ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
引き続き、堕ちて堕ちて堕ちていく。
まぁ今日はいろいろタイミングが悪くてね。
良い子ぶる自分が、
なんでもないと言い聞かせる自分が、
大丈夫でもないのに大丈夫と言う自分が、嫌だ。
なら話せと思うが、応えてもらえないのは解っている。
応えてくれないということは、ぼくはその価値が無いということだ。
そんなふうに考えていた最中、また慕っていた人と連絡が取れなくなり。
と言っても電話には出ないし、LINEなどから名前が消えていただけなのだが。
もう何回目かも解らないけど、やっぱり心配だ。
でも、そこでぼくが心配したって、どうしようもない。
別の友人に対してもそうだった。心配して話を聞いて、こうしたらどうかって言ったところで、何にもならない。
その居なくなってしまった人にもそうだった。
何もしてあげられなかった。だから、捨てられてしまう。何度も。そうとしか思えなかった。
そうやって人に依存して堕ちていく自分が嫌だ。
居なくなったことに気付くのとほぼ同時に、会いたい人に会えない現状に溜まった鬱憤へ燃料が投下される。
会いたい人に会っている人が、羨ましい。妬ましい。だって、貴女は選ばれたことのある人だから。ぼくとは違う。ぼくが勝てる相手ではない。
貴方達はお互いに何でもないだろう。ぼくだけがバタバタしているのだろう。
その人と、会いたい人が会っていると解った時に、また壊れる声を聴いた。
大丈夫の筈ではないか、答えを出したではないか。
大体、ぼくは会いたい人の何でもない。その子達が会うことに口を挟めない筈だ。
勘違いしている自分が嫌だ。
こんな状況じゃなければ、会いたいと思う。
でも、そうして会いたがるのはぼくばかりだ。求めるのはぼくばかりだ。
会いたい人と会った人、その間で何が交わされるかなんて知りたくもない。そう妬む気持ちがどこから出てくるのかを知る時、ぼくは亦壊れることになる。
しかし、壊れきらない。もう死にたいし、終わりにしたいのに、壊れきらない。
頑丈な心が持ち堪える。外に発散することができないまま、死んでいこうとする。
両側から引っ張られる。死にたいのに、壊れたいのに、そうなったら傷付く人がいるから。あの子に怒られるから。ぼくなんて要らない筈の子に、一緒にいたいと言っても応えてもらえないぼくが、何をこれ以上求めていいんだ。
いけなかった。
余分なピースだから、代替品にしかならない。
死ねばいい。死ねばいい。思うけど、まだ怖い。話したかったのに。
でも、ここまできて壊れないのなら、生きるしかない。
殺して生き残った代償だから、生きるしかない。どんな辛くても苦しくても生きるしかない。
クロイウタ
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というものについて、最近ちまちま考えているのでした。
こんばんは、ふらみいです。
最近の落ち込み方が酷くて、なんかもうどうしようもない。
背景が背景なだけに、本当は死んでいいような存在ではないんですがね。
生きているからこその辛苦は、人の生を奪って得たものですからね。
そう、死にたいと思うことは無責任だな、と解っておりまして。
自分の為に死んだものが居るのだから、もうふらみいが死ぬことは許されないんですけども。
それでも、辛かったり怖くなったりすると死にたくなるし、厭になる。
それを繰り返して生きていくことが、人の生を奪って生きようとしたふらみいの罰なんかもしれん。
そう考えたら、どんな苦行でも甘んじて受けねばという気になる。
ただ、さすがに最近の死にたい騒動は酷かったので、自分でもカウンセリングに行くべきかどうか悩みました。
話を聞いてもらうというより、薬をもらって無理に思考をねじ曲げようという感じね。
以前の休職の時は薬をもらっていたので、悲しい気持ちも和らいだりしたのです。
そういう時に、あー人間って脳で動く生き物なんだなって思いましたわ。薬で制限できちゃうんだもん。
薬に頼らずに生きていくことが一番だけど、一度憶えてしまった死への憧れはなかなか消えません。辛い。
でも、生きたくても生きられなかった子に比べたら、ふらみいなんて贅沢なもんで。
それでも辛いものは辛いのん。死にたくなる、と言葉にしなくちゃ吐き出せないもんもある。
バハラグのマテライトが、
「死んでとれる責任なんか無い」と言っていたけど、本当にそれ。死は死でしかない。
罰の様に感じても、焦がれることがあっても、死は死でしかないんだね。
責任かー。難しいな。
これだけ自由になれたのは、責任をとることができるようになったからだと思っていた。
だけど、その実、責任なんて少しも解っていなかったのかもしれない。
今は身体の調子もあって落ち着いている精神だけど、また1週間したら始まるのだろうか。
この前まで荒れていたのも、身体に左右されてのことなのだろうか。
責任をとれる人になりたい。
無責任な言動は起こしたくない。
かっこいい人でありたい。
強くなりたい。
望むことはいっぱいあるけど、少し経てば孤独に気付き、罪に苛まれて死にたくなる。
でも、死ねないでしょ。置いていけない人と、死んではいけない理由がある。
せめて、仕事が決まればなー( ´-`)
依然として、良くない状態が続いております。
カウンセリング、辞めるべきではなかったかなぁ。
どっちみち、続けるにしても、今のバイト程度の稼ぎではすぐに切るしかなくなっていただろうけど。
ずっと死にたいと言い続けて、どう実行しようか迷って、今に至ります。
この最悪とも言える心境に堕ちて2ヶ月くらいだろうか。自分で自分を呪うが如く、まったく良くならない。
周りの環境が良くならないってのもあるんだろうなー。就活しているけど、落ち続けているから、希望がもてなくなっていくんだよな。
そうやって落ちるのは自分に何も良いとこが無いからなんだ→そうだ死のう! みたいなループが続いている。
それから、一緒に居たい人が居るけど、きっと居られないのだろうなって解って、そのことでがくんと堕ちた。
わたしはひとりで生きられないと解っていて、その人と一緒なら楽しくやれるのじゃないかと思っていた。
だけど、その人の意志は解らない。その人はわたしが居なくても生きていける人なので、足手まといを増やす必要が無いのだ。
そうなると、わたしがひとりで盛り上がってもねぇ。
物理的な意味でも、精神的な意味でも、わたしが居ない方がその人が生きていけるのなら、邪魔しない方がいいのだろうね。
まぁ、その人もなんかハッキリしないんだけどね。何も考えてないのだろう。
だったら、その棒に振るか振らないかでギリギリの人生をわたしにくれよって思うけど、そう言うと相手も自分の人生が惜しくなると思うんだよなー。
何も考えてない人って、そうだよね。あーだこーだ言っているけど、実際にその場になるとハッキリ解るの。考えないから解らないだけ。ふりしているだけ。
わたしの心は死んでいくが、想いだけが育っていく。
それは他者に向けてのものばかりで、人に依存して生きているのだってことが、よく解る。
人に依存してしか生きていくことのできない阿呆は死んでどうぞ、って自分に対して呆れる。
だけど、わたしが死んだら悲しむ人が居るんだってさ。
その人はわたしが居なくたって生きていけるくせに、わたしが死んだら悲しいんだってさ。
そう言われると、悲しませちゃーいけねーなって思うじゃないか。
なのに、その人は自分が消えるか死ぬかする時は、誰にも何も言わずにやるんだってさ。
こんなとこにまで理不尽さを作らなくてもいいだろう。何考えてんだこいつ。
わたしがこいつを悲しませない為に生きるのなら、こいつもわたしを悲しませない為に生きろよ。等価交換だろうが。でなきゃ我儘言うんじゃありません、ぺいぺいっ!
天才じゃないと生きていちゃいけないわけじゃない。
誰かの役に立たなくちゃ生きていちゃいけないわけじゃない。
ぼくもそいつも自分の為に生きていいだろう。自分の為に誰かを大事にしてもいいだろう。
そいつの所為で、死ぬのを何度もやめている。顔を思い出すから、まだそいつに対して未練があるのだと解る。
どうせ死ぬなら、そいつの晴れ姿を見てからだな。なんだ、親か何かか。
本当は、そんなしがらみ関係なく、そいつと居られたら一番良いんだけどね。
責任とか、約束とか、家庭とかじゃなくてさ、もっと楽しいことをぼくらの為に追いたいよ。
この歳でその考え方もすげーな。だって、ふらみいでいていい場所だもの。
後悔しないでね、ふらみいを自由にさせたこと。もう遅い。
不可視の者に言われたの。
「急に居なくなってしまう悲しみを、痛みを、あなたは誰よりも知っている筈よ」とね。
まぁ、あるんですよ。そういう体験が。
すごくお互いに好きだった筈なのに、こっちに何の連絡も無く消えてしまうような人が。
探偵さん使って捜したりしたけど、やっぱり自由人なのね、その方は。すぐに居なくなっちゃう。
それでも捜すのは、彼女に何かあったんじゃないかとか、彼女に逢いたいって思うから。
そんなふうに想える人って、何人居るだろうな。ふらみいも誰かにそう想われる人になりたいよ。
だから、それ考えると、もう何もできない。
それに、さんざんいろんなこと言ってきたけど、それは紛れもない本音だけど、その本音を聞かされた友人はどう思うのだろう。
「あれだけいろんなこと言ったのに、こいつそれを忘れてまた暴れてるなー」とか思われるかね。
小説や漫画みたいに、一度の挫折から立ち直ったぐらいで人の心は続いていったりしない。
中にはそういう人も居るだろうけど、大抵は長い目で見ればすぐにつまづいたり、同じことを考えたりする。
言葉を何度伝えても、同じ失敗をしたりして、学べることが幾らも無い時だってある。
小説や漫画みたいに、綺麗にまとまることの方が少ない。それが現実かなぁと、書いている身だけど思う。
せっかく誰かがくれた言葉でも、穴あきだらけだったり、信用できなかったりする。
そうすると、言葉をくれた人も悲しくなって、信じることをやめてしまうかもしれないね。
自分のことをちゃんと自分でケリつけられる人って、案外、居ないものだわ。矯正し合えるのも、認められた仲だけで。
その人だって、ふらみいだって、できてないこといっぱいあるんだもんね。
のくせに、お互いに死ぬな死ぬなと言い合って、相手の言葉なんて聞いてないのかもしれないね。
ふらみいはもう、自分の心が永く続かないことが解っているから、その人の言葉の効力が短くなってしまっても、悲しんでいられない。
本当はその人のこと信じていたいし、その人のこと悲しませないで済むならそっちのがいい。
でも、そしたら、あなたはどうしてくれるのだろう。ふらみいを楽しませるようなこと、してくれるのかな。
こんなふうに見返りを求めてしまうのは、きっと人と関係することに怯えているからよね。
見返りが無い関係じゃないと駄目なんだって思っているからだね。
ぼくがその人のこと大好きでも、その人がぼくを大好きとは限らないからね。同じじゃないなら、見返りとかで繋がないとって思っているんだろうね。
そこまで壊れてしまったよ、わたしは。もう疲れて久しいよ。
もっと形良く綺麗にまとまって存在していた筈なのにな。
わたしが消えたって、悲しくないだろう。
受け入れて、次にいけばいいだけじゃないか。たった10年しか関わっていない。
時間なんて関係無いのかね。
パートナーにもなってくれんでこのやろう、自分の要求ばっか。
きっとわたしもそうだったのだろうけど。
わたしが死んだことを悲しめる資格を持った人間なんて、居ないさ。
いつ、切るだろう。そわそわする。
作業用BGM
わたしぼっち / ポポロクロイス物語挿入歌(ヒュウのキャラソン)
こんばんは、ふらみいです。
昼間からものすごく堕ちていて、今は珍しく酒を飲んでいます。
酒に弱いから、普段は1人で飲んだりしないのだけどね。
今日は特別な日だからね。飲んでしまいたい日なんだよね。
先ずは昼間から堕ちているってのが、もうしんどい。
前の会社を辞めてから、一応、人の紹介でパートやっているとはいえ、そこの環境も最近あまり良くない。
その所為か、労働意欲は失せて、自分から動くことができないまでになった。
その根底には、「自分が頑張ったってしょうがないよ」という諦観があるのでした。
死にたい死にたいとずっとのたまうことも、精神的に辛い。
だけど、そうやって言葉にして吐いていかないと、自分の中の言葉にする前の何かが膨れて捩れて、わたしになってしまうのだ。
そうなると、たぶん後悔する。後悔することが何よりも怖い。だから死ぬことも怖くてできない。
仕事しているのに堕ちるとか、集中できていない証拠だけど。
何でこんなに落ち込んでいるのかを考えても、もう理由なんて腐るほどあって数えることもしたくないけど。
わたしはいったい、どこへ向かえばいいのだろう。
深く狭い場所での思いを綴ります。
酒の所為でテンション変だけど、こんなもんでしょう。
ついったーのタイムラインを荒らすほどの長文を書くのもなんだなーってことで、ここでぽけぽけ書いて置いていこうかな、と。
そんな人に気を遣って書きたいことも書けないとか、馬鹿馬鹿しいけども。
そう、でも、馬鹿馬鹿しい。全てに於いて馬鹿馬鹿しいっつーか、あほくさい。
人の何気ない一言が気になって、そこに意見しに行って、わたしはいったい何をしようとしているのだろう。
そう思うことが最近増えてきました。
誰かが軽い愚痴を書いて、わたしが反応を示しても示さなくても、その人の中で愚痴は治まる。
それをわたしはわざわざ拾いに行って、あーでもないこーでもないと意見して、その人の手助けに勝手になろうとしていたんだって気付いたら、なんて恩着せがましくて、馬鹿馬鹿しいのだろうって思ったのだった。
相手が何をどんなふうに感じたのか知りたくて、辛いのならはきだしてほしーなぁと思って話を膨らませようとしたけど、必ずしもそうすることで楽になるわけじゃないのね。
中には、「お前に話しても無駄だわ」と思って、話すことを面倒くさがる人も居るんだわ。
そんな人からしてみたら、ぼくは暑苦しかったろうなぁ。
でも、ぼくはそこで何を感じているのだろう。
ぼくの意見によって、相手を更生したいのか。それとも、感謝されたいのか。
相手にとって、その悩みとか愚痴の内容は考えなきゃいけないことだろうし、1人で悩むよりも話してもらった方が相手も楽になるって、そう思うのは、独善的だったろうか。
人の悩みに真剣になることが悪いことだなんて、思いたくはないんだな。
しかし、わたしみたいな存在に話したところで状況が良くなることはないから、だから濁されたり、笑って終わりにされるのかな。
わかんないや。
相手にとっては、ただそれだけのちっぽけな悩みでも、わたしはきっと大変なことだと思って、聞こうと思っただけだもの。
それが余計なお世話なら、独善的で気に入らないとか思われるなら、ともだちって何なの。
ただ遊ぶだけの、ただ笑い合うだけの、ただなんとなく一緒に居るだけの、暇潰しであるか。恋人ができるまでの繋ぎであるか。
思考がものすごい速さで答えを叩きだす。何年も続く習慣。
同じように誰かの話を聞いていたけど、それは迷惑に近かったらしい。わたしが真剣になるほどのことではなかったらしい。
わからない、わからないな。
たまたまタイミングが悪くて、相手はふざけ半分で、わたしは本気で聞いてしまったよって、それだけのことなのかな。
でも、今はそんなことばかりだ。
わたしが真剣に聞かなくたって、相手の中でまとまることばかり。
みんなすごいね、ちゃんと自分のこと始末つけられて。それができないわたしがいけないんだね。
巫の座に就いていながら、頼りないわたしですが、誰かの役に立つことはわたしの為に必要だった。
ともだちに求めるのが間違いだったのかしら。恋人を作って、そいつに証明してもらえば良かったのかしら。
もうすぐ堕ろして1年が経つ。
悪化するだけ悪化した環境と心境に、まだ光明は無い。
誰の役にも立てないまま、自分だけにできることも無くしたまま、誰に必要とされずに死んでいく毎日である。
そりゃ、認めてくれる人だって居るけどさ。
その子だって、いつかは伴侶を作るのだろ。独りのままではないのだろ。
じゃあ、わたしに向けてくれるものも、その伴侶のものになるのだろ。それが人間の生き方なんだから。
いつまでも隣に居てくれるわけもないのに、どうしてその子の為にわたしが生きていくのだ。
悲しませたくないとか言ったって、その子に伴侶ができれば、わたしがたとえ死んだってその悲しみだの何だのは、埋まるだろう。そうやって生きていくだろう。
その子に依存したまま、こうやって思考に食い潰されることを望んだのは、わたし自身でしたよ。
その最中で、誰かしらの話を聞いて何か伝えていきたかったのに、上手く伝わらず、わたしが聞かなくてもよかったんだって気が付いた時の、あの虚しさと馬鹿馬鹿しさ。
もう死んでいいすかねー!?って、やけっぱちになる。
なにを言ったら叱られないのか。なにを言ったら伝わるのか。
そんなことばかり、考えては消えて、眠れなくなるよ。
こんなに荒れても、誰かがまた愚痴ったり落ち込んでいたら、話を聞こうとするんだけど。
もう自分が何の為に、何をしているのか、忘れたい。
巫として完全に成形されれば、そうなれるだろうか。
人の話を真面目に聞くのは、損得じゃなくて、その人が好きで何か役に立ちたいからじゃない?
それこそ、気持ち悪い思い込みだったろうか。
作業用BGM
楽園のリンゴ売り / 谷山浩子
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