ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
何とか時間を作ることができたので、無料期間が終了する前に映画を観ておくことにした。
積んでいたのは『アンドリューNDR114』、それから『悪魔のいけにえ』の二本。
前者は友人から、映画そのものというより小説の話を聞いていて、映画があるらしいけど有料なんだね~って話をした。「どんな内容かも解らないのに支払わせるわけにもいかないし」と友人が渋っていたのも思い出した。
そんな映画が狙ったように無料で公開されていたので、感謝しつつ観ることにした。
ちなみに友人にもこの情報は伝えて、彼女は先に観ていた。曰く、恋愛描写が強めとのことだったので、原作を読んだらまた印象が変わるのかもしれない。
原作は読んだことがないので、まるっきり映画から入ったクチ。
それでもアイザック・アシモフの名前は聞いたことがあったし、サムネの画を観たらどういう話なのかは予想がつくようになっていた。機械が心を持って云々ってことかなぁ、と。
今でこそ機械にまつわる創作はたくさんあるけど、その原点となるのがこの原作と言っても過言ではないらしいので、それを映像化した作品ならきっと良い気付きを得られるだろう、とわくわくしながら観ていた。
今更どうこうあらすじを書き連ねるものでなし、ネタバレという程のこともなし、昔の名作に野暮なことは言わないのが吉だ。
人でないものが人のような感情や心を持った作品っていうと、僕が思いつくのは『ブレード・ランナー』だろうか。あとキツくて最後まで観られなかった『A.I.』とか??
この映画の主人公であるアンドリューは最初から感情があったわけじゃなく、長女の命令がきっかけで感情を会得したのね。業者から見れば確かに故障とか、不良品、欠陥品になるわね。
でも、このアンドリューが実に面白く、愛されるようなキャラクター性を持っている。見事な体現をしてくれたロビン・ウィリアムズに脱帽よ。この方、『ジュマンジ』でも凄く良い演技をなさっていたな。
とにかく感情が芽生えてからのアンドリューはコミカルで、愛嬌があって、見ていて気分の良いキャラだった。
そんな彼を友人とするサー、どちらかと言えば父親寄りの感性を持つリトル・ミスが良い味出しているのよね。立ち回りや、アンドリューへの影響等々。
母親とグレちゃった長女は「あくまでも機械」というスタンスだったけど、そういう視点もあった方がリアルだ。誰も彼もがアンドリューを”人間”のようには扱えないね。
アンドリューの外観が二足歩行だったからなのか、それとも演じた方のグッジョブなのか、不気味の谷現象はあまり発生しなかった。
そんなつもりないって自分で否定していたけど、僕はどうやら人でないものが人の真似をすることに嫌悪感を抱き易いらしい。そうなのかなって思ったのは初音ミクの台頭の時で、確信を持ったのはニーア オートマタの機械生命体の諸々を見た時だ。
これもまた自然な感情なんだと思うけど、相手からすればあまり気持ちのいいものではないよね。って、こうやって人間扱いしようとするのに、彼らが人間に限りなく近い振る舞いをしていると、理屈ではない部分で「うーん」て思ってしまう。
そも人間とは何かって定義をしないことには・・・・・・難しいなぁ。
劇中でも、一部に人工的な臓器を使っているなら、完全な人間なのか、それでも人間なのかって思わせるような問答があったけど、そうだよね、生身が人間なのか、機械でも心があれば人間と呼べるのかって、かなり複雑な内容だわ。
機械と人が愛し合うってのも、心があってこそだね。だって、人間を愛するメリットなんて機械には無いからね。
アンドリューは最後に人間らしい終わり方を選択し、好きな人の隣で目を閉じたけど、これって幸福な方法なのかね。そうかもしれないね。
ポーシャもまた生命を維持することをやめて、アンドリューと再会するべく静かに永眠したね。あの終わり方、とても綺麗だとは思った。
それを看取ったのがガラテアってのがね・・・・・・ガラテアは何を思うんだろう、彼女も感情を獲得しているんだよね?
主人が居なくなって、アンドリューも居なくなって、そうやって知っている人が減っていくことに対し、寂しいって思ったりするのかな。
寂しいといえば、アンドリューは自分が関わってきた人達を見送ってきたんだもんね。
歳を取ったからだと思うけど、最近こういう「皆を看取り、自分も息を引き取る」という展開にとても弱い。自分も最後はこうやって、関わった人達を見送ってから静かに去りたいなって思う。
幸い、僕は次世代を残すことに恵まれたけど、それが死ぬ時の満足感にどう繋がっていくのか、今からは何も解らない。自分の世界が存続できればいいって考え方も、勿論捨てていないけど。
人間が心を失うことだってあるわ、それって人間っていうより化け物って言われることの方が多い気がする。
心があるか無いかが人間の分かれ目なら、どういう分け方ができるのでしょう。感情じゃないよ、心だよ。じゃあ、感情と心ってどういうふうに違うんだろう。
あと素晴らしいのは音楽。大袈裟じゃなくて、素朴で、でも耳に残る良い音だった。
OPも良かったね。ものつくりの工程を見ていたら、『イノセンス』を思い出した。SF作品を作る人なら、アシモフは読んでいて当たり前だったりするのかね。
時間が無くてとっちらかった感想になったけど、観て良かった。
晩年にまた観たくなる気がする。それがいつのことになるのか、僕にも解らない。
いつその時が来るのか解らない、それが人間の寿命なんだって。怖いね。怖いけど、自然なことだ。
自然であること、あるがままを受け入れること、難しいけど人間だからこそやっていきたいね。
積んでいたのは『アンドリューNDR114』、それから『悪魔のいけにえ』の二本。
前者は友人から、映画そのものというより小説の話を聞いていて、映画があるらしいけど有料なんだね~って話をした。「どんな内容かも解らないのに支払わせるわけにもいかないし」と友人が渋っていたのも思い出した。
そんな映画が狙ったように無料で公開されていたので、感謝しつつ観ることにした。
ちなみに友人にもこの情報は伝えて、彼女は先に観ていた。曰く、恋愛描写が強めとのことだったので、原作を読んだらまた印象が変わるのかもしれない。
原作は読んだことがないので、まるっきり映画から入ったクチ。
それでもアイザック・アシモフの名前は聞いたことがあったし、サムネの画を観たらどういう話なのかは予想がつくようになっていた。機械が心を持って云々ってことかなぁ、と。
今でこそ機械にまつわる創作はたくさんあるけど、その原点となるのがこの原作と言っても過言ではないらしいので、それを映像化した作品ならきっと良い気付きを得られるだろう、とわくわくしながら観ていた。
今更どうこうあらすじを書き連ねるものでなし、ネタバレという程のこともなし、昔の名作に野暮なことは言わないのが吉だ。
人でないものが人のような感情や心を持った作品っていうと、僕が思いつくのは『ブレード・ランナー』だろうか。あとキツくて最後まで観られなかった『A.I.』とか??
この映画の主人公であるアンドリューは最初から感情があったわけじゃなく、長女の命令がきっかけで感情を会得したのね。業者から見れば確かに故障とか、不良品、欠陥品になるわね。
でも、このアンドリューが実に面白く、愛されるようなキャラクター性を持っている。見事な体現をしてくれたロビン・ウィリアムズに脱帽よ。この方、『ジュマンジ』でも凄く良い演技をなさっていたな。
とにかく感情が芽生えてからのアンドリューはコミカルで、愛嬌があって、見ていて気分の良いキャラだった。
そんな彼を友人とするサー、どちらかと言えば父親寄りの感性を持つリトル・ミスが良い味出しているのよね。立ち回りや、アンドリューへの影響等々。
母親とグレちゃった長女は「あくまでも機械」というスタンスだったけど、そういう視点もあった方がリアルだ。誰も彼もがアンドリューを”人間”のようには扱えないね。
アンドリューの外観が二足歩行だったからなのか、それとも演じた方のグッジョブなのか、不気味の谷現象はあまり発生しなかった。
そんなつもりないって自分で否定していたけど、僕はどうやら人でないものが人の真似をすることに嫌悪感を抱き易いらしい。そうなのかなって思ったのは初音ミクの台頭の時で、確信を持ったのはニーア オートマタの機械生命体の諸々を見た時だ。
これもまた自然な感情なんだと思うけど、相手からすればあまり気持ちのいいものではないよね。って、こうやって人間扱いしようとするのに、彼らが人間に限りなく近い振る舞いをしていると、理屈ではない部分で「うーん」て思ってしまう。
そも人間とは何かって定義をしないことには・・・・・・難しいなぁ。
劇中でも、一部に人工的な臓器を使っているなら、完全な人間なのか、それでも人間なのかって思わせるような問答があったけど、そうだよね、生身が人間なのか、機械でも心があれば人間と呼べるのかって、かなり複雑な内容だわ。
機械と人が愛し合うってのも、心があってこそだね。だって、人間を愛するメリットなんて機械には無いからね。
アンドリューは最後に人間らしい終わり方を選択し、好きな人の隣で目を閉じたけど、これって幸福な方法なのかね。そうかもしれないね。
ポーシャもまた生命を維持することをやめて、アンドリューと再会するべく静かに永眠したね。あの終わり方、とても綺麗だとは思った。
それを看取ったのがガラテアってのがね・・・・・・ガラテアは何を思うんだろう、彼女も感情を獲得しているんだよね?
主人が居なくなって、アンドリューも居なくなって、そうやって知っている人が減っていくことに対し、寂しいって思ったりするのかな。
寂しいといえば、アンドリューは自分が関わってきた人達を見送ってきたんだもんね。
歳を取ったからだと思うけど、最近こういう「皆を看取り、自分も息を引き取る」という展開にとても弱い。自分も最後はこうやって、関わった人達を見送ってから静かに去りたいなって思う。
幸い、僕は次世代を残すことに恵まれたけど、それが死ぬ時の満足感にどう繋がっていくのか、今からは何も解らない。自分の世界が存続できればいいって考え方も、勿論捨てていないけど。
人間が心を失うことだってあるわ、それって人間っていうより化け物って言われることの方が多い気がする。
心があるか無いかが人間の分かれ目なら、どういう分け方ができるのでしょう。感情じゃないよ、心だよ。じゃあ、感情と心ってどういうふうに違うんだろう。
あと素晴らしいのは音楽。大袈裟じゃなくて、素朴で、でも耳に残る良い音だった。
OPも良かったね。ものつくりの工程を見ていたら、『イノセンス』を思い出した。SF作品を作る人なら、アシモフは読んでいて当たり前だったりするのかね。
時間が無くてとっちらかった感想になったけど、観て良かった。
晩年にまた観たくなる気がする。それがいつのことになるのか、僕にも解らない。
いつその時が来るのか解らない、それが人間の寿命なんだって。怖いね。怖いけど、自然なことだ。
自然であること、あるがままを受け入れること、難しいけど人間だからこそやっていきたいね。
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