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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

 そう感じるくらい、孤独感や焦燥感、不安、憂いが溢れて止まらない。
 これが産後のホルモンバランスの崩れから来るものだとしたら、なんと過酷で厳しい状況だろうか。
 毎日が乱高下、気分はジェットコースター、そんな精神状態で我が子の世話をしろなどと、人間とはつくづく侭ならない生き物だと感じた。
 そんな他人事みたいな顔をしているけど、その苦渋によってどうしようもなく追い詰められたのは自分だ。

 もう少しだけやれると思っていた。あれだけの苦難を乗り越えてきたのだから、もう少し強くなっているだろう、と。
 実際には、立ちはだかる壁に遮られて落ち込む日々。怒涛の如き変化に追いつけず、昔を懐かしむような感覚に苦しみ喘ぐこと多数。
 戻らないものを欲したところで、どうにもならない。だって、もうそこには無いんだから。
 何度もそれを痛感し、乗り越えたんじゃないのか。どうしてこんなに追い詰められるんだ。

 しかし、幸いにして周りからの助力が手厚い今、何とか耐えることができている。
 否、耐えるというよりも、逃げ出さずに済んでいるだけか。逃げずにその場に留まって、時間が過ぎるのを待っている。

 経験者は口を揃えて言う、「あっという間に大きくなるよ」と。その”あっという間”が全く来ない。
 そりゃそうだな、だって正に渦中にあるんだもの。子と過ごす一日は何故かとてつもなく長く感じる。
 最近やっと短く感じる瞬間が増え、もうこんな時間か~と思うことが多い。

 不満も不安も体調不良も爆発して、実家に子を預けてから三日は経った。
 様子を見に行きはするものの、連れて帰ろうという気になれない。世話ができるか不安だったし、精神状態も定まらなくて「養子に出すしかないのでは」と極端な考えを起こしていた。
 それでも子に会えば、その世話は染み込んできた習性で難なくこなせる。周りはそれを見て「できてるじゃん」と僕の不安を不思議そうに捉える。

 僕にも解らない、何がそんなに不安で、怖いのか。
 自分の時間が取れなくなることは、或る程度は覚悟していた。そこは家族の協力もあって、少しは確保できる時もあるし、実家が預かってくれれば羽を伸ばせる。
 でも、そうじゃなくて、恒久的なあの平和が好きだったんだなと、改めて思った。
 特に何を生み出すことがなくても、あののびのびとした時間を僕は確かに欲していたし、安定の素として愛していたんだ。

 とはいえ、そういう過ごし方ができるようになったのは、去年から。
 その前はあわや人間不信になりかけた人のことで傷付き、悩みまくっていたし、その子と疎遠になるまでも、なんだかんだ悩んでいた。すっきりと晴れた気持ちでいたことの方が少ない。
 去年はどこか吹っ切れた。久しぶりに書く熱量が増して、毎日が楽しかった。いくらでも書けるし、何でも思いつくっていう万能感が強かった。
 ・・・・・・その不摂生が祟って、小腸の軸捻転を引き起こしたわけだが。

 精神的にも肉体的にも耐え忍ぶ修行のようなものを経て、出産から子育てに至るこの過程は、僕の人生らしからぬ出来事の連続だった。
 これで閉ざされるようなものは何も無く、時間が取れようが取れなかろうが、書きたいものは書けるのだと理解した。
 だから恐れることなく出産に踏み切ったのだ。既に息づいていた子どもに会ってみたいと思った。

 そんな経験と心持ちで臨んだのに、ホルモンバランスの崩れ、気温差などで心身は不調をきたした。寄る年波には勝てない、それもあると思う。
 子どもと過ごすことを考えるだけで吐き気がして、頭痛がして、心が焦った。どうにもならない焦燥感で嘔吐く。
 どうしてこんな気持ちになるのか、まるで解らなかった。納得済みでやってきたことを、いきなり自分が覆そうとしている。
 結局、自分は我慢もできない駄目な奴なのかと、心底から落ち込んだ。できるようになったから産んだのに、産んでから「やっぱ駄目かもしれない」なんて、それはないでしょう、と。

 でも、それが自分の本心ではなく、ホルモンバランスの所為だとしたら、まだ望みはある。
 このホルモンバランスというのが厄介で、自分の気合い一つではどうにもできない。整え方はあるようだけど、効果抜群というものには未だ出会えず。
 精神が肉体を凌駕できるほどであれば、こんな思いはしなかったろう。まぁ、無いものねだりをしても仕方ない。

 今はただ周りへの大きな感謝を持ち、少しでも体調を良くするため、子どもから離れて生活している。
 これもあんまり続くと、自分の生活から子どもを追い出しかねないので程々に。
 子どもがこちらを認識して、呼びかけに応えるようになると、また変わってくるんじゃないだろうか。
 休むことも離れることも自分に許せなかったが、いろんな人と話してちょっとずつ自分を認めて許せるようになった。
 完璧にできなきゃ、なんて思ってはいなかったが、どうもそうだったらしい。こうあるべきだ、という捉え方に縛られていた。

 友人も、家族も、わだかまりを感じていた母でさえも、子育てに挑む僕に協力的だった。
 それがありがたくて、申し訳なくて、でも心強かった。
 それだけのものを受け取れる、与えてもらえる、そういう関係を自分は作ってこれたんだな、と誇らしくなった。
 誇れる自分というものに去年からずっと会い続けている。良い傾向だ。

 ルーンの言うところでは、ハガル、イング、エオロー、マンナズと今回の状況を予見するようなカードが出ていた。
 相変わらず、あの子に関してはウィルドを中心に、会えるような会えないような示唆。今はそうかもしれない。
 劇的な何かが訪れる、そんな気がする。誰かに会えるような。

 子どもと過ごしたい、その成長を見守りたい。
 だけど、今はまだ吐き気がする。自信が無く、そわそわして落ち着かない。
 薬が効くのが先か、僕が思考の潮目を見つけるのが先か、どっちでもいいけど楽にはなりたい。

 本当は恐れるものなんて何も無いし、子どもはすくすく育っている。
 以前と同じ過ごし方だって、しようと思えばできる。周りが協力してくれるからこそ。
 そうこうしている間に子どもは勝手に大きくなり、自分で考えて動くようにもなる。
 僕に足りないのは尚、忍耐と見守る心じゃなかろうか。いつもそうだ。

 最果てに居るような気がするのは、孤独感があるから。
 その孤独感は何の役にも立たないが、確かに僕の中に存在するものだった。

 あの日々に戻りたいなんて、毎日何かを生み出していたわけではないのに。
 でも、余裕のある時間ばかりだった。何でも思い通りにできた。
 それが抑制されたくらいで何だ、またそういう日々は巡ってくる。必ず。
 今は書ける幅を広げるためにも、経験を積む時だ。腐らずに何とかやってみてくれ。
 新しい人間関係が増えたとて、僕の根幹はずっと変わらない。

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