。
千体も並ぶ仏像は製作者不詳の物もありますが、皆、一様に統一されたデザイン。顔立ちが若干、違うような。東京や奈良のお寺へ貸し出しもされていました。

千体の先陣を切るかのように、風神・雷神と二十八部衆の像もございます。
他にも幾つかあったけれど、印象に残ったのは、信仰深い姿をそのまま残したとも言えるような女性の像。名前が解っていないのです、申し訳ない。
仏像の眼には水晶体が使われていて、その輝きはまるで生きているかのよう。
例えが何とも言えませんが、ドールのグラスアイのようでした。というか、グラスアイなのかな。どこ見ていても、なんだか目が合うような感じがしました。


外もぐるっと回ってきたら、こんな子を見つけました。
白川郷とあって、思わず撮ってしまったよ。あぁ、また行きたいなぁ。
そういえば、ちょうどこれぐらいの時期に行ったんだっけ。もう3年前のことなのか。時間、経ったな。


お昼の為に一旦、京都駅に戻りました。おそば食べました。
特に決まっているわけではないけど、何だかこの子と遠出すると、いっつも昼にそば食べている気がする。白川郷のイメージかな。そうだな、広島の時はお好み焼きだったもん。


次に向かったのは京都水族館です。海に全然近くないけど、水族館があってふしぎな感じ。
その公園内にあった車両。昔使われていたものを、案内所として使っているようでした。
この車体が可愛くて撮ったけれど、べつに鉄オタじゃないんだよ

なかは見応えのある空間いっぱいでした。うぅーん、アザラシ可愛いな。
えのすいや海遊館で慣れているから、大体こんな造りかなーっていうのは解っていたのだけど、やはり新しい場所はわくわくしますな!

とはいえ、カメラのフラッシュは焚かないにしても、写真を撮られるのはストレスになるだろうなーと思って、あまり生き物は撮らないようにしております。
撮った子といえばこれ、くらげ。

ミズクラゲの安定した可愛さね。好きね。
パシフィックシーネットルて、なっがい触手がひらひらしている子も優雅で好きだけど、このモモンゴを彷彿とさせる、ゆったりとした流れ方がすごく好き。


居ました、チンアナゴたち。テンション一気に上がった。
えのすいの子たちは、ほんのちょみっとしか出ていなかったけど、この子たちは みょいーんと出てきていた。いいねぇ、いいねぇ。

イルカのショーも見ることができました。ぷーって吹けなかった、とうとう最後まで吹けなかった。
しかも、その前後でちょっとやらかしたからね。まただよ。そうならないように気を付けようと思ったばっかりじゃん。どうなってんの。
何とか持ち直さなくては、としたけれど、上手くできず。あぁ、これじゃ駄目なんだよなぁ・・・・・・。


自己嫌悪に陥り、テンションが下がり、面倒くせーことになってしまったわたし(何してんだ?)
友人が気を利かせてくれまして、京都駅にまた戻り、どこ行こうと考えていて、伏見稲荷のことを思い出しました。
本当は金閣寺か銀閣寺に行きたかったけど、遠い&もう閉館時間になるということで、閉館時間の無い伏見稲荷に行くことに。

わたしは神社に行くと毎回、頭痛がするぐらい、神社と相性が良くないのですが、伏見稲荷の千本鳥居は気になっていました。
一見しただけでは異様に見えて「うわ怖い」と思ったけれど、せっかく京都に来たのなら見てみようという気になったのです。

不可視の話をすれば、呼ばれてもいた。だから、大丈夫だろうなと思って、行ってきましたよ。



先ず最初に潜った鳥居。
もうここから伏見稲荷の領地だと思うのだけど、何かが崩れるような感じも、攻撃してくるような気配も無い。優しい。
こっちは裏門のような場所で、お土産通りでした。正門はもう少し右手の方からでした。



手前にどーんとお姉さんが写っておりますが人間です(コラ)
外国人に人気な場所なので、なかなか人が居なくなる瞬間が無いのですよね。友人は人が居なくなった瞬間にばっちり撮っておりました。

大きな鳥居はともかくとして、山に向かう為の鳥居の辺りで悲劇は起きた。
千本鳥居の所って、建てられている間隔が10cmもなさそーな上に、天井がずっと低くてね、狭所恐怖症にはかなりエグい場所ですよ
最初は良かったんだけど、進んでいくうちに「うわ、こんなに隙間が無いんじゃ逃げられないな、天井も低いな、狭いな」と思い始めて、だんだん怖くなって、縮こまって歩いていくようになったわたし。めんどくせっ。
まぁ、自分でそうは言っても、怖いものは怖いのです。狭い所というか、閉所というか。暗いのは平気だけど、「ここから出られないかもしれない」と思わせるような場所に来ると、落ち着かなくなり、呼吸が浅くなります。
だから千本鳥居を出る頃には、だいぶ呼吸が浅く、まるで首を絞められているかのようでした。なんだこれ、有り難味の欠片もないよ!



千本鳥居を抜けて、もっと山の奥へ進みます。その間も、大きな鳥居を幾つもくぐります。
その途中にあった、小さな空間。路地裏感覚で撮って、気に入ったからLINEのホームに設定したら「この画像怖いね」と悪評でした。
ちょっとばかし加工してみると、見事に怖い空間です。何か写っていてもおかしくないのかもしれない。気にしない!

道中に「今ここですよ」という看板とイラストがあるのですが、騙されます、信用しないでください。
ものっそ簡潔に可愛く描かれたイラストは、10分以上の険しい道を登ってきた人達に絶望を植え付けてくれます。
下で見たイラストと上で見るイラストの現在位置を示す矢印が、ぜんっぜん距離が空いていなくて、自分が苦心して歩いてきた距離を笑い飛ばされます
たくさん歩いた筈なのに、ちっとも前に進めていないと錯覚する(いつからここが中間地点だと錯覚していた?)

「まだこれしか進んでないの!? 嘘だろ!?」と騒いでいたら、伏見稲荷の一帯に詳しいらしい方が説明をしてくださいました。
曰く、イラストはあまり信憑性が無い、もう少し上に登るととても良い景色が見られるが、それ以上は登っていっても森と鳥居しか見られない。

というわけで、その「良い景色」を見に、頑張って登りました。
いや、辛いな。山道は江ノ島散策で慣れているつもりだったけど、ロングスカートだった為に汗めっちゃかいて、足がもつれそうだったよ。友人はさくさく行くよ。
清水寺で読んだ看板の「この先の道は急勾配の為、ご自身の体力と脚力に自信のある方以外にはお勧めできません」という旨を思い出す。体力と脚力だって。自信ねぇよ


しかァし、上に行ったらこんな景色が見られましたよ!! これは素晴らしい!!!
曇天がちょうど晴れてきたところで、天使の梯子が見られるような好条件。神々しいですねぇ。


ちなみにこっちは友人が撮ったもの。今回で一番わたしが気に入った写真にございます。
巧いですねぇ。撮れればいいやというわたしには絶対撮れませんな。


これは光の具合が好きです。雲の透け具合も良いです。
しかし電線が邪魔です。やっちまった。
この光景は、先の写真を撮った中腹よりもう少し上、また社がありますので、そこでご覧いただけるでしょう。

ここまで来ると、わたしはもう下りのことを考えて膝がgkbrですよ。下り怖いよ←下る時の階段もエスカレーターも怖い
踏破するつもりでいたけど、時間も遅かった。この時点で恐らく18時半近かったかと。
社より先はまだ道が続いていたのだけど、その先も行ってから下りるとなると、真っ暗になっているんじゃないかと思って、ここで下りることに決めました。
神社も山も明るいうちに去るが良し、です。

そしてここでまた面倒事が起こるわたしです。今度は下りるのに手間が掛かった。
あまりにも同じ景色が続く為、下りの階段が全部続いているように見えて(平地のように)、どこを踏みしめていいのか解らないという、それこそよくわからない錯覚を起こす。
目の辺りにひさしを作るようにして視界を限定しないと、ちゃんと下りられなくなってしまいました。

友人がサクサク行くのが恨めしく(コラァ)もあり、羨ましくもあり、ついつい刺々しい態度に。とばっちり。ごめんなさい。



下に着いて、ほっと一息。
そこで撮った夕焼けです。この日は本当に雲が良い仕事をしています。


京都駅でお土産を買って、ついでに付き合ってくれた友人へのお礼の品も買って、大阪へ帰宅。
飲み屋さんに飲めないのについていって、そこで話をして、いろいろ反省。猛省。
上手くできないんじゃなくて、やる気がないのか、わたしは・・・・・・どうなっているのだろう。

でも、指摘されすぎて、それが正論すぎて、もう悔しくて情けなくて素直に頷けない。
手がかかるなと自分で呆れるけど、友人が呆れながらも最後まで付き合ってくれることが嬉しくもあり謎でもあり、拗ねたくなって「もうほっとけよ、こんなバカ(ふらみい)なんてよォ!」と言いたくなるのを必死で堪えました。

せっかく遠出したんだから、一緒に行きたいと思って誘ったんだから、楽しいままで終わりにしたかったのだけど、わたしがやらかしたという。
確かにその子を特別に思うことによる弊害なのだけど、こういう事態をよく引き起こしていた相手はもう1人居るのです。ぼくはどうやら優しい人や甘やかしてくれる人に、そういう行動を取ってしまうようです。

相違点は、そのもう1人が相方という立場に居てくれていたということ。つまり、恋人っすね。
自分のそばに置ける人間に、わたしは良い意味でも悪い意味でも遠慮が無くなってしまうのです。
現在、恋人と呼べるような人間は近くに居ないけど、自分のそばに気配を感じる人間は、今回遊びに行った子ぐらい。だから、こういうことをしてしまうのかなぁ、と思いました。

恋人じゃないだろ以前に、そばに居る人間に悪い意味で遠慮しないって駄目だろ。もう治そうよ。
というか、今回はそういうことをしないようにしようって思っていたのに、結局やっちゃったよ。頭に簡単に血が昇るよ。言いたいこと言う前に態度に出ているよ。
言葉で交わせば笑い話で済んでいたかもしれないのに、本当、やっちゃったな。これでは相手もぼくと出かける気が失せるだろう。
前回の電話といい、今回といい、相手の厚意を無駄にしていることが多い。何やってんだ、本当に嫌われてーのか。

その話をして、夜中まで掛かって、相手が寝た後も悔しくて情けなくて、さんぽに出てみるも時間は2時半の真夜中で「意外と人が歩いているな、怖いわ!」と思って20分で戻る。
それから寝たけれど、やっぱり5時間くらい寝て起きてしまったので、また考える。泣きそうになる。というかもう泣いている。
五月蝿くしたらいけない、ひとりで考えようと風呂場の前で座り込む。考える。泣く。考える。泣く。
そんなことをして2時間は居た。そして考えはまとまらない。

愚かであると評されたわたしがいくら考えてみたところで、今回のようなことをまたもしでかしてしまったのなら、変わりたいと思っても変われない気がしたのです。
何を言っても行っても意味がなくて、約束できることもない、本当に価値の無い存在にしか思えなかったのです。
なのに、その子とまだ話していて、向き合えるような力も覚悟も無いことを思い知らされたのに、何でまだ話してくれているのか解らなくて、あぁ辛かった。
いじけて八つ当たりしたくなることうけあいです。この無様さを、愚かさを、嗤うことなんて容易いだろうし、そうできるだけの力があるのに、弱いもの虐めはしないんだ、へぇ優しいね、優しくて賢いなんて素晴らしすぎて拝みたいなぁコノヤロー!!!! ・・・・・・なんて思ったりもしました。

ありがたいけど、謎。何でそんなにすごい君が、ぼくなんかの為にそこまで心を砕くのだろう。
こんな奴相手でも全力を出せることの証明に、なれるだろうか。
そういうことじゃなくて、ただ単に君はぼくとの関係を大事にしようとしてくれているのだろうか。
ぼくは君のそういうところが好きなのだが、怖いとも思う。そこに向き合うまで、全然、力が足りない。

変わることができれば、君にまた近づけるのか。
前のままで居られるわけがないと解っていたのに、パワポケでもあるように、現実はいつも想像より上の事態として目の前に立ちふさがってくるのですよね。覚悟していたつもりでも、敗北必至。

ぼくはぼくの大事にしたい人達に、ちゃんと約束ができる存在になりたかった。
だけど、ぼくなんかがそんな存在になって何の意味があるだろうって、ずっと思っていた。
けどなぁ、逃げてばっかりじゃ辛くなるからなぁ。葉くんのこの台詞、好きなんだなぁ。
今は悔しくて情けなくて考えられないけど、落ち着いたら考えられるだろうか。少しは君にも他のひとにも相応しい存在となれるだろうか。
なれなかったら、もうどうにもならない。きっとぼくの心が死ぬだけなのだ。



さて、そんな精神的な敗北もあったけど、わたしは楽しかったです。途中で辛くなったけど、楽しかったです。
これがほんとに楽しかったかどうかは、今後にかかってくると思います。


いつもの戦利品。猫と伏見稲荷です。踏破できなかったことが、だいぶ悔しい。


何でこの小銭入れにしたのかって、この裏側のイラストが正にわたしの心境だからですよ!!!



今回の戦利品と、遥か中学生の頃の戦利品を並べてみる。
本当に行ったんだなぁ、京都。14年前か。楽しかったな。





作業用BGM
早退系ネガティブ天国 / ゆうゆP

PR

2015/06/21 日常 Comment(0)

上に立つ人ってどんな人?


こんばんは、ふらみいです。
日記というより雑記、雑記というより怨みノート……そんな言葉が当てはまる程、暗いことばかり書いている気がする この頃です。
まぁ、実際に暗くなるようなことしか起きてないけれど。


先日、店長がまたしてもお客さん相手にやらかしそうになり、見かねたサブが助けたのに機嫌が悪くなってしまった、というワケの解らん事態になってしまった仕事先。
いやもう本当に何で機嫌が悪くなったのか解らない。できない上、間違ったことした自分がいけないのに、まるで仕事ができるサブを妬んでいるかのよーだ。実際、それか。

夕方頃に機嫌が悪くなり、態度も言葉もぶっきらぼうで、休憩にも行かなくて、みんな先に帰して残業していたようだけど、何も店内は変わらず。
相変わらず、店内のことは解っていなくて、接客態度もまずかった為にお客さんに聞き咎められる始末。
そんな体たらくで、店長の店長たる自信が失われないことが奇跡すぎて、理解不能であります。

3ヶ月経つのに、石の意味もよく解っていない。
新商品や既にある商品の区別もつかない。
ディスプレイも納品にまつわる作業も他スタッフに投げっぱなし。
修理も紐の結びもロクにできない。
接客業に居た筈なのに敬語が遣えていない。
文章を書かせると小学生レベルで誤字脱字が発生する。
自分が持っている知識を他者と共有しないが、こちらが物を教えると知ったかぶりをしてしまう。
これだけの欠点を抱えているのに、本人がそれを何とも思わず、他スタッフに指示を出すことこそ店長業務だと思っているのが見えてきて、戦慄を覚えました。

というか、怖くないのか、本人は。
いつも誰かが助けてくれるわけじゃないし、いくら他のスタッフに任せているとはいえ、店でのことは自分が責任を持つことになるのに。
怖くないのか、こんなにできないままで。スタッフの仕事内容がどんなものか解らないままで。
どうにかなるって思っている?

そんなにたくさんのお店で働いてきたわけじゃないけど、こんなにも責任感が無く、後先も考えない店長は初めてです。
何をどう考えて、店長になることにしたのだろう。自分に務まると思ったのか。
それなら、せめて無知なままではなく、知っていく努力ぐらいしてほしい。

これ、店長ではなく、この店でヒラとして働いていくってなっていたら、どう動いていたのだろう。
やっぱり何もできないままだったのかな。それとも、少しは仕事を覚えようと頑張っていたのかな。
店長になったことの重みが、却って変な方へ彼女の意識を向けさせてしまったのかな。
下積みがあれば、きっと違っていたと思うけど……解らないや。


他店の店長が指導に来てくださったけど、それは吾らスタッフの為だと、店長は考えているようでした。
自分の成長の為には話を聞くという気が無いってのが不思議だけど、たぶん店内の一切の業務はスタッフ達がやることで、自分は本社に関わる業務だけやればいいと考えているんだろうなぁ。
お店も、会社から預かっているって感じではなく、私のお店って感じだしなぁ。

他店の店長が来て、少しは変化があることを期待したのです。
けど、本来ならば習得していて当たり前の紐の結び方が今もできないこと、機嫌が悪くなったら隠すこともなく空気に出してしまうこと、自分の過ちを認められない器の小ささと自尊心の強さが、店長の欠点として働きまくっていて、変化もクソもない。
正直、助けにいく気も起きないぐらい、人間として尊敬できない。見捨てたい。
新人ちゃんも似たようなもんだから、もうこの2人まとめて面倒くさい。


今日、出勤だったサブ曰く、まだ機嫌が悪かったとのこと。
内省の浅い人間に成長は期待できないので、営業さんに報告を挙げたものの、もうどうしようもないのかなって考えています。

即ち、正攻法ではもうどうにもならない。
店長が意識を変えないのなら、店を辞めてもらうしかない、ような。うわー。

店長になったら、店長に相応しい自分へと変わろうとするもんじゃないのかな。
個人の意識によって違う?
本社は何を見込んで彼女を店長にしたのだろう。


耐える自信が、もう無いな(´・ω・`)

2015/06/15 日常 Comment(0)

幸せを計るもの


こんばんは、ふらみいです。
2日ぶりくらいに、パソ美がついたので、PCから書いています。
毎日何かしら思うことが出てくるから、何かしら言葉を残しておきたい。


今日は高校から付き合いのある友人の誕生日でした。
いつもなら何か贈り物を買って会いにいっているところだけど、今年はそうはいきませんでした。
彼女はもう結婚していて、子どもを身ごもっています。もうすぐ産まれる筈です。
だから、会うことはできませんでした。

彼女の結婚も出産も、喜ぶべきことなのでしょう。友人であるなら当然、喜ぶべきなのでしょう。
だけど、わたしは「良かったね」と、ただ一言だけしか言えない。「おめでとう」とか、そんな気の利いた言葉も出てこなくて、その事象がきっと良いことなのだという実感の無い認識しか持てない。
自分の中で、それ以上の言葉を言い募ることは、ただの社交辞令でしかなく、友人相手にするべきではないと警鐘が鳴る。
わたしはわたしの自尊心の為に、友人に何も言えない。何かをわたしが言うことなど、できるのだろうか。
わたしが何か言おうと言わなかろうと、それは良いことだし、嬉しいことなのだ。
そんなふうに思ってしまいます。

自分でも「友だち甲斐の無い奴だなぁ」と感じはする。感じるだけ。
わたしにとって大事なのは、そのひととわたしとの関係。他のことは、そのひとが大事にしているから、大事にしなければと思えるだけ。自主的に大事にしようとしたことなんて、無かった。
それはわたしが興味を持った人間皆に対して、そうだ。わたしはわたしが関係したことにしか、興味が持てなかった。
だから、たとえそのひとが結婚しようが、出産しようが、わたしとのことさえ忘れないでいてくれるのなら、と、そっちばかり気にしていたのだ。

そのことを改めて、思い知る。
彼女に誕生日おめでとうとメールを打って、妊婦さんだから心労をかけてはいけまいと遊びに誘えなかったことを書いて、結びの文句などはまるで今生の別れのようだった。

そうだ、会えるかどうか解らない。この後、出産、子育てと、激動の日々が始まる。わたしの話など、聞いている余裕は無いだろう。
生活が完全に違ってくる。話せる内容だって変わってくる。
いつかまた、なんて、本当に来るかどうかも解らない。

わたしの役目は何なのだろう。彼女がもし子育てでストレスなど溜まった時に、その話相手になってあげることが、一番できる役なのではないだろうか。
それができないにしても、子どもが大きくなるまで待って、また以前の様にお出掛けとかしたらいいんじゃないのか。
それまで、お互いに生きていればいいんじゃないのか。

そんなことさえ、信じることができない。
いつかは死ぬ、それが明日か明後日かも解らない。
いつかは忘れられる、それが一年後か十年後かも解らない。
それだけのことを抱えて毎日、生きている。大事にしたいものを眺めながら、生きている。
自分のことが信じられない。他者のことも信じられない。では、何故、生きているのか。

この先、もっと会えなくなる。都合がつかなくなる。それは仕方ないことだと割り切ったつもりだった。
結婚、出産に関わって、引越しやら何やら、いろんなことが起きるのだ。
それら全部のなかでは、もっと荷物を少なくしなければ越えていけない場面もあるだろう。
人間、抱えられる荷物の質と量は決まっている。そこに見合わないもの、重すぎるものは、捨てられて然るべきだ。そうしなければ、当人が進むことさえ敵わなくなってしまう。

捨てることそのものを責めることはできない。わたしとて、そうやって進んできたに違いない。
いつかは自分も捨てられる側に回される。それも仕方ないことだ。こちらがいくら大事に思っていたとて、それはこちらだけの話。向こうがそれに応えなきゃいけない義理なんて、どこにもない。

そんな不確かなものを大事にしようとして、自分ばっかり依存して、そりゃー気が違ってしまうだろうな。
どれだけ名前を呼んでも、存在に縋っても、わたしは所詮、これだけの存在だ。大事にされるわけがないだろう。


久しぶりにタロットで占ってみたところ、わたしが覚悟を決めさえすれば、全ては好転されるような予感があった。
覚悟、それは周りの人間を見守り、妬むことなく自分の役目を遵守すること、でいいのか?
覚悟なんて、どう決めたって、やはり羨ましくなったり、寂しくなったり、悲しくなったりする。その脆さと弱さは周りを傷つけるし、自分も傷つける。どういうことだ。

わたしはこの先、何の為に生きていくつもりなのだろう。
今は仕事に精を出しているし、書くのだって楽しい。ゲームは新作が気になるし、歌うことだってどんどん上手くなっていきたいと思っている。
けれど、他のことは何も無い。それでいいのか解らないまま、時間が過ぎる。どのように考えれば正常だと言えるのか。

わたしの言葉は暗く深く重たい。それは誰と比べて言っていることなのか、解らない。
わたしはわたしの言葉でしか語ることはない。それで不愉快になる人間が居るのなら、きっと関わってはいけない人間だったのだろう。
言葉を止めて、無理に笑えば、どこかが歪む。その歪みをわたしは必要としていない。その人間にだって必要とされていない。

ますます何の為に生きていくつもりなのか、解らなくなる。
わたしはここに居ていいのだろうか、生きていていいのだろうか。
誰からも忘れられるのに、誰かからも嫌われていくのに、どうしてまだ縋っているのだろうか。


「まだ、誰も何も言っていないんだよ。君は君を虐めぬいて死のうとしているけれど、それは逆効果というものだ。私達は知っているよ、君が只淋しいだけなのだと云う事を。だから私達は常に君に寄り添い、君の言葉を聴き、君の物語の完成を待っているんだ」
そう語るのは、わたしとだいぶ長い付き合いになるモノたちのうちの、1人。
いつものように微笑を浮かべて、妖しい紅の眼を細める。

「只、素直になるだけでいい。君は君が思う程、酷い事を言っているわけではない。誰もが感じるような事を口にして、露悪的に語っているだけだ。何も心配は要らない、遠慮だって要らない。信じるだけでいいのに、何故そんなに距離を置いているんだい?」


気付いたのだ、わたしは全く信じていないんだな、と。
大事にしたいと、ただ1人だけサヨナラとか言えないと思っていた子ですら、きっとわたしのことを忘れてしまうのだろうと。
あぁ信じたくて自分の言葉を話したいけど、そうしたら皆、暗いだのうざいだの言って逃げてしまうんじゃないかと。
ぼくは知っているだけだ、解っているだけだ。そのことを話せば、周りとどんどん離れていってしまうと。
だけど、話さなければ話さない分だけ、自分が言葉と感情に殺されていくことも知っている。

生きようともがくことは愚かか。それとも、やり方が悪いだけなのか。
ぼくは今どこに居て、誰の目を気にして、何の為に進んでいるのだろう。


10年前の今頃は、大事にしてくれる相方と出逢っていた頃だ。
あの頃のわたしが現状を知ったら、どんな反応をするだろう。

小学生の時の、一番強く傲慢なわたしはどう思うだろう。
「だから幼馴染み以外を信じるなって言ったんだ」と、現状を嘲笑うだろうか。

どうして、信じたいものすら、ずっと信じることができないのだろう。
少しでも違ってしまえば、すぐに切り離そうとする。そのことを、彼らは「君は本当に臆病だな」と笑うだけだった。
この先、大事に持っていても、喧嘩をして仲直りして絆が強くなったと思えても、失ってしまうのなら、どうして持っていこうとするのだろう。
失ってしまうと決め付けるなと言うのなら、どうして失わないと言うことができるのだろう。


ぼくは大事なものを持ち続けてきた筈だ。全て解った上で動いてきた筈だ。
なのに、また立ち止まっている。悲しくなったり、寂しくなったり、辛くなったり、それでも生きている。
何でまだどこかへ往こうとする。呼ばれてもいないのに。必要とされてもいないのに。
どうしてまだそんなことを気にしている。今までのことを忘れたのか、言葉を嘘に摩り替えてしまったのか。
ぼくが信じるべきものは、いったい何だったのか。

話を誰かに聞いてほしいと思うけど、誰にも話せない。
そんなことを考えている人は、そうそう居ないのだ。
考えても答えの出ないことだし、ずっと考えていては精神に異常を来すから。
ぼくは止まることができない。歯止めが欲しい。
だけど、君はぼくの暗い言葉なんて、聞きたくないのだろう。ぼくが話せば、空気が凍り、思考が腐る。

「気を遣いすぎるんだ、君は。もっと自由に、そのまま、話してごらん」と、言われても。
解らない。解らない。


幸せになりたいと思わない。もう充分に幸せだったのだ。
ぼくが結婚して出産しても、皆のようにはなれない。ぼくにはぼくなりの幸せがある。
だから、こんなふうに寂しくなったりする。後悔もいつかはするかもしれない。
だけど、大事にしたいひと達のことを忘れたくないとだけ、思える。信じたいとも、思えた。


身体は石の様に硬く、荒野に転がり冷たくなった。






作業用BGM
正常 / Syrup16g


2015/06/12 語る Comment(0)

想像を絶する苦痛


こんばんは、ふらみいです。

最近の暑さでパソ美の起動が上手くいかなくなってきました。
そうなると、急にニコニコ観たくなったり、書きたくなったりするのよな。禁止されると逆にってやつな。


久しぶりだから何か明るいことでも……と思ったけど、相変わらず暗いことしか起きていません。
否、暗いとか明るいとか言うこと自体が好ましくないのです。
わたしの心情だからね、暗かろうが醜かろうが、誰と比べたところで意味が無い。
ただ正直に、自分の心を吐露しているだけなのです。

でも、その正直さが時には誰かを傷つけてしまったり、不快にさせたりするみたいです。
ぼくはどう在れば、誰に許してもらえるのだろう。そんなことを考えたりします。


で、その許す許さないに関わって、先日、父方の祖父より手紙が届きました。
内容としては、一度、電話でもいいから和解の電話がしたいというもの。
他にも面倒なこと書いてあったけど、まぁ自分に一言相談か電話してくれれば良かったのに、とか ほざいてました。ぶはは。

親父は、長年溜めた諸々が爆発し、もう関係の修復ができないと解った時、自分の家族を連れて家を出ました。
もう6年も前のことですよ。
その間、祖父にしろ祖母にしろ叔母にしろ、親父へ関係の修復を迫りましたが、彼は聞き入れませんでした。
そりゃそうさ、親子の縁を切ったのだもの。ここで戻るくらいなら、最初から家を出たりはしなかったでしょう。

親父は強い人間だ。
自分の決めたことに後悔が無く、全体を見る目を常に持ち……まぁわたしのことを昔からガキ扱いしていたことは気に食わないけど、間違ったことは言っていなかった。
いつも正しく、いつも半端の無い状態で、自分の人生を謳歌してきたのだと思われます。

その親父が祖父と縁を切った。
それはどんな苦悩だったのか、わたしには想像もつかない。
親父の幼少期を知らないのもあるけど、まぁ祖父が居なければ親父は居なかったわけだから。どんなふうに考えていいのでしょう。
そんな人の元を永遠に去ると決めた時、親父に後悔は本当に無かったのでしょうか。

まぁ、親父本人に訊いてみたいとは思わない。
知る必要のないことだし、本人もそんな心情は墓まで持っていくつもりだろう。


一方、祖父はといえば、寄る年波に不安が加算されているのか、年々、弱気な発言が増えておる様子。
出ていった当時も、本当に出ていくと思っていなかったらしいので、帰ってこいよーという話を、あの手この手を使って何とか周りから親父に伝えてもらおうとしたようだけど、失敗し続けております。
そもそも、そんな方法が通じる人間だと思っている辺りが、祖父が親父を解っていなかった証拠になりますが。

わたしが祖父に抱える感情は、家を出た時点で潰えました。そらーもうきれいさっぱりと。
家を出る前はあれほど憎らしいと思っていたのに、今ではただの他人です。血が繋がっていようとも他人です。隣家の人と変わりないです。わたしの人生に関わることなき路傍の石と同じです。
そう思うことができるのは、時間を掛けて感情が片付いたってのもあるけど、離れてしまいさえすれば、殺すに値しない人間であると理解できたことが、何より大きかったのでしょう。

関わることがなければ、生きていても死んでいても構わない。それこそが他人の定義ではないでしょうか。少なくとも、わたしはそうです。
そこに当てはまってしまえば、或る意味では安全です。様々な感情を向けられることなど、無くなるのですから。

祖父に降りかかったものは、果てしない苦痛と考えています。
血の繋がった息子が出ていって、もう二度と会うことはない。話もできない。
自分から勘当したくせに、覚悟が無かったばかりに今こんなにも頼りない心持ちで、明日来るかもしれない死の前に和解したいと思っている。

その姿、あまりにも哀れではないですか。想像を絶する苦痛ではありませんか。
本人が気づいていようといなかろうと、この事態を招いたのは自分の責任。
祖父がしっかり考え、導き、相手の言うことを聞いていれば、今よりもう少しマシな道もあったかもしれません。
けど、それももう叶わないこと。繋がらない未来です。
明日死のうと、10年後に死のうと、変わらない未来です。
それはどんなにか苦しく、辛く、寂しいことなのでしょうね?

そんな目に遭っているのだから、もういいのです。これ以上、わたしが何かを思う必要はありません。
祖父は死ぬその間際まで、取り返せないものの重みを知り続けるといい。
その歳で知るにはあまりにも重たく、痛いことではありますが、仕方ないよね、自分で招いたことだ。自分の所為であろうが、誰かの所為にしようが、招かれた現実は事実だ。


怒りの冷めやらぬ母に、軽くそんなふうに話したら「腹黒いなぁ」と言われました。
腹黒いとは、また心外な。
わたしは何もしていません、向こうが勝手に自滅しただけです。

しかし……人のことばかり言っていられませんな。
わたしとて、取り返しのつかないことをしてきたのだから。また失おうとしているのだから。
いきりたつ自分を鎮め、本当に大事にしたいことを常に解っていなければ。
幸せになれない分には仕方ないけど、だから他者を羨むなど哀れを通り越してしまう。その先の言葉を知らない、知りたくもない。

わたしは覚悟を決められる者で在りたい。
誰にも大事にされずとも、もういいのだと言える者で在りたい。
誰からも忘れられようとも、笑って風にたゆたう者で在りたい。
それはきっと、不可能なことではない。

2015/06/11 語る Comment(0)

眠くて愚痴もまともに言えない


こんばんは、ふらみいです。
またもや久しぶりに書く日記……って、日を空けすぎているから、もう日記とも呼べませんな!
雑記です、雑記。

今夜は雨ですね。
昔はそこまで雨に思い入れ無かったのだけど、ここ数年で雨が好きになってきた。
もっと言うと、雨の日にエレクトロニカを聴くのが好きになってきた。

ここ何日か、晴れた夜にはまだ帰らない学生がギャースカ騒がしかったから、今夜みたいな雨の音だけの夜ってのは非常に好ましい。
騒がしくなく、気配も紛れていて、落ち着いて何か考えるにはちょうど良い。


考えるっても、いつもどおりのことだけなんだがな!
仕事に関しては別に愚痴日記を設けたく。

ただねぇ、この1ヶ月でどんだけ腹立てて怒って物言ったのかって考えるとね、愚痴どころじゃ済まないんよ。
なんだろうね、なんなんだろうね。
どんどん若い女達が苦手になっていく。リアルでもネットでも、理解し難く、近寄りたくない生き物として、どんどん評価が悪くなっていく。

この1ヶ月、わたしはいったい何を話してきたのでしょう。
ものすごいブチキレた時もありました。向こうの都合で不義理な人間扱いされたことがね。
他にも鼻につくところはあって、それがわたしが最も嫌う人間の特徴に近いもんだから、もう好意的には見られないね。

新人はまだ18の娘っこで、世間のことなんて何も知らないに等しい娘だった。
いや、比喩とかじゃなく、本当に。どこかのお嬢様なのか?
そして文章に弱い。漢字に弱い。「いっしょうけんめい に、漢字があるんですね! 初めて知りました!」と言われた時には驚愕したものだ。

自信家、自尊心が強い、協調性は無い、自己中心的、ドジっ子属性完備、敬語がちゃんと遣えない、気配りゼロ……とネタだらけの彼女。
しかも、ほぼ全てのネタに自覚無し。思ったことを ド直球で言って、こっちにも「悪いとこあったら言ってください!」と言うから伝えたのに、伝わらない。伝わったかと思ったら、忘れられる。
「言われて思い出すんです!」て言われて、仕事を教えるのが嫌になったよ、ぼくは。

そして、いいかっこしぃ、かな?
物事を説明すると「はい、解りました」と言うが「じゃあ言ってみて」と言うと、上手く話せない。
「やり方、見てなかったの?」て言うと即答で「見てました」と言う。断言できるところがすごい。その後に「どんなだった?」と具体的に訊かれると答えられないのに。


そんな娘に不義理な人間として扱われたことが、わたしのなけなしの矜持を深く傷つけた。
しかも、彼女が勝手に墓穴を掘ったことだったのに、わたしを真っ先に疑ったのである。失敬な。
そのことでわたしはものっそい怒ったが、彼女はそれに気づいていないし、謝ってきてもいない。精神が変な方に強い娘であるな。
そのわりには、店長に叱られたりして泣いたらしいけど。

この娘が霊感の話をしてきてからというもの、どうにもわたしはこの娘が苦手だ。
否、嫌いに近い。
人の話を聞けない、自分の視たものは信じている……だけならともかく自分以外に否定的だからな。
定義もしないで勝手にベラベラ話して、突き詰めると答えられなくて、そうこうしている間に、彼女はわたしを自分より弱い奴と認定して接してきているようだ。
それだけならねぇ、しょーがねーなうぜーなってだけで済んだのだが……まぁ腹立つけど。


そんなこんなで1ヶ月。わたしが無駄を重ねて1ヶ月。
本人の為になったらいいなーと、言葉を選んで伝えた筈だった。
だけど、駄目だった。無駄にしたぶんの時間と気力を返してほしーな。
馬鹿馬鹿しい。

2015/06/05 日常 Comment(0)

最新記事
 
(01/13)
(11/19)
(10/31)
(10/24)
(10/22)
 
 
カテゴリー