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どうぶつ~どうぶつ~


こんばんは、ふらみいです。
急に暖かくなったり寒くなったりで、服装に試行錯誤しております。
ちょーどいい上着は捨ててしまったんだ……やっちまった。


もう木曜の話だけど、上野の動物園に行ってきたんす。
動物園とか、小さい頃に行った思い出がそんなに無い。馬に乗った記憶はある……ような。

上野に行ったのは、ハシビロコウが見たかったから!
あの、「あまり私を怒らせない方がいい」の画像で有名な、目つきの怖い鳥です。これが見たかった。

でも、他にもっといろんな種類の動物が生で見られたので、楽しかったですよー。
ヒグマも見たし、シロフクロウも見たし、フラミンゴも見たし、アライグマも見たし、ホッキョクグマも見たし。

惜しむらくは、パンダとライオンとトラとゴリラが見られなかったこと。
繁殖期?の為だったり、檻の改装中とかで、まったくもって見られませんでした。


これ、遠いけどハシビロコウであります。
動かない鳥といわれて有名らしいけど、ふらみいが見た時はめっちゃ毛づくろいしていたぜ(´ω`)

気になったのは、

ヒグマの近くにあった銅像。
何故、壁から出てくるスタイルをとったのか。センスが光る。


モアとバオバブ。どちらも銅像だけど、存在感がありますねー。

動物ってかわいいとこもあるけど、やっぱ大きいから怖いですね。
モアの銅像もそうだし、カバやサイもそう感じました。ヒグマは言わずもがな。
分厚い壁一枚を隔てているとはいえ、襲いかかってきたら、逃げることも考えつかなそうすよ。

あと、牛や馬も居ました。日本古来の種類の子達ですって。
牛は目が本当に可愛い。日本の種類は気性が大人しくて、見ていてほんわかする。
ちょうど毛づくろいの時に見ていたので、係員の方ともお話しました。
まさか屠畜場で働いていたから、とか言えなくて、牛が好きとだけ言って。
豚よりは牛が好き。食うなら豚。

一度は訪れるといいです、上野!
平日の、しかも行った時は雨が降っていたもんで、スイスイ見られました。
これが休日だったら、すごかったんだろうなー。


今週は慌ただしく過ぎて、次も慌ただしく過ぎていきそうです。
金曜は大学の友人と久しぶりに会い、土曜は今お世話になっているパート先の人達と飲み会して、日曜は古い付き合いになってきた友人とおしゃれして出掛けます。彼女はパンク、ふらみいはロリィタで。

こうして毎日、仕事もしつつ遊びに行きつつだと、驚くほど穏やかになれますな。
そりゃ一人になった途端に思い出すことや、考え始めてしまうことはあるけど。
健康になったと思います、心身が。胃腸炎はさておき。

正社員になりたくていろいろ受けていますが、落ちる日々です。
気にしないふりしているけど、たまには落ち込む。やっぱり自分なんかは、もう正社員になれないのかなーと。

今のパート先に居る人達は、ほんとに良い人達だなぁ。あんまり離れたくないな。
でも、保険料とか年金とか考えたら、今のままだと何もできない。貯金も何もするほど稼げていないし。

いつの自分の為になるのかも解らないような年金やら何やらに払うより、今確実に生きている自分に金を渡してやりたい。
64歳まで生きていられるかなんて解らんしなー。

自分のやっていること、全部が無駄になるかもしれんが。
その時の充実感と、いっときの満たされた幸福と、生み出せる飢餓の為に、もう少しだけ生きるです(´ω`)


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2014/03/16 日常 Comment(0)

3年経ったのですね


こんばんは、ふらみいです。
今日は本当は何も書かないつもりだったよだけど、少しだけ残しておこうと思います。

今日で、東北の大震災から3年が経ちましたね。
未だに仮設住宅に住む方も多いというし、復興もちゃんと進んでいるのか解らないし……どうなっていくのだろう。

震災の話題を口にするのは、あまり好ましくないですね。
現地に居ないのなら、何を言っても他人事だ。


ふらみいは関東在住で、3年前のこの日、生まれてはじめてドデカい揺れを体験しました。
まだ会社で仕事していて、最初はただの揺れだと思ったのに、その後立っていられないほど揺れて、震度5弱を体験したのですよ。

あの時は、このままどうなってしまうのだろうと思った。
宮城にいた友人が心配になって、他の県も揺れたからみんな心配になって、連絡したりしたっけ。

宮城の友人は無事でした。
後日……というか、半年ぐらい経ってから宮城に行く機会があったので、松島付近にも行ったけど、痕がすごかったな。
松島付近の、津波が襲った辺りは、マンホールが浮かび、コンクリートに罅が入り、建物の窓は全て割れていて、ガードレールもひしゃげていて。
何も無くなってしまった土地にたてられたお地蔵さんが、今もまだ鮮明に思い出せるのでした。

そうそう、物も急に無くなりました。
お店で買い占める人がたくさん居て、ガソリン入れるのにも長蛇の列で、混迷していましたよね。
毎日テレビでは地震のことばかりやっていて、そのうち津波の話になって、原発の話になって。
テレビをつける旅に増えていく死者の数が、もう途方もないものに思えました。


身内の話で言えば、震災が起きた理由もあるのですが、それはあまりにも突飛なことで。
自然の摂理だと言えば、それで納得できるかってぐらい、いろんなことが起きて。

被災された方のために寄付しようと思って、いろんなとこでお金入れたけど、ある日、それも店によっては寄付されずに遣われると聞いて、できなくなりました。
何のために寄付してんだか、解らなくなっちゃうよ。


できることなんて微かも無いから、こつこつ続けていけばいいと思っていた。
でも、それも正しいのか、よく解らなくなった。

だから、震災についてあーだこーだ言うのはやめた。
本当にできることだけすることにした。

それできっと、いいはずだ。

2014/03/11 日常 Comment(0)

言ったが最後


本当のことになってしまいそうで、言えないのであります。

こんばんは、ふらみいです。
一昨日、いろいろ考えすぎたのか、久しぶりに胃腸炎になりました。ぐふぁ。
あの痛みだけは何度来ようと、慣れないものです。ほんとに痛いんよ、痛いんよ!


"最終兵器彼女"を描いた、高橋しん先生の作品の中に"君のカケラ"というものがありまして。
ふらみいはこれが好きなんです。サイカノよりこっち派。恋愛物より子ども達の冒険活劇派。

この話の中に出てくる主人公のシロって男の子が、
「忘れっぽいから、一度でもここから出たモンは・・・たとえ、ほんの少しでも出たものは信じてるんだ」と、自分の口を指差して言うのです。
口から出ていった言葉は、どんなことであれ小さいことであれ、本当のことなんだと信じているのだ--と、ふらみいは解釈しました。

この言葉が、頭から離れなくて。
自分の声で伝えるそれは、嘘なのか本当なのか。
繰り返しているうちに、力を帯びて言霊になるそれは、信じていいのか。

未熟ながらも書いてきた身としては、言葉に対して思うことはたくさんあります。
伝える為の手段なのに、今の自分の心境をちゃんと表す言葉が無いことなんてザラです。

例えば、一口に「死にたい」と言っても、それは衝動から吐いたもので、本当ではないと思ったことがあります。
本当は死にたいのではなく、消えたいとか、あいつを消したいとか、もっと雁字搦めになった奥の気持ちが知りたいのですよ。自他共に。

言葉は吐く人によって嘘にも本当にもなるけど、あくまでも伝える為の手段。
でも、言葉にしたことによって、本質から離れていってしまうらしいですね。言葉にした時点で、それはもう元のものとは少しばかり異質なものへと変化しているという。
だけど、言葉を遣わなければ、人と人とは意思を伝達しあうことができない。それも正確じゃないのだとすれば、「解り合っている」という感覚はとんでもない大嘘になるのですね。


6日が誕生日だったふらみいですが、その日にまた寂しさが爆発して、死にたいなと思いながら外をふらついていました。
2時間余り、あちこち歩いて歩いて、どう死ぬのかを考えて、その時に思い出した人が居て、家路につきました。
その時浮かんだ人は、大阪でいつもお世話になっている子なのですけどね。

どうしてその子だったのだろうと、考えました。いや、ちゃんと理由はあるのだけど。
それにしたって、その子を巻き込み過ぎました。こんなに自分の心に近い場所へ誰かを招くことがあるだろうか、と自分で驚きます。
幼馴染みよりも、他の友人よりも、もう一歩だけ近い場所に居るその子と離れるのが、どうしても怖い。

死ぬ間際になって、いろんなものが惜しくなるのは御免だから、そういう未練は残したくないのです。
だから、死にたいというよりも「停止したい」が正解なのだと知りました。

ふらみいはこの際限なく広がる思考を、もやもやを、止めたい。誰の記憶からも消えないと、死んだ後もふらみいが残ってしまう。それでは器を失っても消去しきれない。
誰かの記憶に残るほどの存在ではないし、どうせ残していてもらっても忘れられていくのなら、今直ぐ居なくなりたい。

出会いと別れという、単純な宿命に抗っているのです。オトナになりきれないってやつになるのか。
今まで生きてきた中で出会った友人達が、人間の宿命に則って家庭を作り、自分の人生を歩んでいくことを素直に喜べないのは、もう会えなくなるからでした。
ふらみいはいつまでも自分の為にしか物を考えられず、他に大事にしたいこともなかった。

大好きな人達に忘れられるぐらいなら、今すぐ死んでしまえ。消えてしまえ。停止してしまえ。
そうしなければ、この膨らみ続ける寂しさだとか怒りだとか嫉妬だとか憎悪だとか、そういったものがふらみいを包んで、ふらみいそのものになってしまうだろう。
いつしかそんな危機感を抱いて、そうなってしまったら最後なんだと理解して、それでも襲いくる寂しさを受け止めきれずに歩き続けました。

ここまで考えて、さぁ死ぬぞと思ったのに、たった1人の人間の為にやめてしまうなんてな。


でも、その子が相手なら仕方ないのですよ。自分でも解っています。
自分の心の近くまで招いた、と言ったぐらいだから、ふらみいも解っているのです。その子を呼んだのは、ふらみい自身。

そこに居てほしくて、話を聞いてほしくて、離れたくなくて、その子が流れてくれるままにいろんなことを求めました。
んで、その子もちゃんと応えてくれたしね。たまには「それ違うよ!」て時もあったし、「ぶっ殺すぞ!」といきりたつ時(何)もあったけど。
解り合っているかどうかは今ひとつ自信無いけど、周りの友人よりふらみいを知っているのは確かだし、ふらみいもその子の周りの人より、その子を知っていると自負しております。

精神の潰し合いをしたというか、まぁふらみいが潰されることが多かったけど、そんなこともありました。
その子はずっと逃げないでいてくれたし、ふらみいが欲しいものをくれました。ともだちとして欲しいものをくれました。
だから、その子を悲しませてはいけないという気持ちひとつで、立ち止まってしまったことは、仕方ないのですよ。

とはいえ、その子だって伴侶ができれば、ふらみいのことに構っていられないでしょうから、今だけなんかなぁとか思ってしまう。
そんな自分の、依存しすぎた性分が嫌だ。嫌だけど、その寂しさは無視できない。

その子が恋人を作ったら、家庭を作ったら、きっとふらみいとは連絡を取れなくなるのでしょう。
あっちは関西、こっちは関東。間違っても出会うことは無いだろうから、そこがせめてもの救いになるのかしら。
その子を祝ってあげたい気持ちもあるけど、目の前で幸せオーラ全開で楽しくやられても、何も言ってあげられないや。


そうやって離れていく人達が、大事で大好きな筈なのに、自分のことばっかりだ。
この思考も随分と長い間、ふらみいの中を廻っております。疲れてきました。
そして、文章にして出していっても消えない。声にして言霊にしたら、それでもう終わりになってしまう。

死にたいのではなく、消えたいのではなく、停止したい。
停止しなくて済む世界なんて、どんなものだろう。ふらみいが変わらなくては、そんな世界には行けない。

変わることが結局できそうにないんだな、と諦め始めているのでした。
去年のサイコパスちっくなアホに構わなければ、もう少しだけまともに人生を見ていたのでしょうが。

アホに関わり、どでかいトラウマと罪を背負い、精神を病んで会社を辞めて、死にたい死にたいとのたまう日々。
書いたりゲームしたり人に会ったりしているけど、集中できないのは病んだ所為なのかなと思います。また病院行くべきなのか。

こんな人と友人関係をまだ続けてくれている周りに感謝する。何かを返してあげたいと思う。
でもなぁ、ぼくが何かせずとも、みんな自分の力で生きているし、助けてくれる友人らも居るし、どんな時でも信じられる伴侶が居るからなー。
そうなると、やっぱりふらみいは無用の長物そのものだと思うのでした。

こう書くと、自分には伴侶が居ないから拗ねているみたい。
だって、伴侶を作りようがない。この病んだままでは。この身体では、望める筈がない。
こんなぐずぐずでも生きてこられたのは友人達のおかげで、その友人達も居なくなったら、生きている意味なんて解りっこないである!

人に依存した罰だから、こうやって苦しみながらも緩慢に死んでいくしかないのかな。
精神を削って、身体はただ老いて、みんなを眺めながら忘れられていくことが、最後の罰になるのかな。

そんなふうに考えるぐらい、去年のことは自分の中では大事件でしたから。
罰だの罪だの、そんな単語では括れそうにないほどの。


人に忘れられることも、このまま自殺もできずに生きていくことも、自分に課せられた罰なら、甘受すべきでしょうかね。
それでもやっぱり辛くなったら、寂しさがもう臨界点を越えてしまったら、また泣き場所と死に場所を求めて歩くのでしょうね。
そうやって繰り返していくうちに磨耗する精神から生まれるものって、何だろう。

その子の顔を思い出すことも無くなって、言葉も忘れてしまったら、自分が死ぬべき時であると、定めました。
その子が伴侶を得て、ちゃんと軌道にのったことを確認したら、死んでもいいと、不可視の存在は言いました。
それまでは、それまでは、生きていなければならないのか。
ああ、なんか辛い。辛いよ。生かされているけど、この状態で生きるのかよ。

その子に会いたい、けど、会ってどうすんだろ。その子に依存するのも、もうやめないといけないのにな。
受け止めてくれるのも、動じないでいてくれるのも、ちゃんと返してくれるのも、その子ぐらいのもんだったんです。土壇場で、ぼくが落ち着かない時にも。
だから、大好きだし、大事にしたいのにな。ぼくなんかがするより、真っ当に生きている人間がその子にしてあげた方が、良いのだろうな。

そうやって自分を逃がすのは、卑怯だな。


こんなふうに考えていることを、その子に話してみたいが、また叱られるだろうか。
後何回、そうやって伝えられるだろうか。死ななくてごめんなって、目を見て言えるだろうか。

文章に託して、まだまだ書いていきたいと思います。





作業用BGM
 vivi / 米津玄師


2014/03/09 語る Comment(0)

弱音ばかり吐いてしまうのは


覚悟の足りない証拠だなぁ。

こんばんは、ふらみいです。
あとちょっとで誕生日です。だから何だって感じですが。

数年前までは、共に祝ってくれる人も居たけれど、近年の行いが悪くて、不可視の友達ぐらいしかお祝いしてくれませんよ。
何それイマジナリーフレンド?


今日は雨降りな所為か、途中から頭痛が酷くて、今もじりじり痛めつけられております。いてぇぇえ。
2年くらい前から、低気圧が原因かは定かでないにしても、そんな気候で頭痛が起きることが増えました。
身体の調子がなんとなく変わってきてしまったのでしょうね。

んで、さっきまでそんな悪状況でタロットやっていて、あーやっぱりーってことが的中しそうなので、落ち込んでいました。

好きな友人がまた一人、伴侶を見つけそうな気配がありまして。
と言っても、本人にその気が無ければ、なれないんですがね。
それを教えてあげたいなーと思いつつ、そしたらふらみいの居場所はまた減るんだなって、気付きました。

というか、本当はずっと気付いていたんですけどね。
それでも、ふらみいと居るより人間の伴侶を見つけた方が、後になって友人も困らないだろーと思って。

オクテだし、雰囲気に流されやすいバカだけど、良い奴なんです。ぼくは大好きです。
でもねぇ、ずっと一緒にはいられないんだね。君もいつかは伴侶を得て、子を産むか産まないかはともかく、選んだ人と生きていくのだろう。

その過程で、どこかでまた会うことはあるかもしれない。話をしあうこともあるかもしれない。
だけど、そんな平穏はふらみいの望むところではないのです。
その頃には、ふらみいはこの世に居ないと……良いよねぇ。

タロットの予想を教えてあげたら、信じてもらえなくても、気は良くしてもらえるでしょう。
その良くした心が縁を呼び込むもんですよ。少し足下を明るくしてあげたら、誰だって自分の力で進めますよ。

そうして、その子が幸せでいてくれたら良いのだけど、そのためにふらみいがその子から離れることは可能なのか?

気分としては、ヒュウです。ポポロのアニメの。
彼の不幸を望みますか、望まないのなら自分の幸せを捨てられますか。
彼女はこう訊かれて、何をどんなふうに感じたのだろな。

この世界には別れの木の実はないし、ふらみいも風族ではないから、どこにも行けない。
ここで生きていくか、死んでいくしかない。
誰も周りに居なくなるのなら、生きても死んでも変わらないのに、みんなを見送りながら生きているのは何故だろう。

その子が居たから助かったこと、解ったことがたくさんあったのです。だからこそ大事なんだけど。
でも、その子にはぼくが居ない方が良い場合がいっぱいあるでしょう。ぼくが居なくても歩いていける子だから。

そんな人の何やかやを心配するのは、その子に失礼かもしれないけど、最後まで見ているのも辛くなるけど、幸せになれますように。


本当は離れたくないっすけどね。
ふらみいと居て不幸になるぐらいなら~なんて思います。

銀さんに怒られそうだぜ(ここに来て夢思考)



作業用BGM
 ずっと、ずっと一緒にいるよ / 銀魂サントラ


2014/03/05 語る Comment(0)

【映画】悪の教典


こんばんは、ふらみいです。
寒いよ、急に寒いよ!!

てっきり書類選考で落とされたと思っていた所から面接の連絡が来て、びっくりしました。
今度は今週の金曜、次の日は狙い始めた会社の説明会に行く予定でありんす。

この「就活がんばっているよ!」感、そんなに嫌いじゃない( ´_ゝ`)huhuhu


突然ですが、ふらみいは林 遣都くんが好きです。主に顔面的な意味で。
というのも、映画の"バッテリー"で巧役をやっていて、その眼光の鋭さにきゅんきゅん(何)しているからなのですが。
その遣都くんが、映画"悪の教典"に出ているよ~と友人から聞いたので、観てみましたよ。

原作は読んだことないのだけど、いつかの映画で予告を観たことがありました。
なので、"悪の教典"そのものの存在は知っていたんですけど、今の今まで忘れていました。

ネタバレしないで言うなら・・・・・・と言っても、予告で壮大なネタバレしているけど、
とある高校の教師である蓮実(あだ名はハスミン)先生は、生徒にも教師にも絶大な信頼を寄せられる人格者。
だけど、彼には裏の顔がある。それは自分の邪魔となる人間は容赦なく殺すことができる、殺人者としての面だった。
そのことが露見しそうになるや否や、疑った者から次々と事件に巻き込まれたり、失踪したりして、挙句には生徒達40人がその手にかかることになる。

・・・・・・って、あらすじ書いてみて、なんか無茶苦茶だな!
ふらみいのあらすじの書き方が悪いのか。いやでも映画の内容、こんな感じだったよ。予告もこんなだったよ。


えー、感想を言うなら、「伊藤英明がかっこよかった」。これに尽きる。勿論、遣都くんも良かったけど。
やっぱり異常だと思われる人間を演じることができる人って、すごいよなー。悠仁を思い出したよ、ふらみいは。

内容については・・・・・・うーん、どうかな。人に勧めるほどではない、かも。
エロもグロも平気、日常的に映像で見ているって方には、肩透かし程度かもしれません。
エロもグロも苦手、ちょっとだけなら平気かも? って方には、お勧めしません。

陽気な音楽が流れる中、人を淡々と殺す場面は、感受性が強い方には毒だとおもわれます。けっこうくるんじゃないかな。
AKBの大島さんは気分悪くなって、途中で観るのをやめたと聞きますが、それも仕方ない。人によっては嫌悪感しか出ないでしょう。


感想を幾つか見て回ったけど、みんな同じこと思っているもんだなー。
人物の描写が浅いんだよな・・・・・・、2時間ちょっとの映画にまとめるのは大変なんだろうけど、そこは頑張って欲しかったです。
おかげで、ハスミン(主人公の殺人教師)がどうして凶行に及んだのか、理解しがたいです。ここ、絶対に掘り下げるべきとこだったろ。
世の中には何の理由もなく人を殺せる人だって居るけど、ハスミンがそうかどうか判断しにくいな。彼がサイコパスであるのなら、その性格に繋がる描写はもう少し欲しかった。
あれでは良い人面して殺しまくっているだけではないか。邪魔者は排除しているけど、最後の生徒40人とかヤケ起こしたのかと思ったぞ。


というわけで、細かい感想は隠しておきます。
映画を観てからお読みくだせぃ。


[ネタバレしつつ感想]

2014/03/03 (主に)映画感想文 Comment(0)

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