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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
こんばんは、ふらみいです。
今日は前の会社で仲良くさせていただいていたオナゴとデェトでしたデュフフ

すっごく久しぶりの江ノ島ですよ!!! やったぞコノヤロー!!!!
江ノ島が、大好きだ。何度も行っているけど、未だに楽しい。えのすいも大好きだ。

今回はお金なかったので、食べ歩きながらの江ノ島散策。
風は強いし、晴れ間もすぐに曇りに変わってしまったけど、そんなこと気にならないぐらい、楽しんでおりましたよ。


これは橋の上からだな。



江ノ島に渡って社で見かけた、驚きの商品――のイラスト。
萌え絵で見る弁天様。





江ノ島行った時は絶対に入り江まで行くので、サムエル・コッキング苑の前もふつーに通過。
そこの近くのテラスに行ってぱちりこ。





何故か湘南サイダーとラブプラスがコラボしていたのです。
ももまんって、べつに桃の味しないのになんか買っちゃうよ。



入り江まで行ったけど、海が荒れまくっていて下りられなかった・・・・・・。





岩屋にまた行ったんです。ここは涼しくていいね。




水面に写っていた。なんだこの演出・・・・・・!




岩屋から出た後は、道すがら見つけたホットケーキ屋さんで一息。
写真は、オレンジソースと塩ヨーグルトのホットケーキ。紅茶がついて、1,400円也。
おかみさんがなんか怖かったけど、店内は青と白を基調にしていて可愛かったです。




雲行き怪しすぎィ!


この後、雨がぱらついてきたので、早めに帰りましたぜ。
えのすいも行きたかったけど、休日は子連れが多くてまいってしまうんだぜ。


なーんでこんなに江ノ島が好きなのだろう。
でも、べつに住みたいわけではないのですよ。えのすいは働いてみたいなと思ったけど。


少ないながらも収入はあるのだし、月に1回は江ノ島に行っていたあのペースを戻したいわたくしでした。
次はいつ行けるかなー。待っていてね、江ノ島の猛者ども!!!



作業用BGM
 ふわっふわのまほう / シャイニング・ハーツED

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こんばんは、ふらみいです。ごっさお腹が空いています。夕飯まだなんだ・・・・・・。

さて、友人から借りていた「未来日記」を無事に見終わったぞ!
リダイヤルも残っているんだけど、その前に本編の感想を書いておきたくて、ここに。

うーん、うーん、そうだな、でも、一言で言えば、


愛ってすごいよね。


ネタバレありきで感想をつらつら述べまっす。

観たことない人は一度観てみるといいと思います。絵も綺麗だし、話もそこまでこんがらがったりしないし。




こんばんは、ふらみいです。大阪から帰ってきました。
朝は大阪に居て、10時過ぎに新幹線に乗って、夕方になる頃にパートへ。いやー疲れた疲れた。

今回の大阪行きでも、友人と楽しく過ごさせていただいたぜ。ありがとうだぜ。
なんだって寂しがり屋なわたしですから、何度も行くし何度もご飯に誘ったりするという。いう。
それに付き合ってくれる友人方の優しさといったら!


いつも家に泊めてくれる人に、何かできないかなぁと思いました。
家に泊めてもらっているからというのもあるけど、いつも話聞いてもらっているし、好きなことしてもらっているし。
わたしなんかで役に立てることがあればと独断で動くけど、結果的に相手を困らせてしまうことの方が多いようで。

わたしには元からある歪みで、それは大したことのないもの。
だけど、その人からしてみたら、そんな歪みは今までの自分の経験の中では、明らかに異質なものなのかもしれない。
その戸惑いを目の当たりにしながら、わたしは何もしてあげられませんでした。
かえって、わたしが何もしない方が、その人には良いのかもしれない。

その人が歪んでいようが、真っ直ぐでいようが、わたしにとっては大事な人。
でも、その見方はわたしにとっての見方であり、その人の役には立てられない見解なのね。
そう思うと、わたしの思うことって、つくづく駄目だな。相手の心に何も届かないばかりで。

その人が何を思って歪みを見つめているのかは解らないけど、逃げずに見つめて理解してほしいと思う。
わたしはその人の為なら何だってしようと思うから。鬼だろうが悪魔だろうが修羅だろうが神だろうが、どんとこいですよ。
その人にはその人の望むままに居てほしい。その邪魔に、わたしがなってしまうのなら、その人の前から消えるしかない。

だけどなぁ・・・・・・、それができない。今回の大阪行きで思い知った。
いろんなこと考えて悩んで、しかしそれら取っ払って「理屈はどうでもいいから、本当はどうしたい?」て自問すると、「嫌だ、離れたくない」と返ってくる。
わたしはその人を失うことが、その人に嫌われることが、忘れられることが、心底、怖いのだった。

面倒くさいんだよなー、ふらみいさんはー。解っているけどさー。
その人に嫌われる前に消えちゃえーとか、忘れられるぐらいなら×すーとか、そんなふうにできもしないことを思っては、混乱した心を落ち着ける。
こんなことを考える時点で、わたしはその人の友人でいる資格など無いだろうな。うむむ。

優しい人だから、と甘えているのは、ふらみいさん。歪みの元となったのも、ふらみいさん。
・・・・・・いや、それはさすがに自惚れ過ぎであるか。キッカケになっただけで、助長させたのはその人自身であることに変わりない。

わたしは悪くないのだと、その人は言ってくれたけど、解らない。解らないままだから怖い。
ずっとわたしがそこに居たら、その人はわたしから離れてしまうだろうか。
その方がその人にとって幸せだと解ってしまったら、わたしはその人の幸せを願えるだろうか。


解らないことだらけ。でも、その人と友人でいることはやめたくないのでした。
その人を困らせても、傷付けても、まだ欲してしまう。嫌われるその時まで、わたしは求める。

また会いにいきたいと思ってしまうのですよ。そんなに会いに行ってどうするんだって。相手の都合もあるというのに。
けど、相手が迷惑ではないというのなら。わたしと会うことを少しでも楽しんでくれるのなら。
死ぬその間際まで、その人と楽しいことをしていたいと思う。役に立ちたいと思う。





作業用BGM
 僕らの箱庭 / RURUTIA


こんばんは、ふらみいです。
ごっさ寒い日が続く昨今、またお腹が痛くなりそうで戦々恐々としています。

最近、PCを見ていると目が痛む・・・・・・。白い画面が染みてくるというか。
PC用眼鏡も買ってかけているものの、それでも白く見えて染みて痛むんです、どうなっているんだ。
目がおかしいのかもしれないけど。それとも、疲れているだけなのかしら。


昨日は仕事のことで疲れて苛々して、あー死にたいーなどとのたまっておりました。
だって考えるの面倒くさいし。考えてまで生きている理由を考えたら何も無かったし。

元は友達大好きっ子で、友達を見送る為にも生きているつもりだったけど、それが不要となった今、何度目かのモラトリアムに突入しております。
何で生きているのだろう、どうしてそれを忘れていたのだろう、何がしたいのだろう。
青臭い疑問だけど、何年もそのことを考えていました。答えらしきものが見つかっても、たまに間違えました。

理屈云々で生きること自体が、そもそも間違っているのかもしれない。
だけど、ふらみいさんは自分が生きていていい理由を他者に求め続けてきたため、今更、自分の為に生きようと思っても、どうしたらいいのか解らない。
他者に必要とされないのなら、死んでいて構わない。そういう存在が自分なんだと思って、何年も経ちました。
それもやっぱり小さい頃からの経験でできてしまった考え方だけど。

この世界でやりたいことなんて、もう微かも無い。だったら死んでいいのではないか。
しかし、綺麗に死ねるだろうか。何度も死のうとして、結局考え直したのだから、今回も駄目なのではないか。
よしんば死ねたとしても、次の世界で同じことを繰り返さない自信が無いじゃないか。どうするのだ。

そんな感じで、延々と悩んでいました。
どこぞの歌詞でもあるように、「さぁ来世のオイラに期待大」なんです。
でも、そうすると「現世はどうすんだい」なんです。どうしましょうね。

現世に対する価値が薄ければ薄いほど、次の世界への期待が膨らんでいく。
だけど、次の世界は、そんなふらみいさんを受け入れてくれるでしょうか。今生きている世界をしっかり生き抜かずにやってきた、そんなわたしを。

そりゃー自分の生きる世界ぐらい、自分で選ぶさ。
だけど、今は紛れもなくこの世界で生きているのだから、ここで大往生を迎えなくちゃいけないのではないだろうか。
そうしないと、次の世界に行っても「ここはわたしの居場所じゃない」とか感じてしまうのではないだろうか。


最近、銀魂の世界にものすごく惹かれていたので、先ずはそっちに行こうかなーなんて思っていたのでした。
まぁ途中下車してしまったわたしが銀さんと会っても、なじられるだけだろうが。

銀さん語録の中で一番好きなのは、
「美しく最期を飾りつける暇があるなら、最後まで美しく生きようじゃねーか」です。
白夜叉時代の言葉だけど、とても10代の若いみそらで浮かんでくる言葉に思えない(酷)

銀さんと比べたら、ふらみいさんは全然満たされた生活しているのにね。
仕方ない。立場と環境が違えば、人の思考も思想も変わっていくものでしょう。
銀さんと比べたところで、銀さんには銀さんの人生観があり、ふらみいにはふらみいの人生観がある。

伴侶が居ればいいのか、夢中になれるものがあればいいのか、そういうことなのだろうか。
夢中になるものはあるけど(書くこととかゲームとか)、それよりももっとやりたいことがある。
その為には、今生きているこの世界ではなく、別の世界に行く必要があって。
そんなすっとんだこと口走っている時点で、0.5次元の現実を捨てる気満々だね!


ここではもう他者の為に生きる必要なんて無いから。
それなら、早めに死ななくてはいけない。生き過ぎて、誰かの不幸の種を作ってしまう前に。

そんなふうに考えるふらみいさんを、銀さんは叱ってくれるでしょうか。



銀さんを中心に物事考えすぎだろ、どうした。





作業用BGM
 現状ディストラクション / SPYAIR



こんばんは、ふらみいです。

今日はごっさ寒かったではないですか。
これは雪降りますよ、降ってほしいですよ。
山にはいつも降っているようだけど、そこで引っかかってこっちには何もないという……


さて、やっと、やーっと読み終わったよ、「グラウンドの空」。
12月に買ってから、ちまちま読み進めていた、あさのあつこ先生の著書でございますー。また野球物なんですー。

いやー、面白かった。
あさの先生っていったら「バッテリー」の印象が強いけど、こちらの話もなかなか良いのです。

というか、ふらみいはあさの先生が描く少年達が好きでして。
頼りないような、なのにカッコいいような、だけど猛々しいような。
年齢に見合った野心と夢と儚さを持つ彼らを、あさの先生は実に上手く描写してくださいます。

「バッテリー」の時も、ハマりこんだなぁ。
豪ちゃんがすげー好きでした。でも、共感できたのは、あの生意気ピッチャーの巧でした。
結果、あのバッテリーが好きになり、新田東の野球部の面々が好きになり、門脇も瑞垣も好きになったのでした。

元々、野球はよく解らなかったけど、仲良くなりたい人が野球好きでしてね。「バッテリー」も読んでいたみたいでね。
それに、あさの先生ご自身が岡山出身とのことなので、方言のオンパレードです。それだけでもだいぶ有り難いです(方言フェチ)


で、今作は過疎化が進みつつある地元で、甲子園出場を夢見る主人公(キャッチャー)と、都心からやってきた控えめな少年(ピッチャー)と、彼らを取り巻く野球部のお話のようです。
「バッテリー」よりは、まだ刺々しさも無く、喧嘩などもありません。
まぁ、巧みたいな我の強い子がまだ出てきていないからな。

主人公のキャッチャーくんは、押しつけがましいとこもあるけど良い子だなー。
歳相応の自尊心が初々しいような、逆に頼もしいような。

ピッチャーくんは控えめ過ぎて、存在がマジ儚いですな。
だけど、球を投げる際に、いやにくっきりと浮かび上がってくる。
投手板に手をつく仕種が、とても好きであります。

この年頃の少年の抱えるものは、けっして軽くないのだろうなーと、あさの先生の本を読むといつも思う。
いや、歳云々で馬鹿にする気は無いんだけど、まだ10代なのに~っていう見方は良くないよなーと思うのです。
実際、自分が10代の時に、それで嫌な思いをしたわけだし。

まだ幼さが残る故に、大人達から押しつけられる都合や環境を、彼らは跳ね返したり、上手く受け入れたりして、成長していく。
でも、それをただの涙ちょちょぎれ感動物にしないところが、あさの先生の本を手に取る理由です。
綺麗なだけのものなんて、ある筈がない。少年の誇りはもっと荒々しく、もっと美しい。

打ち込めるものを持つ人は、幸せ。
それは、大人とか子どもとか関係なく言えることではないでしょうか。
ふらみいはそんなものをずっと持ち得てきました。
それだけで、満たされていると考えてみても良かったのでしょう。


うーん、いろいろ語りたいことはあるのに、スマホからの更新だと上手く書けませんな。
とりあえず買って後悔はしなかった。あさの先生の著書で、久々に心の琴線に触れたのでした。

次は、友人から借りた京極さんを読みますぞ。



作業用BGM なし

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