出産を経て、産後うつを経て、元の病状が悪化しつつも、何とか周りの助力を得ながら子育てに従事してきた。そのつもりだ。
自分が死ぬか、子どもを養子に出すかで悩んだ末に、実家に子どもを預け、毎日会いにいくという生活を選んだ。
頭が混沌としていた自分は、その時に何かを決めるのが非常に億劫だった。選べたのはそれくらい。
世間と比べれば、随分と楽な子育て環境にあったと思う。
それでも、時に病状に悩まされ、動けなくなることもあった。
友人と会ったり、睡眠時間を削ってでも自分に戻る時間を確保したり、日々を全うするのに精一杯だ。
周りから見れば、遊ぶ気力があるねって呆れるだろうが。
それらの苦痛や苦悩は誰とも共有できない。自分にしか解らない。
だから孤独なのだ。子どもですら、自分の敵に回るものなのだ。
そんなことを強く思った、父親との口論があった。
もっと強くなれとか、ずっとこのままじゃいけないとか、駄目でも先ずはやってみろとか、被害者はお前じゃなく子どもだとか、腐るなとか、それはもう好き勝手言われてしまった。
いや、相手からすれば、自分が健常者側だと思っている人からすれば、そう言いたくなるだろうよ。
人間は自分に起きたことしか理解できない。相手の立場に立って、寄り添ってってのは、一部の人にしかできない固有スキルみたいなものだ。
誰しもできるものではないと、自分も解っている。
だから望まないようにしてきた、特に両親に対しての諦めは早くにつけたいと、中学生頃から言い聞かせてきた。
その分の希求を友人に向けたがために、何年も経ってからしっぺ返しのよーなものを喰らったわけだが……
友人に対しても、親に対しても、望めることなど僕には無い。というか、許されていない。
父親と話していて、「そういえば、こういう人だったから、自責思考が強くなったし、卑屈になったんだっけな」と、ぼんやり抱懐した。
言っても解ってもらえない、否定ばかりされる、どうせどうせって、頭は飽和した。
悔しいのか悲しいのか、涙だけは出て、言葉少なに言い返しはしたが、聞いてもらえた感じがしない。
親と過ごす時間が少ないのは、子どもが可哀相だ。
そう何回か言われたが、正直、僕のよーな病んだ母親とぴったり一緒に居る方が、悪影響を及ぼす気がする。
それが怖くて、鬱が極まった時に「もっと健康的な親のところへ、そうだ、養子しかない」と思い込んでいたわけだし。
その間、まったく踏ん切りはつかなかった。
養子に出すのも、自分が死ぬのも、恐らく失敗すると解っていた。
何もできなくて、薬を増やすことで日々を全うすることに注力した。
ポケモンのアルセウスをやっていた時、シマボシさんの言葉に奮い立った。
他人の称賛も批判も所詮は他人の感情でしかなく、大事なのは己がどうしたいか。そんな内容だった。
後者はよくよく身に染みていることだが、前者は目からうろこだった。
自分にとって良いものも悪いものも、他人が他人の眼鏡を通して見たものを口にしているだけ。
言葉にした時点で、それはもう別物になっているのだろう。
そんな胡乱なものに振り回されて、自分のやりたいことや気持ちが押し殺されるなんて、随分と退屈な話だ。
だから、父親から言われたことも、父親から見た側面というだけで、僕を破壊するまでのものではない。
というか、もう破壊されきってて何も残っていなかった。
この人は知らない。子どもを産む前の僕の悩みも、地獄の期間も、そこに附随する精神がどれだけ捻れつつ日々を凌いでいるかを。
本当は子どもを持つに値しない存在なのに、分不相応なことをしてしまった。責任は取らなくてはと思っても、病状によっては投げ出したくもなる。
言い訳? そりゃたくさんある。出来損ないの自分に子育てなんて、不可能なのだ。
でも、そうも言ってられないから、薬をのんで、自分に戻る時間を少しでも確保して、どうにかやってきている。
自分のタイミングで決めたかったが、相手からすればちんたら遅いのだろう。
子どもが可哀相ってのも、どうかな。病んだ親の元に居た方が可哀相ってやつなんじゃないの。
話をしている間、自分には味方なんて居ない。誰しもが敵になる。自分を労わってあげられるのは自分だけ、と強く感じた。
子ども優先でやってきたつもりだが、自分の世界の中心は自分だ。
被害者は子ども? 確かにそうだ。僕も被害者なんだ、あなた方の。
だから尚更感じる。歪んだ親元から、一定の距離を保った方がいいと。
本当に、親は僕を追い詰めることにだけは余念がないと嗤いたくなった。
この歳で「親の所為で!」なんて言うつもりはなかったし、子どもを救ってもらえただけで積年の怨恨を帳消しにできる。そう思った。
しかし、所詮は他人。家族で過ごすことが最良だなんて、偶像崇拝みたいなもんだ。
僕にそれを教えられなかった者の敗北で、家族で過ごすことの安心感を理解できない僕が、子どもと四六時中関わるのを是とできないのは当たり前なのだ。
そこまでは頭が回らないらしい。
そりゃそうだ、自分が病の原因のひとつなんて思わないだろう。
ちらっとでも内省したことあんのかい? 無いんだろうね。
いつでも自分が正しいと盲信できる。それも才能だ。
あの子みたいで、腹立たしい。
死にたい気持ちは強く、子どもも大事にしてあげたいが自信は無い。
親は孫のことは大事にするが、手元を離れた子どもは攻撃対象でしかないらしい。
そうやってまだ親に期待する自分に泣ける。目を醒ませ、アホなのか、期待するんじゃないよ。
子どもはいざとなれば、親が面倒をみるのだろ。
あとは僕が如何にして死への恐怖を克服できるか。
死にたいのか、逃げたいのか、そこも判然としない。
薬を増やして挑むべきかもしれない。
何も意味なんて無い。
ただ、やはり出産などするべきではなかった。
僕のような存在がやっていいことではなかった。
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2025/10/19
日常
これがそうだとしたら、愚か極まりない。
月の満ち欠け、毎月の体内での現象、いろんな理由を付けてみるけど、結局は精神がまたしても囚われているだけ。
のめりこんでいられるものが無ければ、こんなにも簡単に過去に舞い戻って、ぶすぶすと燻った怒りを持て余す。なんという時間の無駄。
それが解っていても、自分ではどうすることもできない。本当にそこで諦めていいのだろうか。
出産を経て、子育ての間中、いろんなところに対して牙を剥いている気はする。
余裕など無いし、ふとした時に考えは飽和するし、自分を保つので精一杯だ。産んだことに後悔は無いが、相手を見る度に「お前がこうなると解っていれば産まなかった、だから子を持つことを躊躇ったというのに、阿呆め!!!」と侮辱したくなる。
信頼など、とうに失せている。好きにやればいい。家族として生きていくには申し分ないどころか、自分のスペックでは付き合えない部類の人間だということは重々承知しているが、それでも僕が信頼を置けるような人間ではなかった。やっぱりそうだった。
心の拠り所に人間を据えるのは、さすがにもうやめたい。
そう思って、ゲームに没頭していった。隙間時間さえあればゲーム、書くことの内容を考える、それで自分を保っている。
前に自分が書きなぐった小話なども、非常に役立っている。この時のためにも書き残したのだと思えるくらい。体調を崩したこともあるけど、書きたいものをどんどん書いて良かったと思える瞬間。
そうなのだ、やっぱり自分を救えるのは自分だけ。依存したところで、執着したところで、人間には重すぎる。僕のことを受け止めきる人間を捜していたけど、そんなもん存在せんわと諦めがつく。
だけど、友人からは「君はまだ人間に期待しているんだろう」と言われた。それもそう。
昔よりだいーーーーぶ、いや、かなりその頻度や度合は減った筈だが。
それでも、過去を思い出せば、こんなことを言われて傷付いた悲しかった悔しかったということを思い出してしまえば、それをぶつけて受け止めてくれるものを探したくなる。
人じゃないとすれば、不可視の存在か。最近は忙しくて、たまにしか会話をしていない。
一人の時はよく声が聞こえるが、誰かと居るとそっちに集中するから、まぁ聞こえない。
それもいつまで聞こえるんだろう。僕はいつまでその世界の住人でいられるだろう。漠然とした不安をいつも抱えている。
長年、信頼していた人間に梯子を外された。こいつは一生許さないが、どこかで会って冷静に話をしたいとも思う。今際の際で果たされるか。
長く付き合ってきた友人の中の自分の優先順位は下だったと解り、あれだけ話を聞いてきたのになぁと恨めしくなってしまう相手が居る。結局、自分が尽くした分だけのものが返ってこないから怒っているのだ、僕は。
この二人と関わった時間は長いように感じているが、この二人にとってはそうでもないのだろう。僕以外にいろんな出会いがあって、そっちの方が奇跡に近く、楽しいものだったから。
二人に費やした思考の時間も真心も、二人の中の僕の順位が低ければ屑にしかならない。僕はそれが受け入れられない。
諦めがつかず、二人に認められるか、謝ってもらえるまで、一生こうしてモヤモヤしたしょーもないもんを抱えるつもりなのか。不毛な。
これこそが、依存の後の執着だ。僕は執着している、まだ燻っている。
だから思い出して辛くなる。何であんなに僕のことを傷付けて平気なの、他の人と話しているのって落ち込んでいく。
SNSで空リプのよーなことをして試している時だってある、未だに。呆れたね。
そんな愚かな自分に転機は訪れるのか? 僕はちゃんと成長しているのか?
ハマれるものが少しでもあれば、気にせずにいられた。相手に良い感情を向けることができていた。
だけど、余裕が無くなってくると妬ましさや恨みが蘇ってくる。ってことは、その前にあった”良い感情”は嘘なんじゃないか。どんな時にも発揮されなければ、それは仮初なんじゃないか。
こんな相手を選んだ、こんな相手に期待した、自分が馬鹿だった。愚かだった。見る目が無かった。
そんなふうに自分を責めないと、次に進めない。他人を責めても謝ってくれない、認めてくれない。開き直って、逆に傷付けにくる。
だったら、そんな奴らより上にいく。お前達は持たざる者だから仕方ないな、と上から物を言ってやる。
馬鹿にすることでしか、自分を違う存在なのだと思えない。この方法はきっと間違っている。
かといって、世界平和を願えるほどの高尚な精神が今から持てるわけもない。
同じく余裕があれば、相手の幸せを願うことも可能だろう。今はそんなふうにはなれない。願えない。本当は願えない。
じゃあ不幸を願うのかと言うと、それも違う。何も願わない。ただ、また会って話したいとか、遊びたいとか、自分主体で考えているだけ。
僕にとって他者は何なんだろうか。自分が死ぬまで付き合ってくれる玩具か何かだと思っているのだろうか。
以前、診断メーカーをやった時に「他人は自分の玩具みたいなもんだと思っている」と出て、驚いたことがある。そんな指摘を受けたことはないが、妙にしっくりきた。じゃあ、そうなんじゃないか。とんでもないな。
そんな人間に好かれても、そりゃ誰だって逃げるよ。
それに、僕が正義感を翳して物を言ったことで、この二人も少なからず傷付いているし、どこかで嫌になったりもしただろう。
また仲良くなりたいってのも不毛かね。二人とも、自分の選択が正しいと信じている。本当は選んだんじゃなくて、時間切れでそれしかもう行く道がなかっただけなんだけど・・・・・・まぁ、それはこっちの視点からの話だ。
僕にとって、この二人は間違いなく友人だった。二人にとってもそうだったらいいけど、今となっては解らない。
でも、僕はこの二人を大事にしていたのだろうか。この二人の間でも何かあったりしたからな、ここは所謂、カルマメイトってやつかもしれない。魂のレベルで何かあったとしか思えない。
それを視るだけの力は僕には無いから、誰にも話せない憶測だ。いつまでも気になるのは、僕がこの二人を繋げるからだろう。たぶん。
それにしても、しんどい。もう思い出したくないし、嫌な感情を抱えたまま過ごしたくない。
子どもの相手でいっぱいいっぱいなのに、終わっただろう自分の傷痕に苛まれるのはどういうことか。自分の所為だとしたら、やはり最大の敵は自分なのだ。
仲良くできれば良かったけど、もっと僕が言い方を考えられたら良かったけど、今言っても詮無いこと。
これから先、どんなふうに関わっていけばいいのかを考える。
僕が関わらない方が幸せなのかもしれないけど、それは僕が決めることじゃない。僕が関わりたいと思っているなら、考えていかなくちゃ。
執着から手放す方向へ、まだその先は見えない。どうしたらいいか解らない。
感性が似ている友人に相談してみようか。彼ならどんなふうに考えていくだろう。
2025/09/27
日常
実に20数年ぶりのポケモンだったんだけど、見事にハマった。これはもう帰れない。
プレイしたのはまだピカブイのブイ、レジェンズアルセウスぐらいで、現在は盾をプレイ中。
アルセウスにドハマりしたから元となるダイパをやろうってリメイクも借りていたけど、どうにも肌に合わなくて2つめのジムで断念した。こいつぁ細かいストレスが辛いやつだ。
そんなこんなで、春くらいからずっとポケモンをやっている。
そして秋にはレジェンズの新作が出ると聞いたので、これはもう運命だと思ったね。
初代のポケモン直撃世代なので、懐かしきゲームボーイでならやったことがある。
きょうだいが赤を欲しがったので、自分は緑を買ってもらえた。そこからして不満があったことを憶えている。当時から竜贔屓だったから、ヒトカゲを選びたかったんだね。
しかし、育成系のゲームは苦手な部類だった。みんな可愛くてみんな育てたくなっちゃうから、いつまでもみんな弱いままで、ジム戦でも苦労することうけあい。メンバーの厳選というものがそもそもできない。
第2世代の金銀も買ったけど、あまりやらずに終わってしまった。以来、自分にポケモンは向いていないのだと考え、自然と離れてしまったのである。
それから20年近く経って、去年の暮れぐらいから始めたのがポケまぜ。カフェでポケモン達と楽しくパズルしながら、可愛いフードメニューを提供していくという、任天堂版ツ●ツムみたいなものだと理解した。
で、パズルゲームもあんまり得意じゃないんだけど、無料だし、デザインも可愛いから、隙間時間にやろーと思ったら、ハマった。どういうわけかハマった。
ポケモンの衣装が可愛かったり、知らないポケモンでも可愛かったり、とにかく可愛いは正義を体現したゲームだと思った。Switchでできたのもありがたい。
そこからポケモンへの興味が再燃し、今の自分ならプレイできるかもと意気込んで、友人からポケモンのソフトを借りた。
先ずはずっとやってみたかった、レッツゴーイーブイ。ピカとブイだと友人はブイが好きだというので、そっちを借りた。
もう懐かしさ爆発。初代は一応、殿堂入りするまでやっていたから、こんなんだっけな~と思いながら進めていた。
本当はミュウが欲しかったんだけど、あれは限定だというので諦めるしかなかった。ミュウツーは捕まえられるっていうから、それだけでも達成しようと頑張った。
図鑑を埋めるほどの熱意は出せなかったが、結構捕まえたし、結構育てた。スタメンを決めて、属性を理解して、使っても無くならないわざマシンに感謝した。
ただ、イーブイの声がアニメ準拠だったのかな? 昔から変わっていると聞いたから、まぁ知らないイーブイではあるんだが。
そのイーブイの声がどーーーーしても声優さんそのままにしか聞こえなくて、途中からイーブイをどう捉えていいのか解らなくなってしまった。イーブイはポケモンから離れても好きだったのに・・・・・・。
代わりにというか、ピカチュウにめちゃくちゃ惚れ込んだ。人生でこんなにピカチュウを可愛いと思ったことはない。
ライチュウも可愛い。かみなりの時に尻尾を立てるのがめっちゃくちゃ可愛い。
子どもに見せているポケモンキッズTVでピカチュウに傾きかけてはいたが、ゲームで更に傾いた。そらもう面白いくらい傾いた。
クリア後のやり込み要素までは手がつけられなかった。
なにしろ、この後の控えがいっぱいある。Switchで出たポケモンは一通りあるし、自分で検索して見つけた救助隊DXやりたいし、友人から勧められたゼル伝のちえかりも中古でお迎えした。
ブイは60時間くらい掛かってクリアして、ミュウツーを捕まえて終わりになった。
まぁピカ版を自分で買ったので、いくらでもできるんです。推しを持ち運べる喜び。
そして次に始めたのがレジェンズのアルセウス。
これがもうすんごいハマり方をした。今でも帰りたい。ヒスイ地方に帰りたい。
最初はブイ版の癖が抜けなくて、あぁ~カントー良かったなぁ~なんてホームシックさながらにぶつくさ言っていたのだが、調査隊のランクが上がり、ポケモンを捕まえ、或いは戦い、衣装が増えて、行ける場所も増えてきた頃には、わくわく度が限界突破していた。
ただ、主人公は喋らない系の子なので、現世に帰りたいんじゃないかとか、本当はこの仕事嫌なんじゃないかとかこっちが心配しても、荒事に巻き込まれるし解決していく。
僕が選んだのはショウの方だったから、女の子だてらに崖を斜め登りする様を見て、現代で何をやっていたんだ? と不思議な気持ちに。いや、テルでも同じようには思ったか。
総隊服、すっごく可愛いよ~。オシャレの幅は現代と違って狭いけど、着物の柄とか半股引とか、その時代らしくていいよね。
とにかくフィールド探索がえらく楽しい。どこまでも行ける~って解放感が、グラを越えて僕の脳裡に強烈なゲーム体験を与えてくれた。
その直前にやっていた二大困ったなゲームでかなり辟易していたので、ゲームとはこういうものだ、探索とはこういうものだってド正論を喰らったようで、爽快だったのだ。
それに、ポケモンと戦わずに捕まえられるというのも、僕みたいな下手くそにはありがたい。戦って弱らせて捕まえるってのは理に適っているんだけど、ついついやりすぎちゃうこともあったので・・・・・・腕が無いトレーナーにとっては、戦わない選択肢は良いものだ。
それに、ストーリーも良かったんだよ。途中で「え? どういうこと? は???」ってなったけど、土下座されたら許さないわけにはいかねぇ!!
黒幕の髪型にも笑わせてもらったし、ギラティナすっげぇかっこよかった。一度負けてからの復活、痺れるね。
キャラにも愛着が湧いて、今もそれは燻っている。セキさん、カイちゃんすっごい好き・・・・・・ラベン博士とテルとの家族みたいな感覚、あったけぇ・・・・・・。
そうそうそう、ポケモンといえば戦闘BGMがかっこいいのだよね。
ダイパのBGMのアレンジって話だったけど、どの曲もかっこよかった。久々に熱くなった。
一番好きなのはトレーナー戦かな。最初のイントロの後、急に空気が変わった感じがして、鳥肌立つんだな、堪らんな。
ギラティナ戦のBGMもかっこよかったな、ギラティナの強さを表したかのような・・・・・・いや、強かったな、ギラティナ。運よく黒幕からギラティナまで通しで勝てたけど、もう一回やったら何度か挑むことになりそう。
最終的なスタメンはヒスイバクフーン、ルカリオ、ハピナス、シャワーズ、ガブリアス、ライチュウ。ハピナスはミミロップとかヒスイドレディアの時もあったけど、体力値が魅力的だったので・・・・・・シャワーズも同じく。
ルカリオは入れざるを得なかった、かっこよすぎ。力業の時のカットイン、心が震える。
ガブリアスは今作で初めて会ったんだけど、デザインいいな~。かっこいいなぁ。
言葉では表現できないほどの何かに絡めとられ、未だに心がヒスイ地方から帰ってきていない。自分でも解っている。
それまでやっていたゲームとの落差が激しいにしても、随分と凄い勢いで倒れ込んだよな。
他にもやりたいゲームはあるし、楽しみにしているゲームもあるけど、今はアルセウスが頭から離れない。ポケモンと常に一緒に生きていたい。
書きたいこと、歌いたいもの、やりたいゲームに満ち溢れているだけで、僕の幸福は約束されたものになる。良いことだ。
2025/08/22
ゲーム
近頃はポケモンにハマって、去年からずっとポケまぜを、5月からはピカブイのブイ、それが終わった後はアルセウスを始めると、なかなか多忙なゲームライフを送っていた。その殆どがポケモンで、キャラグッズも集められるものは集めている。
ただブイは60時間近くやって、アルセウスも寄り道ばかりしていた所為か、100時間を迎えそうなので、合間に何か挟もうと思って始めたのがこれ、NOSTALGIC TRAINだった。
PSストアで安売りしているを見かけ、いかにも昭和の田舎といった風景と電車というSSに惹かれて購入。値引きもされていたので、良いADVを買えたぞ~とほくほくしていた。
後にSwitchでも出ていると知ったのだが、せっかくPS5があるのだし、高画質で楽しもうと思った。
ウォーキングシミュレーターってやったことないけど、こんな素敵な風景の中を歩いたり、電車に乗って出かけられるなら、昨今の荒んだ精神も癒されそうではないか!
・・・・・・なんて、いろんな期待を胸に始めたら、これはノベルゲームだった。
サウンドノベルというほどSEやBGMがあるわけではなく、美しい原風景を背景にして、主人公のモノローグで話が進む。
タイトル画面でストーリーモードと表示されているのを見て、「歩き方に話も何もあるか」と思ったが、ノベルゲーだというなら話は別。
ということは、ジャンル分けが間違っているのではないだろうか。他の方の感想でもしばしば散見されたが、田舎をぼんやり散策する系ゲームだと思っている方は多かったのではないだろうか。
風景の描写は個人で制作されたと思えないほど美しく、その時代に生きていたわけでもないのに懐かしさを覚える。家の中や学校には入れない。それがちょっと残念。
電車でその風景の中を移動できることに感動はしたが、如何せんマップは狭く、閉ざされているなぁという閉塞感を覚えた。もっとあちこち歩き回れる集落だと思ったので・・・・・・白川郷みたいな・・・・・・。
BGMも同じようなピアノ主体の曲ばかりで、食傷気味。ハーモニカとか、リコーダーとか、もっと素朴な楽器を使っても良かったのでは、と思ったけど、これは個人の趣味なのでね・・・・・・BGMの評価は現在のままでも充分に高いので、自分が可笑しいのだと思う。
肝心のストーリーについては、ネタバレを伏せて書くと「成程ねぇ~」という文言以外、あんまり出てこなかった・・・・・・すんまっせん・・・・・・。
ただでさえ、田舎を歩き回れるゲームと思っていたから、そこで話が展開しはじめて、しかもこんな綺麗な背景でこんな陰鬱な話かい! て言いたくなるような内容で、人によっては落ち込むんじゃないだろか・・・・・・。
途中までは「村にもいろいろあったんだね~」と読んでいたけど、途中からファンタジーな要素が入ってきて(この捉え方は人によっては違うだろう)、「あ、そういう系の話だったの?」と魂消た。円環の理、か・・・・・・。
システムについては、探索のしかたがちょっと面倒だったな。
舞台となる夏霧の村の中を歩いて、探索のためにR2を押して、白い靄が見えたらそこに行って話を読むという仕様。
この探索が、画面が白く発光してから靄を表示するため、目に痛い。あと靄が見つけにくい。途端に作業をしている感が強くなる。
最初から最後までプレイヤーが介入できる部分は靄を触って話を進めることぐらいで、特に分岐があるわけでもない。風景描写に力を入れているのだから、話はおまけ程度かなって思っていたんだけど、壮大な展開を見せるので、人によっては好きかもしれない。苦手かもしれない。
あとこれはものすっごく私見ですが、文章が・・・・・・ちょっと読みづらい・・・・・・。いやいや、これは自分の癖とかもあるので、あんまり人のこと言えないんだけど。
誤字脱字とか、言い回しがとても気になった。個人で作ったのなら、そういうミスがあっても仕方ないとは思うけど、言い回しとかはミスではないだろう。
何て言うか、回りくどい。情感のある語り口調にしようとして、こっちゃこちゃになっている気がする。
モノローグだけならまだしも、登場人物が話している時もたまにそんな情感溢れる語りになることがある。話している時に遣わないでしょ、そんな表現・・・・・・ここは詩人の溜まり場か何かか。
女性が書いたのかなと思わせるほど、柔かで回りくどい文章でした。そして、それはそのまま自分にも返ってくる評価です。・・・・・・精進します。
そんなこんなで、SS撮るのは楽しめたけど、他は首を傾げることが多かった。
一番楽しめたのはフリーモード。やりたかったゲームはここにある。
SSコンテストなんてのもあったんですね、2022年に。3年も前かい。
うーん、ちょっと参加してみたかったかも。
2025/07/22
ゲーム
妊娠、後に出産という大仕事を、去年の今頃に終えた。
自分は子どもを持つに値しない人間だと既に解っていて、それでも産む決意をしたのは当時の自分に強力なバフが掛かっていたからだった。
案じてばかりでは何も始まらない、きっと書く時の糧になる。
そう考えて臨んだ十月十日だった。
いくら想像していても、やってくる現実は常に想像の一歩先からだ。
やっぱり自分は子を持つべきじゃないし、もう何もかも面倒だ終わらせてくれと何度願ったことか。
子どもは元気に育っている。
自我が強くて、悪戯が好きだけど、人の歌には耳を傾けるという不思議っぷり。
無事に一年を過ごせたことを、ただ嬉しく思うだけなら、こんな悲壮感漂う書き方などしなかったのに。
それとも何年か経てば変わるのだろうか。
何もかも置いて、ひとり消えたいと感じる精神が、少しはマシになっているといい。
2025/07/20
日常