おはようございます、ふらみいです。
どーしても悲しい切ない気持ちが消えないので、語りにきてしまいました(''A`)
最近、アプリで乙女ゲーなるもの始めてみたのです。
今までやったことがあるのは、ケータイ時代のアプリである「恋人は同居人」ぐらいでした。
そもそも、乙女ゲーやギャルゲーみたいな物はあまり好みじゃなかったのです。
食わず嫌いなとこもあり、ギャルゲーやエロゲでのトラウマもあり。
しかし、周りの女子が何だか乙女ゲーにハマってて、キュンキュンしたというので、少しやってみよーかな、と。
でも、乙女ゲーの、あの綺麗過ぎる男性の顔が苦手なんだなぁ……(;・∀・)
綺麗なのは良いのだけど、興味を引かない。路傍の花みたいに、「綺麗だな」だけで終わるのです。
顔の好みがもっといかついからかもしれない。綺麗な顔の人はこっちが守らないといけない気になるから、キュンキュンどころか滾りそうだ(何だ)
そのなかで、トリップ物を見つけました。
「明治東亰恋伽」です。
主人公の女の子は明治時代にタイムスリップして、そこでハイカラ好男子に描かれた偉人達と恋に落ちるというもの。
最初は気が進まなかったけど、絵が可愛らしく、音楽も耳に残るぐらい気に入っていました。
なにより、最初に落としたいと思ったキャラ「菱田春草」のCVがKENNさんだったのです…!!! 十代!!!!
春草のキャラ自体も、天邪鬼で意地悪で言いたいこと言っている人だけど、芸術家らしい細やかな精神が、とても好きです。
思い出してみれば、「恋人は同居人」の時も最初に落としたのは、五男の天才肌である瞬だったような。
春草と瞬と、どこか似たような部分を感じずにはいられませんな。
で、この下はネタバレなので、一応隠します(`・ω・´)ノ
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[続きはこっちで]
2015/04/15
ゲーム
こんばんは、ふらみいです。
今日は友人とP3の映画を観てきました。順調に話が進んでいるようで、ほっとしております。
●ヴァみたいに何年も待たされると、ダレちゃうからね!
今回は、個人的になかなかタイムリーな話の内容だったので、「そうだよなぁ」なんて納得しながらの観賞でした。
ちょうど、チドリと順平のアレ辺りです。一応、ネタバレ配慮で言いません。
その前にも、近しい人の死で揺れている主人公勢の心境が、あまり他人事ではないので、尚のこと真剣に見入ってしまう。
近しい人を失うことで、初めて自分達のやっていたことが如何に危険なことか解る。
失うということは、もう逢えなくなるということ。どこを捜しても見つからないということ。
そうやって進んでいくことが怖くなるから、執着しないようにする。もう必要ないと決め付ける。
ちょうど今の自分の心境がこんな感じなので、どのキャラの心情にも頷けるというものです。わかる~みたいな軽々しい相槌も打てないほどの。
わたしはどっちかといえば、死のうとしている側だったけど、誰かがこんな思いをするのだろうかって考えると、死ぬことへの足踏みも止まるのです。
昨夜、ちょうど例の子と長い話をしたところでした。
わたしの伝えたいことを伝えるという名目で、随分と長い間、話をしていました。会って話した方が良かったけれど、会えなかったので致し方なし。
その時にも、「伝えたいことを伝えない方がいいのか、自分はこの人から離れるべきなのか」と考え、それはまるでその日を境に、その子を居ないものとして扱い、わたしを死んだものとして、離れて生きていこうと考えているようでした。
死んだもの同士、もう関わることはないだろう。これだけの物言いをしてしまったからには、ともだちですらなくなってしまうかもしれないと。
けれど、いずれ失うことになるのなら、今この場で失ってしまえば、わたしが死んだことになれば、苦しいことも悲しいことも起きなくなるのではないかと考えたのです。
そうして伝えたいことも伝えないで付き合っていくなんて、空虚な関係ですな。
何の意味があって一緒にいようとしていたのだろう。
死んでしまいたい。逃げてしまいたい。この子に伝えたところで、どうせ伝わらない。わたしが悪いことになる。いつもそうだったのだから、今回も。
そんなふうに考えることは辛いのだけど、その考えから逃げられなくて頭の中をぐるぐると回っていました。
でも、失うことが怖いから、いつか離れてしまうから、じゃあもう要らないってことは、やっぱりできなかったのです。
失うことが怖いのなら失わないように努力すればいい、離れてしまうのが寂しいのなら離れないように側にいればいい、そんな簡単に言えることが難しくて諦めていました。
だって、いつかは皆、自分の選んだものへと進むから。いつまでも一緒になど居てくれやしないから。
その寂しさを誤魔化すように孤独を選んだところで、皆の心に残ることなど有り得ません。
失うかもしれない、離れてしまうかもしれない、だけど自分から諦めるよりずっといいって、考えるしかなかった。
わたしは結局、闇から生まれたかのよーな まっくら存在なので、最後には絶望へ帰結します。
この人が居れば大丈夫と思っても、その人を失った時の絶望を先に知ってしまうのです。
それはずっと昔からそうでした。昔から、幼馴染みメンバーの存在を近くに感じていて、離れないと信じていたけど、どこかで暗い部分を見つめていました。
だから、映画の中で理が考えていたことも解るのです。そうだよね、そうだよねってね。
とはいえ、離れてしまうわけにはいかないのです。人間ってそういう生き物なんだって。
人間に近い存在でも、人間と関わって生きているなら、その思考を真似て生きていくことになる。
何もまとまりませんな。
昨日言われたことも、映画の内容も、ぐるぐる回る。
2015/04/11
(主に)映画感想文
こんばんは、ふらみいです。
今日は公休だったのですが、どこへも行かずに家でのんびりしていました。
最近、自分が公休の時に何をしているのかが思い出せません。
恐らく遊びに行ったり、ゲームしていたりした気がするけど、どこへ行ったんだっけ。
新しいお店での仕事は、なんとかできている・・・・・・のだけど、以前の店より客足が多く、閉店間際になっても引かない為に残業が多いです。
18時半まで掛かることが多いから、これが鎌倉だったらブチキレそうだなって思いますよ(こいつ)
箱根だし、売れている店舗だし、「まぁしょうがないよね!」と今のとこは思えています。
そんなことより、また荒れた精神を落ち着ける為に、ずっと借りっぱなしだった「オテサーネク」を観ました。
友人に11月頃に借りて、観よう観ようと言いながら4月って。観る気があって借りたのに、4月って。
「オテサーネク」は、「悦楽共犯者」や「アリス」を作った、ヤン・シュヴァンクマイエルの作品であります。
比較的、最近のやつっぽい。と言っても、10年くらい前になるのかな。
チェコの民話を基にしたホラー映画・・・・・・になるのかな。wikiには「ホラー・ファンタジー映画」とありますが。確かにファンタジーな要素もあったけれども、全体的にホラーちっくだな。ちょっとグロい部分もあるし。
「悦楽共犯者」もそうだけど、「オテサーネク」も、もし表現の技法などが面白かったら人に勧めようと思っていたのです。
しかし、内容が内容なので、表現が如何に面白くても嫌がる人は嫌がるだろうな、と。一般ウケは先ず間違いなくしないでしょう。わたしが言えることじゃないですが。
それでも日本にはヤン監督のファンがいっぱい居るというので、みんなひっそりこっそり楽しんでいるのやもしれませんね。
感想はネタバレ含むので、以下に隠しておくとして。
概要としては、子どものできない夫妻が居て、ノイローゼになるまで苦しんでいる妻の為に夫が切り株を子どもに見立てて作ったものを贈るのですが、妻がその切り株を実の子のように可愛がり始めて、妊娠した演技をしてまで切り株と一緒にいようとするのです。夫は何度も妻を諭すのですが、妻は聞く耳もたず。
更に出産を早めて「産んだ」ことになった切り株は、本当に人間のような外見をして、食事をするようになります。最初はミルクだけだったものが、だんだんと大きなものを大量に食するようになるのです。小分けにされていない肉、猫、人間も。
その夫妻の隣に住む一家の娘は、以前から夫妻の子のことを怪しんでおり、度々、様子を覗いては、民話の「オテサーネク」と照合して、子どもが実は切り株の化け物だという事実を掴むのですが・・・・・・
チェコの民話「オテサーネク」そのものは読んだことはないのですが、映画の中で娘っこが聞かせてくれるので、大体の概要は解ります。
民話を基にしている、とは聞いていたけど、まさかそのままぶっこんでくるとは思わなかった。
この話の主人公が誰だか解らなかったので、「悦楽共犯者」みたいなオムニバス的なものを考えていたのですが、どうやら子どものできない夫妻がメインのようです。
DVDの表紙は娘っこだったから、この娘が何かするのかと思っていたんだ。いや、したけどね、後半。
そんなに数多くのヤン監督作品を観たわけじゃないけれど、登場人物達を見ていると「あ、うん、ヤン監督の作品だ」と思います。
それぐらい、どっかおかしい。まともな人は居るし、最初からおかしい人も居るけど、やっぱり最終的にみんなおかしい。
ただ、娘っこはどこの感想文を見ても、DVDを借してくれた友人からも「可愛くない娘」と言われているけど、わたしは可愛いと思いますよ、アルジュビェトカ。
眉なしで、下から掬い上げるように見てくるあの眼が堪らない。ちょっと太ましいのに膝丈スカートで、無防備で、なのに しれっとしていて、オトナを嫌っていて、可愛いではありませんか。
表現の技法は面白いなーと思います。あのアニメみたいな切り貼りしたような、絵面。
オテサーネクは終始、アニメのような動きを見せていて、それが却って不気味です。生きている筈ないのに、生きているように見える。
これは前情報なしに観てもらって、ポカーンとしてもらいたいかも。
ただし、ちょっとコミカルといいますか、あまり怖くないように表現していても、死体とか内臓とか映るので、グロテスクが苦手な方は注意されたし!
以下、好き勝手な感想です。
[続きはこっちで]
2015/04/03
(主に)映画感想文
と、自分に対して気色ばむ。
ふらみいです、こんばんは。
今日で鎌倉勤務が最終日でした。
力のある新人さんと、先日、本音をぶちまけて叱咤してくれた店長と3人。
上手く動けていたのか、自分の動作に違和感ありつつも、忙しい日を終わらせることができました。
新人さんが「話しませんか」と言ってくれたので、お話を少々。
「ふらみいさんはあまり話さないから、おとなしい方だと思っていました」と言われて、「ちょっと気にしすぎです!」とも言われました。ははは。
店長やサブからも言われたので間違いなくそうですが、他者からどう見られるのか、何を思われているのか、すごく気にしていました。
その所為で動けなくて、今回はこんな形で逃げることになってしまったけど、それはそれ、これはこれで選択したことです、悔いはありません。
実際遠い、鎌倉は。
今度は箱根になるわけですが、そこにどんな方がいらっしゃるかは定かではありません。
そいでも、そこで笑顔と明るさを忘れずにポジティブに頑張れ! と店長から励ましをいただいたので、やれるとこまでやってみよーと今は思っています。
いろんなこと言い出したら、きりがない。
それこそ取り戻したい傷やら名誉やらいろいろある。2年の間に積み重ねてきた悲しいこと、悔しいことは、まだふらみいの中で燻っているのです。
しかし、その燻りの中からは何も生まれることはないのでしょう。まだ火種があるように見えて、本当は尽きているのでしょう。
尽きた場所から何かを生み出したいなら、周りの灰を掻かなくてはならない。
というわけで、わたしはわたしに変わることを余儀なくされ、それができなければ死ぬしかないのです。
死ぬといっても、器の死に非ず。
精神が入れ替わるような死です。
それがどんなにか辛いものかを、わたしはまだ想像でしか知らない。
起こってからでは遅いことを、決めておくのです。
まだ考えますよ、自分が頑張ってどうなるんだよって。
誰が望むわけでもない、路傍のクソみてーなわたしなんぞが頑張って、何が生み出せるのか、誰に必要としてもらえるのか、何が変わるのが、誰が認めてくれるのかって。
だけど、もう決めてしまった。やってみようと思ってしまった。
店長やサブがせっかく言ってくれたことを、実践する前から無駄にできるほどの神経があるなら、そもそも異動なんてしていませんのです。
わたしはわたしに亦、課した。試練の様な、課題の様な、難しい事柄を、できると決めて課した。
応えなければ、わたしが死ぬ。だからやるしかなくなった。
この4ヶ月を忘れないよう、やっていきましょうか。
また荒れても、誓いによって苦しむことになっても、自分の価値を失ったままでも、やってみる。

新人さんから「鎌倉を忘れないでくださいね」ってもらったもの。
相変わらずキティちゃんは身体を張っていらっしゃる。
忘れるわけないんです、好きな土地で働けたこと、影響を与えてくださった人々を。
2015/03/31
日常
こんばんは、ふらみいです。
今日は仕事にて、彼のぶつかりまくったサブと、のんびりおっとりなおかーさんって感じの扶養内の方と、最後のシフトでした。
サブとは最終的に仲直りできました。
というか、もっと早くにわたしが勇気をだして話し合っていたら、こんなふうにならなかったのかな?とも思いましたね。
サブの言いたいこと、考えていることが聞けて、それがたとえわたしにとっては辛いことでも、ずっとそれを抱えてきたサブの気持ちを汲みたいと思えるので、聞けたこと自体は本当に良いことでした。
曰く、ふらみいはビクビクしすぎ、防御に入りすぎ、自分が傷つかないようにする為に動いているから自分勝手過ぎ、周りへの感謝が無い、教えてもらっているのに反論なんて以ての外……と、実にたくさんの意見をいただきました。
若干、私怨はあったかと思いますが、それは仕方ない。彼女はそれを4カ月間も我慢してきたのです。
そりゃー本音を言えば、もっと早くそれを言ってくれれば、こっちも考え直すというか、気付けることもあったと思います。
けどね、それじゃ駄目なんだよね。
自分で気付かないと駄目だっていう話なんよね。
彼女に言われて思ったことは、わたしは2年の間に随分とひん曲がったし歪んだのだなって呆れでした。
この2年でたくさんの傷を背負い、話をしても聞いてもらえず、いつの間にか自分から話すのをやめてしまって、相手への感謝だとか気持ちだとか考えたら自分が傷つくってことに気付いて、ひたすら自分の為だけに動いてきました。
堕胎から失望、会社を休職することになった諦観など、爪痕は濃く強く残っており、そのまま来てしまった為に全然関係のないお店の人達にまで、悪影響を及ぼして仕舞ったようです。
こんなだったら、そらー自分に自信なんて持てるわけない。
そんな自分が誰かに何か言ったところで、説得力なんて持てるわけがない。
自分の力以上のことをした、そんでできる筈のことをやめてしまった、とにかく傷つくのが怖かった。これ以上の傷も苦痛も要らないからと、周りを無意識に拒否する癖がついていたみたいです。
自分でも解らなかったけど、店長もサブも同じことを言っていたので、そうなのでしょう。
口答えに聞こえる言葉も、言い訳にしかならなかったのは、「わたしはこれだけ頑張っているのに認めてくれないの?」という気持ちから来る、拒否だったのでしょう。
店長もサブも、そんなことを言わなきゃいけなかったのは、だいぶ負担になっていたと思います。
けど、言ってもらえて良かったと、わたしは思えます。落ち込まずに、次へ繋げられるというか。
わたしはだいぶ甘えていて、周りを傷つけて自分を守って、それなのに偉そうにいろいろ言っていたようです。
やっとその姿が見えて、認めることができて、これは駄目だなと思えました。
今のお店で頑張っていけなかった自分を恥じて、次のお店で頑張っていくにはどうするのかを、具体的に考えることができそうです。
今までの友人の助言を聞いていなかったわけではないです、ただ納得はしていなかったのでしょう。
思ってもみなかった店長とサブの本音により、わたしのなかがざわついて、応えようとしているから、こんなふうになったのですかね。
後ろ向きではなく、2人がせっかく心配していろいろ言ってくれたのだから、わたしはそれに応える為に、次の店では逃げずに謙虚にがんばっていかなくては!と思えたのでした。
それも素直に思えたので、もう言い聞かせられるようなことはなく。
やれるとこまでやってみて、その間に今まで悲しんだ分だけ、苦しんだ分だけ、良いことが起こるかもって考えております。
あまり深くは考えない。
かといって、暗いこと深いことを忘れるわけではない。
均衡を保つ為にも、どちらも必要なのです。わたしにはね。
明日が最終日です。次の日からもう別店舗です。
追いついて並んでやっていけるよう、気を入れ直しましょう。
守護者達とえいえいおーです。

扶養内の方が、わざわざ買ってくださいました。うちの人気商品の亜種です。
「ふらみいさんのこと好きだったんですよ、優しいし可愛らしくて!」と素直に話せる、素敵な方でした。
寂しくなりませんよ。また会いに行けばいいですもの。
2015/03/30
日常