ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
に行ってきました。
今回も願い(というより執念)が届いて、大事な行事に参加できたのである。
それが聖剣伝説25周年のコンサート。
渋谷のBunkamuraのオーチャードホールに行って来たんだ。
初めての渋谷、P5の聖地巡礼もちょっぴり。
ハチ公前に出るための渡り廊下の様な場所から、109を見てみたよ。
これはもうアジトだな! 怪盗団の気分だな!
去年も一緒にライブに行ってくれた大阪の友人を誘って、先ずはカラオケ。
個人的には2ヶ月ぶりのカラオケ。
声が枯れるのはやっぱり10年前より早くなったけど、その技量までは失われていなかったようだ。良かった。
勝手にハモったりして、わたしは満足です。
15時半頃から、物販に並ぶ。
知らなかったんだよ、グッズが出ていることを…!
マグカップとパンフレットを買いました。
ラビのマグカップとか勿体なくて使えないよ(´;ω;`)
それから喫茶店でお互いの近況など。共通の友人の話も少々。
そこで私的報告もして、大層驚かれる。
だけどその後、皆して「安心した」と言ってくれるのだ。わたしは本当に友人に恵まれているなぁ。
19時から開演だったけど、その前にトークショーがあったね。
岡本信彦さん、初めて見たよ。よくよく聞いてみれば、めいこいの鏡花ちゃんだ。さすがに一方通行ではない(´・_ゝ・`)
今年もその御尊顔を拝むことができました、イトケンさんと菊田さん!
石井さん、田中さんもいらっしゃっていたけど、田中さんは今がんほーさんに居るのね…!
その話の中にあった、精霊世界の話がおもしろかった。
FFは物質的で、聖剣は精霊世界だから精霊が視えるってやつ。
石井さんの頭の中で、既にその世界は視えていたんだね。同じ世界を愛せたことは、本当に幸福だ。
そしてコンサート内容だが……いやいや、泣いた。
のっけの“Riging Sun”から来て、“天使の怖れ”から繋がる“Melidian Child”は壮大だったな。
戦闘曲もあったが、菊田さんの曲をオーケストラで聴けるとは思わなんだ……。
しかも、“危機”と“子午線の祀り”ときたもんだ。
“Black Soup”と“Hightension Were”が聴けたのは嬉しかったす。
“Pain the Unverse”と“最後の決戦”もかっこよくて聴き惚れた。
予想外だったのは、“愚者の舞”かな。やはり人気曲なんだね。
そして、最後は原曲に忠実な“天使の怖れ”と、イトケンさんのピアノソロ。これでもうわたしの涙腺はぶっ壊れた。
ほんとね、イトケンさんは温かい人だとおもうのよ。そんな方の優しいピアノの音色を聴いて、「この人が聖剣の曲を作ってくれて良かった」と素直に思ったんだ。
友人はコンサート前に話した結婚の報告があったから、最後のピアノソロの“Riging Sun”が、まるでわたしへ祝福を贈るかのように感じられたらしい。
そう言われると、そんな気がしてくる。
太陽は昇っていくのだ、どんな時も。
わたしは聖剣を礎と知ってから、そこそこ経っている。
友人からは「実感か理解の違い」と言われ、腑に落ちた。
わたしは世界を実感しているし、知っているんだ。
……理解できているかは定かではないが。
描き続ける世界が豊かであるように、わたしは考えることをやめずに進む。
その先で、こんなふうに原初に触れる機会がまた欲しい。
聖剣伝説に出逢えて良かった。
携わる全ての創造主達に敬意と感謝を表します。
わたしはこの先も、聖剣伝説を大事な友人として、世界を構築していくのでしょう。
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誕生日に弟からもらったBlu-rayの中に、これがあった。
“ダークファンタジー”というところで、わたしが気に入るんじゃないかと思って買ってくれたらしいので、早速視聴。
あらすじとしては、
1944年のスペイン、山中のゲリラ狩りを行う大尉と再婚した母親にくっついて、主人公のオフェリアは大尉の山荘へやってきた。
周りは軍人ばかりの物々しい雰囲気で、身重の母親はこれ以上の旅はできない。
重苦しい日々の中、オフェリアはナナフシを見つけ、妖精の姿を教えた。その場で姿を変えたナナフシは森の奥の迷宮へとオフェリアを連れていく。
そこで出遭ったパンという存在に、「あなたは魔法の国の王女だ。いつか戻ることを信じていた。満月の夜までに試練を乗り越えなさい」と言われ、一冊の本を渡される。
かくしてオフェリアの試練は始まった……
と、こんな感じ。
音楽は所々ファンタジーなのに、雰囲気が暗い。
ダークファンタジーらしく、代償もつく。
近くで軍人とゲリラがドンパチやってるもんだから、人の死も珍しくないのです。
ファンタジーというと、楽しくてきらびやかな雰囲気の美しい世界を思い浮かべることが多いけど、こちらは現実に即している所為か、どこかどろどろして真っ暗なのが逆に良いですな。
それを代表するかの様に、妖精達の姿がなんだか気持ち悪いね!!!
虫が絵本から着想を得て象ったものだから、妖精と言われればそんな気も……
とはいえ、妖精は本来あぁいう存在なのかな。
パンも角がどう見ても悪魔の角で、それ信じていいの? って思ったけど、あんな存在が出てきて「あなたは王女だ」と言われたら、そらー信じたくなるわな。
主人公のオフェリアが空想大好きで、虫や異形を恐れないところが、真のファンタジー好きって感じがして好印象でした。
それから、給仕のメルセデスね。オフェリアの空想を否定することなく、ただ受け入れているところが良い。
対を成すように冷酷なのが、大尉。自身の怪我も厭わず、誰を殺すも容赦なく、本当に血も涙もない人に見える。軍人だから、それが当たり前なのかもしれないけど。
キャラクターの性格とか置かれた立場がハッキリしているから、物語がよく動いていたのだと思います。
音楽はファンタジー色を感じることもあるけど、基本的に暗い……かな??
わたしにとっては好きな方の曲調なので、あまり暗いとは思わなかったのですが。
本を読み始めた時の曲とか、好きだなぁ。
一般的に見れば、あまりハッピーエンドとは言われなさそうな作品なので、人に勧められるかどうかは……うーん、びみょーなとこです。
ハリポタとか指輪物語を好きな人には良いのかもしれない??
ファンタジーだけど、エグいデザインのクリーチャーも出てくるので、グロテスクが嫌な人には向かないかな。あと拷問やら痛い場面もあるし。
メリバといえば、そうかもしれない。
わたしはこういう終わり方好きです。
以下、ネタバレなので隠しておきましょう。
“ダークファンタジー”というところで、わたしが気に入るんじゃないかと思って買ってくれたらしいので、早速視聴。
あらすじとしては、
1944年のスペイン、山中のゲリラ狩りを行う大尉と再婚した母親にくっついて、主人公のオフェリアは大尉の山荘へやってきた。
周りは軍人ばかりの物々しい雰囲気で、身重の母親はこれ以上の旅はできない。
重苦しい日々の中、オフェリアはナナフシを見つけ、妖精の姿を教えた。その場で姿を変えたナナフシは森の奥の迷宮へとオフェリアを連れていく。
そこで出遭ったパンという存在に、「あなたは魔法の国の王女だ。いつか戻ることを信じていた。満月の夜までに試練を乗り越えなさい」と言われ、一冊の本を渡される。
かくしてオフェリアの試練は始まった……
と、こんな感じ。
音楽は所々ファンタジーなのに、雰囲気が暗い。
ダークファンタジーらしく、代償もつく。
近くで軍人とゲリラがドンパチやってるもんだから、人の死も珍しくないのです。
ファンタジーというと、楽しくてきらびやかな雰囲気の美しい世界を思い浮かべることが多いけど、こちらは現実に即している所為か、どこかどろどろして真っ暗なのが逆に良いですな。
それを代表するかの様に、妖精達の姿がなんだか気持ち悪いね!!!
虫が絵本から着想を得て象ったものだから、妖精と言われればそんな気も……
とはいえ、妖精は本来あぁいう存在なのかな。
パンも角がどう見ても悪魔の角で、それ信じていいの? って思ったけど、あんな存在が出てきて「あなたは王女だ」と言われたら、そらー信じたくなるわな。
主人公のオフェリアが空想大好きで、虫や異形を恐れないところが、真のファンタジー好きって感じがして好印象でした。
それから、給仕のメルセデスね。オフェリアの空想を否定することなく、ただ受け入れているところが良い。
対を成すように冷酷なのが、大尉。自身の怪我も厭わず、誰を殺すも容赦なく、本当に血も涙もない人に見える。軍人だから、それが当たり前なのかもしれないけど。
キャラクターの性格とか置かれた立場がハッキリしているから、物語がよく動いていたのだと思います。
音楽はファンタジー色を感じることもあるけど、基本的に暗い……かな??
わたしにとっては好きな方の曲調なので、あまり暗いとは思わなかったのですが。
本を読み始めた時の曲とか、好きだなぁ。
一般的に見れば、あまりハッピーエンドとは言われなさそうな作品なので、人に勧められるかどうかは……うーん、びみょーなとこです。
ハリポタとか指輪物語を好きな人には良いのかもしれない??
ファンタジーだけど、エグいデザインのクリーチャーも出てくるので、グロテスクが嫌な人には向かないかな。あと拷問やら痛い場面もあるし。
メリバといえば、そうかもしれない。
わたしはこういう終わり方好きです。
以下、ネタバレなので隠しておきましょう。
土曜は友人と水木展へ行ってきた。
妖怪には詳しくないけど、雰囲気がとてもおもしろかった。
水木先生は人から好かれる性分をお持ちだったのでしょう。
日曜はカレシさんと一緒に家を見に行った。
賃貸、戸建てで、思っていたより良い物件だったから、あそこがいいねーなんて話した。
とりあえずそこに住めるように動きたいねーと。
そして今日、月曜、胃腸炎により明け方から苦しむ(´;ω;`)
…まぁ寝る前から「あれ、痛いな」とは思った。
でもトイレ行ったし、まぁ平気だろと思って、胃腸薬は飲まなかった。
それが明暗を分けたのか?
明け方に「あ、すげー痛い」と気付く。
それまで何度も寝たり起きたり繰り返してて、とうとう来たなって感じでね。
いつもどーりの耐える格好して、ひたすら痛いのが過ぎるのを待つ。
下痢はないけど、嘔吐しそうでしない。
とにかく胃腸がぎりぎりと痛む。締め付けられているかのよーに痛む。
楽な姿勢をとっても、嫌な汗が全身からぶわっと出て、身体が冷える。
そのうち口の中がからからに渇いていることに気付き、水分をとりたいけど吐くかもしれないと怖くなって飲めず。
脱水症状ぽいのも辛いが、ずっと中越しで項垂れていたから、頭に血でも昇ってるのか、やけにふらふらする。
まともに歩けなくて、トイレ行くのも壁伝いだった。
それが始まって意識が朦朧として、いっそ気絶してくれりゃいーのに、こういう時に気絶しないんだなぁ。難儀だ(´;ω;`)
結局治まらないから会社に休みの連絡いれたけど、それもまた悔しく、気分は落ち込むばかりである。
痛みが過ぎれば何てことないと思えるけど、痛い間は何も考えられない。
しんどいばかりだ。
お金貯めようと言った矢先にこれで、悲しくなってくる。
中腰を支え続けた両脚は棒のようになり、痺れて動かせない。
何してたんだ(;^ω^)
FC2の方に移設しようと思ったら、そこでもやっぱり写真は大きすぎた。
リサイズして載せないと駄目みたい。
だったらFC2にブログ開設せんでも良かったではないか( ¯•ω•¯ )
とか、ごちゃごちゃ言っておりますが、30になりました。
昔は30になる前に死ぬと思っていたのになぁ。
しかも、この一昨日と昨日で相手様と旅行。伊東へ河津桜を観に。
更に素敵な旅館で檜風呂。個室で貸切という贅沢さ。
更に更に誕プレとして、さぼーーんのバニラセットとロリィタ用の傘!
で、プロポーズをしていただけて、婚約ネックレスとして、欲しかったデンドリテッククォーツをいただきました。
いやー本当に驚いた。マジかって膝が震えた。
デンドライトは欲しかったけど稀少なもんなので、いつ手を出そうか迷っていたのです。
やはり水晶系が好きだから、ガーデン、ファントムと来たら、次はデンドリテックかなーと。アイリスも欲しい。
彼にとってのデンドリテッククォーツにした決め手は、その意味にあった。
グラウディングの他に、『幸せな家庭を築く』という意味もあるのだって。
それはわたしも知らなくて、相手様はその意味を知って「婚約にイイネ!」と選んだのだとか。
あまりのことに、感極まって過呼吸になりかけたわ。
「結婚してください」からの「結婚させてください」のありがとう土下座をぶちかました。
「名字を変えてもらうよ」と言われて「謹んで拝命致します」とか返した。
もうしっちゃかめっちゃかよ。緊張してたんだね、うん。
相手様は笑ってくれたけど、過呼吸の辺りはさすがに驚いたようだ。
うん、わたしも驚いた。
そんなこんなで、夏に向けて籍入れるのが待ち遠しいすな!
住む所の目星もついているけど、入居できるだろうか…新築の戸建て、賃貸だけど、夢が溢れます(❁´ω`❁)
その前に、親とのぶつかりあいがあるけどな、うん…それが一番嫌だし、荒れそう。
適応障害で苦しいから、あんまりしんどいことはしたくないんだがな。
とりあえず、ブログの移設は引っ越してからにしようかな。
もう少しここに残していこう。
写真載せたい。
何度か「上手く書けないよ! スランプってやつだよ!」なんて騒いだことはあったが、今回は特に静かで動きのないスランプだと思う。
何が原因なのかは解っている。
友人から借りた「ストレイト·ジャケット」に衝撃を受けたからだ。
その書き方に、語彙の豊富さに、設定の緻密さに圧倒されて、憧れて、背伸びをしているのだ。
何でこんな状態でがんばってんだよ、と自分に思う。
そもそも相手と自分とでは書き方だって違うのに、憧れて真似るだけならまだしも、何で同じように書こうとしてんだよ、と。
あれぐらい濃密なものが書けたら、少しは認めてもらえると思ってんのかなぁ。
なんだかんだ言ったって、やはり自分の物語を人に読んでもらいたいものなぁ。
僕の物語の持ち味を、他の書き方を真似ることで表現するは可能か?
というより、そこまで行ったらもうそれは「書き方の真似」ではなく、新しい「僕の書き方」と換言できるんじゃなかろうか。
今は新しいものを生み出す途中で、苦しいし悩むから遅筆になるのだと思っている。
けど、本当はその苦しみから逃れたくて、あーでもないこーでもないと理由をつけて逃げているんじゃないか?
実際にはもう逃げ出しているんじゃないか?
そう思ったのは、ちっとも先に進まないからだ。
いろんな評価や書き方を気にして、我を忘れている。
そのことを認識できたら最後、また自己を構築する苦行が待っている。
それが嫌だから逃げているんじゃないのか、苦しむふりをして先延ばしにしているんじゃないのか。
特にそう感じるのは、「ゆめひとや」の最後の話を直している時だ。
本編が終わり、後日談も終わった後で、「あともう少し書きたいことがある」と言ったのは自分だ。
何を書きたいのかも解っているけど、それはばらけた玉の一粒一粒が如く、繋げるのに時間が掛かる。
それ以前に、書き方に衝撃を受けた後で自分を無理に変えようとしているから、推敲にもえらく時間を取られている気がする。
いつもの感覚じゃないのだ。あの、何かが降りてくるような、自分の心だけが飛んでいるような感覚じゃないのだ。
だから、いつまでも骨組みをいじっているだけ。肉付けの作業ができなくて、中身の無い物語をいじくりまわしているだけ。
中身が無いのはそれしか書けないからじゃなくて、まだそこまで到達していないからだ。
そんなに難しいことをしていただろうか?
僕は逃げているだけじゃないのか?
逃げたとして、どこへ行けると思っているんだ?
誤魔化したところで、現状は変わらないし、奇跡は起こせないぞ?
書いても書いても、書きたいことまで辿り着かないと感じる。
音楽を聴きながら、場面を思い浮かべて書こうとするも、結局歌っちゃって書いていられん時もある。
つまり、集中しないといけんのだ。書くだけ書いて、全て収めるつもりで、完遂する為には回り道だって必要だ。
言葉が浮かんでこない、もしかして老化の弊害!?
……なんて思ったけど、時と場合に因るから、きっと適応障害の所為だね、そう思いたいね。
老化が原因だとしても、それに甘えて「書けません」なんて僕が言ってはいけないことだよね。
逃げても無駄だ、その先は行き止まり。
自らの首を絞めているに過ぎない。
だから僕は落とした電源をまた点ける、折った芯を再び繰り出す。
書きたかったものも見たかったものも、きっと書かなければ出会うことはない。
難儀だけど、そういうやり方を選んできたんだ。今更、何だってんだ。
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