ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
今日は待ちに待った聖剣伝説ライブの日。
共に行くのは例の大阪の子。
いろんな意味でどきどきする日だったけど、前日及び当日の向かう頃には、気持ちがすっかり落ち着いていたのだった。
そもそも、その前日にまたしてもお店の店長にガッカリすることが起きて、もう何もかもどーでもいいーって投げやりになっていた。
そんな時に何かあっても、投げやりに拍車がかかるだけで、そんなにショックではないかな。いや、ショックはショックか。
だもんで、気持ちが落ち着いていたというよりは、何も感じていなかったのかもしれない。
けど、そんな死にかけの心に届くのは、いつだって一生懸命に伝えてくれる思いなんだと知った。
伊藤賢治ことイトケンさんがプロデュースする聖剣ライブにて、僕はまた大事なことを知り、伝えられ、自分の中に残すことができたと思う。
今回の聖剣ライブは、FF外伝聖剣伝説の生誕25周年を記念して企画されたものだった。
話を聞いて逸早く先行予約をした僕は運良く当選し、大阪の子を誘って行くことにしたのだ。
場所は中野サンプラザ。初めて行ったけど、大きい場所だったね!
どうやらイトケンさんはここに立つのが夢だったらしい。感慨深いものがある。

そこにあった絵であります。
来週にはもうIOSとAndroidでFF外伝のリメイクが配信されるらしい!
僕は勿論やるつもりです。
しかし、ROMが配信終了になるとはなぁ。お金の都合と聞いているけど、そうなのだろうか。
まぁ、あんまり儲けられるコンテンツではないよな・・・・・・最近まったく起動していなかったし。






こんな感じで、何枚か絵が飾ってあった。全部撮ったけど、全部 照明が写っちゃってるよ。仕方ないけど、悔しいよ。
これはきっと攻略本とか出たら、そこに絵が載ると思うので、それを眺めて楽しむことにする。
聖剣伝説はリアルな絵よりも、ふわっとした感じの絵の方が世界観に合っているのだなぁ。
この絵は好きだけど、聖剣らしいかって言われたら解らない。うーん。
一番、聖剣っぽいと言うか、印象に残ったのは聖剣3の結城信輝さんだったな。あの方の絵は好きなんだ。
肝心のライブの中身だけど、いやーもう大満足。
聖剣伝説は吾が礎也! と、馬鹿の一つ覚えのように言ってきたけど、それを改めて感じた。
そう、確かに礎。だって、聖剣に逢わなければ、僕は僕の世界の輪郭なんて知る由も無かったし、物語を書くことにもそこまで興味は持たなかっただろう。
テキトーに生きて、テキトーに考えて、テキトーに死んでいく。そんなつまらない人間にならずに済んだのは、聖剣に出逢って、自分の世界を創ることを始められたからなのだ。
そりゃ尖った性分によって苦労したり辛かった部分はあるけど、何も追わないような、一生懸命になれるものも無いような人間になるより、何倍もマシだ。
で、ライブの構成としては、FF外伝の曲を新約のアルバムにもあったようなアレンジで聴かせてもらった。
”Rising Sun”はやっぱり うるっときたなぁ。聖剣のテーマといったら個人的には”天使の怖れ”だけど、”Rising Sun”は聖剣の勇者のテーマと言うのかな、あの穏やかでいて壮大な音が物語の幕開けを感じさせてくれるから、好きです。
戦闘曲はほんとアレンジがかっこよくて、”最後の決戦”で”戦闘1”と”戦闘2”の旋律が流れた時は熱かった。元のピコピコ電子音から、少しアレンジを加えるだけで、こんなにかっこよくなる。如何に曲の完成度が高かったのか、それが解るようだよ。すごいよ。
個人的に聴きたかった”マナの神殿”は、新約のアレンジで聴けたので満足満足。あのピアノ、本当に切なくて好きなんです。
”伝説よ、永遠に”は他のゲームを通しても、好きなED曲であります。だから、これもやっぱりうるっときてしまった。あのプレイヤーを労わってくれるような音がね、良いんだよ。
で、合間にトークショーが挟まれた。菊田裕樹さん、下村陽子さんで一回。石井浩一さんと小山田将さんで一回と、かなり豪華な面子だ。
菊田さんと下村さんは想像通りだったなぁ。いやでも、菊田さんは文章での方が饒舌なのやもしれない。
FF外伝を作っていた当時、下村さんはまだ光田さんと変わらないくらいの同期で、その上に菊田さん、イトケンさん、植松さんが居たという。今や大御所である面子だ。
でも、イトケンさんがFF外伝を任された頃、コンポーザーは植松さんとイトケンさんだけだったらしい。聖剣2の作曲をしたいとイトケンさんが名乗り出たけど、植松さんの采配によってSaGaシリーズに飛ばされたらしい。
今だからこそ聞けるそんな話に驚き。25年前のスクウェアは自由だったんだなぁ。
そして、23歳という若さで、あの名曲の数々を生み出したイトケンさんに驚き。試行錯誤の末とはいえ、やはり違うのだ。
石井浩一さんと小山田将さんの時は、じっと耳を傾けて頷いていた。
聖剣伝説を作った時のテーマのようなものとして、「思いやり」があったという。独り善がりになるのではなく、相手を尊重すること、相手のことを考えて自分に何ができるのかを考えることを、伝えたかった、のかな。
その話はもう身につまされる思いで聞いていた。今の僕に必要な話だと思ったからだ。
聖剣伝説という作品に込められたテーマ、それは結局、押し付けのような形になってしまうかもしれないが、と石井さんは言っていたけど、押し付けなんてことはない。受け取り手の捉え方で如何様にも変わるのだ。
現に僕は、聖剣伝説が大好きだけど、そのテーマをちっとも解っていなかったんだと、ちょっと恥ずかしくなったぞ。思いやりって、できるようでできないことだ。
その話を聞いてから、ステージ上の画面に出ていたFF外伝のあの場面この場面の台詞が、すごく意味を持って響いてくる。
そして、思うのだ。石井さんは27歳でFF外伝を作った。その後も聖剣伝説に携わっていたけれど、漠然とした思いであっても「思いやり」ということを念頭に置いていただろう。
FF外伝を作った一年後に子どもが産まれたとも聞いて、27歳そこらできっと石井さんは後世に伝えていくことを考え始めたのではないだろうか。
否、その歳がもう後世に自分が何をできるのかを考える歳なのかもしれない。
奇しくも、というかもう過ぎているけど、僕もそういう歳だ。幼馴染みメンバーの兄ともそんな話をした。
受け取ったものをただ持つのではなく、自分の中で昇華し、後世に伝えていくこと。それが今の使命というか、義務になるのかもしれない。
聖剣伝説を通して伝わった「思いやり」を、また別の形にして誰かに伝える。それは連綿と続いていく歴史の中では小さなことかもしれないけど、人が人である為には大事なことのように思えるのだ。
当時はまだゲームが万人にとって楽しめるものではなく、何となく「ゲームは悪いもの」といった印象があったらしい。
その中でおもしろいものを作るというのは、今よりもっと過酷で困難な作業だったのではないか。
諦めずに作った、しかも当時の制作チームは10人くらいだったというから、みんな何かを創りたかったのだろう。その力の結集がFF外伝なんだ。
菊田さんの話の中で、当時のスクウェアには、若い力はあるものの挫折を経験した人達が入ってきていたということだから、創作意欲というものは存分にあったんじゃないか。
それはきっと若さだけじゃない。生み出す力の根源はまだまだ底にある筈だ。
トークショーも曲も一通り終わった後、アンコールをやってくれたけど、それはノリノリで良かったなぁ。
”マナの嬰児”は知らなかったけど、”汝、彼の使いの恐怖を知るや”と”愚者の舞”が生で聴けたのは、とても嬉しかった。まさか聴けると思っていなかったんだ。
しかも声つき! ”熱情の律動”を歌っていた岸川恭子さんの生の歌声!!
いやー・・・・・・かっこよかった。御姿は随分と痩せていたけれど、お医者様に言われて改善したのだそうな。それでもあの張りのあるかっこいい声が聴けて、鳥肌が立ったなぁ。
イトケンさんが「熱情はやらないよ?w」て言った時は思わず笑ってしまったけど、”愚者の舞”を歌つきで聴けただけで、もう全然いいよ!!!
んで、最後の曲をやる前に、今回参加している中でファンキー上倉さんw がご結婚されたことを、イトケンさんが報告してくださいました。
「大事な友人です、どうぞよろしくお願いします」とイトケンさんが締め括った直後、上倉さんもこっちもホロリ。
いやーねぇ・・・・・・イトケンさんって、本当にあったかい人だなぁ。あんなん言われたらね、そら泣くよ。泣いていいよ。幸せになってくださいよ。それを友人であるイトケンさんも望んでいらっしゃるのだ。
その話の後、イトケンさんがピアノにて”Rising Sun”を聴かせてくださった。
しっとりとしたその終わり、イトケンさんの、皆様の思いやりで、聖剣伝説ライブは幕を閉じたのでした。
もうね、満足度がすごい。
聖剣伝説に出逢えて良かった。大事にすることができて良かった。
石井さんの弁ではないけど、何年も経った後で自分の作ったものを大事にできるってのは、すごく嬉しいことだ。
僕は聖剣を作ったわけではないけれど、今でもこうして新鮮な気持ちでその世界に浸れる。僕の世界は変わらずに鼓動を続け、聖剣の世界をゆっくりと溶かして自分のものにしていくだろう。
生きていると楽しいことばかりではない。辛いことの方が多いかもしれない。
腐ってしまうのも仕方ない。何も見えなくなるのも仕方ない。
だけど、創りだす。歩き出す。まだ僕の中に伝えたいことも、見せたいものもたくさんあることと思う。
自分の現状が酷いもんだから、嫌になったり、投げ出したりしているけど、本当はそんな暇なんて無い。
書かなくちゃ。感じたことを、受け取ったものを、昇華して書かなくちゃ。
残された時間がいつゼロになるかは解らない。明日もしかしたら死んでしまうかもしれない。
今だからこそ伝えられること、書けるものがある。それを逃してはならない。
そう、強く感じた。
人間嫌いなのではなく、嫌いな奴が人間に多いだけだ。伝えたいことがある人達が居るんだ。
僕は絶望しても、挫折しても、希望に灼かれても、僕のままでいられるだろうか。
懐かしい歌を聴く。懐かしいひとたちに逢う。
全てが僕の糧たらんことを、今は思う。

今日の戦利品。もらいものと、トートバッグ。友人の分も買ったら、ポスターがもらえたよ。
聖剣伝説、それは礎であり、鍵であり、世界そのもの。大事な友人。
共に行くのは例の大阪の子。
いろんな意味でどきどきする日だったけど、前日及び当日の向かう頃には、気持ちがすっかり落ち着いていたのだった。
そもそも、その前日にまたしてもお店の店長にガッカリすることが起きて、もう何もかもどーでもいいーって投げやりになっていた。
そんな時に何かあっても、投げやりに拍車がかかるだけで、そんなにショックではないかな。いや、ショックはショックか。
だもんで、気持ちが落ち着いていたというよりは、何も感じていなかったのかもしれない。
けど、そんな死にかけの心に届くのは、いつだって一生懸命に伝えてくれる思いなんだと知った。
伊藤賢治ことイトケンさんがプロデュースする聖剣ライブにて、僕はまた大事なことを知り、伝えられ、自分の中に残すことができたと思う。
今回の聖剣ライブは、FF外伝聖剣伝説の生誕25周年を記念して企画されたものだった。
話を聞いて逸早く先行予約をした僕は運良く当選し、大阪の子を誘って行くことにしたのだ。
場所は中野サンプラザ。初めて行ったけど、大きい場所だったね!
どうやらイトケンさんはここに立つのが夢だったらしい。感慨深いものがある。
そこにあった絵であります。
来週にはもうIOSとAndroidでFF外伝のリメイクが配信されるらしい!
僕は勿論やるつもりです。
しかし、ROMが配信終了になるとはなぁ。お金の都合と聞いているけど、そうなのだろうか。
まぁ、あんまり儲けられるコンテンツではないよな・・・・・・最近まったく起動していなかったし。
こんな感じで、何枚か絵が飾ってあった。全部撮ったけど、全部 照明が写っちゃってるよ。仕方ないけど、悔しいよ。
これはきっと攻略本とか出たら、そこに絵が載ると思うので、それを眺めて楽しむことにする。
聖剣伝説はリアルな絵よりも、ふわっとした感じの絵の方が世界観に合っているのだなぁ。
この絵は好きだけど、聖剣らしいかって言われたら解らない。うーん。
一番、聖剣っぽいと言うか、印象に残ったのは聖剣3の結城信輝さんだったな。あの方の絵は好きなんだ。
肝心のライブの中身だけど、いやーもう大満足。
聖剣伝説は吾が礎也! と、馬鹿の一つ覚えのように言ってきたけど、それを改めて感じた。
そう、確かに礎。だって、聖剣に逢わなければ、僕は僕の世界の輪郭なんて知る由も無かったし、物語を書くことにもそこまで興味は持たなかっただろう。
テキトーに生きて、テキトーに考えて、テキトーに死んでいく。そんなつまらない人間にならずに済んだのは、聖剣に出逢って、自分の世界を創ることを始められたからなのだ。
そりゃ尖った性分によって苦労したり辛かった部分はあるけど、何も追わないような、一生懸命になれるものも無いような人間になるより、何倍もマシだ。
で、ライブの構成としては、FF外伝の曲を新約のアルバムにもあったようなアレンジで聴かせてもらった。
”Rising Sun”はやっぱり うるっときたなぁ。聖剣のテーマといったら個人的には”天使の怖れ”だけど、”Rising Sun”は聖剣の勇者のテーマと言うのかな、あの穏やかでいて壮大な音が物語の幕開けを感じさせてくれるから、好きです。
戦闘曲はほんとアレンジがかっこよくて、”最後の決戦”で”戦闘1”と”戦闘2”の旋律が流れた時は熱かった。元のピコピコ電子音から、少しアレンジを加えるだけで、こんなにかっこよくなる。如何に曲の完成度が高かったのか、それが解るようだよ。すごいよ。
個人的に聴きたかった”マナの神殿”は、新約のアレンジで聴けたので満足満足。あのピアノ、本当に切なくて好きなんです。
”伝説よ、永遠に”は他のゲームを通しても、好きなED曲であります。だから、これもやっぱりうるっときてしまった。あのプレイヤーを労わってくれるような音がね、良いんだよ。
で、合間にトークショーが挟まれた。菊田裕樹さん、下村陽子さんで一回。石井浩一さんと小山田将さんで一回と、かなり豪華な面子だ。
菊田さんと下村さんは想像通りだったなぁ。いやでも、菊田さんは文章での方が饒舌なのやもしれない。
FF外伝を作っていた当時、下村さんはまだ光田さんと変わらないくらいの同期で、その上に菊田さん、イトケンさん、植松さんが居たという。今や大御所である面子だ。
でも、イトケンさんがFF外伝を任された頃、コンポーザーは植松さんとイトケンさんだけだったらしい。聖剣2の作曲をしたいとイトケンさんが名乗り出たけど、植松さんの采配によってSaGaシリーズに飛ばされたらしい。
今だからこそ聞けるそんな話に驚き。25年前のスクウェアは自由だったんだなぁ。
そして、23歳という若さで、あの名曲の数々を生み出したイトケンさんに驚き。試行錯誤の末とはいえ、やはり違うのだ。
石井浩一さんと小山田将さんの時は、じっと耳を傾けて頷いていた。
聖剣伝説を作った時のテーマのようなものとして、「思いやり」があったという。独り善がりになるのではなく、相手を尊重すること、相手のことを考えて自分に何ができるのかを考えることを、伝えたかった、のかな。
その話はもう身につまされる思いで聞いていた。今の僕に必要な話だと思ったからだ。
聖剣伝説という作品に込められたテーマ、それは結局、押し付けのような形になってしまうかもしれないが、と石井さんは言っていたけど、押し付けなんてことはない。受け取り手の捉え方で如何様にも変わるのだ。
現に僕は、聖剣伝説が大好きだけど、そのテーマをちっとも解っていなかったんだと、ちょっと恥ずかしくなったぞ。思いやりって、できるようでできないことだ。
その話を聞いてから、ステージ上の画面に出ていたFF外伝のあの場面この場面の台詞が、すごく意味を持って響いてくる。
そして、思うのだ。石井さんは27歳でFF外伝を作った。その後も聖剣伝説に携わっていたけれど、漠然とした思いであっても「思いやり」ということを念頭に置いていただろう。
FF外伝を作った一年後に子どもが産まれたとも聞いて、27歳そこらできっと石井さんは後世に伝えていくことを考え始めたのではないだろうか。
否、その歳がもう後世に自分が何をできるのかを考える歳なのかもしれない。
奇しくも、というかもう過ぎているけど、僕もそういう歳だ。幼馴染みメンバーの兄ともそんな話をした。
受け取ったものをただ持つのではなく、自分の中で昇華し、後世に伝えていくこと。それが今の使命というか、義務になるのかもしれない。
聖剣伝説を通して伝わった「思いやり」を、また別の形にして誰かに伝える。それは連綿と続いていく歴史の中では小さなことかもしれないけど、人が人である為には大事なことのように思えるのだ。
当時はまだゲームが万人にとって楽しめるものではなく、何となく「ゲームは悪いもの」といった印象があったらしい。
その中でおもしろいものを作るというのは、今よりもっと過酷で困難な作業だったのではないか。
諦めずに作った、しかも当時の制作チームは10人くらいだったというから、みんな何かを創りたかったのだろう。その力の結集がFF外伝なんだ。
菊田さんの話の中で、当時のスクウェアには、若い力はあるものの挫折を経験した人達が入ってきていたということだから、創作意欲というものは存分にあったんじゃないか。
それはきっと若さだけじゃない。生み出す力の根源はまだまだ底にある筈だ。
トークショーも曲も一通り終わった後、アンコールをやってくれたけど、それはノリノリで良かったなぁ。
”マナの嬰児”は知らなかったけど、”汝、彼の使いの恐怖を知るや”と”愚者の舞”が生で聴けたのは、とても嬉しかった。まさか聴けると思っていなかったんだ。
しかも声つき! ”熱情の律動”を歌っていた岸川恭子さんの生の歌声!!
いやー・・・・・・かっこよかった。御姿は随分と痩せていたけれど、お医者様に言われて改善したのだそうな。それでもあの張りのあるかっこいい声が聴けて、鳥肌が立ったなぁ。
イトケンさんが「熱情はやらないよ?w」て言った時は思わず笑ってしまったけど、”愚者の舞”を歌つきで聴けただけで、もう全然いいよ!!!
んで、最後の曲をやる前に、今回参加している中でファンキー上倉さんw がご結婚されたことを、イトケンさんが報告してくださいました。
「大事な友人です、どうぞよろしくお願いします」とイトケンさんが締め括った直後、上倉さんもこっちもホロリ。
いやーねぇ・・・・・・イトケンさんって、本当にあったかい人だなぁ。あんなん言われたらね、そら泣くよ。泣いていいよ。幸せになってくださいよ。それを友人であるイトケンさんも望んでいらっしゃるのだ。
その話の後、イトケンさんがピアノにて”Rising Sun”を聴かせてくださった。
しっとりとしたその終わり、イトケンさんの、皆様の思いやりで、聖剣伝説ライブは幕を閉じたのでした。
もうね、満足度がすごい。
聖剣伝説に出逢えて良かった。大事にすることができて良かった。
石井さんの弁ではないけど、何年も経った後で自分の作ったものを大事にできるってのは、すごく嬉しいことだ。
僕は聖剣を作ったわけではないけれど、今でもこうして新鮮な気持ちでその世界に浸れる。僕の世界は変わらずに鼓動を続け、聖剣の世界をゆっくりと溶かして自分のものにしていくだろう。
生きていると楽しいことばかりではない。辛いことの方が多いかもしれない。
腐ってしまうのも仕方ない。何も見えなくなるのも仕方ない。
だけど、創りだす。歩き出す。まだ僕の中に伝えたいことも、見せたいものもたくさんあることと思う。
自分の現状が酷いもんだから、嫌になったり、投げ出したりしているけど、本当はそんな暇なんて無い。
書かなくちゃ。感じたことを、受け取ったものを、昇華して書かなくちゃ。
残された時間がいつゼロになるかは解らない。明日もしかしたら死んでしまうかもしれない。
今だからこそ伝えられること、書けるものがある。それを逃してはならない。
そう、強く感じた。
人間嫌いなのではなく、嫌いな奴が人間に多いだけだ。伝えたいことがある人達が居るんだ。
僕は絶望しても、挫折しても、希望に灼かれても、僕のままでいられるだろうか。
懐かしい歌を聴く。懐かしいひとたちに逢う。
全てが僕の糧たらんことを、今は思う。
今日の戦利品。もらいものと、トートバッグ。友人の分も買ったら、ポスターがもらえたよ。
聖剣伝説、それは礎であり、鍵であり、世界そのもの。大事な友人。
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弟提督が観てみたいと言っていて、自分でも興味が湧いたので、借りてきてしまったよ。
そして観たよ。観始めたの遅かったから、夜中の0時半まで掛かっちゃったよ。
歴史は好きだけど物覚えが悪い僕ですが、真珠湾攻撃とか あの辺りは覚えたい。
何故なら、艦これの影響があるから。
動機としては随分と軽いもんだけど、何かに興味を持つって、こういうことから始まるんでないかなぁ。
弟提督もそのクチだけど、彼の方が学ぼうとしているし、艦これも好きだからな。
僕は艦これの娘達を可愛がるぐらいで、歴史は歴史として見ているから、そこまで熱くなれてない。
とはいえ、戦時中のことは知らねばなるまいと思っているので、映画を観ている間は、あんまり考え事せずに受け取るように努めました。
山本五十六の、というより日本の背景を、出来のいいドキュメントで追うような印象。
いや、山本五十六の決断とか、戦時中にどんな対応していたのか、どんなことを話していたのかってのは、史実に基づいて作られていたと思うから、完全にドキュメントではないけど。
飽きるような内容ではないな。
要所で、じんわりくる場面はあったけど、そこで泣かせるような映画でも無かったから、最後まで落ち着いて観ていられました。
戦争物ってさ、ついつい現代への説教が絡むんだ。仕方ないな。
しかし、生きる時代が違えは、考え方も価値観も変わっているだろう。たまたまこの時代に産まれただけで、他の人間が戦時中に産まれていたなら、今のような性格ではなかっただろう。
山本五十六だって、もしかしたら、干し芋と干し柿を貪る、ただの青年だったかもしれないんだ。
なんて、有り得ないことを言いますが、山本その人はあっけらかんとした人ですな。
これはどの時代に産まれても、変わらないかもしれない。
これほどの名将は、もう日本には居ない〜とか言われていたらしいね。
何で励行に行く予定がバレちったんだ。もう少しこの人が生きていたら、歴史は……なんて、それこそ詮無いことっすね(´・ω・`)
一度、観ることをお勧めします。
あ、あと多聞が阿部寛さんってのが、ショックすぎて笑いました。
すげーかっけーな、多聞…。美化しすぎだwww と思いましたが、若かりし頃はこんな感じだったかな(´ω`)
多くは語りません。説教したいわけじゃない。
命を懸けた先にあるのは、僕の居るこの世界か。これでいいんだろうか。
僕がこの先にできることって、何だったんだろう。
ストレスが溜まると、過食にはしる。その傾向は、今でもある。
最近ほんと食べ過ぎなんだって。おかしもごはんも食べ過ぎなんだって。
何にそんなに苛々しているの。いや、解るけど。苛々しても仕方ないじゃん。
お腹が痛くなっても、明日また仕事に行くのだよ。稼ぎたいのだよ。遊びたいし、服も買いたいし。
そんなこんなで、ゲームです。
平日に遊べる友人は少ないし、相手様もお仕事であることが多いので、平日休みの遣い方は以前と特に変わらず。
今日も昼からゼノギアスを進めていたよ。楽しいよ。
当然のようにネタバレしながら感想を書いているので、まだやっていない方はこの日記自体、スルー願います。
話は結構、進んできた方なんじゃないかなって思うんだけど、どうかな。
現在、タムズに着いて、若やリコたん達と合流できたとこ。ハイシャオを退けた辺りですな。
ここに来るまで、あんまりエレハイムさんに良い印象を持てなかったんだけど、それがタムズに来るまでに改善されてきた気がする。
フェイと二人で漂流している辺りの会話で、結構、良くなってきたのかな。
キスレブでフェイに「やりたくないなら、やらなければいい」と言われて、「あなたと違って私は自由じゃない」といった旨のことを言ってきた時は、イラッとしたさ。
でも、あぁいう立場で、あぁいう性格の娘なら、こう言うだろうなーとも思った。
大事なのは、フェイにあそこまで言われて、自分の目で見た現実に対して、何をするのか。
その答えをしっかりと見せてもらったから、エレハイムさんに対して苛々しなくなったのかな。
こう、自分に合わないものを、自分に嘘吐いて誤魔化してまでやっているところが、気に喰わなかったんだな。
嫌ならやらなければいいってフェイは言っていて、それはそうなんだけど、なかなかそうもいかない時ってあるよね。
だけど、我慢と犠牲って違うと思うぞ。否、違うものにしたいぞ。
エレハイムさんが自分を偽り続けていたから、僕も彼女が苦手だったのだ。嘘吐きだから、信用できなくて、あんなに辛辣に評価していたのだ。きっとね。
しかし、フェイの自虐も留まるところを知らないなぁ。
流されているだけなのかもしれないって言っていたけど、本当に流されている人はそんなふうに自分を見つめ直したりしないよ。ずっと誤魔化して、嘘吐いて、それでも意地を通すしかない哀しい人だよ。
そうなる前に、誰かに自分の姿を見せて話すことで、見えてくるものもある。誰かを鏡にすることって、必要なんじゃなかろうか。
この二人はずっと揺れているけど、お互いに良い形で混じろうとしている。バランスがいいかもしれない。
運命の人って言うのは、こういうもんなのかな。僕には解らないことだけど、この二人でなら解ることなのかもしれない。
誰かに必要とされたいから、こうしよう、あぁしようって動くのも良いと思うぞ。
そうして動いて、動き続けた時に見えてくるものもあるだろう。すぐに結果なんて出ないんだ、こういうことは。
だから歯痒いし、不安にもなるけれど、間違ってなんかいないって思って進むことが、力であり成長に繋がるんだと信じてほしいな。
流されているだけに見えても、自分の意志で誰かの為に選んだことがあるのだろ。それが巡り巡って自分の為だとしても、選んだことを誇ってほしいな。
なんてね、10代のみそらでそんなことを言われても、ピンとこないわ。先なんて、まだまだずっと遠くのことだと思えるもん。
でも、自分がこの歳になって、あの時に見ていた景色ってこんな感じだっけかって思うことは、たまにある。こういうものを目指して進んできたっけ?
その答えも、いつか出るだろうさ。今は解らないことなんだろうさ。
いつか振り返った時の自分に恥ずかしくないよう、やっていくしかないね。
10代とか20代とか関係ないね。いつでも真剣に真摯に生きていけば、死ぬ時に後悔することなんて何一つ無いだろうさ。
そういう時間を過ごしたいもんだ。
だからこの二人が間違ったとしても、僕は受け入れられそうです。
まだこの先の話がどうなるか、解らないけれど。どうなるんだろう。
居場所を作る、誰かの為に何かをする、結局は自分の為。
そんな些細なことに囚われず、その時にできることを自分で考えて、選択することこそが、生きる姿に相違ない、のかもしれんよ。
少しは進んできたつもりだ。
いろんなことで失敗したし、いろんなことで学んできたから、これからもそうやっていくしかないと思っている。
そのなかで、仕事に関しては自分で選んだものだったから、まだやっていけると思っていたんだ。
ちょっとは耐え難いこともあったけど、それ以外に良い部分もあったし。
何より、雑貨や天然石を扱った仕事に就けるし。
でも、情熱が冷めていく。
いつからか、楽しくなくなってしまった。
店に来る客みんな気持ち悪い肉塊に見えてきた。
若い娘も、無遠慮な家族も、頭の悪い男も、みんな好まない。
石を、この空間を汚さないでって、反射的に思ってしまう。
話したくない。触れられたくない。
しかし、そんな自分ではいけないと、少しは改めるつもりだったのではないのか?
改めていただろうに。それすらやめてしまった?
自分が何をしているのか、解らなくなる。
結局、何も変わらない。人に八つ当たりしそうで怖くて、話すのをやめたら、また嫌われそうで怖くなった。どうしようもない。
一緒に居る人にも嫌われそうじゃないか。いっそ嫌われた方がいいんじゃないか。その方がまた失う怖さに立たされなくて、済むんじゃないか。
またそうやって、勝手に裏切るのか。
自分でも、残念なんだよ。
何で変わってないんだ。変わろうって気持ちが足りないのかな。
どうして駄目なんだ。何が足りないんだ。身体がおかしいだけなのか。
自律神経だとか、なんとか成分が足りないとか、そんなこと?
何故、単純に喜べない? 幸せになれない?
どうしたいんだよ、ほんと。
行ってきたんだよ、V&Bと7の演奏会「VENUS&ECHOES」!!!
友人に誘われて、未プレイなのに行ってきたんだ!
既プレイなのにチケ取れなかった人には申し訳ないなと思いつつ、既プレイ且つV&Bが大好きな友人からの申し出なので、行くことにしたんだ!
未プレイながらも、想像力が掻き立てられる良い音楽ばかりで、感動して胸に込み上げて、涙腺が緩みっぱなしだった。
“Waltz for ARIA”が有名かと思うのだけど、これもばっちり聴けたよ。やっぱり うるっとしてしまった。
何より、会場のお客さん達みんなV&Bや7が好きな人ばかりだから、あちこちから鼻をすする音がして、ハンカチで目元を抑えている人も居て、一体感がすごかったんだな。
13年越しの再会のようなものだもの、感極まるところもあるよね。
手前にあったものを撮ってきた。
V&Bやっている人なら解るモチーフみたいだわ。本が可愛いわ。
お昼食べたとこが武蔵野カンパスって場所で、その外にあったタチコマ…だっけか、それだ(テキトー)
触らないでね! って結構、目立つとこに貼ってあるのがツボ。
三鷹の駅にあった えりち。可愛い。
今日のV&Bは未プレイでも泣けるもんで、生の音ってすごいんだなと実感。
楽器の名前に詳しくないから合ってるか解らないけど、ティンパニとかフルートとかパーカッションがすごく良くて、ドラマティックな音の連なりに どきどきした。そして泣いた。
僕はもっと生の作品に触れるべきだな。
演奏会とか行ったこと少ないし、絵画展は行くの好きだけど、よほど見たい人しか見ないし。
そうじゃなく、生の作品に触れて、感じ取れるものってのを、もっと増やしていった方がいいんだろな。
それがゆくゆくは、僕の作る世界をもっともっと豊かにしてくれるだろう、と、今日の演奏会で確信しました。
んでもって、月末の聖剣ライブで僕は間違いなく泣くだろうなーとも確信。
思い入れの度合いがまた違うから、そらーそうだろって言われたけれど、周りがドン引きするぐらいには泣く気がするんだよね。はは!
ゲーム音楽は良いです。プログレと言われるだけあります。
もっと聴こうよ、ゲーム音楽。わくわくするような旅と感動を、あなたに。
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