ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
何だって変わるものだ。
生活も、仕事も、交友関係も変わった。
心持ちも、病状も、嗜好もそれなりに変わった。
それでも死ぬまで抱えていく罰はずっと変わらない。変わっちゃいけない。
何年もその様に考えて戒めてきた。
10年前の自分は、果たして想像できたろうか?
罪人だと自分を責めたて、一縷の望みを懸けた人間に全て捧げようとし、またしても仕事を変えたあの頃が懐かしい。
今はどうだ。
罪人でも子を残し、望みでもあった人間から遠ざかり、仕事はやっと何年も続くものに出会えた。
順調? それとも流れ流れてたどりついただけか?
時間や生活様式は確かに変わっているけど、その中でも適応できる自分のやり方を見つけつつある。
だから、環境が変わるのはそこまで怖くなかった。
どんな時でも書けることはあるし、歌いにも行けるし、会いたい人に会える。
それを可能にしたのは自分の行動力と、理解ある友人らのお蔭だ。
そして、もう無理だというところで、やっと手を差し伸べてくれた家族のお蔭だ。
想像できるか? 何の衒いも無く、実家に泊まって笑いながら話せているんだぞ。
10年前の自分では考えられなかったろう。
結婚し、子を成し、それでも根幹は変わらず、書いたり歌ったり遊びにいったりして、生きている間の全てを享受している。
最高の時間を過ごしているじゃないか。
そりゃ時折、落ち込んだり、病気が酷くなったりするけど、その度に誰かが助け舟を出してくれる。
そういう付き合い方を続けられるようになった、僕は成長したんだ。
今の自分なら、守れたかもしれない。
いや、たらればで語るのはもうよさないと。
それに、最近は自分の行いを客観的に分析する体験に恵まれた。
自分で動き回っている時はいいんだけど、これって他者から見たらこう見える(場合もある)か…うわーーーって引いたところだ。
うーん、あそこまで酷くなかったと思いたいけど、同じ穴の狢が何言ったところで、ねぇ。
だから、分かたれた者に対して、初めて憎悪以外の感情が生まれた。
子ができた時に関心が逸れて、昨今の恋愛沙汰で内省が生まれ、あの子に対する謝罪の気持ちへと変化しつつある。
これもまた驚いた。僕はあの子を呪うほど許せなかったのに、その気持ちが劇的に変容を遂げてしまった。
文句はまだあるし、居場所を壊されたのは間違いないし、その点を許す気は無い。
だけど、それはそれとして、相手の環境も破壊しかけたことは事実だから、それは認めようと思った。
必要なら謝罪もするようだ、と。
一番の罪は産んであげなかったこと。
もう転生の先にいったろうけど、嫌な思いをさせてしまった。
原因となった人間が今何をしているかは解らない。生きているかも定かじゃない。
お前も僕も根本的には幸せになどなれないぞ。失ったものの重みで、無意識にでも潰れてしまえ。
本当に憎んでいるとしたら、心が最初から壊れていたあの人間のみ。
今でも思い出すと腸煮えくり返る。
まぁ、そんな人間に絆された自分がいっとう愚かなのだが!!!!
笑い話に全てが変わる。
死ぬ時には違う話になっている。
それでも僕は憶えている。
忘れたくない。
だから13年前の今日も憶えている。
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