それらが溢れているのだと思う。
久しぶりに書ける機会を手に入れた。
最近、PCを家族が持ち出しているので、二ヶ月近く何も書けていない。
小説どころか、ブログすら書いていなかった。
なもんで、久しぶりに書いている今がとても楽しい。
アウトプットは大事だ。誰かに話すことも大事だけどね。
友人が昔住んでいたという場所へ連れていってもらい、楽しく過ごした後だった。
その子が何度か話に出してきた人があまり好きじゃなくて、どう反応していいのか解らなかった。もっと言えば、話をしてほしくなかったのだと思う。
FF14絡みで知り合った人で、精神的に脆い部分がある人だから理解できるだろうと友人は踏んで、僕にその人を紹介してくれたようだった。
その人自身と僕とは話したことがない。いつもその友人か、後にその人の恋人となる人を入れてしか、遊んだことがない。
だから、僕はその人がどんな人なのか知らない。解っていない。
解っていないなかで、その人は度々病んで約束を反故にすることがあった。今日遊べると言った数時間後に「体調が悪くて」と、自分の思い通りに動けないようだった。
最初はそれも辛かろうと心配していたけど、やがてその人がインしなくなり、元々僕が進めたかったコンテンツをクリアする計画はやっぱり頓挫した。
人数不足を補い、あわよくば仲良くできればということで知り合った人だったけど、ものの一ヶ月で不信感を抱くことになるとは。
でも、その人の恋人も、友人も、その人と今でも変わらず遊んでいる。そこに僕は居ない。祖の人も僕と遊ぶのは気まずいだろうと思う。
僕は二人から事情を聞いただけで、本人から直接の謝罪や説明はされていない。
そんな状態で何ヶ月か過ぎ、友人がその二人と遊んでいることがあると知り、友人と遊びに行った際にその人の話をされて、かなり苛立ってしまった。
僕のその人に抱く印象は極めて悪い。精神的に脆いとはいえ、ドタキャンはやはり嫌な気持ちになるし、説明はあって然るべきなんじゃないかとも思う。
その人との間に知人よりも進んだ関係性があれば、ここまで苛立つことはなかったかもしれない。周りの人間がどう言おうと、僕にとっての評価の軸は僕の感じたことだけなのだから、そこで躓いたなら、その人が挽回しようとしない限り、僕から歩み寄ることはできない。
約束を反故にして悪いと思っている、薬をのんで怠いから起きていられない、それらを本人から聞いていれば、違ったのではないか。
そこまで説明する義理が無いと言われれば、やはりその人とは関わらないようにするだろう。
共通の知り合いが居るから、僕が一人でモヤモヤすることになる。
ドタキャンは昔によくやられた。その友人もやはり余裕が無くて、「ドタキャンされて辛かったんだよ」と言った時に「でも君も季節の変わり目とかに来てたよね」と返されたことがショックだった。
季節の変わり目だから本人やその子どもが熱を出してもしょうがない、とでも言いたげだった。僕はただその時のことを「あの時は余裕が無くてね、ごめん」とか言ってほしかっただけなんだけど、その謝罪ってのはこんなにも難しいことなのか?
加えて、現在僕を苛立たせるその人と、友人が仲良くしている恋人の仲など、僕にとっては何の関わりも無い。
だけど、友人からその話が出てくる。出てくる度に、ヘテロは嫌だなと嫌悪感が頭をもたげる。聞くに値しないと思っているのだろう。
無礼者が誰とどう付き合っていこうと、僕に謝罪してくれなかった時点で、遠い国の出来事のようなものだ。現実味が無い。
というか、恋人に誠実に在る前に、こっちに誠実に在れよ。僕は友人ですらないのに、貴女を許容しようとしたんだぞ。
結局、僕は自分を蔑ろにされて怒っているだけだ。
そして、友人にそのことを伝えられず、持て余している。
僕は友人と仲良くしたくて、僕のことを解ってほしいとまで思っているけど、友人にとっての僕はその他大勢とあまり変わらないのだ。
変わった関係性をまた誰かに期待している自分に、心底、嫌気が差した。というか、馬鹿だろう。本物の馬鹿だ。
あれだけ痛い目に遭っても誰かとの稀有な関係を望む、その頭の中は大層なお花畑だろう。僕の愚かな希求が、僕自身の首を絞め上げている。
こっちを蔑ろにしている人間にまつわる全て、気に入らない。関わりなど持てない。
恋人を大事にするけど、それ以外は踏み台とでも無意識に考えているんじゃないか、恋愛主義の異性愛者は。無礼者。
友人が憶えているかは解らないが、僕は大事なものを失う羽目になったから、恋愛感情も異性愛者も蛇蝎の如く忌み嫌っている。
その感情が揺さぶられる。自分にとってそれは苦しいものだ。
だけど、それらは友人にも、例え無礼を働いたその人や、その人を支える恋人には関係のないことだ。だから、僕は強い理性で以て対応する。
そうだ、僕は精神的に脆いけど、病んでいるけど、そんじょそこらの人間とは潜った修羅場の数が違う。
思考する能力も、どれだけ自分が辛くても他者を優先できるだけの理性を、僕は持っている。
かつてドタキャンした上に言い返してきた友人や、今回のその人にはそれらが無い。自分が辛くなれば周りを犠牲にし、他責思考であることを厭わず、恋愛やその時の友人関係へと逃げ込み、不義理を働く。そして、それらを忘れる。
僕の根底にあるのは、恋愛感情と異性愛者への嫌悪、自己愛、自分の苦痛を抑えられるだけの理性と思考能力、自責の念が転がっている。
特に自責の念は強く、どれだけ他者の所為にしようとしても「そんな人間を信じた自分が悪いのだ」と返っていく。
他者を馬鹿にすることで、卑下することで、何とか自分を保っている。そんな僕を周りは馬鹿にするし、大事にできないだろう。だから僕は僕だけを愛する。
とにかく、疲れた。危うく今日の遊びの場に二人を呼ばれるところだった。
「次は二人も呼べるかもね」と言われて、上手く答えられなかった。僕は黙っていてもいいかな、なんて思った。そんなの、成人して十何年も経った人間の対応じゃないよね。
でも、気を遣ってしまうんだよ。自分に余裕なんて無いのに、嫌なのに、気を遣ってあげようとするんだよ。
そこに感謝してくれる人も、「お前が辛いんじゃないのか」て気付いてくれる人も居ないのに。僕を保護できるのも、庇護できるのも、僕だけなのに。
嫌いだ。異性愛者は嫌いだ。恋愛感情で幸せいっぱいに笑う人間どもも嫌いだ。早く生命の本分を果たして朽ち果てろ。僕から大事なものを奪っていくな。
友人にそういう本音を吐けないのは何故か? 友人は、その二人と仲良くやっているから。そこに余計なものを挟みたくなかった。
ほらな、気を遣っている。僕は僕のことが話せない、それだけでこんなにも辛くなるというのに。馬鹿だ。馬鹿だ。
僕の居場所を奪うのは、いつだって異性愛者の恋愛感情だった。
傷付けてくるのも、約束を破るのも、全部そうだったじゃないか。
もう近付くな。
それから、僕自身もよく弁えろ。特別な人間など、居ないんだよ。
セレナ達みたいな存在でもなきゃ、義理に厚い関係なんてできないんだよ。
人間に多くを求めるな。そうしなくていいように、僕は僕だけを愛し、信じ切るしかない。
ルーンが出したハガルは、ここに掛かっていたみたいだ。
つくづく当たるよな、ルーンは。
なら、僕が話し合いをする日は来るのかな。唯一無二の関係は作れるのかな。
さっきと言っていることが違うね。結局はどんな時でも頼れる人が欲しいんだね。
お願いだから、目を醒ましてくれ。そんな希望は持つんじゃない。
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2026/01/13
日常
所詮、素人がネットで調べて「こういう事例に当て嵌まるかも」と思っているだけだが。
鬱、不安障害、愛着障害、アダルトチルドレン等、自分に該当しそうなものはたくさんある。
それらが環境による原因で育った根源的なもので、成長していく自分がどうにも消化できなかった成れの果てということも。
原因は家庭にあっただろうけど、こうなった責任は自分にある。この世の不条理は全て当人の力量不足によるものだ。
そう考えろと、遠回しに教わったのだから。
だから、時々、他責思考なるものに依存している友人らを見て、羨ましいと思う時がある。
人の所為にできれば、それを他者に伝えられれば、「私にも悪いところはあった」と言わずに済んだら、どれほどの救いが待っているのだろうか。
自分の所為ではない、誰かのこういうところが悪かった、毎度その理屈で片付けることができたら、見たくないものを遠ざけて自分を休めることができたら、後の人生で笑うことができるのだろうか。罪の意識に苛まれずにいられるだろうか。
でも、そういう友人らも陰では納得していない。だから他者を攻撃する。自分の所為だなんて思ったら、自分が壊れるし、全てから遠ざかってしまう。
それを僕は見てきたし、実際に攻撃対象になって悲しい気持ちになったこともあるから、良くないよなぁと余計に自戒の念を強くした。
だけど、もう自分の所為にするのにも疲れた。僕も誰かの所為にして、誰かに「もういいよ、頑張ったよ。逃げてきな」と言われたい。
でも、人間はそう言って裏切るから、他者に甘えるよりも自分の命を終わらせた方がいいのかもしれないと、その可能性も捨てきれない。
先日の親との口論以来、子どもが可愛いと思えなくなった。薬を増やすべきかもしれない。
皆が皆、敵だった。あの場に居て、何も言わなかった母親も、解らないという顔をしている子どもも、普段から戸惑ってばかりの旦那も、皆が敵だった。勿論、父親も。
冷静に見れば、父親の言うことは合っているけど、今の自分にとっては難しいことだ。そんなこと言われて支配されるのは御免だよ、と、これくらいのことが咄嗟に思えたら良かったのだが。
真正面から受け止めて、深く傷付いたのだと知った。被害者が子どもなのだと言われた時、じゃあ僕の周りは敵ばかりだから、やっぱり僕のことは僕が救わなきゃ! と声がした。
それから、現実の自分と内側の自分と、明らかに年齢の乖離がある。否、本当は内側の自分は成長していなかったのかもしれない。
敵だ、敵だ、敵ばかりだ。だから、頑張った末にどうしようもなくなったら、逃げてもいい。全て捨てて逃げていい。死ぬくらいなら、そうしよう。だって、僕を大事にできるのは僕だけなんだから。子どもは僕が居なくても育つ。旦那も僕が居なくても生きていける。
そう声がする。僕が言っている。そう理解した。
ただ、友人らと離れるのは度し難い。彼、彼女らのお蔭で今の僕はまだ生きている。生きていけているのに、それらも捨てるのは今までの人生を捨てるに等しい。
やはり家族とは救いにならず、僕の人生を縛り上げ、押し込め、圧壊させるものなのだ。
だったら、責任に報いようと頑張って、頑張って、でも壊れそうだと自分で判断したなら、捨てよう。逃げよう。どこに逃げればいいのか解らないけど、死なずに済むのならそれでもいいじゃないか。
だって、ちゃんと死ねるかどうか解らない。もうこれで終わりだと思った時に「本当は生きていたかった」と気付くのが、とても恐ろしい。だから一歩を踏み出せない。
それに、僕はまだ書き上げていない。何も終わっていない。物語を続けたいと願って、迷いながらも書いてきたのに、それをこんな形で途切れるなど許してよいものか。
解らない。疲れたから休もうと言っても、休んだところで治るかも解らない。
それはたぶん、今後も頑張れる糧のある人が取るべき手段であって、僕のものじゃないな。そうだろう。
休んだって、結局これだ。最初から分不相応なことに手を出していた。
それでも手を出したのだから、最後まで何とかやりたいと思っていた。できるようにならなければと思っていた。
できなかったら?
実家と縁を切り、離婚し、子どもは養育施設に預けることになるのか?
それで、自分の行く末は? あるだけの金を持ち出し、最低限の大事なものを持って、勇気を出して死ぬのか?
死ぬくらいなら捨てて、どっかに行こう。それならできるよね? と、自分の声がまた聞こえる。
ポポルじゃなくて、もっと小さい頃の自分を装った声。この胡乱な精神状態は、信じていた人間に絶縁された時のものに似ている。それだけ傷付いて、行き場が無い。
その場凌ぎの関係を持つだけでは、もう誤魔化しようがない。そんなものはまた面倒なことになるに決まっている。
あ、でも、こんな状態じゃあ唯一無二のものも、きっと近付いてきてくれない。どちらにしろ、僕には救いなど無いんだ。
救われないのか。じゃあ、諦めてここに居るしかないか。
それとも、物語を書くことに集中して、仮初の救済を試みるか。
真の救済を何だと思っているのだ、肉体から後悔なく離れることか。
その後は・・・・・・帰るんだ、世界に。居るべき場所に。ポポルの中に。
そういう蒙昧なものを信じて生きるのも、人間を信じて生きるより、よほど良いのだろう。
相変わらず紅弥達が話し掛けてくれるけど、それに応えることも今は難しい。
内側の声が大きい。被害者ぶっている所為か、どんどん大きくなる。
自分の状態を理解しているつもりだった。発狂もできない、中途半端で哀れな存在だなと。
子どもが可愛くない、皆が敵に思える、僕のことはどうでもいいのか、そうやって庇われる歳でもないが、それはお前らが言っていい言葉ではない。
とにかく憎悪した。妊娠、出産を経た自分を呪うしかない。馬鹿なことをしたものだ。
子どもも、旦那も、実家の人間も悪くない。全ては自分が悪かった。
じゃあどうする? 死ぬしかないんじゃないか。知らねーよ。
2025/10/24
日常
出産を経て、産後うつを経て、元の病状が悪化しつつも、何とか周りの助力を得ながら子育てに従事してきた。そのつもりだ。
自分が死ぬか、子どもを養子に出すかで悩んだ末に、実家に子どもを預け、毎日会いにいくという生活を選んだ。
頭が混沌としていた自分は、その時に何かを決めるのが非常に億劫だった。選べたのはそれくらい。
世間と比べれば、随分と楽な子育て環境にあったと思う。
それでも、時に病状に悩まされ、動けなくなることもあった。
友人と会ったり、睡眠時間を削ってでも自分に戻る時間を確保したり、日々を全うするのに精一杯だ。
周りから見れば、遊ぶ気力があるねって呆れるだろうが。
それらの苦痛や苦悩は誰とも共有できない。自分にしか解らない。
だから孤独なのだ。子どもですら、自分の敵に回るものなのだ。
そんなことを強く思った、父親との口論があった。
もっと強くなれとか、ずっとこのままじゃいけないとか、駄目でも先ずはやってみろとか、被害者はお前じゃなく子どもだとか、腐るなとか、それはもう好き勝手言われてしまった。
いや、相手からすれば、自分が健常者側だと思っている人からすれば、そう言いたくなるだろうよ。
人間は自分に起きたことしか理解できない。相手の立場に立って、寄り添ってってのは、一部の人にしかできない固有スキルみたいなものだ。
誰しもできるものではないと、自分も解っている。
だから望まないようにしてきた、特に両親に対しての諦めは早くにつけたいと、中学生頃から言い聞かせてきた。
その分の希求を友人に向けたがために、何年も経ってからしっぺ返しのよーなものを喰らったわけだが……
友人に対しても、親に対しても、望めることなど僕には無い。というか、許されていない。
父親と話していて、「そういえば、こういう人だったから、自責思考が強くなったし、卑屈になったんだっけな」と、ぼんやり抱懐した。
言っても解ってもらえない、否定ばかりされる、どうせどうせって、頭は飽和した。
悔しいのか悲しいのか、涙だけは出て、言葉少なに言い返しはしたが、聞いてもらえた感じがしない。
親と過ごす時間が少ないのは、子どもが可哀相だ。
そう何回か言われたが、正直、僕のよーな病んだ母親とぴったり一緒に居る方が、悪影響を及ぼす気がする。
それが怖くて、鬱が極まった時に「もっと健康的な親のところへ、そうだ、養子しかない」と思い込んでいたわけだし。
その間、まったく踏ん切りはつかなかった。
養子に出すのも、自分が死ぬのも、恐らく失敗すると解っていた。
何もできなくて、薬を増やすことで日々を全うすることに注力した。
ポケモンのアルセウスをやっていた時、シマボシさんの言葉に奮い立った。
他人の称賛も批判も所詮は他人の感情でしかなく、大事なのは己がどうしたいか。そんな内容だった。
後者はよくよく身に染みていることだが、前者は目からうろこだった。
自分にとって良いものも悪いものも、他人が他人の眼鏡を通して見たものを口にしているだけ。
言葉にした時点で、それはもう別物になっているのだろう。
そんな胡乱なものに振り回されて、自分のやりたいことや気持ちが押し殺されるなんて、随分と退屈な話だ。
だから、父親から言われたことも、父親から見た側面というだけで、僕を破壊するまでのものではない。
というか、もう破壊されきってて何も残っていなかった。
この人は知らない。子どもを産む前の僕の悩みも、地獄の期間も、そこに附随する精神がどれだけ捻れつつ日々を凌いでいるかを。
本当は子どもを持つに値しない存在なのに、分不相応なことをしてしまった。責任は取らなくてはと思っても、病状によっては投げ出したくもなる。
言い訳? そりゃたくさんある。出来損ないの自分に子育てなんて、不可能なのだ。
でも、そうも言ってられないから、薬をのんで、自分に戻る時間を少しでも確保して、どうにかやってきている。
自分のタイミングで決めたかったが、相手からすればちんたら遅いのだろう。
子どもが可哀相ってのも、どうかな。病んだ親の元に居た方が可哀相ってやつなんじゃないの。
話をしている間、自分には味方なんて居ない。誰しもが敵になる。自分を労わってあげられるのは自分だけ、と強く感じた。
子ども優先でやってきたつもりだが、自分の世界の中心は自分だ。
被害者は子ども? 確かにそうだ。僕も被害者なんだ、あなた方の。
だから尚更感じる。歪んだ親元から、一定の距離を保った方がいいと。
本当に、親は僕を追い詰めることにだけは余念がないと嗤いたくなった。
この歳で「親の所為で!」なんて言うつもりはなかったし、子どもを救ってもらえただけで積年の怨恨を帳消しにできる。そう思った。
しかし、所詮は他人。家族で過ごすことが最良だなんて、偶像崇拝みたいなもんだ。
僕にそれを教えられなかった者の敗北で、家族で過ごすことの安心感を理解できない僕が、子どもと四六時中関わるのを是とできないのは当たり前なのだ。
そこまでは頭が回らないらしい。
そりゃそうだ、自分が病の原因のひとつなんて思わないだろう。
ちらっとでも内省したことあんのかい? 無いんだろうね。
いつでも自分が正しいと盲信できる。それも才能だ。
あの子みたいで、腹立たしい。
死にたい気持ちは強く、子どもも大事にしてあげたいが自信は無い。
親は孫のことは大事にするが、手元を離れた子どもは攻撃対象でしかないらしい。
そうやってまだ親に期待する自分に泣ける。目を醒ませ、アホなのか、期待するんじゃないよ。
子どもはいざとなれば、親が面倒をみるのだろ。
あとは僕が如何にして死への恐怖を克服できるか。
死にたいのか、逃げたいのか、そこも判然としない。
薬を増やして挑むべきかもしれない。
何も意味なんて無い。
ただ、やはり出産などするべきではなかった。
僕のような存在がやっていいことではなかった。
2025/10/19
日常
これがそうだとしたら、愚か極まりない。
月の満ち欠け、毎月の体内での現象、いろんな理由を付けてみるけど、結局は精神がまたしても囚われているだけ。
のめりこんでいられるものが無ければ、こんなにも簡単に過去に舞い戻って、ぶすぶすと燻った怒りを持て余す。なんという時間の無駄。
それが解っていても、自分ではどうすることもできない。本当にそこで諦めていいのだろうか。
出産を経て、子育ての間中、いろんなところに対して牙を剥いている気はする。
余裕など無いし、ふとした時に考えは飽和するし、自分を保つので精一杯だ。産んだことに後悔は無いが、相手を見る度に「お前がこうなると解っていれば産まなかった、だから子を持つことを躊躇ったというのに、阿呆め!!!」と侮辱したくなる。
信頼など、とうに失せている。好きにやればいい。家族として生きていくには申し分ないどころか、自分のスペックでは付き合えない部類の人間だということは重々承知しているが、それでも僕が信頼を置けるような人間ではなかった。やっぱりそうだった。
心の拠り所に人間を据えるのは、さすがにもうやめたい。
そう思って、ゲームに没頭していった。隙間時間さえあればゲーム、書くことの内容を考える、それで自分を保っている。
前に自分が書きなぐった小話なども、非常に役立っている。この時のためにも書き残したのだと思えるくらい。体調を崩したこともあるけど、書きたいものをどんどん書いて良かったと思える瞬間。
そうなのだ、やっぱり自分を救えるのは自分だけ。依存したところで、執着したところで、人間には重すぎる。僕のことを受け止めきる人間を捜していたけど、そんなもん存在せんわと諦めがつく。
だけど、友人からは「君はまだ人間に期待しているんだろう」と言われた。それもそう。
昔よりだいーーーーぶ、いや、かなりその頻度や度合は減った筈だが。
それでも、過去を思い出せば、こんなことを言われて傷付いた悲しかった悔しかったということを思い出してしまえば、それをぶつけて受け止めてくれるものを探したくなる。
人じゃないとすれば、不可視の存在か。最近は忙しくて、たまにしか会話をしていない。
一人の時はよく声が聞こえるが、誰かと居るとそっちに集中するから、まぁ聞こえない。
それもいつまで聞こえるんだろう。僕はいつまでその世界の住人でいられるだろう。漠然とした不安をいつも抱えている。
長年、信頼していた人間に梯子を外された。こいつは一生許さないが、どこかで会って冷静に話をしたいとも思う。今際の際で果たされるか。
長く付き合ってきた友人の中の自分の優先順位は下だったと解り、あれだけ話を聞いてきたのになぁと恨めしくなってしまう相手が居る。結局、自分が尽くした分だけのものが返ってこないから怒っているのだ、僕は。
この二人と関わった時間は長いように感じているが、この二人にとってはそうでもないのだろう。僕以外にいろんな出会いがあって、そっちの方が奇跡に近く、楽しいものだったから。
二人に費やした思考の時間も真心も、二人の中の僕の順位が低ければ屑にしかならない。僕はそれが受け入れられない。
諦めがつかず、二人に認められるか、謝ってもらえるまで、一生こうしてモヤモヤしたしょーもないもんを抱えるつもりなのか。不毛な。
これこそが、依存の後の執着だ。僕は執着している、まだ燻っている。
だから思い出して辛くなる。何であんなに僕のことを傷付けて平気なの、他の人と話しているのって落ち込んでいく。
SNSで空リプのよーなことをして試している時だってある、未だに。呆れたね。
そんな愚かな自分に転機は訪れるのか? 僕はちゃんと成長しているのか?
ハマれるものが少しでもあれば、気にせずにいられた。相手に良い感情を向けることができていた。
だけど、余裕が無くなってくると妬ましさや恨みが蘇ってくる。ってことは、その前にあった”良い感情”は嘘なんじゃないか。どんな時にも発揮されなければ、それは仮初なんじゃないか。
こんな相手を選んだ、こんな相手に期待した、自分が馬鹿だった。愚かだった。見る目が無かった。
そんなふうに自分を責めないと、次に進めない。他人を責めても謝ってくれない、認めてくれない。開き直って、逆に傷付けにくる。
だったら、そんな奴らより上にいく。お前達は持たざる者だから仕方ないな、と上から物を言ってやる。
馬鹿にすることでしか、自分を違う存在なのだと思えない。この方法はきっと間違っている。
かといって、世界平和を願えるほどの高尚な精神が今から持てるわけもない。
同じく余裕があれば、相手の幸せを願うことも可能だろう。今はそんなふうにはなれない。願えない。本当は願えない。
じゃあ不幸を願うのかと言うと、それも違う。何も願わない。ただ、また会って話したいとか、遊びたいとか、自分主体で考えているだけ。
僕にとって他者は何なんだろうか。自分が死ぬまで付き合ってくれる玩具か何かだと思っているのだろうか。
以前、診断メーカーをやった時に「他人は自分の玩具みたいなもんだと思っている」と出て、驚いたことがある。そんな指摘を受けたことはないが、妙にしっくりきた。じゃあ、そうなんじゃないか。とんでもないな。
そんな人間に好かれても、そりゃ誰だって逃げるよ。
それに、僕が正義感を翳して物を言ったことで、この二人も少なからず傷付いているし、どこかで嫌になったりもしただろう。
また仲良くなりたいってのも不毛かね。二人とも、自分の選択が正しいと信じている。本当は選んだんじゃなくて、時間切れでそれしかもう行く道がなかっただけなんだけど・・・・・・まぁ、それはこっちの視点からの話だ。
僕にとって、この二人は間違いなく友人だった。二人にとってもそうだったらいいけど、今となっては解らない。
でも、僕はこの二人を大事にしていたのだろうか。この二人の間でも何かあったりしたからな、ここは所謂、カルマメイトってやつかもしれない。魂のレベルで何かあったとしか思えない。
それを視るだけの力は僕には無いから、誰にも話せない憶測だ。いつまでも気になるのは、僕がこの二人を繋げるからだろう。たぶん。
それにしても、しんどい。もう思い出したくないし、嫌な感情を抱えたまま過ごしたくない。
子どもの相手でいっぱいいっぱいなのに、終わっただろう自分の傷痕に苛まれるのはどういうことか。自分の所為だとしたら、やはり最大の敵は自分なのだ。
仲良くできれば良かったけど、もっと僕が言い方を考えられたら良かったけど、今言っても詮無いこと。
これから先、どんなふうに関わっていけばいいのかを考える。
僕が関わらない方が幸せなのかもしれないけど、それは僕が決めることじゃない。僕が関わりたいと思っているなら、考えていかなくちゃ。
執着から手放す方向へ、まだその先は見えない。どうしたらいいか解らない。
感性が似ている友人に相談してみようか。彼ならどんなふうに考えていくだろう。
2025/09/27
日常
妊娠、後に出産という大仕事を、去年の今頃に終えた。
自分は子どもを持つに値しない人間だと既に解っていて、それでも産む決意をしたのは当時の自分に強力なバフが掛かっていたからだった。
案じてばかりでは何も始まらない、きっと書く時の糧になる。
そう考えて臨んだ十月十日だった。
いくら想像していても、やってくる現実は常に想像の一歩先からだ。
やっぱり自分は子を持つべきじゃないし、もう何もかも面倒だ終わらせてくれと何度願ったことか。
子どもは元気に育っている。
自我が強くて、悪戯が好きだけど、人の歌には耳を傾けるという不思議っぷり。
無事に一年を過ごせたことを、ただ嬉しく思うだけなら、こんな悲壮感漂う書き方などしなかったのに。
それとも何年か経てば変わるのだろうか。
何もかも置いて、ひとり消えたいと感じる精神が、少しはマシになっているといい。
2025/07/20
日常