こんばんは、ふらみいです。大阪から帰ってきました。
朝は大阪に居て、10時過ぎに新幹線に乗って、夕方になる頃にパートへ。いやー疲れた疲れた。
今回の大阪行きでも、友人と楽しく過ごさせていただいたぜ。ありがとうだぜ。
なんだって寂しがり屋なわたしですから、何度も行くし何度もご飯に誘ったりするという。いう。
それに付き合ってくれる友人方の優しさといったら!
いつも家に泊めてくれる人に、何かできないかなぁと思いました。
家に泊めてもらっているからというのもあるけど、いつも話聞いてもらっているし、好きなことしてもらっているし。
わたしなんかで役に立てることがあればと独断で動くけど、結果的に相手を困らせてしまうことの方が多いようで。
わたしには元からある歪みで、それは大したことのないもの。
だけど、その人からしてみたら、そんな歪みは今までの自分の経験の中では、明らかに異質なものなのかもしれない。
その戸惑いを目の当たりにしながら、わたしは何もしてあげられませんでした。
かえって、わたしが何もしない方が、その人には良いのかもしれない。
その人が歪んでいようが、真っ直ぐでいようが、わたしにとっては大事な人。
でも、その見方はわたしにとっての見方であり、その人の役には立てられない見解なのね。
そう思うと、わたしの思うことって、つくづく駄目だな。相手の心に何も届かないばかりで。
その人が何を思って歪みを見つめているのかは解らないけど、逃げずに見つめて理解してほしいと思う。
わたしはその人の為なら何だってしようと思うから。鬼だろうが悪魔だろうが修羅だろうが神だろうが、どんとこいですよ。
その人にはその人の望むままに居てほしい。その邪魔に、わたしがなってしまうのなら、その人の前から消えるしかない。
だけどなぁ・・・・・・、それができない。今回の大阪行きで思い知った。
いろんなこと考えて悩んで、しかしそれら取っ払って「理屈はどうでもいいから、本当はどうしたい?」て自問すると、「嫌だ、離れたくない」と返ってくる。
わたしはその人を失うことが、その人に嫌われることが、忘れられることが、心底、怖いのだった。
面倒くさいんだよなー、ふらみいさんはー。解っているけどさー。
その人に嫌われる前に消えちゃえーとか、忘れられるぐらいなら×すーとか、そんなふうにできもしないことを思っては、混乱した心を落ち着ける。
こんなことを考える時点で、わたしはその人の友人でいる資格など無いだろうな。うむむ。
優しい人だから、と甘えているのは、ふらみいさん。歪みの元となったのも、ふらみいさん。
・・・・・・いや、それはさすがに自惚れ過ぎであるか。キッカケになっただけで、助長させたのはその人自身であることに変わりない。
わたしは悪くないのだと、その人は言ってくれたけど、解らない。解らないままだから怖い。
ずっとわたしがそこに居たら、その人はわたしから離れてしまうだろうか。
その方がその人にとって幸せだと解ってしまったら、わたしはその人の幸せを願えるだろうか。
解らないことだらけ。でも、その人と友人でいることはやめたくないのでした。
その人を困らせても、傷付けても、まだ欲してしまう。嫌われるその時まで、わたしは求める。
また会いにいきたいと思ってしまうのですよ。そんなに会いに行ってどうするんだって。相手の都合もあるというのに。
けど、相手が迷惑ではないというのなら。わたしと会うことを少しでも楽しんでくれるのなら。
死ぬその間際まで、その人と楽しいことをしていたいと思う。役に立ちたいと思う。
作業用BGM
僕らの箱庭 / RURUTIA
PR
2014/01/20
語る
こんばんは、ふらみいです。
ごっさ寒い日が続く昨今、またお腹が痛くなりそうで戦々恐々としています。
最近、PCを見ていると目が痛む・・・・・・。白い画面が染みてくるというか。
PC用眼鏡も買ってかけているものの、それでも白く見えて染みて痛むんです、どうなっているんだ。
目がおかしいのかもしれないけど。それとも、疲れているだけなのかしら。
昨日は仕事のことで疲れて苛々して、あー死にたいーなどとのたまっておりました。
だって考えるの面倒くさいし。考えてまで生きている理由を考えたら何も無かったし。
元は友達大好きっ子で、友達を見送る為にも生きているつもりだったけど、それが不要となった今、何度目かのモラトリアムに突入しております。
何で生きているのだろう、どうしてそれを忘れていたのだろう、何がしたいのだろう。
青臭い疑問だけど、何年もそのことを考えていました。答えらしきものが見つかっても、たまに間違えました。
理屈云々で生きること自体が、そもそも間違っているのかもしれない。
だけど、ふらみいさんは自分が生きていていい理由を他者に求め続けてきたため、今更、自分の為に生きようと思っても、どうしたらいいのか解らない。
他者に必要とされないのなら、死んでいて構わない。そういう存在が自分なんだと思って、何年も経ちました。
それもやっぱり小さい頃からの経験でできてしまった考え方だけど。
この世界でやりたいことなんて、もう微かも無い。だったら死んでいいのではないか。
しかし、綺麗に死ねるだろうか。何度も死のうとして、結局考え直したのだから、今回も駄目なのではないか。
よしんば死ねたとしても、次の世界で同じことを繰り返さない自信が無いじゃないか。どうするのだ。
そんな感じで、延々と悩んでいました。
どこぞの歌詞でもあるように、「さぁ来世のオイラに期待大」なんです。
でも、そうすると「現世はどうすんだい」なんです。どうしましょうね。
現世に対する価値が薄ければ薄いほど、次の世界への期待が膨らんでいく。
だけど、次の世界は、そんなふらみいさんを受け入れてくれるでしょうか。今生きている世界をしっかり生き抜かずにやってきた、そんなわたしを。
そりゃー自分の生きる世界ぐらい、自分で選ぶさ。
だけど、今は紛れもなくこの世界で生きているのだから、ここで大往生を迎えなくちゃいけないのではないだろうか。
そうしないと、次の世界に行っても「ここはわたしの居場所じゃない」とか感じてしまうのではないだろうか。
最近、銀魂の世界にものすごく惹かれていたので、先ずはそっちに行こうかなーなんて思っていたのでした。
まぁ途中下車してしまったわたしが銀さんと会っても、なじられるだけだろうが。
銀さん語録の中で一番好きなのは、
「美しく最期を飾りつける暇があるなら、最後まで美しく生きようじゃねーか」です。
白夜叉時代の言葉だけど、とても10代の若いみそらで浮かんでくる言葉に思えない(酷)
銀さんと比べたら、ふらみいさんは全然満たされた生活しているのにね。
仕方ない。立場と環境が違えば、人の思考も思想も変わっていくものでしょう。
銀さんと比べたところで、銀さんには銀さんの人生観があり、ふらみいにはふらみいの人生観がある。
伴侶が居ればいいのか、夢中になれるものがあればいいのか、そういうことなのだろうか。
夢中になるものはあるけど(書くこととかゲームとか)、それよりももっとやりたいことがある。
その為には、今生きているこの世界ではなく、別の世界に行く必要があって。
そんなすっとんだこと口走っている時点で、0.5次元の現実を捨てる気満々だね!
ここではもう他者の為に生きる必要なんて無いから。
それなら、早めに死ななくてはいけない。生き過ぎて、誰かの不幸の種を作ってしまう前に。
そんなふうに考えるふらみいさんを、銀さんは叱ってくれるでしょうか。
銀さんを中心に物事考えすぎだろ、どうした。
作業用BGM
現状ディストラクション / SPYAIR
2014/01/16
語る
こんばんは、ふらみいです。
今日はごっさ寒かったではないですか。
これは雪降りますよ、降ってほしいですよ。
山にはいつも降っているようだけど、そこで引っかかってこっちには何もないという……
さて、やっと、やーっと読み終わったよ、「グラウンドの空」。
12月に買ってから、ちまちま読み進めていた、あさのあつこ先生の著書でございますー。また野球物なんですー。
いやー、面白かった。
あさの先生っていったら「バッテリー」の印象が強いけど、こちらの話もなかなか良いのです。
というか、ふらみいはあさの先生が描く少年達が好きでして。
頼りないような、なのにカッコいいような、だけど猛々しいような。
年齢に見合った野心と夢と儚さを持つ彼らを、あさの先生は実に上手く描写してくださいます。
「バッテリー」の時も、ハマりこんだなぁ。
豪ちゃんがすげー好きでした。でも、共感できたのは、あの生意気ピッチャーの巧でした。
結果、あのバッテリーが好きになり、新田東の野球部の面々が好きになり、門脇も瑞垣も好きになったのでした。
元々、野球はよく解らなかったけど、仲良くなりたい人が野球好きでしてね。「バッテリー」も読んでいたみたいでね。
それに、あさの先生ご自身が岡山出身とのことなので、方言のオンパレードです。それだけでもだいぶ有り難いです(方言フェチ)
で、今作は過疎化が進みつつある地元で、甲子園出場を夢見る主人公(キャッチャー)と、都心からやってきた控えめな少年(ピッチャー)と、彼らを取り巻く野球部のお話のようです。
「バッテリー」よりは、まだ刺々しさも無く、喧嘩などもありません。
まぁ、巧みたいな我の強い子がまだ出てきていないからな。
主人公のキャッチャーくんは、押しつけがましいとこもあるけど良い子だなー。
歳相応の自尊心が初々しいような、逆に頼もしいような。
ピッチャーくんは控えめ過ぎて、存在がマジ儚いですな。
だけど、球を投げる際に、いやにくっきりと浮かび上がってくる。
投手板に手をつく仕種が、とても好きであります。
この年頃の少年の抱えるものは、けっして軽くないのだろうなーと、あさの先生の本を読むといつも思う。
いや、歳云々で馬鹿にする気は無いんだけど、まだ10代なのに~っていう見方は良くないよなーと思うのです。
実際、自分が10代の時に、それで嫌な思いをしたわけだし。
まだ幼さが残る故に、大人達から押しつけられる都合や環境を、彼らは跳ね返したり、上手く受け入れたりして、成長していく。
でも、それをただの涙ちょちょぎれ感動物にしないところが、あさの先生の本を手に取る理由です。
綺麗なだけのものなんて、ある筈がない。少年の誇りはもっと荒々しく、もっと美しい。
打ち込めるものを持つ人は、幸せ。
それは、大人とか子どもとか関係なく言えることではないでしょうか。
ふらみいはそんなものをずっと持ち得てきました。
それだけで、満たされていると考えてみても良かったのでしょう。
うーん、いろいろ語りたいことはあるのに、スマホからの更新だと上手く書けませんな。
とりあえず買って後悔はしなかった。あさの先生の著書で、久々に心の琴線に触れたのでした。
次は、友人から借りた京極さんを読みますぞ。
作業用BGM なし
2014/01/15
(主に)映画感想文
こんばんは、ふらみいです。今日も寒かったです。
仕事で情けない失敗をかましてしまったけど、何とかめげずに終えられて、一息つけました。
本当、涙脆いこの性分をどうにかしたい・・・・・・。
傍らで、とあるサイト様の二次創作をずっと読ませてもらっていました。
トリップ物の夢小説だったのだけど、なんか自分の嗜好に当て嵌まって読み耽ってしまった。
その大団円を今しがた読み終えて、なんと泣きそうになったりして、こうして語りに来たのでした。
トリップ物の何が悲しいって、何かの弾みで別の世界に来て楽しくやっていたとしても、いつかは自分の世界に戻らなくちゃいけないっていうところね。
元々無かった存在が別の世界にあっては、それは生じてはならない歪になると解ってはいる。解ってはいるけどさァー・・・・・・
もうね、わたしは駄目なんだよ。お別れとか、もう逢えないとか、そういうの昔から大嫌いなの。寂しいのも悲しいのも、本当は大嫌いなの。
元ある形に治まっていなくてはならないって自分に言い聞かせているだけで、終わらなくては別のものが始まらないって理解しているふりだけで、本当は嫌なんですよね。はは。
だから、昔からRPGをどんなに進めていても、ラスボス手前で止まっちゃうのです。そいつらとの冒険を終わりにしたくないから。
そりゃー時間経ってからまたニューゲームすればいいけど、「はじめてのニューゲーム」ってのは1回こっきりでしょ。その後どんなにニューゲームしたって、最初には戻れないわけでしょ。
その寂しさに、20数年ゲームやってきても、未だに慣れない。
物語の人物達の最後を見届ける義務が、プレイヤーの自分にはあるって思っていても、終わっちゃうのが悲しい、寂しい。
できれば、ずっと冒険していたいな。怖いことも辛いことも苦しいこともあるけど。
そんな寂しがりな気持ちがある所為か、トリップ物はどんな結末になろうとも泣いてしまうとこがありまして。
今回読んだ話では、最終的に主人公は自分の生きていた世界から自分の存在を抹消し、トリップ先で生きていくことを選んだわけだけど、うん、そうしてくれて良かったなぁと思いました。
元居た世界も大事だけど、「これから」を生きていく世界を選ぶ過程で、トリップ先が選ばれたっていい。勿論、逆も可。
結局は、愛着の湧いた登場人物達が、最後の最後まで幸せに笑ってくれていりゃ、それでいいですね。
暗い性格のふらみいさんでも、近年では「どんなに辛くても、最後に笑えりゃ上々の人生」という見方を持てるようになってきました。
死を近しい隣人として捉えてきていた為、どうしても悲観的になりやすく、すぐに死ぬだの殺すだのって頭の中が別の意味でトリップしてしまうけど、本当は笑って生きていけりゃそれでいいんだと思ったり、します。
で、その話の主人公がすごーく羨ましかった。自分の愛する世界に行けて、一旦は元の世界に戻って悩んだけど、結局、トリップ先を選んだ、選択肢を持てた主人公が羨ましかった。
ふらみいにも行きたい世界がありまして。それこそ、小学生の頃から憧れてやまない世界があって。
エブリディ・マジックを、死ぬまで信じ続けている。マジで。
今のふらみいだったら、何の未練も無く飛んでいけるなぁ。トリップ先に。
そこが自分の憧れてやまない世界で、たとえその世界で自分が名前も表示されんような「村人A」的存在だったとしても。
今自分の居る世界が嫌なわけではないけど、漠然と「もういいかなァ」なんて思ったりする。
周りの友人はちゃんと所帯もって、厳しかろうが楽しかろうが自分の人生を歩んでいて、それを大体見送った自分としては、次は自分の番だ!という感じ。
この世界で幸せになることも考えたけど、やっぱり違うんだなって思うようなことが増えてきて、だから自分で自分が幸せになれる舞台を探しにいきたいという気持ちが、年々強くなってきました。
この世界の友人達に忘れられちゃったって、消されちゃったって、まぁ、みんな幸せにやっているんならいいかねーなんて。
どうせこの世界に自分が忘れられずにいたところで、忘れられている時と大して変わらないだろうし。即ち、関わることなく、それぞれの道を歩んでいく。
ならば、ふらみいはふらみいで道を選ぶ。その道は、たまたまこの世界ではなく別の世界に繋がっていたのだ!という展開を望んでいる。
自分が死んで哀しんでくれる人はそれなり居てくれるだろうけど、人っていつまでも人の死に囚われないものでしょう。例外はあるけど。
そうやって前を向くことを学んだ友人達なら、べつにふらみいが居ようと居まいと、よろしくやっていけることでしょう。
だから、ふらみいはふらみいで、望んだ形で幸せにならないとね。
行ってみたい世界があったとして、それが片道切符だとしたら、みんなどうするのだろう。
見送る人は、向かう人は、残る人は、どんな気持ちでいるのだろう。
んー、自分があんまり他者に深く関わっているなんて思いたくないけど・・・・・・
まぁ、やっぱり笑っていてくれりゃーいいか。どんな道を選んで、世界が別たれても。
せっかくトリップしても泣いていたら意味ないし。元の世界に戻ったって後悔していたらどうしよーもないし。
やっぱり、後悔せずに自分で決めて生きていくのが一番ですね。
飛んでいけるなら、今直ぐにでも。後悔なんてしない。
この世界で大往生なんて、願ったって無駄。それが望みなんじゃない。
あともう1人、見送ったら何とか途中下車したいものです。
作業用BGM
一番の宝物 (Original Version) / Angel Beats! ORIGINAL SOUNDTRACK [Disc 2]より
2014/01/10
語る
こんばんは、ふらみいです。寒いですね、毎日毎日曇ってばっかりで。
天気の良い日に限って、パート入るのね、ほんとね。いやね!!
今日、夕飯中に録画しておいた「はじめの一歩 Rising」を家族みんなで観ました。
母親はもう巻き込まれているも同然で、がっついて観ているの、わたしと弟と親父ぐらいだけどね。
2時間スペシャル、もしかしたら一歩が負けるんじゃないかと思っていたけど、杞憂でした。
いやでも、あんな身体壊すような勝ち方していたら、いつか駄目になっちゃうよ!
デンプシーを途中で止めた時のあの負荷、観ているこっちが腰やっちまいそうだったよ。
あぁ、熱い闘いでした。興奮冷めやらぬ。
もう本気で追っているアニメが今のとこ一歩ぐらいだから、ああいう熱い展開が来ると滾ってしまう。みなぎるぅうぅぅああぁぁ!!!!
最初のうちは一歩のことを「すごいボクサーだけど軟弱ラブコメ野郎」と思っていて(酷)
しかし、今回の試合で見せた精神力と、試合前の恐怖する心、それでもできることをやっていくんだっていう堅実な姿勢に胸を打たれたな。
ふらみいは努力が嫌いな人だし、できることをコツコツと続けていくのが苦手な人だから、一歩みたいな人を見ると感動してしまう。
「人間にはこういう底力があるんだね(自分には無いけどね!)」と思えて、それが嬉しくもあり不安にもなり。
試合を見ていた彼女だって、気が気じゃなかったでしょ! くみちゃんだったか、鬼ぃちゃん付きでいた娘。
下手したら、後少しで一歩がやられそうになっていたのだから。鬼ぃちゃんの前でも容赦なく泣いていたろ。
だけど、「はじめの一歩」て女性が変に絡んでこないから、見やすいのね。
一歩が意識とびそうになった時とか、くみちゃんが泣きそうになる場面とか入っても問題なさそうだったけど、そういう挟んでくるものが一切無い。
男同士、拳同士、どこまでも純粋な闘いで、本当に引き込まれるよ。何でもっと早く見なかったんだろ。
最初のうちは絵が苦手だったんだけど、今ではあの絵じゃないと駄目だと思えるぐらい。
一歩は可愛く見えてきたし、宮田さんは美形に見えるし、鷹村さんは男臭くて格好良く見える。
でも、一番のお気に入りは青木だね。いいよ、あいつ。あと、ゲロ道。話読んだことないくせに。
今回の相手、沢村も危ない奴だなーとは思ったけど、最初からあぁじゃなかったのね。そりゃそうか。
待っていても来てくれなかったこと、味方が誰も居なくなってしまったことで、あんなに歪むなんて繊細ではないか。もう立ち止まれないのね。
ボクシングで負けたら、他になにもなくなってしまうという恐怖心の辺り、解るよー解るつもりさー。
でも、それって苦しいよね。「これを無くしたら自分ではなくなってしまう」というものがある人は、強くはなるけど、途中でものすごい挫折に遭う。
その時に立ち上がれるかどうかは、他にも自分を許せる場所を造っていたかどうかに懸かっているんじゃないのかなぁ。他のものに縋れる自分を許せますか。
最後の病室の場面で、できれば沢村と先生の会話を入れてほしかったな。何でヤングだったんだ・・・・・・!
沢村も健闘したし、それを観客もなんだかんだで称賛してくれたから、それによって沢村の心が少しでもほぐれていたなら、先生の言葉も届いていたような気がする。
なのに、そこを敢えて入れず、沢村に一切喋らせないという。余計なものが一切無い感じで、いっそ清々しい。
何でもかんでも補完したがるわたしですが、こういう考える余地をすげー残した見せ方もあるのですね。
沢村が病室から見上げた月は、幼い頃に見た月と同じように寂しいものだったろうか。それとも、少しは違う色に見えたろうか。
また立ち上がって、良い人にならなくてもいいから、一歩と闘ってほしいな。
来週は何の話やるのかな、休憩を挟む感じかな。
次は木村か、鷹村さん? そろそろ他の方の試合を見たいです。
今回で見せてくれた一歩の鴨川EYEに負けないような、かっこいいやつが見られるといいなぁ。
今日の夢は「はじめの一歩」だろうか? あー、もー語りたい。語れるほどの知識は無いけど、語りたい。
作業用BGM
REASON / ゆず
2014/01/05
アニメ・まんが