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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
何かの役に立つかもしれないから。
 ここではずっと軌跡を綴っているから。
 精神的なものではなく、肉体的なものはあんまり書いたことないけど。


 金曜の仕事に行く前、昼食を摂った時にたぶん量が多かった。
 その所為でいつものように腹痛になった。
 仕事先でわりと重たい腹痛を抱えたまま仕事をして、家に帰るのも苦労して、気持ちはとても苛ついていた。

 去年、一昨年とあれだけ苛まれ、失い、叩き落されたのに、相変わらず身体は身体の都合で悪くなる。
 特にその週の前の土曜は友人らと久しぶりにディズニーに行ったのだが、夕刻頃に少し早い月経を迎えてしまい、夜のパレード時も帰りの車の中でも鈍痛に襲われ、吐き気と戦っていた。
 あまりにも酷いタイミングで月経になったり、腹痛になったりする自分の身体に心底、嫌気が差していたのである。

「どうして自分ばっかり、こんな目に遭わなければならないのか。少しの楽しみもすっきりと享受させてもらえないのか。どうして自分の身体はこんな出来なのか」
 そんな思考が止まらなくなり、仕事中も帰りの間もずっと考えていた。
 何で自分ばっかり。傷付けてきた奴らは何も気にせず幸せを謳歌して、謝罪の意思すら見せないというのに。
 何で自分ばっかり、失って、痛がって、辛くなって、あいつらは明るい方だけ見るようにして生きている。恨めしい。何だ、この差は。

 思考が止まらないまま帰宅して、口から身体への怨み言を呟いて、少し良くなってきていた腹を思いっきり殴りつけた。何度か殴った。
 どうして言うことをきかない。わたしのものなのに、お前が言うことをきかなくてどうするんだ。もう嫌だ。敵になるな。

 そのまま夕食を摂ったが、少しして腹痛がぶり返したことに気付いた。それも、時々くる激痛の方だとすぐに解った。
 胃腸薬を服用し、耐えられる体勢を取っていつものように身構えたが、その夜の痛みは通常よりも強く、長かった。
 脂汗が出てきて、両脚で立っていられなくて、でもこの痛みのピークを越えれば楽になると思っていた。
 腹痛そのものが始まって、既に五時間は経過していた。

 この苦痛の一時間を越えればどうとでもなると思っていたが、夜が深まっても、痛みのピークが再び来て、これはいつものと違うとやっと気付いた。
 一回の痛みを耐えるだけでも体力を消耗し、精神にも余裕が無くなっていたので、家族に頼み、救急車を手配してもらった。
 救急車が来る前に薬手帳や保険証などを出さねばという意識は働いたが、その場からどうにも動けず、家族に取り出してもらった。

 程なくして救急車が来て、自分の足で歩き、車に乗り込んだ。
 相手の質問全てには答えられず、家族があれこれ説明して、市内の病院に搬送された。
 一口に腹痛で、と言っても先ずは原因を調べねばならず、腹痛の痛みが少し治まるのを待ちながら、CTを撮り、採血をしようとした。
 だが、こちらは痛みで仰向けで寝ることもできず、腕を差し出すこともままならず、ひたすら身体をくの字に曲げるしかない。腹痛時に寝転がった方が楽ではないかという意見が信じられなかった。尚のこと痛むんじゃないか?
 時間は掛かったが何とか撮影できたCTができるのを待つ間、ロキソニンをもらったが、まるで効かなかった。

 診てくださった先生曰く、原因は小腸の軸捻転とのことだった。
 捻転という症状があることは知っていたが、小腸も捻転するとは知らなかった。
「しかも二回りくらい捻れているんだよね。手術が必要になるだろうから、ここだと無理なので別の病院に行きましょう」
 別の病院が決まるまで、わたしはこの断続的な痛みと戦うのかと絶望した。
 だが、もう病院側の判断に委ねるしかない。その時にはもう「痛い」しか言えなかった。

 わたしは血管の見えにくいタイプらしく、点滴をしようとした看護師が少し困っていた。
 結局、左の手の甲に針を刺し、点滴を受けることになったが、痛みが一旦引いたと同時に今度は吐き気に襲われ、嘔吐した。
 とはいえ、昼間からの腹痛で夕食は少なめにしていたので、吐く量も少なかったのだが、吐くのは体力を消耗する。長時間、痛みに耐えていた所為で膝ががくがくしていたが、吐かずにはいられなかった。

 その間、あれよあれよと準備は進んでおり、受け入れてくれる病院が見つかった。隣の市の市民病院だった。
 救急車は十五分ほどで来てくれたが、その時のわたしは吐いて、痛みで朦朧としていて、歩くのもやっとだった。
 本当は歩きたくなかったし、この痛みが続くならもう死にたいとさえ思っていたが、救急隊員の方々も病院の看護師も優しかった。
 そんな方々を待たせるわけにはいかない、困らせたくないという意思で何とか足を運び、自分で救急車に乗ろうとした。
 そこで看護師が「少し強めの鎮痛剤を入れる」と言い、点滴にそれを混ぜたのか、それとも薬そのものに差し替えたのか・・・・・・記憶は曖昧だが、処方をしてくれた。

 救急車に二回乗ったわけだが、どちらでもストレッチャーに寝転がることができず、無理を通してストレッチャーの上で蹲っていた。本当は運転で揺れるからいけないのだろうが。
 市民病院に急ぐ間に強い鎮痛剤が効いてきたのか、痛みが遠のいていった。病院に着いた頃には、通常時にほぼ戻っていたくらいだ。
 ストレッチャーで運ばれ、処置をするための部屋に着き、検査を受けることになった。
 この頃には痛みが一時的に治まっていて、自分で受け答えもできるようになっていたから、鎮痛剤は偉大だとか考えていたように思う。

 市民病院でも血液検査とCTスキャンをすることになり、今度はちゃんと協力することができた。
 こっちでも看護師はどこに針を刺すか迷い、右手の甲に針を入れられた。両手に点滴か薬なんて、まるでブラボの実験棟だなぁなんてぼんやり思った。
 この時点で夜中の一時は過ぎており、検査とその結果が出るまでは二時間を要していたように思う。
 痛みがほぼ無かったので、自分の足で歩けそうだったのだが、トイレに行こうとすると車椅子を押してくれた。
 CTの部屋が機械のために温度を下げていたので、そこであまりにも冷えていたわたしは何度もトイレに行きたがり、そこは申し訳なく思った。向こうだって暇じゃないのに、と。

 市民病院に来て三時間、激しい痛みに苛まれていたのが嘘のように鎮まっていて、わたしは余裕を持って待つことができた。
 結果を教えに来てくれた消化器科の先生も、先の病院の先生とやはり同じことを言った。
「確かに小腸が軸捻転を起こしています。それも二回りくらい捻れているので、手術した方がいいかもしれない。血行が悪くなると、最悪、小腸が腐ってしまう恐れがあります」
 何時間も待ってうつらうつらとしていた家族とその話を聞いて、すぐに手術を受けることにした。
 痛いのは嫌だけど、腐ってしまったらそれまでだ。最悪の結果を避けるためなら、多少の代償は払うべきかもしれない。事ここに至って「嫌です」なんて頭に過るわけがなかった。
 先生は丁寧に説明してくれて、こちらの不安を最大限に無くそうと言葉を尽くしてくれていた。「外科部長と麻酔科の者も立ち会って手術に臨みます」と言われたのが、何だか印象的だった。
 市民病院の方々は親切で、仕事は丁寧だけど迅速だった。そんな雰囲気を肌で感じていたから、手術を受けることに不安は無かったのかもしれない。

 手術への同意書にサインすると、手術着に着替えることになった。
 この時点でわたしは寝間着だったので、それらを袋に入れて家族に渡し、手術の準備ができるのを待つことになる。
 その間に別の方が「手術したらそのまま入院になりますので、こちらを読んでくださいね」とパンフレットを渡してくれた。入院する時に必要なものとか、家族が持ってくる羽目になってしまった。

 同意書を書いているニ十分程の間で手術の準備は整い、わたしはベッドに寝転んで運ばれることとなった。
 「ご家族に何か言っておきますか?」と訊かれて、少なからず動揺した。そんな大事だと思っていなかった。
 それに場合は違うが、麻酔を使うような手術は以前も受けたことがあったから、不思議と怖いとか嫌だとか浮かんでこなかったので、家族に手を振って手術に臨んだ。
 と言っても、わたしが憶えているのは微かな場面だけだ。

 全身麻酔をかけるために背中に細い管を入れ、酸素マスクをつけ、「点滴入れているところから注入します。ちょっとチクッとしますけど、すぐ眠くなりますからね」と声を掛けられた。
 何かがチューブと針を通して、強い熱と共に入ってきた。思っていたより痛くて熱かったので、びっくりした。
 「うわ、熱いし痛い! 何!?」と思った次の瞬間、もう眠っていた。憶えていない。

 そして目が覚めた時、時計を見たら七時過ぎだった。そこでとても驚いた。
 熱い、痛い、何だろって言って瞬きをした覚えも無く、気付いたら七時過ぎ。確かこの部屋に入った時は四時過ぎだった筈なのに。麻酔って凄い。
 けど、自分で身体は動かせなかったので、ストレッチャーか別のベッドに数人がかりで移され、「移動しますね」と声を掛けられた。


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とうとう十年の歳月が流れた。
 手に入れたものは多いが、失ったものも多い。
 失ったものの大きさがとてつもなくて、僕は完全に壊れてしまった。
 自分が幸せになることを許容できるかどうか怪しかったけど、もうそんな次元すらも越えてしまった。
 今はただ死すべき瞬間を待つのみ。
 死ぬのが怖いと思わなくなるそのいっときを願って、ひたすら書いて書いて歌って書いて書いて歌って、自分を表現するのみ。
 それは誰の為にもならないことだし、僕自身の為になっているかも疑わしい。
 だけど書かないと飽和する。歌わないと苦しくなる。
 楽になりたくて、許されたくて、どこかに行きたくて、誰かを手に入れたくて、ずっと続けている。

 十年も経ってしまえば、何かが変わるだろうと思っていたのか。
 何も変わらない。自分が幸せになるとは信じられないまま、死ぬべき時を待っているだけ。
 自分で命を断てないから、そんな元気も無くなってしまったから、誰かが僕の全てを抱えてくれるなら、殺されることも厭わないほど。
 憎しみと孤独を包むゆりかご、僕が死すべき時に迎え入れる何かの懐、その夢を見てただ眠りたい。

 時々思う、十年も経っていたらどんな人間になっていただろうか。
 そんなことを思う権利は勿論、無い。誰かを殺して幸せになれる道理など無い。
 壊れたのも、子宮筋腫で日毎苦しむのも、罰されているからなのだと思えば、甘受すべきなのだ。

 だけど、もう疲れた。
 大事なものを奪われて、誰もその責任を負うこと無く、生殖特化の人間様の踏み台になる時間に、ただ疲れた。
 それでも罰は続くんだね。殺したから、壊したから、呪ったから、許されないまま。
 じゃあ、僕を殺した奴らはどうなる。壊した奴らはどうなる。そいつらは誰に許され、何を失い、どこでその過ちに気付くんだ?
 人間はそんなことも解らないまま生きていけるのか。だから生めよ殖やせよと数を増やすのか。自分の罪を濁す為、誤魔化す為に。
 そんな人間を信じた僕は、確かに愚かだったのだ。

 その中で救いとして受け取れるものがある。僕の生み出した世界で、僕の生み出した子達が、何とか幸せになろうとしている。
 僕もそうして自分の中を整理しながら、どこかへ歩き出している。その先で誰かに会えたらいいとまだ思ってしまうけど、きっと誰も居ないのだ。
 寂寞を抱えて生きていくには、心は脆過ぎる。僕も弱過ぎる。
 そんな僕を許せるのが、ポポルだった。まさかこんなふうに近付くことになろうとは。

 疲れたな。疲れたよ。踏み台にしかならない出来損ないは、誰かの記憶に残りもしない。
 死んでも生きていても、どっちもでいい存在のまま、何かを創って踏みにじられて奪われて、それでも夢見るのは自分だけの侵されない居場所だった。
 可哀相に。叶わない夢を見て、まだ心を壊されて、人間に可能性を見つけようとしている。

 十年経って、ポポルが許してくれた。それだけでいいじゃないか。
 僕は僕を救いたい。失う前に救いたかった。
 殺しても奪われても、罰だと思えば受け入れられると思ったけど、僕にそれだけのことをしてきた奴らが幸福なままなのは、納得できないよ。
 それこそが僕の小さな、取るに足らない価値なんだよって言われているみたいで、悲しい。

 助けてポポル。僕だって仲間が欲しかった。奪われない居場所が欲しかった。唯一無二の時間とぬくもりを知るひとに、捨てられたくない。
 君がそうならないように守るのは僕だ。だから、救われない僕を君の力にしてほしい。
 結局、自分を救えるのは自分だけ。人間に見向きもされない出来損ないにできるのは、それくらいだった。

 大丈夫、きっと死ねる時が来る。怖くなくなる時が来る。
 それこそが僕だけの啓示の時だ。恐れずに踏み出せる、罪が許される瞬間だ。


 人に期待したくないんじゃない、できなくなった。
 誰かに助けてほしいと思っていたけど、その人が僕を助けても何の得も無いとも気付いた。
 どうせ何かを築いたところで、あの子の様に捨てていくのだろうと知っている。
 人間にとっての僕は踏み台で、肥しで、それ以上の価値を求めると罰を受ける。
 それが間違いだと証明できた人も居なくて、僕も証明できなくて、完全に詰んだ。

 期待したところで、誰も顧みてはくれない。
 頑張って書いた物語も、練習した歌も、誰の目にも留まらない。
 そういう人は世の中にいっぱい居る。
 僕より優れたものを作っているのに、見つけてもらえない人が。
 だから、僕よりもその人の方が助けを必要としているんだ。
 僕はそういう人を助けないといけないし、踏み台になりに行かないといけない。
 それで、また捨てられる。踏み台をいつか必要としなくなるのが人間だから。

 書き溜めたものを読んでもらいたいのは何故か。褒めてほしいからだ。
 褒めてほしいのは何故か。そうすると満たされるからだ。
 満たされたいのは何故か。そうしないと生きている実感が湧かないからだ。
 実感が湧かないと困るのは何故か。生きているのにからっぽだったら、あまりにも悲しいからだ。

 人間に多くを求めてはいけない。人間自身が抱えてきた荷物に僕は入れない。
 なのに、承認欲求だとか自己顕示欲だとか、そういったものが邪魔をする。
 漫画だったら良かった? 詩だったら良かった?
 違う形なら、誰かが僕の心の紙片と思って読んでくれていた?
 そうして読んだ後のその人の、いったいどんな糧になるのだろう。
 読んでほしいとは思うけど、何の役にも立たないし、上手いわけじゃないから。
 時間を無駄にさせて、何を共有しようというのだろう。

 僕が人間から必要とされなくなったら、その時は電源が落ちる。
 そういう存在だと割り切るには、まだ傷が足りない。絶望も足りない。
 認めるまでに時間が掛かる。自分を手放すことができない。
 これが三十と余年も生きて、得た感覚だなんて、悪夢の続きでしかない。

 二十年も信じていた人間に梯子を外されて、それでも人を信じられるなら見せてほしい。
 きっとできるようになる日は来るだろうけど、それまで僕の心がもたない。
 人間の真似をして生きてきた心が、もう少しで壊れきるところで。
 あれはきっかけ、僕が死ぬためのきっかけでしかなかった。
 人を信じたらどうなるか、人が何の為に生きているのか、思い知る為のきっかけだった。

 期待したかった。これだけ酷い目に遭っても、どこかで挽回できるだろうと。
 どれだけの傷を負っても、そのうち良くなって、もっと素敵なものが手に入ると。
 長く生きた罰がずっと続く。生きたまま皮膚から肉から削ぎ落されているに過ぎない。
 書いたものを読んでくれさえすれば、蘇られると思っていた。
 そうするだけの気力なんて、誰にも無かった。
 僕だけの母親が居るのなら、その人に逢えば満たされるのだろうか。
 原初の地点へ還ることができれば、こんな苦痛も誰かと共有できて、満たされるのだろうか。

 ずっと書いているのは、そういう話だった。
 手に入れられず、壊れてしまった僕の代わりに、あの子達が手に入れる。
 書き上げた時にきっと満たされる。僕は次の世界を見ることができる。
 でも、書き上げたらそのまま死ねないかなって期待もしている。
 もういいだろう、もう充分だろう、終わりにしてもいいだろう。
 何もしたくない。人間に届かないなら、僕が何かする必要なんて無いんだよ。
 人間がもっと喜ぶことをしなければ、生きている価値なんて無かったんだよ。
 たとえそんな行動をしたところで、僕は捨てられるんだけどね。

 期待する側じゃない、される側だ。何か面白いことをやれよって。
 それすらもされない時がある。何もしなくていいよって。
 生きている意味なんて、そうそう見つかるものじゃなかった。
 苦しくて辛くて、壊れてもまだ傷付くのはどうしてなんだろうか。

 人間じゃなくてもいいよ。機械でもデータでも魔物でも何でもいいよ。
 書いたものを認めてほしくて、歌も声も認めてほしくて、そういう人の中に埋もれているだけ。
 足がつかない海の中でただ沈んで、光を見ることを諦めただけ。
 本当は諦めたくなかったけど、諦めざるを得なくなった。人は僕をもう要らないと言ったから。

 人に期待できないんじゃない、期待しちゃいけないんじゃない。
 捨てられた玩具に未来がひとつしか無いんだったら、僕もきっとそうなる。
 いつか焼却される日が来る。期待すればするほど、その日が早まる。
 死んでもいい、生きていてもいい、何もしなくていい、誰の目にも留まらずに。
 求めるべき人に求めずして、誰にでも求めていたら、そりゃそうなる。
 昔は読んでくれていた人だって、ずっと昔のままじゃないんだし。
 それでも、苦しくて辛い。僕が死んでもその人はきっと気付かないから。

 そういう人間がいっぱい居て、大事なともだちだと思ってきて、そう思っていたのは自分だけ。
 玩具であり踏み台であり肥しであり仮想である、自分に相応しい末路。
 それすらも物語にする。書き上げたらきっと見えてくるものがある。
 それもやっぱり意味の無いことだけど、僕が生きていく上では必要なことだった。
 今は何が必要なのかも、もう解らない。苦しい。
 掬い上げてくれる人が居るなら、早く逢いたい。どうせ捨てられるだろうけど。
 読んでほしい、僕の紙片と想像を。
 停滞するのはもう嫌だ。拷問を受けるとしても、どこかに行きたい。
 受け止めてくれる人へ、僕の価値を付け直してくれる人へ。

 そもそも人じゃないかもしれない。僕と同じ存在かもしれない。
 居るなら応えてほしい。どこに発信して、どこに手を伸ばせば見つけられるのだろうか。
 また期待している。期待できない筈なのに、癖になっている。
 もう何もしたくない。


 ここ一ヶ月くらい、ずっと自分の作り上げたキャラクターの話を書き続けている。
 僕が体験し、獲得し、呪われ続けた地獄を、一つ一つ分解して、再構築して、そこで得たものがいったい何だったのか、探り続けている。
 この作業はなかなか難航しているけど、楽しい。自分を探ることが楽しい。
 キャラクター達は僕の思った通りに成長してくれる。動いて、時々言うことを聞かなくて、だけどちゃんとそこに居る。

 人間は信用ならない。友情を確立するには、あまりにも頼りない。
 幸せは形が無い。これが幸せなんだと思っても、少しのことで嘘に変わる。
 人間達の主目的は生殖だ。だから、そこに満たないものは切って捨てられてしまう。
 僕は人間を成長させるために遣わされた道具だ。だから替えが効くし、容易く捨てられる。
 それでも僕は人間が好きだ、一部だけ。僕もきっと幸せだったから。

 失ったものが大きくて、そこに附随する感情はまだ治まらなくて、きっとこれからも苦悩する。
 僕が長い時間を掛けて得たものを、人間はすぐに踏みにじる。
 被害者面をしていると、憐れまれる。憐みは僕に巣食い、地獄の景色を網膜に焼き付けてしまう。
 誰もが地獄に居る。そこから人間としての目的を果たす為に、意思があるのか無いのか解らない動きを繰り返している。

 生み出すことは苦痛を伴う。記憶を探れば、嫌なことを思い出して、その時にまた舞い戻って、吐き気のするような痛みを味わう。
 だけど、そうしなければ見えないものがあった。キャラクター達だけを苦痛に落とすわけにはいかない。生み出す僕も亦、同じ場所で足掻く。
 その結果、生まれるものは僕にしか意味が無い。もしかしたら誰かの光明に成り得るかもしれない。
 けど、きっと振り向かれない。僕の人生と同じで、誰にも意味が無くて、ただそこに居るだけのもの。

 第二の母の様な存在を失って、それでも尚まだ求めるのか。
 僕ではなく、あの子なら、彼女ならその意味を突き破って、呪いを解けるのではないか。淡い期待をずっと抱いて、長きに亘りタイピングを続ける。

 文章が上手く組み立てられない。ノートに書いても、字が上手く書けない。
 時々、耳の聞こえ方が可笑しい。頭に響いて、がんがん響く。
 大勢の人と話せなくなった。お前達は好きなことばかり言うから、と忌避してしまう。
 一対一で話すのは元から好きだ。けど、今の僕では相手の負担にしかならない。

 こんな状態でも、まだ生きている。もっと罰を受けることになる。
 その間、できるだけ書き残す。意味が無くても、僕の為だけに、あの子達の為に。
 そうやって決意して、表明して、誰かに知ってほしくて、いつも何か喋っている。
 拾われなくても仕方ない。皆の人生には役に立てない。

 僕ではもう無理だけど、アシアとポポル、キリカとメルプアには成功してほしい。
 ちゃんと得たものを繋げて、大事なものを大事と言って、幸せになってくれ。
 僕にできなかったから君達にもできないってわけじゃない。
 乖離してしまう。僕もその世界で旅をしてみたかった。
 切り離すのは辛いことだけでいい。僕はもう充分に苦しんだのではないのか。
 まだ許されない。誰が許してくれるのかも解らない。
 失った瞬間を繰り返し、誰も居ない場所でずっと繰り返し、幸せを幸せとは理解できないまま。

 それで積み上げたものも、きっと壊される。誰かが無作為に壊して、僕はまた積み上げる。
 書いても書いても終わらないもの、ずっと続くもの、僕の中だけで、いつかは外へ。
 ここでたくさん苦しんで、辛いことを飲み干して、そうしたら許されるのか。
 地獄で見るものは絶えず熱を持つ。僕の眼も耳も焼かれたけど、まだ書けそうなら書く。

 いつかは一緒に歌える子が、一緒に積み上げられる子が、出てきてくれるのかなぁ。
 僕と同じように誰かを愛せるひとが、同じように感じられるひとが。居ないか。
 居たらいいな。一緒に歌おうよ。知ってほしい。君のことも教えてほしい。

 見えてくるものが多い。まだ書ける。まだまだ終わらせたくない。
 あの世界では僕は神にも等しき存在で、どんなことだって自由に描ける。
 同じ不自由を背負って、一緒に悩む。そうやって創り出すことが、僕の幸せ。


 新年を迎えて早々に訪れたのは、もう終わったと思っていた話が蒸し返され、また相手の心境に変化があったという報告だった。
 非常に居心地が悪く、また終わった話だからとこっちは気持ちを切り替えて二年ばかりを生きていたので、頭の中が混乱している。

 どうして人間は皆、決めるのが遅いのだ。
 時間は無情に流れていくものだし、その間に手に入れるものや失うものは同じだけの数に収まることが無い。
 だからこそ、決断を迫られた時に凄まじい速度で計算し、想像し、自分の未来を描き出して、なるべくそこに近付けるように物事を決めるものではないのか。
 確かに、その場で決めたことを後で悔いることもあるし、悔いていたけど後々になってやっぱり合っていたな~なんて思い返すこともあるだろう。
 その場になってみなきゃ解らないこともたくさんある。後悔して「あの時あぁしておけば」と思うのが嫌なのも解る。
 でも、何でこの機に言うのだ。もう終わったと思っていただけにショックだ。
 つまり、相手の中では終わっていなかったのだ。

 相手の望みを承諾すると、僕はこれからほぼ自分の時間を取れなくなる。
 周りの友人の様子を見ていればそれは嫌でも解るし、周りの友人が何故その状態でもじり貧で耐えられたかも解っている。
 彼女達は自分で決めたし、対象を愛しく思うことができる。それが原動力となり、独り立ちするまでの間に支えてあげようと思えるのだろう。
 僕にはそういった母性の様なものが無い。
 常に自分の為に時間も人間も消費したい。

 例の一件で精神は破壊された。
 友情や親愛といったものは所詮、人間にとっては彼、彼女がより良い存在となり、別な人間と生殖行為に臨む為の踏み台にしかならない。
 人間の本分は生むことと殖えることにある。
 その目的の為の消費が許されるのは、恋愛や家族といった感情や関係以外の存在や事象だ。友人やら仕事やら趣味やら、何でもいいけど、恋愛と家族というものからすればクソほどの価値も無いのだ。
 そういう人間の方が多い。そして彼、彼女らは最も人間らしくて、本能に忠実だ。生き物としては優秀なんだ。

 勿論、それは誰にでも当て嵌まることじゃない。家族を大事にしながら友人を大事にできる人もたくさん居る。
 だけど、そう思うようになってしまった。歪んでいると解っていても、そう思わざるを得なくなってしまった。

 そういう奴らと同じ行為をする、生殖の為に己を犠牲にする。そんなこと、一度も自分の為に望まなかった。
 相手の為とか誰かの為とか考えたことはあるけど、それも否定されてから気付いた。自分の為に望まなければ、何をやっても続かないものだ。

 周りが本能溢れる人間ばかりで自分が可笑しいなら、そいつらを最大限まで利用してやろうと思った。
 僕は僕の為に生きるし、僕の為に奴らを利用する。人間の本能から外れても自分の為に生きたいと思う人に対して、真心を返すようにしようと。

 そんな僕がどちらかと言えば本能に近い側の人間と関係を結んでいることが、そもそもの破綻かもしれない。
 気付いた時に関係を清算することを申し出たが、相手もハッキリしなかったから、話を終わらせた。終わったと思った。
 こうしたい、いやそんなでもない、やっぱこうしたい・・・・・・と相手の中で葛藤が進んで、再び望みを口にできるようになるまで、二、三年は掛かったということだ。

 気持ちは確かに変化する。前は嫌だったことが今は良かったり、その逆もあったりするよ。
 けど、こればかりは僕に掛かる負担が大きすぎる。自分で望んでもないのに負担を抱えて生きていける気がしない。
 精神疾患持ち、体力の低下、胃腸に難あり、ストレス耐性はゼロ。思考もより偏屈になって、自分の為に生きようと、それを自分に許した矢先の出来事だ。
 なんだってこう人間は考えるのが遅いんだ、そこにまた話が戻っていく。

 厄年の近い歳だと、神社に行った時に見かけた。
 前厄があったとして、去年がそれに当たるなら、成程、確かに厄としては強烈だった。僕の感性を壊し、時間を奪い、呪詛の心を蘇らせたのだから。
 それも年末に収束していき、今は少し落ち着いてきたところだが、そこで新たな厄が降りかかる。もう厄だと思っている時点で、生殖に向いていない。
 本厄がこれなら、きっと今年で僕のささやかな生活は終わる。本当に死ぬことしかできなくなる時間が訪れる。

 或いはその辛苦に耐えれば、僕にすらも変化が訪れて何かが変わるかもしれない。違ってくるかもしれない。
 もし、変化も何も起きなかったら?
 その博打はあまり打てない。人の命が懸かるから。誰かの精神が懸かるから。僕だけならまだしも、周りの人間に耐えられるわけがない。

 契約を結んで六年目になるが、何故もっと早く決めなかったのだ。六年も経てば器の劣化は著しい。
 此方の機嫌や心境の変化を待っていたのかもしれない。そもそも前述の様に、此方が普通の人間と契約を結んだのがまずかったのかもしれない。

 僕だってこんなふうになる前は、あの子との依存を断ち切ろうと必死だったから。
 これが最後の努力になればいいと頑張った結果、契約を結んで穏やかな生活を手に入れたと思っていたから。
 相手の望みを叶えてあげたいところではあるが、僕がぼろきれ以下の精神になることを覚悟しなければならない。

 僕は大事な友人を不当な理由で失って、自分の糧となる創作の時間までも奪われるのか。
 それを誰が慰めてくれる。誰が「その後きっと大丈夫だよ」と保障してくれる。
 奪われる前に手放すのか、できるのか、死ぬこともできなかったくせに。
 本当の厄災が訪れるとすれば今年なのは間違いない。僕自身の器か精神が死ぬことかもしれない。
 けど、それは誰かにとっての喜びになるんだ。僕の死がもたらす影響はその程度のものなんだ。

 人間の為に尽くすべきなのか。踏み台にされた後、また踏み台になって、自らの器と時間を駆使して作るべきなのか、新たな人間を。
 そこに生じる感情も責任も、誰も背負えない。僕にしか背負えない。
 というか、こんな精神状態で十月十日も胎内に居たら流れそうじゃないか。守ることもできない。僕は僕が死なないようにぎりぎりで保つのに精一杯だ。

 支えが欲しい。二人で生きていけるという支えが欲しい。
 紅弥が居たら、或いは叶ったかもしれない些細な願いだな。
 いつもそうやって他者に預けているから、こうして自立できなくなるんだ。
 人間以下の存在として生きてきて、そこだけは未だに反省している。

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