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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

こんばんは、ふらみいです。

昼間からものすごく堕ちていて、今は珍しく酒を飲んでいます。
酒に弱いから、普段は1人で飲んだりしないのだけどね。
今日は特別な日だからね。飲んでしまいたい日なんだよね。

先ずは昼間から堕ちているってのが、もうしんどい。
前の会社を辞めてから、一応、人の紹介でパートやっているとはいえ、そこの環境も最近あまり良くない。
その所為か、労働意欲は失せて、自分から動くことができないまでになった。
その根底には、「自分が頑張ったってしょうがないよ」という諦観があるのでした。

死にたい死にたいとずっとのたまうことも、精神的に辛い。
だけど、そうやって言葉にして吐いていかないと、自分の中の言葉にする前の何かが膨れて捩れて、わたしになってしまうのだ。
そうなると、たぶん後悔する。後悔することが何よりも怖い。だから死ぬことも怖くてできない。

仕事しているのに堕ちるとか、集中できていない証拠だけど。
何でこんなに落ち込んでいるのかを考えても、もう理由なんて腐るほどあって数えることもしたくないけど。

わたしはいったい、どこへ向かえばいいのだろう。


深く狭い場所での思いを綴ります。
酒の所為でテンション変だけど、こんなもんでしょう。






去年の今日、堕胎をしたのである。
当時付き合っていた人が殺しても殺し足りない程のクソで、それでも当時はそいつが好きだったから、産めるかとも思っていたのだが。
そいつは嫌がって、堕ろすしかなくなってしまった。

ひとりで育てることも考えたけど、自分の病み易い性格ではたして子どもを真っ当に育てられるだろうかと不安になった。自分の時間が無くなって、自分が自分でなくなることも怖かった。
そうなった時、誰が支えてくれるわけでもない。自分で頑張らねばならない。それが当然だとしても、自分には無理だと思っていた。

そんな情けない姿を子どもに見せるのか、子どもはそれをどう受け入れるのか。
それ以前に、子どもを育てられるだけの貯えも無い。
産んで育てている最中に「あ、これは無理だな」なんてシャレにならない。

子どもは玩具じゃなかった。自分の都合であっちこっち振り回すことを、生きながらにして望むのかも解らなかった。
自分のやることが間違っているとしても、堕ろすことを考えた。

付き合っていた奴を殺したい呪いたいと考えつくまで、そう時間は掛からなかった。
彼はわたしの全てを破壊した。壊れてしまったものは元に戻らない。戻ったように見えて、歪に存在しているだけだ。
身体についても、精神についても、わたしはトラウマを負う羽目になった。彼はそれを自分の所為ではないとして、素直であることを美徳として、何でも言ってきた。

まだ2週間ほどの間に、子どもを堕ろした。
彼は「2週間なら、まだ細胞だよね」と言っていた。
彼は「堕ろすのも責任の取り方のひとつでしょ」と言っていた。
彼は「責任取って結婚したって、すぐに別れるから」と言っていた。
彼は「何で俺が悪いように言われなきゃいけないの。堕胎が犯罪なら、医者はみんな捕まっているよ」と言っていた。
彼は「堕ろすのは医者の方なんだから、俺が直接悪いわけじゃないよね」と言っていた。
彼は「落ち込んでいるみたいだから、元気付けてあげたいなぁと思って」と言っていた。
彼は「いつもこの時間は寝ているから眠いんだよね、ベッド使わせて」と言っていた。

堕胎の手術の2時間ほど前の話で、信じられる筈がなく。
此方の都合で殺される子どもに対して、謝罪も反省も無く。
彼はこれで堕ろすのは2度目だと言っていたが、母親に「早く忘れなさい」と言われたとのたもうた。

わたしはわたし1人で生きる自信がいつももてなかった。
そうやって依存するしか能の無い自分が、この先も生きていけるなんて思えなかった。
子どもをつくったところで、きっと可愛いだろう。だけど、その責任を負えるとは思えなかった。
つまり、わたしは弱かった。とてつもなく、弱かった。1人では抱えきれなかった。
それを手伝ってほしくて彼に話をしたのだが、彼には終ぞ理解してもらえなかった。
愛情は悲哀に変わって、やがて憎悪に変わって、紛うことなき殺劫に変わった。

今でも、記憶している。手術までのこと、手術の間のハッキリしない意識、隣の部屋でお産をしていたこと。
全身麻酔が効いて、1人で立って歩けなかった。四肢を手術台に留められても、怖くもなんともなかった。
点滴のチューブから麻酔を流し込まれ、先生が来る頃に瞼が閉じてしまった。

明るい状態の照明を見た気がする。
誰かの話し声を聞いた気がする。
隣の部屋から「頑張ってください」という声と、「痛い痛い」という声が聴こえた。

気付いたら、もう手術は終わっていた。
開いたままだった足は閉じられていた。
わたしは子どもを殺したのだと解って、ぼんやりした頭のまま泣いた。
本当は泣くような資格なんて無いのだが、自然に流れてくる涙はどうしようもない。

いろんなことを感じて、いろんなことを考えた。
堕胎の後、子宮は元の通りになったらしいが、破壊された方がマシだった。

彼は罪悪感など持たず、以前のように接してきた。そりゃわたしだって壊れるさ。
傷付けられた身体も精神も、彼からの慈悲を欲していたようだが、生憎、そんなものを彼は持ち合わせていなかった。
他者に対する共感できる能力が著しく欠けていて、サイコパスってのはこういう人のことを言うんだなと思ったものだ。

彼もまた情緒不安定で、随分と振り回されてしまった。
本当は心配してほしいのはわたしの方だ。何故、お前が心配してほしそうにするのだ。
子どものことも考えていないこの男には、然るべき呪詛と報いを与えなければと思った。
そう考えると、わたしも少しは救われた。壊れきることは無かった。

でも、その男から離れても、崩壊は続く。
恋愛というもに対して恐怖心しか無くなった。
男というものに対して信用が無くなった。
性行為に怯えるようになった。
子どもを産む、結婚するということから、距離を置くようになった。

人を殺したのだから、自分だけ幸せになれるだなどと思ってはいない。
幸せになる前に壊れる。そうなることで、周りの人間にもう迷惑を掛けることはなくなる。
後悔しさえしなければ、死んだっていいような存在だった。
もう元に戻らないのだと解った。幾度となく壊れた精神は壊れたままになって、そこから感情が溢れていく。
もとより激情家だったが、もう感情の振り子がどこにあるのか解らなかった。

1人、怯えを顕にせず接することができる者が居た。
その子の為に、このくだらない身を生かしている。死にたいと思いつつ、その子が未練になって後悔することが怖かった。
他の友人のように、その子にも伴侶ができたなら、死んでもいい。そう、不可視の者達と約束した。
その子が伴侶を得て、幸せな家庭を築くのなら、それもいいだろう。それが幸せになるのだろう。
その姿を見送って、死んでいく。寂しいけれど、怖いけれど、それが自分の子どもを殺した奴の末路だ。
人に依存し、自分で生きる力を培ってこなかった、わたしの責任なのだ。

当時、友人らには随分と世話になった。たくさん叱咤し、励ましてもらったものだ。
それから1年、わたしはあまりにも弱いまま、生きてしまった。
何度も死にたいと思ったのに、その子を悲しませることが、自分で約束したことが引っ掛かって、どうにも動けなくなった。

そうこうしている間に、夢の中で殺される感覚を味わった。現実味のある映像で、未来の出来事を見ているのかと感じたほど。
死ぬ瞬間が永遠に続いて、発狂するかと思ったよ。銃声は聞こえたのに、いつまでも自分でいることの不思議が、どうしても恐怖を思い出させた。

わたしが受ける罰も報いも、子殺しのためのもの。
助かろうなんて思ってはいけないし、それでも幸せになろうだなんて、馬鹿を見る。
一緒にいたい人間とは一緒にいられず、心は徐々に壊れて、やがては何もかもに価値を見出せなくなる。
そうやって生きていて、或る日突然、死ぬのだ。

わたしが死んだら悲しむ人も、伴侶を見つけてよろしくやっていけば、その悲しみを乗り越えられるだろう。
そこまで解っているわたしに、今更どう人とくっつけと。
第一、男性はわたしを嫌っている。蔑んでいる。もう関わりあいになってはならない種族だ。

もう、どこにも行けない。何も手に入れられない。
さよなら。早く途中下車しなくちゃいけないのに。
何度も死のうとしては、思い出す。あの子を思い出して、友人らの顔を思い出す。

酒飲んで寝たら、少しは違う夢を見られるだろうか。
あの子の為に生きるなんて、恥ずかしいしアホだから言えないけど。
あの子がたとえ、わたしの為に生きてくれなくても。


子どもの声が聴こえた気がするだけで、もう居ないことは解っている。
一応、水子供養も済ませてある。大丈夫。
安心して、向こう側へ。また会える日は来るのだろうか。
もう何も望めないのに、まだ何か言ってしまう。

子どもはもう戻ってこない。
わたしはどう生きていくべきだったのだろう。


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