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理想と現実の壁に何度もぶつかる


身の程知らずだとは思う。
分不相応なことを望んだと思う。
後戻りなんてする気は無かったけど、考えたことは何度もある。
だからこそ、自分は向いてないと解る。誰に言われずとも解る。
そうやって自分を追い込んで、傷付いて、どうにもならなくなった。
これが産後うつなのかな、と弱気になって、気付いた。

元より鬱の傾向は強かった。
信じていた人間に梯子を外されてぶっ壊れた後、3年掛けて何となく持ち直したと思っていた。
特に、去年のイベント出演で大きな自信を得た。その筈だった。
失っていた自尊心や自分自身を取り戻せた気がして、だから環境が変わっても上手くやっていけるんじゃないかと錯覚した。

錯覚だったのか?
そうなりたい、なれるかもしれないって願ったんじゃないのか?
やってみないと解らない、でも今の自分ならできるって思って、思い込んで、もう殺したくないから次こそはって踏み出した。そうだった。

けど、現状を見たら、自分の為に選択した時と何も変わっていなかった。
僕は僕の為にしか生きられないし、誰かの為に犠牲になるのはもう嫌だった。
誰かの自尊心を保つ為に犠牲になりたくない。謝罪も感謝もされないような塵のままで、忘れられるだけだから。

そのなけなしの矜恃は今も健在だった。
それを通して今の自分の情けなさを知った。
何か対抗策は無いかって調べてみたけど、みんな精神論ばかりだ。
そのうち良くなる、関わることで関係が深まる、そんなふわふわした言葉で今の辛苦がどうなるっていうんだ。
精神論で家族を作っていくなんて、人間てのはなんて物好きなんだろう。

そんな時に限って、僕を貶めた者達を思い出す。
彼らはちゃんとした人間だから、家族も作れるし、誰かを傷付けても自分が幸せになれると信じ切ることができる。
僕にはできない。新しい家族を迎え入れる強さも、幸せを信じ切ることもできそうにない。

というか、できないって解っていた。
幸せを幸せと感じられる時間は、とっくの昔に終わっていた。
それもこれも信頼が崩れた時からで、その体験を超えたら変われるって幻を信じた。
幻を現実に変えるだけの力はまだ無かったみたいだ。

何もかも解っていて、逃げ場が無いのも解っていて、現状に至る道を選んだ。
そこに後悔は無いし、心の命じるままにやってやったぜってまだ言える。
でも、その先に行くまでの距離を、今は耐えられそうにない。歩いていられん。

人間には勝てない。彼らにとって僕は失敗作だ。
僕はそれでも新しいものを作り出した。
被造物は造物主を愛するように、勝手にインプットされている。
その事実が、子どもを見る度に頭をもたげる。
僕みたいな壊れ物より、ちゃんとした人間の親の方がこの子には良いんじゃないか?

でも、この子の親は僕しか居ない。
僕なんかが選択したばっかりに。
なのにいま、僕は追い詰められている。自分に追い詰められた。
やはり親に向いてない、殺した時と何も変わっていない、周りに甘えて尚何もできてないって、責める声が聞こえる。
 
何もかも背負って何とかやっていこって決めたのに、すぐ挫けた。
産後うつの重みが日毎に強くなって、自分が端から崩れていくのが解る。
昔のことを思い出す。僕を壊した人間にすら、会えないかなと思ってしまった。君の方がきっと人間らしく生きている。

ともだちに逢ったら、助かるのか?
自分のことをどうやって立て直せばいいか、忘れてしまったのか?
時間も余裕も無い。なのに、何でだか歩みは遅い。

混乱した精神はどこかで巻き戻るかもしれない。
その前に何かが駄目になるかもしれない。
一緒にいたい。みんなと一緒が良かった。
旅に出たかった。あの子のように自由に。

失ったものを数えても、何にもならない。
新しく手に入ったものは、育つまで時間が掛かる。
それまで僕は壊れきらずに生きられる?
自信が無い。何かしでかしそうで怖い。

望んだこと自体が間違っていた?

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2024/08/02 日常 Comment(0)

出産記録 3


日付けをまたぐ頃、入院して3日目だろうか。
痛い痛いと頻繁に言った所為か、あまり薬を使いまくるわけにはいかないと渋っていた助産師が、痛みの様子を見ては薬を追加してくれる。
「流していいなら私だって流したいよ〜。でも使える量は決まっているんだ、ごめんね」とまで言われて、まだ本陣痛でもないのに痛がる自分の虚弱さに恥ずかしくなった。でも痛いものは痛い。

2時半頃、子宮口が全開になっていると聞く。
それから少しして「破水したみたい」と言われて、いよいよだなと身構える。
その頃には薬を流す→痛み緩和→また痛くなる→少し薬を流す という感じで、前駆陣痛の痛みに少しずつ慣れてきていた。
この頃から、重めの生理痛+便秘の重めな出てこないやつとしか表現しようがない、何とも強い痛みに定期的に襲われるようになる。
でもこれもきっと前駆陣痛だ、本番はこんなもんじゃないぞと自分に言い聞かせ、腹の中の胎児の無事を願った。
胎児の心拍は安定していて、動いているような感じがした。

この時点で朝のゼリー以降、何も食べていないことに気付く。
痛みにあまりに弱いのは体力が無いからか?
そういえば水分もあまり摂れていない。
これでは痛みに耐えるのは難しかろう。朝からぶっとおしだ。
そして夜になってから上がり続けていた熱。
38℃と表示されて、インフルかコロナかと検査してもらったが、どちらでもなし。
氷枕で少し楽になったが、熱があると解ると途端に具合が悪くなるのは何なんだろうな。
38℃も出たのが久々だったので、踏んだり蹴ったりだと笑いたかった。
実際には痛みで話す余裕も無くなってきていた。

時計もモニターも見る余裕が無くて体感だが、空が白み始める頃、出産準備が周りで始まった。
主人の寝ていたソファーベッドは畳まれ、助産師が二人、ビニールのエプロンを着用し、あれこれ道具を持ってくる。
その間、いきみの練習をするよう言われた。押し出す力を加えて、胎児を下ろしてあげなきゃならないとか。
陣痛の一番痛い時にいきめって言われて、仰向けにさせられたけど、体勢的にめちゃくちゃ苦しい。仰向けもうつ伏せも耐えられない人間だからか。
座ってやってもいいかと訊いたが、座ると今度は胎児が動いてモニターの数字が消失する。大人しく寝転がって、休む時に少し横を向くことにした。

準備が進む中、ひたすらいきんで、深呼吸して休んで、次のいきみに備える。
そのうち酸素マスクをつけられ、内診で「上手くできてるよ、その調子」と元気づけられ、再びいきみの練習。というかもう本番。

いきんでいる間は余計なことを考えず、ただ胎児ネームを呼び続けた。
白む空を何となく見て、ここまで僕は自分のことばっかりだったと情けなく思った。
どれだけ本番のために準備したって、実際の痛みには勝てそうにもないのが現状の自分だった。
「痛い」は声に出したけど、本当はもっと挫けていたから、「もうやめたい」とか「帝王切開にして」とか、あの窓を突き破って飛び立ちたいとか、小腸が捻れている時と思考が同じだった。
この苦しみから逃げたい、辛さから遠ざかりたい、何でこんな痛い思いをしているんだと気持ちが負けていき、その時に「やっぱり自分のことばかり考えているな」と気付いた。
この痛みは赤ちゃんも感じていること、ママと一緒に頑張っているよってソフロロジーを調べた時に書いてあって、その考え方を持とうとした筈だ。
なのに、痛みに負けて、もうやめたいと思ってしまった。やめてどうするかなんて解らない。ただやめたかった。それくらい、終わりが見えなくて、痛かった。

けど、周りの準備が進み、助産師が「吸引か切開が必要かもしれない、先生呼ぼう」と言った時に、終わりが見え始めた。
それまで情けなく自分のことしか考えられなかった点を深く恥じて、いきむ最中は胎児ネームを頭の中で呼び続けることに集中した。苦しくないか、もう出ておいでと身勝手ながら思い、その時を待った。

先生が来て、会陰切開が素早く行われた。
やはり初産だから通り道が狭く、胎児が出てこられないということだった。
麻酔が効いているからか、切られたことにも気付かなかった。かろうじてパチンて音が聴こえたくらい。

最後のいきみと共に、助産師が手を添えるのが見えた。
そのままするっと小さな頭、全身が見えて、詰まりが取れたかのような甲高い泣き声がした。
この瞬間は言葉にならない。とにかく劇的で、全ての感情が動かされた一瞬だった。
それまで辛かったこと、苦しかったこと、痛みが全て無かったことにはならないが、報われたとは確かに感じた。
そも十月十日を過ごしたのは、この時のためだ。この一瞬を知りたくてやってきたことでもあったんだ。
という感情が爆発し、嗚咽になってアウトプットされた。
時間は5時を過ぎていた。

泣きながら、胎児の動きを目で追った。綺麗にしてもらっている間も、甲高い声で断続的に泣いている。元気そうだ。
胎児の出てきた2分後に胎盤が排出されたらしい。排出というか、助産師が押したり何だりで取り出してくれたようだった。
僕の位置からは見えなかったが、縫合のために外に出された主人の話曰く、かなり大きくてレバーみたいな色合いをしており、グロテスクに耐性のない人だと見るとショックかもしれない、とのこと。
てっきり拳一つ分程度の大きさに考えていたが、3kg近い胎児に栄養を送るためなんだから、そりゃ大きくもなっているか、と納得。

切開の縫合をしてもらい、つけていた器具を外してもらった。
病院の患者服から持参した寝間着に着替えさせてもらい、特大パットを尻に敷いてもらって、また導尿。何もかもやってもらっていて悪いなぁと思いつつ、しかし感情が飽和して上手く物が言えない。

ぼーっとしながら、朝日に眩しく輝く空が見えた。夜中でもカーテンを閉めていなかったから、夜明けも朝日も磨りガラスの向こうに何となく確認できる。
もう一人の助産師が「今日はとても良い朝日だよ。こんな日に産まれたんだから、きっと良いことがたくさんあるよ」と言ってくれた。
「これから先、楽しいことも大変なこともいっぱいあるだろうけど、この瞬間を憶えていたらきっと乗り越えられるからね」とも言われて、また泣けてきて、ただ頷いた。僕もそう思う。

全て済んだものの、安静にしていないといけないようで、まだ分娩室に居た。
うとうとしながら、戻ってきた主人と話をした。
主人も一日付き添い、夜に仮眠を取ったものの、明け方はずっと起きていたので、疲れていたようだった。よくここまでついてきてくれた、と思う。

二人で寝こけながら助産師を待ち、傷の具合などを診てもらった後、主人は一旦帰宅。
僕は自分の部屋に帰され、達成感と多幸感のなかで既に配膳の済んでいた朝食をつまみ、ベッドに転がった。

胎児は小児科に入院していた。前日に入眠剤を服用したので、その影響を見るためだ。
これ幸いとばかりに休ませてもらう。ちゃんとミルクも飲んでいると聞いたので、あまり心配はしていなかった。
一度は高くなった熱も下がっていたが、まだ37℃ほどはあった。
子宮収縮の痛み、切開後の痛みで眠り続けられそうになく、痛み止めをもらって、やっと寝ることができた。
今日一日は安静にして、次の日からは母子同室の始まりだという。さて、どうなるか。


覚えている点の箇条書きとメモだが、記録とする。
自分の弱さ、脆さを再確認して落ち込む過程の方が長かった出産だが、産まれた時の感慨はひとしおというものだ。
人との出会いはどれも劇的なものを自分に呼び起こすが、一から腹で育て、外に出すという出会い方はなかなかできるものではない。
病院のベッドに転がりながら、これでまた書く幅が増えるなぁと嬉しくなった。
経験は糧になり、僕の書きだすものを彩り良くしてくれるだろう。

産まれてきた子にも、同様に彩りあるものを渡したい。
こんなご時世に一人ででも生きていけるように。
やはり勝手ながら、願う。

2024/07/21 日常 Comment(0)

出産記録 2


2日目、ゼリーを飲んで腹を下すも、リラックスするために音楽を聴く。
マンウィズで士気を上げ、分娩室へ。

何となくドラマとかイラストで見かけた、あの分娩台へ上がる。
点滴を二種類つけた。ブドウ糖と促進剤。
モニターもつけて、経過観察。
最初の頃はあまり変化は無くて、十時過ぎに主人が来て雑談する。
昼前になると、段々と痛みを感じるようになる。トイレも行きたくなる。
正午を過ぎる頃、子宮口を確認してもらったが3cmと言われて挫けかける。
その頃には結構痛みが出てきていて、スマホをいじる余裕が無くなる。

「14時頃まで続けてみて、開いてなかったら明日の朝に仕切り直しましょう。ゆっくりやっていけばいいですよ」
先生はそう言ってくれたが、結果を出せない自分に少し落ち込む。痛みは感じているのに。

この頃からおしるしが出始めて、まだ時間が掛かることを否応なしに認識させられる。
今日中に産めると思ったのに、と部屋の隅に設置された胎児用の小さな寝台を眺めていた。虚しい。

14時まで耐えるぞと思いはしたが、モニターの数値や山が高くなる度に、深呼吸だけでは乗り越えづらい痛みを感じるようになる。
重めの生理痛と言われれば確かに似ているが、それが断続的に続くのは逆に辛いと感じた。ずっと痛いのも嫌だが。
強い痛みが来る度に主人に腰の辺りをさすってもらうが、効いているかどうかは解らない。

先生から、「夜中にお産が始まるかもしれないし、先に針を入れておきましょう」と提案される。
無痛分娩を選択していたので、その件で。
先に針を入れた方が、別の担当の人も薬を流すだけで済むからと。
その処置をしてもらっている間、痛みにふぅふぅいっていた所為か、「少し薬を流しますか?」と訊かれて頷く。
「我慢できない痛み?」と訊かれて、力強く頷く。まだ流すタイミングでないのは解っていたが、これが何時間も続いて朝まで耐えるとか、全く考えられなかった。
この時点で日々続けていたあらゆる努力が無駄になった気がしなくもない。

15時過ぎに針を入れて、たぶん16時頃に薬を入れる。
痛みが段々と無くなり、下半身の感覚が誤魔化し効くようになる。
しかし、上半身は何だかむず痒くなる。
いつまでこの体勢でいるか尋ねると、夜勤交代で来た助産師はちゃきちゃき動きながら答えてくれた。
「一旦、薬を流し始めたら、止めると痛みがまたくるからね。明日の朝まではモニターと一緒につけたままかな」
なんという長丁場か。でも外すとあの痛みがくる。痛むくらいなら痒みに耐えよう、そう思った。

その頃の自分の姿は右側に点滴。
促進剤はもうやめていたが、熱が出てきていたため、抗生物質も流していた。
左側にモニターと、心電図。モニターは正確に胎児の居場所を掴んでいた。逃げ回っていたのは何だったんだ。
背中の針は固定されて、麻薬を注入し続けている。
トイレに行けなくなったので導尿してもらう。
この体勢で朝までか、と思ったけど、痛みの方が嫌だった。

薬を注入し始めて三時間は経ったか、その頃から薬の効果を超える痛みが出てくるようになる。
助産師に訊くと「お産が進んで、本来の陣痛が始まろうとしているのかもしれない。薬は必ずしも痛みを全て無くしてくれるわけじゃないし、痛みが無いとお産は進まないから、そこは覚悟しておいてほしいな」と返され、半泣きになりそうだった。
いや、解っていた筈だ。ただ理屈や知識を覆すほどに、その時感じていた痛みが辛かった。
だが助産師曰く、無痛分娩で薬を流しているから今の痛みで済んでいる。薬が無ければ、あなたは今頃もっと痛くて叫んじゃっていたかもしれない。陣痛の痛みはこんなもんじゃない。
何とも恐ろしい事実ばかり出てくる。自然分娩を選んでいる人たちが歴戦の闘士か何かに思えた。

薬を度々流してもらいながら、たまにくる強い痛みには深呼吸をし、まんじりともせず過ごす。
主人は立ち会い希望だったので、分娩室に一緒に泊まってもらうことに。

23時かその後か、助産師に内診をしてもらって、子宮口が開いてきていることを確認。7cmだったか。
それでもいつ陣痛が来て産まれるかは解らないから、主人には休んでいてもらう。
いま来ている痛みより更に強い痛み、薬を使わない本来の痛みなど、痛みに関するあれやこれや知見が増えて、そら恐ろしくなる。
去年の捻転も痛かったが、あれは最長6時間で済んだりしていた。出産はそうじゃない。
人生の痛いよ記録、第一位に出産が上ってきたことは言うまでもない。


2024/07/21 日常 Comment(0)

出産記録 1


20日 05:19 無事に産むことができた。
が、それまでの過程が辛過ぎて、痛くて、自分の心がまだまだ弱いことを思い知らされた。
去年の小腸軸捻転の時と同様、ここに記しておくことにする。


1日目(というか前哨戦)
18日の15時から入院。
分娩室に持ち込むもの、お泊まりセット、貴重品、飲料などたくさん持ち込む。
通されたのは完全個室。楽に過ごせると解って安心する。
子宮口が拡がっているかを確認するため、外来の方へ。
37週の時点で1cm、次の週に1.5cm、今日は2cmと少しずつ進んでいた。
そうして進みがあったこと、胎児の頭がちゃんと下に来ていることから、子宮口を拡げる処置ではなく、子宮口を柔かくする薬をのむことに。

部屋に戻って夕食。
病院食は計算されたカロリー且つ美味しいので好き。量を食べきれないのが申し訳ない。

夕食後に薬をのむ。一時間に一度、合計三回。
その間NSTのモニターつけっぱなしと言われ、暫く眠れないことを悟る。
枕回りにスマホやSwitchを置いて、一回目。
モニター中、何故か胎児は動き回ることが多く、よく見失うため、助産師が「こんなに動くことないはずなんだけどなぁ」と興味津々で言っていたのが、逆にこっちの興味を誘う。
私的に座っていた方が楽だったのだが、座るとどこかに行ってしまうため、一回目、二回目は寝転がってみる。
重たいお腹と右股関節の痛みで眠れるわけもなく、やっぱり座る。
モニター中に消えても、胎児ネームで呼びかけると戻ってくる。
三回目の薬で何となくずきずきしてくる。
前駆陣痛かと思って深呼吸で耐える。腹の一部が膨れて、重めの生理痛のような疼きが度々くる。

薬をのまなくなって、モニターを外しても、その夜は疼きがあった。
眠れないと困ると思い、いつも使っている入眠剤を使っていいか尋ねる。
直前の薬の服用は、産まれた後の赤ちゃんに影響が無いかチェックする必要が出てくるから、小児科に入院になるけど、と言われて迷うも、眠れないようならのんでねって言われて、体力温存のためにのむ。
しかし、前駆陣痛の痛みで度々起きる。今までも似たような痛みはあったが、こんなに起きたろうか?
気が昂っているからだと思い、何とか寝る。
小刻みな睡眠だったが、明け方には二時間は寝ていた。

19日の朝に促進剤を使うと聞いていたから、いよいよだーとウイダーinゼリーを飲んで、少し腹を下す。締まらない。

2024/07/21 日常 Comment(0)

『シェイプオブウォーター』


 勢い込んで感想を書いていたのに、それが全部さっぱり消えてしまって何を言いたかったのか忘れてしまった。まぁいいか。

 異種間恋愛ものだってことが早々に解っていて、でもギレルモ・デル・トロだしなぁと敬遠していた映画だったけど、やっと観た。
 すっきりと描かれたロマンスだったので、後腐れなく観れた感じ。寧ろ、同種間の恋愛すら書けずにどうしたもんかと思っていた自分にとっては、この映画のすっきり具合は見習いたいところ。
 人によっては半魚人の設定は何なんだとか、あれは結局どういう存在だったんだとか、そういう部分が気になると思うけど、この映画の肝は恐らく異種間恋愛ってところだけなので、考えずに感じた方が楽しめると思います。
 小説も出ているようだ。そっちを読んだ方が設定とかは解るかもしれない。

 主人公のイライザの地味な色が段々と派手な暖色系へ移り変わっていく、彼女の心境の変化。毎日が楽しくなり、気持ちが弾んで笑顔を見せるようになり、周りが見えなくなっていく様は正しく恋愛真っ只中の女性。
 彼女を取り巻く10年来の友人(黒人)、隣人の絵描き(ゲイ)、彼女自身(聾唖者)という、1960年代のアメリカではちょっとだけ受け入れにくい存在。彼ら自身はとても良い人柄を持っている。なんだかんだ、マイノリティ同士だからこそ協力し合うって印象を与える。
 イライザ自身が海の世界から来たんじゃないかと思わせる言動の数々、雨が降ることを解っていたり、窓の外の水滴を少しだけ操るような描写が目を引いた。彼女が唐突に歌って踊り出すミュージカルシーンも、彼女が人魚姫のような存在だったなら納得かなって。脚を手に入れる代わりに失った声で、聴こえないけど彼への愛を歌う。

 人間側の悪役として描かれたストリックランドの苦労人っぷり。家庭も仕事も円満に見えて、その実、この人が満たされることってあんまり無かったんだろうな。好きでもない色の高い新車を買って、早速ぶつけられたところとか、同情せずにはいられなかった。
 と言ったところで、ストリックランドの環境は彼自身にもちょっと非があるんじゃないかって感じるけど。家庭にしろ仕事にしろ、選び続けているのは彼だろうしね。そういうことを認められるほど、強い人間でもなさそうだったね。
 ソ連のスパイだったディミトリは半魚人に興味を持ったばっかりに、仲間から異動命令を食らい、ストリックランドとも対立することに。この人の最期は報われそうになかったな。途中まで何だか良い人に見えていたから、少しは救いがあっても良かったな、なんて。

 様々な要素を絡めながら、恋愛模様を描いた正しくロマンス映画。恋愛映画とか普段全く観る気にならないけど、異種間恋愛となると話は別。
 とはいえ、先述の「イライザは海の世界から来たのでは」説を僕は推しているので、異種間というか、最後は同種間というか・・・・・・まぁ姿は二足歩行以外、そんなに似てないけどね。
 イライザは水中が好きなのかと思ったんだよ、自慰行為も必ず風呂場だったし・・・・・・とか言って、風呂場なら汚しても洗い流せるからここでやるのかなって思っていました。ちょっと違ったみたいです。
 巷の考察や感想を読んでみたら、結構居たんだ、イライザは人魚姫なんじゃないかって方が。あの首の傷を見たら誰だってそう思うよね。僕はあの傷を見て映画のダゴンを思い出したから、だからイライザを人間とは思わなかっただけかもしれない。

 半魚人も、小説版だと神として描かれているみたい。クトゥルー的存在かと思った。
 感情表現がちゃんとあって、イライザのこともちゃんと好きだったようだ。どこか可愛げのある仕種がいいなーと思わせるが、隣人の猫を食った時はヒェッてなったぞ。それを「彼の本能によるものだから」と理解を示した隣人も凄いが。


 ってな感想をもっとつらつら書いていたのに、一瞬でパァだ。30分がパァだ。
 とにかくあまり気負わずに観られる恋愛映画です。グロテスクな場面とか、性描写もがっつり映ることがあるから、一人で観るのをお勧めします。

2024/06/10 (主に)映画感想文 Comment(0)

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