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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

やっと行くことができたよ、えのすいのナイトワンダーアクアリウム。
催しそのものは人づてに聞いていたから、今年中に行きたかったのだ。
だけど、ひとりでえのすいに行ける勇気が無く、しかも夕方まで江の島に居ることがそう無い為に、誰かと一緒に行ける機会をずっと待っていた。

で、その人を捕まえることができたので、家の強制参加の大掃除が終わり次第、すぐに江の島に行ったのである。
定期があるからって、小田原まで出てそこから東海道線に乗ったけど、東海道線はえらい高いな!
小田原から東海道線までの料金で、うちから相模大野経由で藤沢行けるぐらいだったよ。しかも、相模大野経由の方が若干、安いよ!


えのすいが17時から異空間に変わる、そんな素敵な催しであります。
光を投影して、魚影或いはスクリーンにたくさんの光が映るのです。色も様々に変わるらしく、そんな素敵な夜が夏からずっと続いていたというのです。
今はクリスマス前ということで、その仕様になっております。


入り口にあったケーキ。ライトアップされていて、まるで夫婦共同作業用。


いつも撮影するところから。カメラがこんなにぶれっぶれだなんて知らなかったorz


入ってすぐの場所。でかい球体がぼんぼんあって、これだけでも楽しい。
まぁ、それなりに邪魔だーって言われていたがwww


同じテラスから夕方の海。この静けさがたまらん。

連れの希望でペンギンショー見て、その後戻った相模湾大水槽でうおゴコロ見て、それから水槽を見て回って、イルカショーも見たよ。
一日にこんなにショーを見たの初めてかも。海月の宇宙は短時間でやってくれるから、よく見るんだけど。
あと、イルカショーはほぼ絶対に見ている。推しているオキゴンドウのセーラーが居る限り!!!


始まったので、しんかい2000の所を見にいきました。さっそく投影されている。


しんかい2000の部屋から、ウミガメの所に出ました。
サンドアートを投影していて、もしやkisatoさん!? と1人で興奮していたという。


相模湾大水槽のところ。この辺りは人混みがすごくて、あまり動けずにこの辺りで鑑賞することになったのであった。


水槽の様子。魚が細かくて、あまり光が映っていないという。


2階の辺り。さんざん邪魔だと言われていた球体に光が灯り、光の橋の上に立っているように見えるその姿は、まるで異次元から見下ろす人の群れ。


奥にある2階へ上がるエスカレーターの近くにあった、今年もやっているよ、クラゲタワー。
シャンパンタワーではあるんだけど、中にクラゲがいるのです。ぜんっぜん近くで撮らなかったけど。


いつもの。チンアナゴはかわいい。かわいい。


ナイトワンダーアクアリウムは、係員さんの説明にもあったけど、物語性のあるイベントに非ず。投影された光を見る、アート鑑賞に近いものだった。
だから、子どもなんて5分もしないうちに飽きちゃって、周りから離脱する子が多かったな。

僕はアンビエントな雰囲気の曲を聴きながらアート鑑賞とか最高だって思えるので、今回の催しはすごく楽しかったな。
子どもや若い人だと、結構きついもんがあるんじゃないかと思うけど、それなら我慢せずに出ればいいと思うし。そんなに無理に解ったふりして見るもんでもあるまい。

で、今更ながら、こういう時に”海月海を聴くべきだったと後悔。
っても、今回はひとりじゃないから、音楽聴いている場合ではなかったけど。
ナイトワンダーアクアリウムの光景と、”海月海”の雰囲気がすごく合っていたので、周りの喧騒が無ければ尚、その世界に浸って楽しめたんじゃないかなぁ、と。
光田さんの作るダンジョン曲は本当、ドツボばかりである・・・・・・。


以下、隠して個人的な話。
変化があった。









一緒に行った人は、先月の歩婚で会った人。
先月に知り合ってから、一日も欠かさずにLINEを続けていた。
あと2回ぐらい、ごはん食べに行ったかな。

最初に感じた印象は今も変わらず、居心地のいい、穏やかに優しい人だ。
でも、その優しさの気配は、恐らくこの人も何か辛い目に遭ったんだな、だから誰かに優しくしたいと思っているんだなっていう類の優しさだった。
それがけして嫌だとか、そんなことはない。寧ろ、この人に何があったのだろうと、少し心配になるぐらい。

えのすいに行った後、少しだけ江の島を散策した。その時に歩きながら、今後の話をする。
僕はその人と一緒に居てみたいと思った。だから、それを話した。
男性不信、嫌悪の感情があることを伝えた。今までの恋愛遍歴を軽く(になっているかどうか解らないが)伝えて、それでもそれを苦にすることなく付き合いたいことも伝えた。

相手は快く頷いてくれた。というか、相手からも好意を伝えてもらえて、付き合ってほしいと畏れ多くも伝えられたのだ。
いったいいつぶりに、こんなに健全に話をしたのかね。付き合う前にもうヤっちゃったとか、そんなことが一切ない。
手ぐらいは繋いだけれど、相手が自分に好意を寄せてくれていることはお互いに解っていた。
ちゃんと伝えあって、然るべき手順を踏んで、それで一緒に居たいと思って話せた。そこすら、ふたりとも同じことを考えていたのだ。

その人と僕とはきっと似た性質をどこかで持っているのだろう。
好きなことも近いし、楽しめることも重なっているものが多いし、なにより一緒に居て安心するし、気が楽なのだ。どこかに行ってしまうという恐れも無く、この人を大事にしたいなとか、優しくしたいなとか、もっと好きになりたいなとか、そんなことを思う。
願わくば、この人の死を看取った後で僕が死ねばいいと思えるほど、この人に悲しい思いをさせたくないと、強く思えるのだ。ふしぎ。

こんな当然のことが今まで思えなかった。自分のことを優先しなければ、怖くて仕方なかった。
僕のことを本気で好きになってくれる人に逢えれば、変わっていけると感じていた。
本当に、そうなのだろうか。僕はどうしたかったのだろうか。

ただ解ることは、もうお情けで手を繋がれることも無ければ、身体を差し出すこともしなくていいのだ。
自然体でいられれば、それでいいという関係があることを、また知ることができるのだ。

まるで10年前のようだ。5年半かかって、自分の精神を矯正した。
そのかわり、どこかが捻じれた。そしてまた壊れた。それはもう二度と元に戻らない。
戻らないまま、欲した。また壊れた。相手も欠けてしまった。
欠けた部分を合わせて何かを創りたいけど、相手がそれを望んでいるかが解らなくて、また壊れた。
そんで今また懲りずに手を伸ばすのか。また傷付いていいというのか。
相手が自分を好きだろうと、自分が相手を好きだろうと、この先に起こることなんて解らないのに。

それでも一緒にいられることが嬉しいではないか。
途切れてしまったものも、もう一度、繋げられるじゃないか。
元の形には戻れないが、元の形に戻るのではなく次の形を作ればいいだけだと知る。
それを相手が必要としているかどうかは気になるところだが、繋げよう。まずはそれから。

そして、こんな僕に「付き合って」と言って、ちゃんとかたちにして伝えてくれた人に、最大限の感謝と敬意を表そうじゃないか。
僕の持てる全てで、応えていくしかあるまい。それはどんな関係にも言えることだけど、この人との関係も長くなりそうだから、この感動を憶えておきたいのだ。

今あるもの全て、在ることが当然なわけではない。どのきっかけで失われるかは解らない。
だから、僕の全力で形を作り、繋げる。しかし、形に拘る必要もない。流れる水に淀みは生まれず、転がる石に苔はつかないと言うからな。
僕にできることは、まだあるだろうか。

この人と居たら、僕はもう少し自分を許せるのかなぁ。

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