忍者ブログ
ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

夏休みの繁忙期を越えられないかもしれない、と弱気なことを言ったミーティング後、5日程、休みをもらうことにした。
それで気持ちの整理がつくとは考えにくいけど、このままずるずる働くよりマシだと思うのだ。

身体と心を休めること。
そして、9月で辞めるのなら、それまでに何をして、何を学ぶべきかを考えること。
これが休みの間に課せられた。自分の為に、店の為にできることって、何だろな。


それはさておき、今日は元から休みの予定だったから、カレシさんと一緒に居たよ。
最初は、向こうの一人暮らしに必要なものを買って、部屋の整理をする予定だったんだけど、ほぼ整理は終わっていた。
だもんで、急遽、静岡は伊東辺りまでドライブがてら遊びに行くことになったよ。


道の駅にあったマリンパークぽいとこで。
今日は雨が降ると思ってたけど、晴れたね。日傘あって良かった。
この辺りの海は透明度が高くて、魚が泳いでいる姿すら見えるのでした。ほへー。


空もとってもきれい。
傾いているのは、逆光でよく見えなくてもシャッター切ったから。
最近、ちゃんと空を見ていなかったからね、こうして写真に収めたり、空を見る時間があるのは良いことだ。

港でじゃがバタ天、アイス、シューアイスなど食べながら、次に目指したのはステンドグラス美術館。
箱根のガラスの森みたいな感じだと思っていたら、来客が少ない上に、パイプオルガンと昔のオルゴールの生演奏が聴けた。なんという収穫!

パイプオルガンなんて、生を見たのも初めてだし、音を聴いたのも初めて。
奏者の方は勿論プロだから間違えなくて当然なんだろうけど、両手両足、更に横に設置されたスイッチを切り替えての演奏ってすごいなぁ。
ドまん前に座って聴いたぜ!

オルゴールは昔の円盤をセットして聴くタイプ。
もっと大きなやつが、昔の箱根にあったオルゴール博物館にあって、回したことがあるんだけど、こっちのはもっと小さめ。
お金を入れるとストッパーが外れて、演奏がされる仕組みなんだって。
このオルゴールの音を聴きながら、どんな人達が何を思ったんだろうな。


ちなみにステンドグラス美術館はブライダルにもよく使われるようだ。
今日も一組、式を挙げた方が居たみたい。お幸せに。


次に、道すがらあったアジアン雑貨を売っている場所へ。
豊富な雑貨の中から、7月に個展を開く友人への誕生日の贈り物を買う。お金無いけど、今この時にしか買えないものがある!
カレシさんも必要なもん買ってて、そのなかで鞄を買っていた。
アジアン系が似合うんだな、君は。ちょっと羨ましい。

ちなみに、ここで飲み物を買ったんだが、アイスのチャイにごっさシナモンかけられて まいった。
嫌いじゃないけど、シナモンは香りがする程度でいいんだよ…(´・ω・`)


来た道を戻って、カレシさん家でまったり。
そういえば、男性の部屋に上がってもそこまで緊張しないな。電気代とか水道代とかは気にしてしまうけど。
どうしても、前の人とのことがあるから、相手の部屋に行った時はなるべく迷惑かけたくない。水道光熱費で責められるのはもう嫌だ。

今の方はとても優しくて、僕のことをとても大事にしてくれる。
だから僕も頑なだった心がほぐれて、結婚とか子どもとか、未来というより将来の具体的な展望を持ち始めた。
…それなのに休職したのは痛手ではあるが。

現実の自分にできることと、できないこと。それぐらい、もう解っていなくちゃいけない。
夢を見る為には現実を見なければならないんだ。僕は働くのが嫌なんじゃなくて、どんな仕事で働いていけるのか解ってないだけだ。

カレシさんの部屋に居る時に観ていたテレビで、某人気講師が「群像の感覚を持つことが大事」と社会に出る上での心構えのようなものを話していたが、そうね、うん、ほんとそうね!!!

自分を客観視した時、何が強みなのか、他の人とどんな連携で仕事にあたるべきなのかが、あまり見えていない。
だから理想が高くなって、現実の自分とのズレで悩んだりする。今が正にそうだ。もっと自分はちゃんとできると思っていた。

群像の感覚を持てば、自然と仕事を選ぶこともできるだろうか。
今のとこ失敗を繰り返して、それでもやっているような状態だけど。

今のカレシさんとずっと一緒にいたいのなら、どんな役目を負い、何を果たすべきなのだろうか。

PR

きてしまった、久しぶりにきてしまった。
電車に乗れなくなり、駅まで行ったものの引き返してしまった。
あぁ、またか。自分で自分が情けなくなりますな。

昨日の休日、さんぽに行こうと思って外に出た時に、上手くさんぽする自分を思い浮かべられなかった。
この時点で「まずいかも?」と思ってはいたのだ。
休職した時も、その前からも、30分近く歩くのは欠かさない。酷い時は3時間近く歩いているけど(これはもう徘徊レベルだ)、大抵は1時間くらい、光を浴びる為、外に慣れておく為に歩くのです。

あとは元から歩くの好きだから、歩くの特に苦ではないんだな。
考えをまとめる為にも歩いたりするし、生活の一部になっているかも。

その歩く行為がもし、嫌だなーとか、しんどいなーと思うようになっていたら?
その時は自分の中で、何かが限界にきてしまったのだと思います。そういう目印になるんです。
同様に、ゲームするとか書くとか、自分の好きなことも、どうも始められない、ぼーっとするって時は、要注意だなー、と。
自分の趣味を楽しむことすらできないんじゃあ、わたしにとっては生きている意味が無いからな。そんな余裕も失せるくらい辛いんだな、と解るんだ。

それが昨日あって、どうにもぼんやりして、どうにも動けなくて、でもたくさん寝れば治るだろうと22時半には寝たと思ったが、駄目だったな。
朝、準備して家を出る頃には身体が鈍くなって、「電車に乗るのか」と思ったら過呼吸気味になってしまった。

それでも親には言えないので、おとなしく家を出たんだけど、駅に着くと改札に行けず、トイレに行ってゼィゼィ。過呼吸になりかけて、余計に焦る。
職場の方々に連絡して、治まってから家に帰って、去年まで行ってたメンタルクリニックに薬をもらいに行ったのでした。

処方されたのは、ソラナックスとジェイゾロフト。以前も渡されていたもの。
そうな、レキソタンからソラナックスに変えたんだっけ。忘れていた。
ソラナックスの効き目は1週間くらい経ってからと聞いたので、飲み続けてみよう。

本当は薬による「頭が誤魔化されている感じ」が嫌で飲みたくないのだが、ここまできたら文句は言っていられない。
仕事も休みがちになり、周りに迷惑を掛けているのだから、薬で少しでも動きやすくなるなら安いもんだ。
…まぁ薬自体は高いな。駄目になった自分が悪いとはいえ、きつい。

ここでようやく現状がのっぴきならない状態まで来たことを、痛感する。
これは続けるか辞めるかではなく、辞めるかで考えないといけないかな。

今ここで働いているのは、
・人間関係が良い、病気に理解がある
・ほぼ定時で終わる
・天然石を扱っている
という良い点があるからだ。

じゃあ悪い点は というと、自分の態度も入ってくるけど、
・仕事に対しての熱意が無い
・対人恐怖症が接客により悪化
・土日祝も出勤
・フルタイムパートだが給料はそんなに高くない
こんなところだろうか。

ネックなのは、仕事に対しての熱意が無いことと、対人恐怖が勝ってきてしまったこと。
去年の今頃はまったく余裕で、多少は嫌な客が来ても、顔に出ることはなかった。
今は顔にも態度にも出ちゃうし、気持ち悪くて仕方ない。喉がすぼまるような感じがして、頭の中は常にパニックの様な状態になる。
「今は仕事だから」と区切っておきたくても、いつの間にか自分の頭がごちゃごちゃになってしまうのだ。

熱意をもって仕事をすると空回りしがちだから、まぁ少しは手を抜いて考えるべきかもしれない。
1年半居て仕事にも慣れてきたし、手の抜きどころも良い意味で解ってきた。

だけど、対人恐怖はどうしたらいいだろう。仕事しながら克服すべきか。
この状態では違う仕事に行っても、仲間に溶け込めなくて、また病むだろうな。現にそれで前の会社は辞めてしまった。
そこと比べたら、ここは人ができているし、何でも話せるんだ。みんな助け合おうとしている。

だから、わたしの仕事に対する目線がどうにかなれば、続けても問題が無いと思っている。
五月蝿くて傲慢な観光客にうんざりして、自分では何も調べようとしない馬鹿さ加減にも笑いすら出てこなくなったが、言うて客ですから。お金落とせば客ですが、その前にも客ですから。
わたしには彼らを退けるだけの力がある筈なんだが。違ったかな。

身体の不調がすぐに出てきて、何も考えられなくなるのは、この陽気の所為か。
パソコンやスマホの見すぎ、気温差による体調不良、女性ホルモンの影響などなど、歳を取ったからこそ、今まで考えつかなかったようなことが原因になってきているかもしれない。

試しに薬を飲んで、朝起きた時は軽くストレッチをして、なるべく朝の光に当たってみよう。
自分の意識をいくら強くもったって、脳内のことが解るわけじゃなし。
可能性のあることは何でもやってみるのがいいだろう。

辞める辞めないについては、今まで結論を出しづらくて、答えるのを先延ばしにしていた。
お店を休職して一旦考えるとか、扶養内のシフトにするとか、手を考えたけど、社保の恩恵を受けられないのは辛いし、支払いやカウンセリング代、或る程度は自由にできる金が欲しいなら、悠長に休みを増やしている場合ではない。
なら、仕事を変えるという話になるけど、変えた先の人間関係を上手くやる自信なんか、まったく無い。

結婚するとか、先が決まっていれば、この金欠且つ中途半端なパートも続けていられるのかもしれない。
けど、それは相手に経済的にも精神的にも負担になる。そんなこと望まない。わたしはわたしの力で立っていたいのだ。それができないなら、結婚してはならないと思う。
ただでさえ貯金が無く、病んでいて、この先も正社員になれるかどうが解らん人間なのだ。この必要かどうかも解らん人間が結婚だなんて、バカ言っちゃいけねーな。
でも、それを夢見ることのできる相手が居るから、ちったぁ自立したい。働いて、自分で自分のこと何とかできて、足手まといにならないところを見せたいのだ。

その気持ちも、焦って仕事を決めようとする様も、2年前によく似ている。
大阪の子にプロポーズ紛いのことをして、正社員を決めたけど、駄目だったな。
そもそも自分の力量以上のことしようとしたから、駄目になったんだっけ。

いつもそうだ、自分の理想に無理に近付こうとして、あれやろうこれやろうってなる。
無理にでも動かないと、自分は変われないのだと思っている。
だけど、何が今必要なことなのか、自分にできることが何なのかが解っていないのは、悲しいな。それでは自信なんて生まれる筈もない。

今の僕は病気を克服する為に、元のシフトに戻して(今は休日10日)、フルタイムパートで頑張っていくのが良いのかな。
これで自信が戻ってきたら、正社員を探すか。或いは、自分のやりたい石の仕事が見つかれば、人間関係を置いて、やれるようになるかもしれない。
いずれにしろ、まだここに居るべきだろうか。

連れに以前、相談した時は、
「次の場所に行ったら、今まで支えてもらっていた分を自分ひとりで できるようにならないといけない。今、支えてもらっている影響はかなり大きいんじゃないか?」とのことで、成程、その通りだった。
だからって、ずっとこの店に居たら、自分ひとりで全然動けなくなりそうだけど…それも怖いけど…。

何するにも中途半端で、駄目ですねぇ。
何だったら、人並みにできるのだろう。
でも、そうして自分のハードルをガチ上げするんでなく、「自分にはここまでしかできないからこそ、ここまではがんばろう」って思うことも、必要なのかもしれない。

結局、答えらしい答えは出せない。
まだ悩むようかな。
とりあえず、薬でまかなえるのなら、月8日休みに戻さないと、まったく稼げない!


ここ3ヶ月、そして2週間ほど、自分では結構重たい症状に悩んでいる。
とにかく疲れやすい。人と話すのが嫌だ。接客業だから仕方ない、仕事だから仕方ないと割り切ろうとしても、身体がついていかない。
それでも無理矢理にでも動く。そうすると、どこかで歪みが生じる。どう解消していいのか、解らない。

落ち込みやすいのはいつものことだけど、こんなに落ち込むものかと驚いた。
どうしてこんなに落ち込んでいるのかも、解らない。以前より、良い環境になったのに。
もう原因がどうとか、そういう次元ではないのかも。脳内で認識できる事柄から離れた場所で、僕の意識や身体を苛む何かが成長を続けている。
だから、店に居ても頭の中がパニックになる。何をしているのか、解らなくなる。
時々は一日、余裕をもって動くことができる。今日は駄目だった。

こんなことを繰り返していると、いろんな声が聴こえる。
もう死んだ方がいいのか、でも死ねないじゃないか、もう動きたくない、誰にも会いたくない、まだそんな弱っちゃいない、ここで休んだらもう動けなくなる、しっかりやらなきゃ愛想尽かされる、もうしんどい、まだやれる、もうやれない、僕には何も期待できない、何も気にせず自分の為に生きなければ。
こんなことが繰り返されれば、パニックになる。仕事中にいきなり考え出してしまう。「今はそんな場合ではない」と思っても、全く考えが止まらない。
集中している間は考えずに済むのに、気が緩むと駄目になる。

疲れやすい。もう動ける気がしない。休みたい。部屋から出たくない。
けど、そういうふうに動いたら、余計に何もできなくなる。それが怖くて無理にでも動いている。
親に相談などできない。あの人達に助けを求めても仕方ない。誰に助けを求めるわけにもいかない、こうなったのは自分の所為だ。
だから、ここから助かりたかったら死ぬしかない。だけど、死ぬこともできない。それではずるずると生を飽食するしかなくなってしまう。

何でこんなに悩むのだろう。どうしてこんなに落ち込むのだろう。
僕はどうなりたいのだろう。
こんなに疲れて、しんどくなって、いったい何をそこまで感じているのか、自分でもまるで解らない。
ただ何となく思うのは、いろんなことが重なって、潰れて、自分のなかに染み込み過ぎたんだなってこと。
何か行動を起こそうにも、時すでに遅く。自分の中が潰れてから、店長と話したり、本社の話を聞いたから、余計に駄目になった。

まだ仕事をできるだなんて、思っていない。もう休ませて。辛い。
そんなに追い詰めちゃだめだよと言われる。追い詰めないと動けない。生きていけない。
身体に鞭打って、みんながんばって生きているのだろう。
それが僕にはできないのか。みんなと同じようにがんばれないのか。

もうちょっと自分はできると思っていた。働けるようになったと思っていた。
これじゃ休職していた時と何も変わらない。がっかりだ。
何もしたくない。


連れが平日休みだというので、車にて静岡まで行ってきた。
沼津港にあるシーラカンスミュージアムを見てみたかったんだ!

シーラカンスの冷凍づけと、剥製と、なかなかの迫力ですな。
それに別の魚たちの透明標本もあったし。けっこう好きなんだ、あれ。不気味に感じる時もあるけど。

沼津港で食べたネギトロサーモン定食、ほんと んまいの。美味なの。
海鮮が食べられる人で良かった!
あぁいうとこの酢飯と味噌汁はホッとする味で、とてもいい(´ω`)

沼津港をぷらついた後は、白糸の滝に向かう。
本当は松原に行くつもりだったけど、時間的にどっちかしか行けないってことで、白糸の滝を選んだ。
水でいろんなことを流したいと思ったのかもしれない。



音止の滝。すごい迫力。








白糸の滝、本命の方だ。
本滝の一部を除いて、あとはみんな富士からの湧水なんだって。ほへー。


ここで滝を見ていたら、何で水が怖いのか解ってきた気がした。
同時に、何でせせらぎを じっと眺めて意識を手放そうとするのかも解ってきた。

昔から水が怖かった。単純に、泳げないからかなーとか、息ができないからかなーと思っていたけど、それ以上に留まることなく流れ続ける奔流が怖いんだ。
それは恐怖というより畏怖で、畏敬の念があることに気が付いた。

水を見ていると、淀みなく流れるそれに任せて自分であることをやめてしまえる。
いつも自分であることに拘りはするけど、どこかで自分でいることは面倒だとも考える。
それで、川のせせらぎにすら身を任せてしまいたいと思うのは、よほど自分の中に何かが溜まっているのだろうと思った。

特に最近はチカラを使うことなんざ無くても、人間から受け取ったもの、自分で勝手に悪化させたものと、いろいろあるから。
Syrup16gよろしく「許し難いまで腐りきった 魂は水で洗い流して」と思って、水に触れて自分の中に清いものを長そうとした。

ここは良い場所だなぁ。
一緒に行った連れはまだ僕のそういう変化には疎いから、あんまり真剣になれなかったけど。
また来たいな。涼しくて、音が近くて、舞う飛沫に茫然とする。


しかし、今日一番の収穫は、近くの土産屋一帯でただ一軒あった、石屋で買えたブレスレット。
ガーデンクォーツを3,000どころか、2,500で買えたのだ!
店主の優しさプライスレス!


そこの店主は親子でやっているらしくて、買い付けにも自分らで行くのだと。
だから、こういう値段設定ができるのかって解っても、いやーうちの店が如何に雑魚かを思い知らされた感じだ。

石の種類がとにかくすごく多くて、市場にあまり出回らないようなものもあった。
ブルースギライト、日本産のサンストーンやロードクロサイト、ハックマナイト、北投石など、貴重なものばかり。
さすがにアレキサンドライトやフォスフォフィライトなんて、そこまでは無いけれど。
それにしたって、そのへんの店では見られないようなもんばかりよ。

すごいのは、ラリマーが山積みにされていたり、大きなアメジストや水晶のクラスターがあったりするのに、それだけではないところ。
お店に売るもの以外を、また取引している方に売るのだそう。当たり前なんだろうけど、宝の山を目の前にした僕からしてみたら、「まだ何かあるの!?」て感じだ。
それぐらい、魅力的だった。

この店にいつかファントムクォーツのブレスレットが入ることを願います。
「Happy Bell しらいと」という所です。お勧め。



奇石博物館にも行きたかったけど、残念なことに時間が足りなかった。
せめて、と駐車場に停まったら、こんな看板を見つけたよ。
ユーモアきいてるなぁ、隕石落下て(´・ω・`)

ちゃんと言葉にしなくちゃ、物語にすらならないものだ。

ここ2ヶ月近く繰り返す、希望と絶望の繰り返し。
熱意が醒めてしまった仕事を辞めたくて、もっと情熱的になりたくて、でも今は何もしたくなくて、そんな悪循環が自分で歯痒い。
ゲームしてみたり、本を読んでみたり、日常を変えようと動いてみるけど、劇的に変わることなど有りえないのだった。

何年、人間をやっているのか。そんな夢を見たところで、まだ僕は空を飛ぶことすら自由にできやしないじゃないか。
夢を見るなら現実を見なければならない。ずっと解っていたことなのに、何故また現実からも夢からも目を背けるのだ。

気力も体力も精魂も消えそうだと、助けてほしいと願った。
仕事中に、闇の王と話すような非現実。
彼は言った、「おまえの周りにはおまえに必要な縁しか残っていない」と。
彼は言った、「おまえにはおまえにだけ解る真実があるのだ」と。

真実を抱えて、僕のものではない事実に向き合った時、僕には不可視の仲間が居る。
僕は僕だけで事実に向き合うことができなかった。
人間の仲間はもう居ない。だけど、形に拘る必要はない。
僕には僕なりのやり方があって、大事にしたいものを上手く大事にできれば、それでいいんだ。

今日、やっと『ユメヒトヤ:再誕』の一編が仕上がった。まだ起承転結の起が終わったぐらいだ。
ここまで書くのにそうとうな時間を要した。合間に他の話を書いたり、他のことに煩わされたりして、気が散っていたんだ。
仲良くできていると思っていた人と実は離れてしまっていたり、新しく読んだ本に刺激を受けた所為で自分の文章というものが解らなくなったり、また挫折しそうな気配がする。

僕はやっぱり書くの下手なんだなぁと思った。言葉の選び方もいまひとつ、上手くなれていない気がする。
書きたいことが先行して、技術が追いつかないのかもしれない。いつもそうだ。だけど、これだけ書いてきて、まだその気があるってのが悲しい。

僕に価値が無くても、僕の書いた物語には価値がある。そのことをずっと信じている。
願わくば、
『ユメヒトヤ:再誕』は濃霧のなかをふらつくかのように生きている人へ、光明となるものを孕んで届けばいい。
それを光と為すか、災いと為すかは本人次第だが、生きることと死ぬことを限りなく見つめて、ことばを綴ろうではないか。

僕は何処へ行く。何処へも行かない。
言葉を操れている? まだ操られている。
何をしているのだろう。まだ何もしていない。
巫であることに変わりはない。失われた力は花となり、綻ぶその刻を待つ。
僕には僕しか居ない。満たされないのは、完成したくないからだ。
壊れてなんかいない。無理して僕を変えようとしないで。

考えるだけじゃ駄目なんだ。書いていかなきゃ駄目なんだ。
まだ僕は言いたいことの半分も言えていない。
『ユメヒトヤ:再誕』を届けて、君に伝えたいことがあるんだ。

<< NEW     23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33     OLD >>
忍者ブログ [PR]
 Template:Stars