こんばんは、ふらみいです。
今日は公休だったのですが、どこへも行かずに家でのんびりしていました。
最近、自分が公休の時に何をしているのかが思い出せません。
恐らく遊びに行ったり、ゲームしていたりした気がするけど、どこへ行ったんだっけ。
新しいお店での仕事は、なんとかできている・・・・・・のだけど、以前の店より客足が多く、閉店間際になっても引かない為に残業が多いです。
18時半まで掛かることが多いから、これが鎌倉だったらブチキレそうだなって思いますよ(こいつ)
箱根だし、売れている店舗だし、「まぁしょうがないよね!」と今のとこは思えています。
そんなことより、また荒れた精神を落ち着ける為に、ずっと借りっぱなしだった「オテサーネク」を観ました。
友人に11月頃に借りて、観よう観ようと言いながら4月って。観る気があって借りたのに、4月って。
「オテサーネク」は、「悦楽共犯者」や「アリス」を作った、ヤン・シュヴァンクマイエルの作品であります。
比較的、最近のやつっぽい。と言っても、10年くらい前になるのかな。
チェコの民話を基にしたホラー映画・・・・・・になるのかな。wikiには「ホラー・ファンタジー映画」とありますが。確かにファンタジーな要素もあったけれども、全体的にホラーちっくだな。ちょっとグロい部分もあるし。
「悦楽共犯者」もそうだけど、「オテサーネク」も、もし表現の技法などが面白かったら人に勧めようと思っていたのです。
しかし、内容が内容なので、表現が如何に面白くても嫌がる人は嫌がるだろうな、と。一般ウケは先ず間違いなくしないでしょう。わたしが言えることじゃないですが。
それでも日本にはヤン監督のファンがいっぱい居るというので、みんなひっそりこっそり楽しんでいるのやもしれませんね。
感想はネタバレ含むので、以下に隠しておくとして。
概要としては、子どものできない夫妻が居て、ノイローゼになるまで苦しんでいる妻の為に夫が切り株を子どもに見立てて作ったものを贈るのですが、妻がその切り株を実の子のように可愛がり始めて、妊娠した演技をしてまで切り株と一緒にいようとするのです。夫は何度も妻を諭すのですが、妻は聞く耳もたず。
更に出産を早めて「産んだ」ことになった切り株は、本当に人間のような外見をして、食事をするようになります。最初はミルクだけだったものが、だんだんと大きなものを大量に食するようになるのです。小分けにされていない肉、猫、人間も。
その夫妻の隣に住む一家の娘は、以前から夫妻の子のことを怪しんでおり、度々、様子を覗いては、民話の「オテサーネク」と照合して、子どもが実は切り株の化け物だという事実を掴むのですが・・・・・・
チェコの民話「オテサーネク」そのものは読んだことはないのですが、映画の中で娘っこが聞かせてくれるので、大体の概要は解ります。
民話を基にしている、とは聞いていたけど、まさかそのままぶっこんでくるとは思わなかった。
この話の主人公が誰だか解らなかったので、「悦楽共犯者」みたいなオムニバス的なものを考えていたのですが、どうやら子どものできない夫妻がメインのようです。
DVDの表紙は娘っこだったから、この娘が何かするのかと思っていたんだ。いや、したけどね、後半。
そんなに数多くのヤン監督作品を観たわけじゃないけれど、登場人物達を見ていると「あ、うん、ヤン監督の作品だ」と思います。
それぐらい、どっかおかしい。まともな人は居るし、最初からおかしい人も居るけど、やっぱり最終的にみんなおかしい。
ただ、娘っこはどこの感想文を見ても、DVDを借してくれた友人からも「可愛くない娘」と言われているけど、わたしは可愛いと思いますよ、アルジュビェトカ。
眉なしで、下から掬い上げるように見てくるあの眼が堪らない。ちょっと太ましいのに膝丈スカートで、無防備で、なのに しれっとしていて、オトナを嫌っていて、可愛いではありませんか。
表現の技法は面白いなーと思います。あのアニメみたいな切り貼りしたような、絵面。
オテサーネクは終始、アニメのような動きを見せていて、それが却って不気味です。生きている筈ないのに、生きているように見える。
これは前情報なしに観てもらって、ポカーンとしてもらいたいかも。
ただし、ちょっとコミカルといいますか、あまり怖くないように表現していても、死体とか内臓とか映るので、グロテスクが苦手な方は注意されたし!
以下、好き勝手な感想です。
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[続きはこっちで]
2015/04/03
(主に)映画感想文
と、自分に対して気色ばむ。
ふらみいです、こんばんは。
今日で鎌倉勤務が最終日でした。
力のある新人さんと、先日、本音をぶちまけて叱咤してくれた店長と3人。
上手く動けていたのか、自分の動作に違和感ありつつも、忙しい日を終わらせることができました。
新人さんが「話しませんか」と言ってくれたので、お話を少々。
「ふらみいさんはあまり話さないから、おとなしい方だと思っていました」と言われて、「ちょっと気にしすぎです!」とも言われました。ははは。
店長やサブからも言われたので間違いなくそうですが、他者からどう見られるのか、何を思われているのか、すごく気にしていました。
その所為で動けなくて、今回はこんな形で逃げることになってしまったけど、それはそれ、これはこれで選択したことです、悔いはありません。
実際遠い、鎌倉は。
今度は箱根になるわけですが、そこにどんな方がいらっしゃるかは定かではありません。
そいでも、そこで笑顔と明るさを忘れずにポジティブに頑張れ! と店長から励ましをいただいたので、やれるとこまでやってみよーと今は思っています。
いろんなこと言い出したら、きりがない。
それこそ取り戻したい傷やら名誉やらいろいろある。2年の間に積み重ねてきた悲しいこと、悔しいことは、まだふらみいの中で燻っているのです。
しかし、その燻りの中からは何も生まれることはないのでしょう。まだ火種があるように見えて、本当は尽きているのでしょう。
尽きた場所から何かを生み出したいなら、周りの灰を掻かなくてはならない。
というわけで、わたしはわたしに変わることを余儀なくされ、それができなければ死ぬしかないのです。
死ぬといっても、器の死に非ず。
精神が入れ替わるような死です。
それがどんなにか辛いものかを、わたしはまだ想像でしか知らない。
起こってからでは遅いことを、決めておくのです。
まだ考えますよ、自分が頑張ってどうなるんだよって。
誰が望むわけでもない、路傍のクソみてーなわたしなんぞが頑張って、何が生み出せるのか、誰に必要としてもらえるのか、何が変わるのが、誰が認めてくれるのかって。
だけど、もう決めてしまった。やってみようと思ってしまった。
店長やサブがせっかく言ってくれたことを、実践する前から無駄にできるほどの神経があるなら、そもそも異動なんてしていませんのです。
わたしはわたしに亦、課した。試練の様な、課題の様な、難しい事柄を、できると決めて課した。
応えなければ、わたしが死ぬ。だからやるしかなくなった。
この4ヶ月を忘れないよう、やっていきましょうか。
また荒れても、誓いによって苦しむことになっても、自分の価値を失ったままでも、やってみる。

新人さんから「鎌倉を忘れないでくださいね」ってもらったもの。
相変わらずキティちゃんは身体を張っていらっしゃる。
忘れるわけないんです、好きな土地で働けたこと、影響を与えてくださった人々を。
2015/03/31
日常
こんばんは、ふらみいです。
今日は仕事にて、彼のぶつかりまくったサブと、のんびりおっとりなおかーさんって感じの扶養内の方と、最後のシフトでした。
サブとは最終的に仲直りできました。
というか、もっと早くにわたしが勇気をだして話し合っていたら、こんなふうにならなかったのかな?とも思いましたね。
サブの言いたいこと、考えていることが聞けて、それがたとえわたしにとっては辛いことでも、ずっとそれを抱えてきたサブの気持ちを汲みたいと思えるので、聞けたこと自体は本当に良いことでした。
曰く、ふらみいはビクビクしすぎ、防御に入りすぎ、自分が傷つかないようにする為に動いているから自分勝手過ぎ、周りへの感謝が無い、教えてもらっているのに反論なんて以ての外……と、実にたくさんの意見をいただきました。
若干、私怨はあったかと思いますが、それは仕方ない。彼女はそれを4カ月間も我慢してきたのです。
そりゃー本音を言えば、もっと早くそれを言ってくれれば、こっちも考え直すというか、気付けることもあったと思います。
けどね、それじゃ駄目なんだよね。
自分で気付かないと駄目だっていう話なんよね。
彼女に言われて思ったことは、わたしは2年の間に随分とひん曲がったし歪んだのだなって呆れでした。
この2年でたくさんの傷を背負い、話をしても聞いてもらえず、いつの間にか自分から話すのをやめてしまって、相手への感謝だとか気持ちだとか考えたら自分が傷つくってことに気付いて、ひたすら自分の為だけに動いてきました。
堕胎から失望、会社を休職することになった諦観など、爪痕は濃く強く残っており、そのまま来てしまった為に全然関係のないお店の人達にまで、悪影響を及ぼして仕舞ったようです。
こんなだったら、そらー自分に自信なんて持てるわけない。
そんな自分が誰かに何か言ったところで、説得力なんて持てるわけがない。
自分の力以上のことをした、そんでできる筈のことをやめてしまった、とにかく傷つくのが怖かった。これ以上の傷も苦痛も要らないからと、周りを無意識に拒否する癖がついていたみたいです。
自分でも解らなかったけど、店長もサブも同じことを言っていたので、そうなのでしょう。
口答えに聞こえる言葉も、言い訳にしかならなかったのは、「わたしはこれだけ頑張っているのに認めてくれないの?」という気持ちから来る、拒否だったのでしょう。
店長もサブも、そんなことを言わなきゃいけなかったのは、だいぶ負担になっていたと思います。
けど、言ってもらえて良かったと、わたしは思えます。落ち込まずに、次へ繋げられるというか。
わたしはだいぶ甘えていて、周りを傷つけて自分を守って、それなのに偉そうにいろいろ言っていたようです。
やっとその姿が見えて、認めることができて、これは駄目だなと思えました。
今のお店で頑張っていけなかった自分を恥じて、次のお店で頑張っていくにはどうするのかを、具体的に考えることができそうです。
今までの友人の助言を聞いていなかったわけではないです、ただ納得はしていなかったのでしょう。
思ってもみなかった店長とサブの本音により、わたしのなかがざわついて、応えようとしているから、こんなふうになったのですかね。
後ろ向きではなく、2人がせっかく心配していろいろ言ってくれたのだから、わたしはそれに応える為に、次の店では逃げずに謙虚にがんばっていかなくては!と思えたのでした。
それも素直に思えたので、もう言い聞かせられるようなことはなく。
やれるとこまでやってみて、その間に今まで悲しんだ分だけ、苦しんだ分だけ、良いことが起こるかもって考えております。
あまり深くは考えない。
かといって、暗いこと深いことを忘れるわけではない。
均衡を保つ為にも、どちらも必要なのです。わたしにはね。
明日が最終日です。次の日からもう別店舗です。
追いついて並んでやっていけるよう、気を入れ直しましょう。
守護者達とえいえいおーです。

扶養内の方が、わざわざ買ってくださいました。うちの人気商品の亜種です。
「ふらみいさんのこと好きだったんですよ、優しいし可愛らしくて!」と素直に話せる、素敵な方でした。
寂しくなりませんよ。また会いに行けばいいですもの。
2015/03/30
日常
精神的な意味で。
こんばんは、ふらみいです。
近頃の荒れた様子がだいぶ周りを疲れさせていたらしく、仕事場ですらその話をされました。
みんな、意外と繊細なんだね。気付く人は気付くのだね。
馬鹿にするわけではないけれど、少し驚きました。
4/1から箱根へ異動、そこで頑張ることになりました。
とんとんと話が進んで、すごく驚き。
でもそれ言ったら、店長とよく解らん話をしたのだけどね。内容は解るけど、若干「それも店長の仕事だもの…」とか思ったりしてね。
まぁ、ともかく。
新しい環境でやることになったので、次も同じことが起きないようにやってみます。
これで駄目なら、どうすっかね。もうそのへんはあんまり考えない。
この前の死にたい衝動が最高値に達した時、思い出して電話した相手はやっぱりあの子でした。
そこから飽和したものが全て流れ出て、今はからっぽの状態です。
怒りも恐れも焦りも驕りもありません。誰が何をしていても関係ありません。
そりゃ、あの子のことが全く気にならないと言えば、嘘ですよ。
だけど、こんなわたしでは何もできません。あの子も望みません。
いずれ捨てられ離れられ失われると解っていても、わたしがあの子と一緒にいたいのなら、そうすべきです。もうそれ以上は考えられません。
思考停止なのか、放置なのか、熟成なのか。
文句言っても仕方ないって思ってんのかもしれんが。諦めついたように見えて、周りも不思議がっていた。
さて、そんなことよか、今日は友人のバイクレースを観戦してきました。
120分のコースで、しかし実際には雨の所為で90分くらいでした。
友人2人が参戦し、それぞれ10位以内だったので、表彰台に上がっていました。
バイクレース観戦なるものを初めて体験したのだけど、いやーおもしろかった!!
ものすごい近くで観て声掛けできるから、興奮が手に取るように伝わるのです。
暖機運転で皆が一斉にエンジンふかせるとことか、もう最高(♡˙︶˙♡)
ただ、山道が険しくて、一度、斜面を下りた時に左足の中指を、ぐぐっと押すような形で下りてしまったんだよね。。。
まだ痛むけど、平気…? だよな…?
そして、眠くて眠くて眠くなる。夢をみます。
2015/03/29
日常
こんばんは、ふらみいです。
サブのワケ解らん突然の冷めた態度、デキる新人さんの出現、自分の何もできていない感じに圧されて、何度目かの本当に死にたい瞬間を迎えたのが昨日。
帰りの電車の中で泣きそうになりながら、何も考えずに死に場所を求めるも、家に置いてある幼馴染みメンバーとの腕輪を思い出して帰宅。
夜中に飛び出していくかと思ったら、そのまま守護者達と口論になり、例の子に電話を掛けることになり。
およそ3時間、風邪っぴきで具合も悪く、次の日は出張だというのに電話に付き合ってくれたその子のおかげ、なのか、所為なのか、死ぬことを思い留まり、今に至る。
いろんな考えが逡巡し、時に暴走し、何度も吐きそうになり、死にたくなりました。
死にたいっていうか逃げたいっていうか。何でこんなに辛いことを何度もやらなくちゃいけないんだっていうか。
しかし、その子からは、自分の力量以上のことをしているからだと言われ、今までのことが無駄ではないにしろ、もっと自分の力に見合ったやり方をという話をされました。
自分の力量以上のことをやり遂げないと、誰からも認めてもらえない、捨てられてしまうと思っているわたしには、耳に痛い話でした。
そもそも無理をしていたのです、3年くらい前から。
以前の相性の良かった相方と別れて後、サイコパス予備軍の奴と付き合い始めた頃から、無理はしていました。
相手のことを理解しよう、一緒に居る為に努力しようと、自分の苦手なことでも頑張ってやろうしていたのです。
それをあまり認めてもらえず、努力が足りなかったんだと思っても、やはり辛く。自分が何をしているのか、よく解らない部分がありました。
それはその後に目指した相手にも同じことが言えます。その子にも認めてもらおうと、いろんなことをやってみて、頑張ってみて、だけど応えは得られませんでした。
頑張れば頑張った分だけ報われればいいけど、そうじゃない時の方が多い。
わたしが壊れたキッカケは、その子と通じ合えないことにありますが、その子にそれを話しても詮無いことです。だって、その子の中ではもう終わった話だし、そもそも「自分の力量に見合っていない」ことの話になるから、もう忘れたい事柄なのでしょう。
否、忘れないと、以前のように遊べないのかもしれませんな。ぼくも。
それが辛くて、何でこうなっちゃったんだろうって自分の所為だって気付いて、そこから歯車がはずれて今みたいになっているのです。
けど、それはその子に言えませんでした。言ったところで、こっちが勝手に終わったことを抱えているだけだと言われたら、どうしようもないからね。
それならさっさと諦めをつけてしまえばいいけれど、ぼくは納得できていなくてまだ諦めていない。
その子のこと言えないなってぐらい、中途半端だ。頑張るなら頑張る、やめるならやめる。そうじゃないと、何を言っても力が無くて、何を言っても相手にしてもらえない。
そうこうしている間に、ぼくと相手の時間は流れゆく。相手の中に別の大きな存在ができて、ぼくが要らなくなった時が怖い。その前にどうにかしたいなんて、自分の都合ですが。
いつからこうなってしまったのだろう、どうしてこんなに執着しているのだろう。
改めて自分を振り返ると、愕然とします。こんなにひっついていたっけ。
相手が応えてくれたと勘違いできる時があったから、こんなにぎゃーすか言えるのかな。
だろうな。だって、ぼくがけしかけた時に「お前の相手はできない」とキッパリ言ってもらえたら、こんなに長くは続けなかった。或いは、応えたとしても「目の前に女が居たら食うだろ」というキャラだったなら、こんなに傷付かなかった。
それは、相手の所為にしようとしているぼくの言い訳だろうか。それもあるかもしれない。
本当は、お前の所為だって責めたてたい。責任取れよって殴りかかりたい。
しかし、それはできない。相手がどういう子なのか解っていて、ぼくもけしかけた喧嘩、否、戦い、否、何て言ったらいいか解らないけど、出来事なのだ。
ぼくとその子だったら、最後まで話し合えると思ったんだ。逃げられないと思ったんだ。
まっすぐその子に「お前の所為だ」と言えなくて、ついったで大暴れしたり、話を聞いてくれた時に「はっきり言えない」とか言って濁してしまった。
恐らく気付かれているかと思うけれど、問い質してはこなかった。
ただ、相手に直接ぶつけずに陰で言われていた方が相手は怒るだろう、ということだった。即ち、その子がそういう反応を示すということ。
判っているのだ、そんなことは。本人に言わなくてはいけないのだということは。
だけど、言えない。ハッキリと話せない。話して縁が切れてしまったとして、「この程度の存在かよ」なんて思えない。そうなりたくないから話したいけど、今のぼくにそれだけの力があるかどうか。
正しく、「力量以上のことをしようとしている」から、その子に話せない。お前のことでぶっ壊れたと話すことなど、できない。その後に起きることに対して、ぼくは責任が取れないし、相手と解決へと導くだけの気力がまだ無いのだ。
だからって、ついったで騒いだのは悪かったな。きっと相手も気付いていたろうな。
そんなことで謝ってきてくれるほど、気弱な奴ではないのだ。意地でも自分を貫こうとするから、だから話ができないと思う時があるのだ。
けれど、具合悪いのに、次の日に出張控えているのに、3時間も電話に付き合ってくれたりするのは、優しい証拠なのだろうな。他にもそういうふうにしているのだとしたら、とんでもない聖人君子様だな。
ぼくはどうしても、彼に言えない。だけど、いつかは言いたい。
それは嘘を吐いたことへの謝罪と、言えなかったことへの謝罪と、改めて誓いたい言葉とで、何とか終わりそうだ。もう他にいろいろ話すのはよそう。受け止めきれるか。
何も解決していませんが、精神は多少スッキリしています。
これからそうやって生きていくのかとか、あんまり考えないようにしています。
何の為に、どうして生きていくのかって考えて、鬱鬱しているのもあるからね。
物語を書く為に、楽しいことを見届ける為に生きていくのだ、ということで今は勘弁してくれ。
わたしに何ができるのか、3年前のわたしは知っていたのだろうか。
とりあえず無理をするなかれ、と思っているだろうか。
今の仕事場でも、対人関係でも、できることをしないで見誤ったままに進んでいっては、何をやってもギャグだろうか。
泣けるだけ泣いたが、まだ泣ける。自分の情けなさと無力さと恰好悪さに泣ける。
深い深い闇の底に堕ちて、「強くなる」と言えたなら、わたしは少しはあの子に近づけるだろうか。
6月くらいに会いにいこうかな。会いたい。
2015/03/24
日常