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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

そしてわたしにのみ有効なものだろう。断言できる。

夏がどういう季節であるかを忘れて、対策を怠った。
年がら年中、死にたい消えたいとのたまっていた日は過ぎ去っていたが、その種火が完全に消えたわけではなかった。
きっかけさえあれば、すぐにも蘇るのだと改めて認識した。

先週より一週間、会社に行けなくなった。
それまで溜めていたものが我慢できなくなってしまったらしい。
らしい、というのも、自分ではよく解っていないのである。
「今週は疲れたなぁ、また来週からやるかぁ」ぐらいの気力はあるつもりだった。

原因は解っている。
事務所での先輩♂と居ることへの重圧、
新人に気を遣って話す重圧、
母親が接触を図ってくることのストレス、
この辺りが原因じゃないか。
というか、実際にカウンセリングでそのように言われた。
「今は風船が膨らみきった状態だから、爆発しちゃうわよ」と。
次の週の月曜、爆発した。会社に行けなくなってしまったよ。

この「会社に行けない」という状態が、とても難儀。
仕事があるから行きたい気持ちはあるのに、身体が怠くて動かせない。
そのくせ会社を休むことが正式に決まると、だんだんと身体は元気になる。
家事と好きなことぐらいはやれるようになる。これが誤解のもととは、よく言われる。
適応障害というのはなってみないと解らないもんで、傍から見たらズル休みに見えるだろう。
で、そういう周りの評価をだんだんと邪推するようになって、ますます行きづらくなるという負の循環。怖い!

わたしは5年ばかり患っていて、こんな事態も珍しくないけど、やっぱり身体が動かなくなるとショックだ。
今は結婚しているし、仕事だって嫌いではないのに、何故なんだ、と。いや、原因解っているけど。
原因に対して、わたしは必要以上に恐れることはない。なのに、身体が拒否をする。
心身が別の方向に進みたがっているような感じで、もどかしいもんだ。

このままではいけないと思うけど、どうしていいかも解らない。というか、考えたくない。
カウンセリングで言われて気付いたけど、確かにわたしは我慢していた。
その我慢が爆発したんだと解ると、今度は気力を溜めるために休みを必要としている。もう我慢したくないのである。
一週間程度では気力が溜まらず、その間もカウンセリングに行ったけど、吐き出すだけ吐き出しても駄目なようだった。

今日も休んでしまったけど、とうとう会社に連絡を入れられなくなった。長と派遣先には連絡できた。事務所で電話を取られて、嫌な先輩の声を聞くのが億劫なのである。
こうして自分からどんどん自分を不利に追い込んでいくのだなぁ、と呆れてしまう反面、もっと頑張れる筈だよね、と期待する自分。

今の会社ではこんなことになりたくなかった。いや、半分はなっていたけど。
工場長も派遣先の上司も良い人だから、これ以上の迷惑は掛けたくなかったのに。
仕事だって頑張ってきたから、少しずつ任されるようになったじゃないか。
ただ単に場所が悪いのだ。先輩が五月蠅いのだ。それだけが辛くて、こんなふうになるか?

家庭でも、仕事の愚痴は零さないようにしていた。それも我慢の部類に入っていて、原因にもなっていたらしい。
自分の思った通りに話せないというのは、斯くも辛いものだ。相手の出方や気持ちを気にすることは大事だけど、いろんな感情や言葉に変換できないものを受け取りすぎた。
処理するだけの器がなくて、しかも逃がすこともできなくて、無様を晒してしまったものだ。

だけど、そろそろ動けるだろう。そんな予感もする。
わたしが居ない間にまた悪口言っていようが、その後の態度が悪かろうが、気にせずに仕事ができるのではないか、と。
劣悪な環境での仕事なんて、今までだって何度かあったろう。今回だって行けるだろう。
そう思わないと、外にすら出られない。
どうしようもない甘ったれだけど、なんとか意地を張りたかった。


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何も難しいことなんて無くて、入籍するよっていう話。

市役所に婚姻届を出してきたんだが、準備が不充分で現在は保留という状態らしい。
その足りてない資料さえあれば、この日付で処理してもらえるらしいので、入籍したも同然だな!
物事は自分の都合に良いよーに捉えた方が、暗くなり過ぎなくて済む。

市役所を出た後はおなじみの江ノ島に行って、指輪をお互いに嵌めた。
記念に、と写真まで撮ったりして、少しずつ実感が湧いてくる。
それでも30年呼ばれ続けた名字以外で呼ばれるのは、まだ慣れないんだけども。


久しぶりのえのすい、江ノ島、暑い中でのさんぽ……平日だけど人がそこそこ居て疲れたな。
でも、楽しかった。やっと人並みの幸せを手に入れられたのかなーとか思う。

否、今までずっと幸せだった。
これからもきっとそうだ。
自分で解ってないだけなんだよ。



会社の人間に思うところはあれど、自分が悪いのだと考えながら8ヶ月が経った。
当初は辛かった事務所の空気も、席替えの甲斐あって何とか居られるようになってきたので、少しずつ自分を晒けていけると思っていたのだ。
それはやっぱり夢であったと感じざるを得なかった。

会社の飲み会については、前回が前回だったもんで、今回はどうしようか考えていた。
でも、工場長も居るし、メシに行く若手組も来るから行ってみようかなーなんて。
まぁ、そのうち一番話す奴は大怪我に因り、来られなかったが。

こういう機会は大事にしよう、こういう時にこそ飲みニュケーションなんて思ったが、とんでもない。
やはりわたしには荷が重い。無理だ。

人がたくさん居るというだけで辛くなる。気持ちが悪くなる。
一対一なら話せるのに、たくさん居ると、どこに居ていいのか解らなくなる。
自分の居場所も探せないなんてこの歳で情けない、と居た堪れなくなる。
周りは普通に話している。わたしは話せないでいる。笑えないでいる。
何しにきたんだろう、帰りたいと思ってしまった。

その後も、話し慣れている人達と話したり、工場長に話を振ってもらえたりしたけど、心の中はぐるぐるしていた。
んで、薬飲んでくればよかったーと後悔した。こんな時にこそソラナックス。

工場長からは「もっと素を出していいと思う」と言われた。大丈夫だ、と。
期待してもらえているし、わたしの相談をちゃんと聞いてくれる。頼り甲斐のある方だ。
そんな方の為に仕事はきっちりこなそうと考えていた。それは今でも変わらない。
じゃあ、何でこんなに泣けてくるのか。

やっぱりわたしは普通になれねーんだな、と感じてしまった。
以前なら、こういう場では率先して話していったんだ。頑張ろうと思ったんだ。
だけど、新人の事務員♀を紹介されて、先輩♀に「2人とも人見知りかー」と言われて、何故か傷付いた。
わたしは人見知りだったけど、それを治したんだ。自分からどんどん話しかけて、いろんな人に関わって自分を豊かにしようとしていたんだ。
なのに、いつからこんなに閉ざしてしまったのだろう。
まるで小学生の時みたいに、縮こまって誰かに話しかけてもらうのを待っているような。三十路でそんなんないわ、ないよ。

前はもっと話しかけられたんだ。笑いかけることができたんだ。人に関わるの、こんなに怖がってなかったんだ。
変わってしまった。変えられなかった。わたしは治すことができなかった。
そう思うと悔しくて悲しくて、それなら動けるのかって言われると、動けない。

新人の女の子はまだ若い。初めての会社だし、男性ばかりの飲み会だから、わたしからもっと気を遣ってあげなきゃいけなかったんだ。
だけど、できなかった。自分のことでいっぱいいっぱいだった。
まだ若い女の子を放置して、自分だけ楽しんで、それは駄目だろう。わたしが女の子の立場だったら、そんな先輩にガッカリする。
しかし動けない。話しかけられない。気遣いができない。誰とも話したくない。関わりたくない。わたしを視界に映さないでほしい。わたしを居ないものとして扱ってほしい。

天然石の店で培ったものは多かった。
唯一、喪失してしまったのは社交性。元々なかったものを頑張って伸ばしていたのに、また失われてしまった。
今は人混みも怖い。自分から入っていけない。苦しい。皆等しく怪物で、陽だまりの住人だ。
わたしが話しかけても楽しくさせられない。どうせなにか言うのだろう。

辛いのは気持ちが矯正できなかったことか、それとも誰ともちゃんと話せなかったことか。
わたしはこの3年間であまりにもこわれすぎたのではないか。
悔しいのかな、やはり。

何度か書いていたけど、記事を投稿しようとすると何故かエラーになるので、保存ができなかった。
それが悔しくて暫く書かなかった。
そんな火曜→水曜の瞬間だ。

新しい生活もそろそろ1ヶ月が経とうとしている。
家のことをやりながら仕事に行くというのは、思った程は大変でもなく。
それはたぶん相手と家事を分担できている且つ、互いに自分の苦手な家事をもってもらえるからだ。

いや、ちゃんと話したし、わたしは料理が好きじゃないけど、たまには作ったりする。
といっても、味噌汁とか野菜切ったりするぐらい。
それで充分だと言ってくれる相手の優しさが沁みる。

本当に優しい人だと思うので、大事にしなくてはな。
そのためなら仕事終わった後の掃除なんざ軽いもんよ。

日記を書くのは心の整理をつけたいからなんだが、それが必要なくなってきたのかもしれない。
ここを思い出すことが、そもそも少ない。
たぶん、話さなきゃ爆発するようなことが早々無くて、日々をそこそこ穏やかに生きているのだろう。

ここに書いていた当初は辛いことばかりで、頭も可笑しいままだったし、この先はどうなるんだろーと思っていた。
しかも、思っていただけで、大して何かしていたわけじゃない。
書いたり遊んだりしていたけど、将来の展望といったものは常に無く、隙あらば死ぬといった衝動のままに惰性で息をしていたような感じだ。

それがどうだろう。ここ近年の移り変わりようといったらない。
入籍を間近に控えて、考えることは「この人が居ない朝をいつか迎えるのだな」という気持ちだから、やっぱりわたしはわたしのままなのだが。

忘れていたのだ、きっと。いろんなことを。
前が不幸せだったから、これからその分も幸せになれるなんて思っていない。
いつも目の前を塞ぐのは現実だ、わたしの努力も希望も嗤って根こそぎ奪っていくだろう。
何度足掻いたところで届かない空の様なもので、そも勝とうとか考えること自体がお門違いなのかもしれない。

それでもわたしは書いている。足掻く為にも、自分でいる為にも。
現実は非情だし、わたしは相変わらず妙な瞬間に絶望を覚えるが、人間齢三十ともなれば絶望との折り合いの付け方も解ろうというものだ。
わたしはきっと死ぬまでこの絶望を背負っていくのだろう。
贖罪ではなく、原罪なのだと思う。そう思いたいだけかもしれない。

次の生活が始まるので、ここは一旦終わり。
独身か夫婦かで分け隔てることは考えていないけど、ここもだいぶ長いこと書いているからなぁ。
次はFC2に作って、そこで細々とやっていこうと思う。
お引越ししたかったんだけど、忍者からFC2はできないみたいなので、ここはこのまま残しておこう。

さて、明後日にはもう別世帯。
わたしは絶えず変化に晒されるけれど、もう惑うだけではないのだ。

忘れていたのは、在り方だったのだろうか。


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