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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

 というものを友人から訊かれて、上手く答えられなかった。
 嫌いな人間のタイプはたくさん居ると思う。「君は人間嫌いだろう」と人から評価されて、「人間が嫌いなんじゃなく、嫌いな奴が人間に多いだけだ」と即座に答えるほど。
 嫌いとまではいかないけど、苦手だからなるべく付き合いたくないタイプーーということでいいのだろうか?

 それをずっと片隅で考え続けていたが、何となく解ってきた。嫌いじゃないけど、付き合わずに済むなら付き合いたくないタイプとでも言おうか。
 細かな情緒のやりとりが声ないし対面でできない人間が、苦手だ。何を考えているのか解らないから、距離を取りたくなる。
 正直、野生動物の方がまだ直感や本能に任せて感情を発露していると思う、そのレベルでこちらから見て感情が死んでいるようなタイプが苦手だ。

 尤も、相手からすればちゃんと感情があるし、表に出しているのに、僕が全く感じ取れていないだけという可能性もある。
 そこを阻害するのが、僕が自負として持っている感受性の高さだ。つまり、自分の感受性に引っ掛からないから、この人の感情は死んでいると、そのように認識しやすいのかもしれない。傲慢な話だが。

 オンラインゲームでフレンドになった人はそこそこの数が居るけど、続いているのはごく微か。それも対面で遊んだことのある人に限られる。
 元来、僕は筆まめな人が好きだ。それは誠実さの一種であり、ちゃんとこちらと関わろうとしているのだと思えるから、好感が持ちやすい。
 反対に筆無精が苦手だ。こっちの時間を何だと思っているのだろうと、嫌悪感や忌避感を抱きやすい。

 最近、フレンドになった人は、連絡すればちゃんと返信がある。だが、主体性は無いように見えた。それがこちらの不満や不安を煽るのだが、まずそういう考えに至らない部類の方のようだった。
 いつメンというものに憧れ、筆無精な人間に辟易しているようだったから、それなら仲良くできるかもと思って、こちらから声を掛けた。
 チャットを介して話をしてみた時、相手の感情があまり窺えず、振る話題に苦労した。というか、ほぼこちらが喋ってばかりだった。

 二回目の遊びの時、通話しながら遊んでみた。聞かれたことには答えるけど、自分からあまり喋らない人だった。
 それどころか、話題を膨らませることもなく、粛々とコンテンツを消化し、こちらは振る話題に窮して、終わった後に「ただの接待だなぁ」と疲労感を覚えた。

 そこで思い出したのが、別のオンラインゲームで仲良くなったフレンドのことだった。
 その人もやっぱり返事はちゃんとしてくれるけど、チャットではあまり自分のことは話さなかったし、こちらにも興味が無いようだった。
 通話もしたことあったが、会話は弾まず、これでは疲れると思って僕はチャットに切り替えた。
 しかし、戦闘中にボタンひとつで送れるスタンプ機能はよく活用する人で、こちらがナイスプレイを見せると、すぐさまスタンプで反応してくれて、そこは嬉しかった。

 ここで疑問なのが、僕がどういうフレンドを欲しいかということだ。
 これもまた生来の気質だが、僕は会える友人が欲しいと思う傾向にある。ネットを介して会った人でも、いつかは生身で喋りたいと思い、それをずっと実行してきた。
 ネット上だけで完結する関係というものは、あまり自分に合わない。それは若い頃から理解していた。
 「何でそんなに会わないといけないのか?」と訊かれたこともあるが、会った方が相手のことが解るからに決まっている。物理的な距離をすぐ覆すことはできないけど、生きている間に何度も会っておきたいのだ。
 まぁ、この質問をしてきた友人も、文章と実際に会って話すのとでは印象が大きく変わる人なので、そういうタイプは僕みたいな会って話すタイプがあまり好きではないのかもしれない。

 なもんで、スタンプで反応してくれるフレンドと遊ぶのは楽しかったけど、実際のチャットや通話で盛り上がれなかったのが残念だった。
 後にこの話をカウンセリング先でして、「実際の細かなやりとりよりも、ゲームを通したやりとりの方がいいのかもしれないね」という意見を貰い、成程と合点がいった。
 相手が欲しいのは、ゲームができるフレンドだ。それ以外で関わるつもりがない。リアルに居るような友人ではなく、ゲームを一緒にやるだけのフレンドが欲しかったのだろう。
 だから向こうから誘ってきたことは無いし、こちらから別ゲームに誘っても反応が無かった。

 ・・・・・・それは僕から見れば、ゲームフレンドbotでしかないが。

 そして、今回のフレンドもそれに近い。スタンプ機能は無いから、意思疎通を取ろうとすると通話ありきになりがちだが、自分から話を振ることがあまり無ければ、相槌を打っても話を膨らませる気が無さそうと窺えるところが、とっても苦手だ。
 事前に「話下手なので」とか何とか言ってくれれば、こちらも配慮できるんだけど、それが無い。相手が話しにくいかもとか、こう思うかもっていう予想や予測が立てづらいのかもしれない。

 僕は感受性が人より優れていると自信を持って言えるし、細かな情緒のやりとりが得意だ。それは対面の時に最も発揮され、余裕があれば通話でも何とかなる。
 だが、今の余裕の無い僕では、感受性ばかり過敏になって、相手の受け取らなくていいものまで受け取ってしまっている。
 僕は自分の得意な分野で相手を知ろうとし、仲良くなろうとしていたが、それが相手にとっては重荷になっていたのかもしれない。こっちのペースに合わせなきゃいけなくなるからね。

 ・・・・・・とはいえ、初対面の相手なら気を遣って、何が好きですかとか、これはどうですかってところを切り口に話を始めるもんだと思うけどな。
 この辺は接客経験が無いとできないことか、そも相手に興味を持っていなければできないことか?
 とにかく相手はゲームを通してでしか、こちらと関われないのかもしれない。

 どうしよう、そういう人は僕に必要ない。

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 大学時代の友人と一年に一度は定期的に集まるようになって、何度目か。
 今日もその会に行ってきたわけだが、そこで意外なことを友人に言われたので、整理するためにも書かずにいられなかった。

 なにせ引っ越してからこっち、自分の部屋は無いし、家族とは扉一枚隔てているだけで、以前よりも物音はよく聞こえるし、独り言もばっちり聞こえる。
 そんな環境で書けるかーいって、半年近くほぼ何も書かなかった。書けなかった。
 もっと一人になれる場所で~なんて言っていたら、このまま書けずにいきなり死にそうだ。そんな焦りだけはあって、条件とか環境とか関係なく、とにかく書き出してみたかった。
 そのきっかけとなったのが今日の会だったので、友人らには感謝せずにいられない。

 僕は明暗で言えば、明らかに暗の方の存在だ。自分でも自覚はあるし、かつて友人だった人、或いは仕事先の人からも「ネガティブな方の人間だ」だの「あなたの話を聞くと暗い方へ引き摺られる」だの、好き放題言われたものだ。
 僕は人の話を聞いて共感こそすれ、引き摺られることがあまり無かった。だから、かつて友人だった人の言う”引き摺られる”の意味が解らなかった。
 今にして思えば、もう交友関係を続けていけるような間柄ではなかったのだろう。喧嘩したこともあったし、その際に相手を泣かせてしまったこともあって、そのわだかまりは解けたものだと思っていたが、相手の中ではそうじゃなかった。同じ次元でものを見ることはできなかったんだ。

 そんな自分に対して、今日会った友人は「君と話すと元気になるし、表現も的確だ」と評価され、もう一人からも「こうした方がいいって押し付けてくることもないし、寧ろ話を聞いてもらって要点が整理できる」といった旨のことを聞いて、とても意外だった。
 更に、先の友人は随分と昔に僕に対して「閉鎖的なんじゃないのか、勿体ない」と言ってきたことがあって、当時の僕はそれに反発したものだった。
 そのことを憶えていた友人は「あの時はそう言ったけど、今にして思えば君はしっかり考えていた。閉鎖的なんじゃなくて、長く付き合える人を見抜いていた。それに比べれば自分らなんて、まだ子どもだ」と言って、「昔の友人が残っているということは、その時からブレていない」と再び評価してくれた。

 意外や意外、僕は誰かに何かを与えられる存在になりたかったけど、実際にはなれないだろうと思っていた。
 確かに、人によって場所によって、話すことや思考を柔軟にしていこうと心掛けてはいたが、自分の軸に沿わないことを話したことはない。八方美人ではない。
 閉鎖的なんじゃないかって言われたことを、まさか二十年近く経って「自分の見方の方が誤りだった」みたいに言われるなんて、思わなかった。
 その時の僕は図星を突かれて、こいつに何が解るんじゃいって怒って、それで反論していた気がする。
 子どもじみた反抗だったのに、二十年近く経って友人は自分の認識を改めた。その一つの答えのようなものを聞けたということが、僕にとっては偉大な奇跡だ。

 それに、もう一人の友人が言った「話を聞いてもらって整理できる」というところは、僕がよく会う友人に抱く感想そのものだった。
 彼女は筆力もあるし、思考する力もあるし、僕なんかよりよっぽど読書家で、ゲーマーで、他人に左右されることはない。そんな彼女に自分に起きたことを話すと、客観的な視点からずばずば言ってもらえるので、僕の思考の組み立てにとても役立つのだ。
 そんな役割を、まさか自分が誰かにしていたとは。話を聞けて良かった。

 僕の存在価値なんて、友人によって認められるところがやっとだ。
 家族も旦那もその他の人間も信用ならないところがあるけど、自分が選んだ友人達は今でも好きだし、できる限り関係を続けていきたい。相手の人生に関わることができなくなったとしても、その幸福を願える自分で在りたい。
 ただ、この先を生きていれば別れは必ず来るだろうし、或いは予期せぬ訣別が待っているかもしれない。既にそんな訣別を経験した僕は心が壊れて久しいが、友人達のお蔭で生きていられる。多くを望まずに、彼、彼女らの幸福だけを願える。
 そこは感謝するかな、訣別した奴に。でも、許すことはできない。また話したいけど。

 僕も、誰かを元気にできるようなことを話せるんだ。
 TPOを弁えてこそだし、もしかしたらそう言ってくれた友人だって僕の話をもっと深く聞いたら、自分の感覚をまた訂正することになるかもしれない。
 だけど、今日聞いた話は間違いなく友人が感じたことだ。それを伝えてもらえるだけの成長を、僕はきっと遂げている。
 それ自体はきっと喜ばしい。良いことだ。僕の糧になる筈だ。信じたい。

 僕は彼らの死を見届けてから、死にたい。友人らの老いと魂の旅立ちを祝福したい。
 最後にそんな我儘を言ってもいいと思う。僕だっていつ死ぬか解らないけど。


まさかこの歳まで生きていられるとは思わなんだ。
更に、光を望むような考え方を保っていられるとも、思わなんだ。
これまでの生き様に、どんなことを感じてきたろうか。
十年前の自分はいったいどこまで予想できていただろうか。
今となっては笑うしかない数々の出来事で、この十年はあまりにも長かった。

その間にも、対人関係は深くなり、或いは離れていった。
自分から繋ぎに行ったものもあるし、手放したものもある。
二十年も信じて終に梯子を外され、それがきっかけで思考も生き方も洗練された。
より強く、より孤独に、より逞しく、しかし戦い抜くだけの勇気は未だ持てない。
半身となってくれるような存在を求め、人間以外の存在と懇意にしながらも、己の無力さや未熟さを痛感している。

人間として、というか生命としての役目をひとつ終えることはできたが、生み出したものに最後まで責任が持てるかは解らない。
自分にはできると思っていた当時こそ、マタニティー・ハイだったのでは?
よくもまぁ分不相応なことを願ったものだ。
だが、それを嗤うことのできる者がどれほど居るだろうか。

自責思考の始まりと、諦観からの狡猾さを学んだ。
やはり敵は敵のままだ。味方とする必要はあるが、最後まで信じず、気を抜かずに対峙することだ。
稚い自分の過去から学んだ怒りと教えを無駄にする勿れ。
兎にも角にも油断を見せてはならない、相手を喰らう程の覚悟で以て、人間とは関わらねばならない。

傍らで、自分の証明を欠かさないようにしなければならない。
即ち、書くことをやめてはならない。歌うこともまぁやめない方がいい。
昨日観た銀魂の映画は魂が震えた。生き返った。
こんなふうに誰かに何かをもたらすものを書きたいと、久しぶりに考えることができた。
それは晩年になって達成されることかもしれないし、一ヶ月後にはできているかもしれない。
今はまだ力が足りないし、誰かの為に書く気にもならない。
この感動や情動を礎に、またひとつずつ積み重ねていけばよい。
僕にしか書けないものを書く、それが至上の歓び。それは昔から知っている唯一の幸福の体現だ。

僕はどれだけ僕を失わずにいられるだろうか。
来年はまだ生きているだろうか。
大事にしたいものをどれだけ持っていけるだろうか。
来世に期待して死んだ時、目覚めるのはポポルの元だろうか。
永い旅路の果てに得るものは、魂に刻み込まれるのだろうか。
唯一無二の存在にいつ会えるだろうか、今の僕では役不足ではないだろうか。
あのひとはいつまで待っていてくれるだろうか。

僕は弱い、だから強がる。
この世の何もかもを統べるかのように振る舞い、数多のものを下に見ながら、天を仰いで自由を描く。
誰の追従も許さない。きっと辿り着いてみせる。
セレナ達と生き残って、堂々とした死を迎えてみせよう。
大いなる力に殺されるか、小さな怒りに殺されるか、そこもまた解らない。
あとどれだけのものを生み出せるだろう?

光だ。何もかもが輝いて見える。
それは死のうとした時に見えた光景に似ている。
何もかもくだらない。何もかも素晴らしい。
空が飛べないなら翼は偽物だ。
飛ぶためには今のままじゃ駄目だ。
早く次にいきたい。僕はここにいる。失われて堪るかい。

ランディに寄せて。紅弥の手を取って。
まだ巫子でいられるだろうか。死の間際まで気高くいられるだろうか。
ただの妄執、それとも真実か、もう一歩だけ世界の先をいきたい。
僕には翼がある、脚がある、力がある、そう信じないと生きていけない。
本当は疲れた。信じたくない。捨てられるのはもう嫌だ。
そんな自分に何かが手を差し伸べてくれる瞬間を、まだ待っている。永遠に来ないかもしれないのに。

ただ、光だけは射し込む。僕を焼き尽くすための光がそこにある。
照らし出された輪郭も影も僕に違いない。
すべて呑み込むほどの影と、灰の中から生まれ変わる奇跡をください。誰に頼めばいいのか。

絶対に呑まれない。人間にはもう負けない。
喰らってでも生きてやる。お前らに負けやしないからな、と啖呵を切りたい。
お前らを焼く光を、きっと。

この小ささが、醜さが、如何にも僕らしい。
愛される悦びを、選ばれる歓びを、あなたが、どうか。


 それらが溢れているのだと思う。

 久しぶりに書ける機会を手に入れた。
 最近、PCを家族が持ち出しているので、二ヶ月近く何も書けていない。
 小説どころか、ブログすら書いていなかった。
 なもんで、久しぶりに書いている今がとても楽しい。
 アウトプットは大事だ。誰かに話すことも大事だけどね。

 友人が昔住んでいたという場所へ連れていってもらい、楽しく過ごした後だった。
 その子が何度か話に出してきた人があまり好きじゃなくて、どう反応していいのか解らなかった。もっと言えば、話をしてほしくなかったのだと思う。
 FF14絡みで知り合った人で、精神的に脆い部分がある人だから理解できるだろうと友人は踏んで、僕にその人を紹介してくれたようだった。
 その人自身と僕とは話したことがない。いつもその友人か、後にその人の恋人となる人を入れてしか、遊んだことがない。
 だから、僕はその人がどんな人なのか知らない。解っていない。

 解っていないなかで、その人は度々病んで約束を反故にすることがあった。今日遊べると言った数時間後に「体調が悪くて」と、自分の思い通りに動けないようだった。
 最初はそれも辛かろうと心配していたけど、やがてその人がインしなくなり、元々僕が進めたかったコンテンツをクリアする計画はやっぱり頓挫した。
 人数不足を補い、あわよくば仲良くできればということで知り合った人だったけど、ものの一ヶ月で不信感を抱くことになるとは。

 でも、その人の恋人も、友人も、その人と今でも変わらず遊んでいる。そこに僕は居ない。祖の人も僕と遊ぶのは気まずいだろうと思う。
 僕は二人から事情を聞いただけで、本人から直接の謝罪や説明はされていない。
 そんな状態で何ヶ月か過ぎ、友人がその二人と遊んでいることがあると知り、友人と遊びに行った際にその人の話をされて、かなり苛立ってしまった。

 僕のその人に抱く印象は極めて悪い。精神的に脆いとはいえ、ドタキャンはやはり嫌な気持ちになるし、説明はあって然るべきなんじゃないかとも思う。
 その人との間に知人よりも進んだ関係性があれば、ここまで苛立つことはなかったかもしれない。周りの人間がどう言おうと、僕にとっての評価の軸は僕の感じたことだけなのだから、そこで躓いたなら、その人が挽回しようとしない限り、僕から歩み寄ることはできない。
 約束を反故にして悪いと思っている、薬をのんで怠いから起きていられない、それらを本人から聞いていれば、違ったのではないか。
 そこまで説明する義理が無いと言われれば、やはりその人とは関わらないようにするだろう。
 共通の知り合いが居るから、僕が一人でモヤモヤすることになる。

 ドタキャンは昔によくやられた。その友人もやはり余裕が無くて、「ドタキャンされて辛かったんだよ」と言った時に「でも君も季節の変わり目とかに来てたよね」と返されたことがショックだった。
 季節の変わり目だから本人やその子どもが熱を出してもしょうがない、とでも言いたげだった。僕はただその時のことを「あの時は余裕が無くてね、ごめん」とか言ってほしかっただけなんだけど、その謝罪ってのはこんなにも難しいことなのか?

 加えて、現在僕を苛立たせるその人と、友人が仲良くしている恋人の仲など、僕にとっては何の関わりも無い。
 だけど、友人からその話が出てくる。出てくる度に、ヘテロは嫌だなと嫌悪感が頭をもたげる。聞くに値しないと思っているのだろう。
 無礼者が誰とどう付き合っていこうと、僕に謝罪してくれなかった時点で、遠い国の出来事のようなものだ。現実味が無い。
 というか、恋人に誠実に在る前に、こっちに誠実に在れよ。僕は友人ですらないのに、貴女を許容しようとしたんだぞ。

 結局、僕は自分を蔑ろにされて怒っているだけだ。
 そして、友人にそのことを伝えられず、持て余している。
 僕は友人と仲良くしたくて、僕のことを解ってほしいとまで思っているけど、友人にとっての僕はその他大勢とあまり変わらないのだ。
 変わった関係性をまた誰かに期待している自分に、心底、嫌気が差した。というか、馬鹿だろう。本物の馬鹿だ。
 あれだけ痛い目に遭っても誰かとの稀有な関係を望む、その頭の中は大層なお花畑だろう。僕の愚かな希求が、僕自身の首を絞め上げている。

 こっちを蔑ろにしている人間にまつわる全て、気に入らない。関わりなど持てない。
 恋人を大事にするけど、それ以外は踏み台とでも無意識に考えているんじゃないか、恋愛主義の異性愛者は。無礼者。
 友人が憶えているかは解らないが、僕は大事なものを失う羽目になったから、恋愛感情も異性愛者も蛇蝎の如く忌み嫌っている。
 その感情が揺さぶられる。自分にとってそれは苦しいものだ。
 だけど、それらは友人にも、例え無礼を働いたその人や、その人を支える恋人には関係のないことだ。だから、僕は強い理性で以て対応する。

 そうだ、僕は精神的に脆いけど、病んでいるけど、そんじょそこらの人間とは潜った修羅場の数が違う。
 思考する能力も、どれだけ自分が辛くても他者を優先できるだけの理性を、僕は持っている。
 かつてドタキャンした上に言い返してきた友人や、今回のその人にはそれらが無い。自分が辛くなれば周りを犠牲にし、他責思考であることを厭わず、恋愛やその時の友人関係へと逃げ込み、不義理を働く。そして、それらを忘れる。

 僕の根底にあるのは、恋愛感情と異性愛者への嫌悪、自己愛、自分の苦痛を抑えられるだけの理性と思考能力、自責の念が転がっている。
 特に自責の念は強く、どれだけ他者の所為にしようとしても「そんな人間を信じた自分が悪いのだ」と返っていく。
 他者を馬鹿にすることで、卑下することで、何とか自分を保っている。そんな僕を周りは馬鹿にするし、大事にできないだろう。だから僕は僕だけを愛する。

 とにかく、疲れた。危うく今日の遊びの場に二人を呼ばれるところだった。
「次は二人も呼べるかもね」と言われて、上手く答えられなかった。僕は黙っていてもいいかな、なんて思った。そんなの、成人して十何年も経った人間の対応じゃないよね。

 でも、気を遣ってしまうんだよ。自分に余裕なんて無いのに、嫌なのに、気を遣ってあげようとするんだよ。
 そこに感謝してくれる人も、「お前が辛いんじゃないのか」て気付いてくれる人も居ないのに。僕を保護できるのも、庇護できるのも、僕だけなのに。

 嫌いだ。異性愛者は嫌いだ。恋愛感情で幸せいっぱいに笑う人間どもも嫌いだ。早く生命の本分を果たして朽ち果てろ。僕から大事なものを奪っていくな。
 友人にそういう本音を吐けないのは何故か? 友人は、その二人と仲良くやっているから。そこに余計なものを挟みたくなかった。
 ほらな、気を遣っている。僕は僕のことが話せない、それだけでこんなにも辛くなるというのに。馬鹿だ。馬鹿だ。

 僕の居場所を奪うのは、いつだって異性愛者の恋愛感情だった。
 傷付けてくるのも、約束を破るのも、全部そうだったじゃないか。
 もう近付くな。
 それから、僕自身もよく弁えろ。特別な人間など、居ないんだよ。
 セレナ達みたいな存在でもなきゃ、義理に厚い関係なんてできないんだよ。
 人間に多くを求めるな。そうしなくていいように、僕は僕だけを愛し、信じ切るしかない。

 ルーンが出したハガルは、ここに掛かっていたみたいだ。
 つくづく当たるよな、ルーンは。
 なら、僕が話し合いをする日は来るのかな。唯一無二の関係は作れるのかな。
 さっきと言っていることが違うね。結局はどんな時でも頼れる人が欲しいんだね。

 お願いだから、目を醒ましてくれ。そんな希望は持つんじゃない。


 所詮、素人がネットで調べて「こういう事例に当て嵌まるかも」と思っているだけだが。

 鬱、不安障害、愛着障害、アダルトチルドレン等、自分に該当しそうなものはたくさんある。
 それらが環境による原因で育った根源的なもので、成長していく自分がどうにも消化できなかった成れの果てということも。
 原因は家庭にあっただろうけど、こうなった責任は自分にある。この世の不条理は全て当人の力量不足によるものだ。
 そう考えろと、遠回しに教わったのだから。

 だから、時々、他責思考なるものに依存している友人らを見て、羨ましいと思う時がある。
 人の所為にできれば、それを他者に伝えられれば、「私にも悪いところはあった」と言わずに済んだら、どれほどの救いが待っているのだろうか。
 自分の所為ではない、誰かのこういうところが悪かった、毎度その理屈で片付けることができたら、見たくないものを遠ざけて自分を休めることができたら、後の人生で笑うことができるのだろうか。罪の意識に苛まれずにいられるだろうか。

 でも、そういう友人らも陰では納得していない。だから他者を攻撃する。自分の所為だなんて思ったら、自分が壊れるし、全てから遠ざかってしまう。
 それを僕は見てきたし、実際に攻撃対象になって悲しい気持ちになったこともあるから、良くないよなぁと余計に自戒の念を強くした。

 だけど、もう自分の所為にするのにも疲れた。僕も誰かの所為にして、誰かに「もういいよ、頑張ったよ。逃げてきな」と言われたい。
 でも、人間はそう言って裏切るから、他者に甘えるよりも自分の命を終わらせた方がいいのかもしれないと、その可能性も捨てきれない。

 先日の親との口論以来、子どもが可愛いと思えなくなった。薬を増やすべきかもしれない。
 皆が皆、敵だった。あの場に居て、何も言わなかった母親も、解らないという顔をしている子どもも、普段から戸惑ってばかりの旦那も、皆が敵だった。勿論、父親も。
 冷静に見れば、父親の言うことは合っているけど、今の自分にとっては難しいことだ。そんなこと言われて支配されるのは御免だよ、と、これくらいのことが咄嗟に思えたら良かったのだが。
 真正面から受け止めて、深く傷付いたのだと知った。被害者が子どもなのだと言われた時、じゃあ僕の周りは敵ばかりだから、やっぱり僕のことは僕が救わなきゃ! と声がした。
 それから、現実の自分と内側の自分と、明らかに年齢の乖離がある。否、本当は内側の自分は成長していなかったのかもしれない。

 敵だ、敵だ、敵ばかりだ。だから、頑張った末にどうしようもなくなったら、逃げてもいい。全て捨てて逃げていい。死ぬくらいなら、そうしよう。だって、僕を大事にできるのは僕だけなんだから。子どもは僕が居なくても育つ。旦那も僕が居なくても生きていける。
 そう声がする。僕が言っている。そう理解した。
 ただ、友人らと離れるのは度し難い。彼、彼女らのお蔭で今の僕はまだ生きている。生きていけているのに、それらも捨てるのは今までの人生を捨てるに等しい。

 やはり家族とは救いにならず、僕の人生を縛り上げ、押し込め、圧壊させるものなのだ。
 だったら、責任に報いようと頑張って、頑張って、でも壊れそうだと自分で判断したなら、捨てよう。逃げよう。どこに逃げればいいのか解らないけど、死なずに済むのならそれでもいいじゃないか。
 だって、ちゃんと死ねるかどうか解らない。もうこれで終わりだと思った時に「本当は生きていたかった」と気付くのが、とても恐ろしい。だから一歩を踏み出せない。
 それに、僕はまだ書き上げていない。何も終わっていない。物語を続けたいと願って、迷いながらも書いてきたのに、それをこんな形で途切れるなど許してよいものか。

 解らない。疲れたから休もうと言っても、休んだところで治るかも解らない。
 それはたぶん、今後も頑張れる糧のある人が取るべき手段であって、僕のものじゃないな。そうだろう。
 休んだって、結局これだ。最初から分不相応なことに手を出していた。
 それでも手を出したのだから、最後まで何とかやりたいと思っていた。できるようにならなければと思っていた。

 できなかったら?
 実家と縁を切り、離婚し、子どもは養育施設に預けることになるのか?
 それで、自分の行く末は? あるだけの金を持ち出し、最低限の大事なものを持って、勇気を出して死ぬのか?

 死ぬくらいなら捨てて、どっかに行こう。それならできるよね? と、自分の声がまた聞こえる。
 ポポルじゃなくて、もっと小さい頃の自分を装った声。この胡乱な精神状態は、信じていた人間に絶縁された時のものに似ている。それだけ傷付いて、行き場が無い。

 その場凌ぎの関係を持つだけでは、もう誤魔化しようがない。そんなものはまた面倒なことになるに決まっている。
 あ、でも、こんな状態じゃあ唯一無二のものも、きっと近付いてきてくれない。どちらにしろ、僕には救いなど無いんだ。

 救われないのか。じゃあ、諦めてここに居るしかないか。
 それとも、物語を書くことに集中して、仮初の救済を試みるか。
 真の救済を何だと思っているのだ、肉体から後悔なく離れることか。
 その後は・・・・・・帰るんだ、世界に。居るべき場所に。ポポルの中に。

 そういう蒙昧なものを信じて生きるのも、人間を信じて生きるより、よほど良いのだろう。
 相変わらず紅弥達が話し掛けてくれるけど、それに応えることも今は難しい。
 内側の声が大きい。被害者ぶっている所為か、どんどん大きくなる。
 自分の状態を理解しているつもりだった。発狂もできない、中途半端で哀れな存在だなと。

 子どもが可愛くない、皆が敵に思える、僕のことはどうでもいいのか、そうやって庇われる歳でもないが、それはお前らが言っていい言葉ではない。
 とにかく憎悪した。妊娠、出産を経た自分を呪うしかない。馬鹿なことをしたものだ。
 子どもも、旦那も、実家の人間も悪くない。全ては自分が悪かった。

 じゃあどうする? 死ぬしかないんじゃないか。知らねーよ。

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