最近、カウンセリングに行った際に話していることが、主に店長のことばっかりになってきた。
それだけ耐えられないんだろうな、きついんだなって思うんだけど、その話しっぷりから先生が「今はちょっと危なげだから、カウンセリングの頻度を増やした方がいいかも」と言ってきてくれたくらいだ。
自分では夏よりも全然良い状態になってきたと思っていたから、それが頻度を増やすような状態になっていると知って、ちょっとショックである。
店長が以前より仕事のできない人だというのは解っていたけど、もう10ヶ月も経つのに、まだできていない。
けど、僕は店長が仕事できないことを怒っているんじゃなく、できないならできないで、自分の欠点を認めて仕事を頼めばいいのに、それをしないで なぁなぁで誤魔化すことに怒っているんだ。
ブレスレットの修理ができないなら、できない理由を述べて「お願いします」で良いだろうに、理由も言わずにやらせようとするから、ずるいのだ。
「店長にとっても期待しているのね」とカウンセリングの先生から言われたが、まぁ、期待するだろう。店長だもの。期待っていうか、ちゃんと仕事してほしいだけなんだけど。
僕自身も年上に対して劣等感があるから、「そこまで言うんだったら、仕事できるんだよな? そんなに偉そうな物言いができるんなら、素晴らしいもん見せてくれるんだろうな?」って見方が鋭くなっていく。それは年々、強くなっている見方だ。
だけど、友人に話しても「そこまで駄目な人なら気にしなければいい、気にしすぎだ。お前がお前の為に努力すればいい」と言われてしまう。
それに対して、実際にその立場に居ないから言えることなんだって思ってしまう僕は、随分と余裕が無いんだと解る。せっかく話を聞いてくれているのに、友人に神経を逆撫でされているようにしか思えないのだ。
店長のこと気にしなきゃいいって言っても、それが簡単にできないから困っている。
「どんだけ店長のこと気にしてんだよ、好きなのかよ(笑)」と言われても、別に好みの女じゃないし、第一ノンケだし向こう、いや、そんなことよか嫌いではないが好きでもない。
一緒に仕事する人だから、店に居るのがたった4人だから、気になるし、他人事ではないのだ。
他人事だったら笑えるだろうし、僕の言うこともやっていることも滑稽なんだろうな。
小さいことで怒って、ミスも許せなくて、店長に必要以上に期待するから辛くなるのにやめられなくて、それで文句ばっかり言って、仕事への気力を失いつつある。
実際に上司の良し悪しで僕の労働意欲は左右されてしまうので、今の店長に対して失望していると認識できた辺りから、すごい勢いで意欲が落ちている。
今の仕事場が最後で、これからずっとここで頑張っていけたらなーと思っていた。
石も装飾品も好きだから、毎日、掃除しているだけでも楽しかった。
その思いが今はからっからになっていて、毎日、何が面白くて行っているのか解らなくなってくる。
今の立場はパートだから、僕が辞めれば丸く収まるような話だ。店長をどうこうするよりも、僕が居なくなった方が早い話だ。
労働意欲が失せるとどうなるかというと、言われたことしかやらなくなる。
今までは「言われたこと+αの仕事」を心がけていたけど、そんなことをする程の価値を店長にも店にも感じられなくなってきた。副店長とパートさんのことは好きだから、彼女らの邪魔になるような仕事はしないけども。
だけど、そういう「お金の為に働く」ということが僕は苦手で、ずっとそれを続けていると、「何でここに居るんだろう」「こんなことの為に生きているんだっけ」と考えてしまうようになる。
稼ぐだけだったら、前の給湯器の受付でも良かったんだ。あそこは正社員だったし。
今がパートでもいいって思えるのは、好きなことを仕事にしているからだ。けど、その内容に魅力を感じなくなってしまったら、何を糧に仕事をすればいいのか解らない。
テキトーにやるだけの仕事に自分の時間をこれだけ割くのか、と嫌な気持ちになる。総じて、我慢が効かない。我慢しなきゃいけない理由が無い。
そうやって考えて、それじゃだめだって言い聞かせて、ジレンマに陥って辛くなる。死にたくなる。
意味のないことを続けるのは苦手だ。先へ続くことが無いのなら、続ける意味なんて無いんだ。
たかが仕事、金を稼ぐ為のこと、それなのにここまで考えてしまう僕が悪い。これは病気だろうか。
皆、それを乗り越えて稼いで、自分の自由を勝ち取っているのだな。それができない僕は欠陥品でしかないのか。我慢のできない欠陥品は、いつになったらまともに働けるようになるのか。
醒めていく情熱の向こうには、何も無い。
今辞めてしまっては、他の職を探す気力も湧かない。きっと引きこもりになる。
せっかく、良い縁を見つけて、がんばれると思ったのに。それとこれとは関係ないみたい。
寧ろ、良い縁との将来を望むなら、正社員で稼がないと駄目だ。たくさん稼いで貯金しないと、駄目なんだ。
僕にできることは、あといくつ残っているんだろう。
何を言っても言い訳だから、いつかこのくちびるも縫い付けられる。
2015/12/15
日常
大学の時の友人が、またグループ展を開くというので、銀座の画廊まで行ってきた。
今回やるテーマは前回のグループ展で聞いていたから、結構楽しみにして向かったのである。
その名も「えろ展 -わたしの形-」という。
どんなモノが見られるかなーと、わくわくはしていたんだけど、申し訳ない、正直、物足りなかった(´・ω・`)
僕は作品を見た時に、作者の思いだとか、その作品の性格や色やにおい、意義などを、言葉にしたり、或いは言葉ではないもので感じ取るのが好きなのだが、今回の作品群にはそれらがあまり感じられなかった。
僕の感性が衰えたのか? とも思ったんだけれど、何て言うかな、何も感じられないって思えるぐらい、テーマに対しのて作者の内面が薄いんだよな。
何も考えてないわけではないだろうし、美術品としての価値はあるのかもしれないけど、テーマに即した作品ってことで見たら、あまりにも何も込められていないように思えて、否、込められているけど、広くて浅くて物足りないのだ。
えろ とは、如何なるものを指す?
内面を探らずして見つけることは難しい、人間のテーマそのものに近いとは思う。
だから、個人が自分の内面を見つめないのとには、作品にするまでの純粋な何かしらは見つからんと思うのだ。
僕は見つけられなかった。皆、うわずみを作品にしただけで、自分の中は特に探らなかったのかなって感じてしまった。
中には性器を絵におこした人も居たけど、ただの綺麗な女性器だ。タイトルが面白いけど、それだけのものだ。
セクハラじゃないが、これが作者の女性器を作ったものだったなら、僕は惜しみない称賛を贈っていたと思う。
作者の性器にうわずみは無く、あるのは作者が体験した性だけだから。でも、それが見たかったのだ。
あと、圧倒的な異性愛の作品ばかりで、それもちょっと退屈だったりして。
男と女っていう性の捉え方をしたら、そりゃー異性愛だらけになるとは思うけど、そればっかりが愛ではないし、性ではないでしょう。
少なくとも、今の時代は変わってきているでしょう。
友人の絵はいつもの如く、力強かったけど、テーマに苦しめられたのか、やや説明的な仕上がりになっておりました。
ただ、その中に、ゲイが居たり、顔も知らないまま性の役割の為に結婚する男女が居たり、女装した男が居たりと、いろんな「性」が描かれていて、これには全性愛者の僕もニッコリっす!!!
そうそう、そういう感じが見たかった。
けども、奥には「されど男と女」という、根源に戻るものもあり、忘れてはいけない戒めの様なその絵も、なかなかに素敵なものだったのです。
友人とも話したけど、時代はもうただの異性愛だけではない。
他にもいろんな性があって、人間が繁栄する為の異性愛は終焉を迎えつつあるのではないでしょうか。
いや、勿論、異性愛者がまだ圧倒的に多いし、同性愛を嫌悪する人も一定数以上は居るし、同性愛者だらけになったら子ども産めないってのも、理屈は解るつもりなんだけど。
それでも、人は男女ではなく、個人として捉えられる未来に、もう差し掛かっていると感じるのです。
友人は女性だけど、女らしく振る舞うのが苦手で、好きな人が居ても女そのものの面は見せたくないんだそうな。
かといって、好きって気持ちは普通に持てるし、好かれたいという気持ちもある。ただし、女性としてではなく、ひとりの人間として好きになってほしいのだといいます。
無性愛ではないけど、随分と落ち着いた感情だ。僕には できない !
単純に裸体であればいいとか、そういうことじゃない。
もっと深みから来るものだと思っていた。ノンケにとっては違うのだろうか。
もっと自分のなかを探りませんか、探しませんか、ブラックボックスを。
自分ほど謎めいた興味深い人間は、なかなか居ないでしょう!
2015/12/11
語る
まぁ、人と話す機会があまり多くないからだと思うのだが。
とうらぶにハマった9月頃から、猛烈に書く勢いが止まらないのである。
とうらぶに、というか、一期に、か。その後は長谷部に傾倒し、鶴丸、鳴狐、短刀大好きーってなったけど、今は大将組にうつつをぬかしている。
それぐらい好きには好き。まだ書きたい話もある。9月の時よりだいぶ落ち着いたけど、まだまだ吾思う本丸にて体験したいことがいっぱいあるのだ。
それとは別に、普通の恋愛の話も書きたくて、精霊の歌の学パロが止まらない。
ついこの間までは、わがまま娘ポポルとひねくれ者アシアの話を書いていた。
黒猫会談でポポルとキリカが話したから、次はアシアとメルプアが話す番かな。
それ書いたら、次は本編。何年も止まっていたけど、進めなければ。
それから、彼らを使ったパロディがわんさとあるので、それも終わらせないと。
先ずは東京喰種のパロと、花柳モノもそろそろ書かないといけないなぁ。
学パロは好きな時に書けるからいいとして・・・・・・。
あ、あと絵を描けるようになったら済むことがたくさんある。
艦これパロとか、とうらぶパロとか。絵だけで揃えて描いてみたい。自分の子が大好き過ぎて困る。
他のゲームの話も書けるなら書きたい。天地創造の現代パロも書かねばならない。
そんなこんなで、毎日あーでもないこーでもないと書きたいものがある。
それは幸せなことだと思うし、どんどん書き残していかねばと思うけど、時々やっぱり「僕なんかが書いて、それが何になるっていうんだ?」と感じる。
相変わらず誰にも読まれないし、感想だってロクにもらえない。感想が欲しいなら、もらえるような内容を書けばいいんだけど、そもそもそんな話を書きたいわけじゃない。
評価してほしいなら、それ相応のことをしなくちゃならない。だけど、自分を繋げていく為に書いているだけなら、もうこのままでいいのではないだろうか。
誰かに認めてもらいたいから、ずっと書いているのだろうか。
なら、何で認めてもらえるような話を書かないのか。それが自分の書きたいことじゃないからだよね。
だったら、もう書いていく理由なんて要らないでしょうに。何故まだ怯えるのだ。
これだけの力を持ちながら、何でまだ縛られたままなんだ。
僕は僕を認めてもらいたい。だけど、それはもうできないことだと解っている。
捨てられたもの、失われたものだからこそ、解ることもある。
人間になっていた。今はそろそろ違うものになってきた。まだ人間なんなら、どうして僕は他の人と同じことができないのだろう。
全部、嘘。解っている。少し、死にたくなってきた。
2015/12/04
語る
今の会社のお店に勤めて、早一年が経ちましたな。
去年の10月くらいが、前の仕事での疲労とストレスが限界で、部長と所長に話をして辞めたところだったか。
あれから既に一年が経っているなんてなぁ。まぁ、でもそうか、いろんなことあったもんね。
そんで一ヶ月後かな、11/25に今の会社のお店へ初出勤。
鎌倉へと意気揚々、仕事に出ていたのであります。
小田急、乗り換え、東海道線、八王子線と、忙しい路線ばかりだった。
鎌倉での経験は今も活きております。
あそこであったことは辛かったし、悲しくなったりしたけど、話せる相手だったから、まだ良かったんだよ。乗り越えられると思えたんだよ。
今の箱根の店では……?
いやーーーもう。まずもう、ね、もう。
言うなれば「クソみたいな大和」だよ。あんなに可愛いのにステ値がそこに集中しすぎなんだよ。
大和がクソだなんて有り得ない。つまり、それぐらい有り得ない相手が居るということです。
悪い人ではないよ、うん、そうだろうさ。
だけど如何せん駄目だろ、店長には向いてねーだろ。
それを何度も上に相談しているのに、具体的な対策もとってもらったのに、効かないとか、どうなってん! なんなん!!
この先、彼女と解り合えるとは露ほども思えませんので、ハッキリ白黒つけたい。
でも、それは駄目なんだってな。
僕の狂気を一撫で、二撫でしてください。
きっと今より花が開く。
2015/11/25
日常