でも、やらなくちゃいけないことはいっぱいあるんですよね。
こんばんは、ふらみいです。
ついったでも言ったけど、書きたいものが書けなくて、非常にもやったい1日を過ごしております。
ぬぐぁー。
そう、書きたいことが書けない。言葉にする前の状態で難航していて、自分が何を表現したいのか、解っていない。
この苛々する状況が、また訪れてまいりました。
前回はいつかな、2月か3月くらいのことだったか。
あの頃は鬱鬱していて、自分の中のドロドロがちっとも出ていかなくて、本当に困ったな。
今も似たような状態に陥っています。ドロドロが言葉にできなくて、外に出ていかなくて、自分の中で芽を張っているような状態。
突破口さえあれば、これもうそう悪い状態ではないのです。
言葉にすることさえ出来れば、たぶんまた何か面白く思えるような物語を書ける。
ただ、今はタイプミスも多いし、言葉にすることができないから、上手く書けない時期に当たるのでしょう。
そのことが、普段は会社で好きなことができない自分に物凄く苛立ちを覚えさせる。
平日はどうしても会社があるから、好きなことができる時間が限られる。
その中で、本を読んだり、アニメを観たり、ゲームしたり、好きなことを精一杯楽しんでいる。
書くことも楽しみたいけど、なにぶんこれは時間が掛かりますからね。すぐにできることではないですからね。
そうすると、こんな感じになるのです。
書けないのに、書きたいことは溜まっていって、飽和するのです。
それがとても苦しいから、今こうしてバタバタしているのです。
書く為だけの存在であれば、無駄なことなんて何も起きないのですけどね。
今はそうじゃないから、PCつけないといけないし、タイプミスはすげー多いし、衣擦れの音が気になるし、自分の中に潜る作業が不充分だから、何を書きたいのか肝心なとこが解っていなかったりする。
続きを書きたいものは何個かあるけど、ただ単に書きたいのではない様子。
じゃあ何を書きたいのかっていうと、それが解らない。だから苛々が巡っている。
仕事は落ち着くまで後もう少しかかるし、私生活はいつ落ち着くのか解りません。
もう相手はわたしを忘れてしまったのだろうと考えた方が、気が楽になるよなーと思ってしまうぐらい。
実際、ついったでも好き勝手言っているし、もう呆れられて捨てられてしまったかもしれないね。他の人間と同じように。
それなら、もうここに拘る必要も無いから、頑張って死ねばいいんだけどね。
その間に幾つ書けるか解らないけど、書き表していきたいことがある。
あるというのに・・・・・・、何なんだ、この体たらくは!!! 終いには起こるぞ!!!!
まぁ、その日に書けることはその日にしか会えないでしょうからね。
何でもいいから、とにかく探って表してみることですよね。
最大の敵はいつも自分ですね。
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空音 / DOD3
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2014/05/31
日常
どうしても、負けてしまう。何度繰り返しているのか、自分でも忘れてしまうほどである。
こんばんは、ふらみいです。
先週はずっと落ち込んでいました。今もまだそれを引き摺って、どうにもならない状況にあります。
なんだろうねぇ、どうしてだろう。
仕事が始まって、すぐに慣れたかったけど、人の環境がそうもいかなくて、そのことがふらみいを苛みました。
前回の職場を辞める際に患った(のだろうか)適応障害が、もう一度、悪さを働いている様子。
環境の変化についていけず、心身ともに疲弊した状態が続きました。
まぁ、始まってまだ1週間だしね。慣れないことばかりで、そらー疲れるよね。
人と仲良くなるのだって、今までがみんな壁のない人ばかりだったんだから、そらー呆気にとられるよね。
何事もこれからなんだ、腐りさえしなければ見つけることができる。
とはいえ、今は仕事以外にも少々てこずっていることがありまして、そのことも相まって駄目になっているのでした。
大事な人に大事なことを伝えて、そのお返事待ちです。もう待つことしかできません。ふらみいにできることは、もう無いのです。
その状態がとても歯痒く、いつまで待っていればいいのかも解らず、本当は不安で焦ってどうにもならないけど、相手が混乱しているのなら辛抱強く待っていなければと思うのでした。
でも、そうやって待っても結局、駄目だったら?
そう思うと、すごく怖いのです。その時は死んだって誰からも文句は言われない筈。
だから、その人の所為にして死ぬわけじゃないけど、駄目な時の対処を考えているのでした。
その人はふらみいが死んだら悲しんでくれるようだったけど、その悲しみは伴侶が居れば薄らぐような儚いものです。気にすることではあるまい。
ふらみいが居なくても、その人の歩む先に起きることは変わらない。
何で頑なにそう言い続けるのかって、わたしが居てその人の人生に良いことがあったなんて、思えないからですよ。
まぁ、それを判断するのは、その人自身であってわたしではないのだが。
わたしが居なくても生きていけるような人に、わたしが死んだら悲しいよって言われて、あぁじゃあ死んだらいけないって思うことは、悪いことではない。
だけど、わたしにとっては辛く重く永い苦しみであった。
その人はただ素直に話してくれただけだけど、わたしにとっては嬉しい気持ちと苦しい気持ちと半分ずつです。
わたしが居なくても生きていけるくせに、悲しいなんて馬鹿言ってんなよって思っちゃうぜ。
・・・・・・そういうことじゃ、ないんだよなぁ。
なんかわたしは自分の弱さに負けて、その人の気持ちを台無しにしている気がするんだよなぁ。
本当は信じたい。ちゃんと応えてくれることを信じたい。
ついったでシカトされようとも、他の人と仲良く話していようとも、その時のその人の気持ちがどんなものか、大体は予想がつく。わたしからの言葉は必要ないだろう。違う、そうじゃないってば。
応えて一緒にいられることになったら、わたしはわたしの為にも成長しなくてはいけない。そう約束して待つつもりなら、もう弱音なんて吐けない。
この間に、別の何かが起きてしまったら? それはもう諦めるしかないのか?
結局、わたしはわたしの存在を強く保つことができない。
その人の横に並ぶに足る力が、今も昔もずっと不足している。だから、代替品の行動しかできない。
しかし、わたしとて一介の存在だから。その人のことを自分の目で見てきているから。信じたい気持ちが強い。その反動で不安も強くなる。
その苦痛は、その人に解るだろうか。信じたいものを信じたい、しかし信じきることが怖いという、その気持ちは解ってもらえるだろうか。
わたしはその人と居ると、いろんなことを知ることができる。いろんな苦楽を見つけることができる。
だからまだ一緒にいたいと思ったけど、その人の意志がどうなのか解らなかった。
もし違う心同士だったら、きっともうこんな居心地のいい関係は続けられないんだって解っていた。
いつまでもこのままじゃいられない、だけど、この関係を失くすことがとても怖かった。
代わりなんてどこにも居ないのだ。わたしも、その人自身も。
その人の周りにはいつも人間が居る。わたしなんぞより、よっぽど明るくて素敵な人間達が居る。
そんな卑屈な気持ちに負けて、諦めるようなことはしたくなかった。ちゃんとわたしの言葉を伝えなくては、死んでも死にきれなかった。
だから、伝えた。伝えることができた。
それを「嬉しい」とその人は言ってくれたけど、きっともうそこで気持ちは終わってしまうのだろうと、考えてしまった。
弱い自分が、諦めてもう死になさいと優しく言うけれど、万に一つの可能性もあるではないか。
それに、所謂「失恋」のような形で傷付いたからとて、死ぬほどのことないじゃないか。
・・・・・・でも、この世界で果たしたいことなんて、幾つも無いんだもんね。
死んだっていいじゃんね。わたしが居なくたって、わたしが居るから、こんなことになったんだ。ね。
断られて、その人がちゃんとした伴侶を見つけていくのを見守るなんて、もうできないのだろう。
幸せになってほしいって思ったことは、嘘じゃないのにな。
その隣に並ぶ人間を呪ってしまったら、君はきっとわたしを憎むだろう。
弱いわたしに残された時間も余裕も、微かしかありませぬ。
いつ返事が来るのかも解らないまま、その人が何を考えているのか解らないまま、徐々に死んでいくことだけは避けたい。
わたしは誰だ。誰だった。
こんなにビクビクして、駄目だ。伝えたのはわたしだ、覚悟をしていた筈だ。
どーんと構えていましょう。大丈夫、巫女だからとか人間だからとか、そんなんじゃなく、ふらみいだから、どーんと構えていましょう。
何度そうやって決めても覚悟しても、辛いものは辛い。
だから、じぶんでじぶんを殺さないように、しっかりしなくちゃいけなかった。
諌められて、宥められて、見えてくるものがあるといい。わたしが見ようとしなくちゃ見えないか。
馬鹿なら、馬鹿なりにひたむきにやっていくしかない。
そうすれば見えてくるものだってあるだろう。焦っていては見えないものだってあるだろう。
何歳になっても手遅れなことなんて無い。
考えてさえいれば、何事も間に合って、大丈夫になるだろう。信じたいのである。
変わらないと信じたい。その人のことを、ちゃんと信じたいのである。
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デアペイダー / ZABADAK
2014/05/25
日常
こんばんは、ふらみいです。
また来ました、落ち込み時期が来ました。もうどうにもならんのです。
自分でも「情緒不安定過ぎるだろォォォォ!!!!」と叫び出したいほど、落ち込んでいるのです。
あ、でもキーボードの上部はまた使えるようになったな。
!とか、「びっくりまーく」て入れなくて済むようになったな。
そんな程度でわたしの心が晴れるわけねーけどな!!!
新しい仕事が始まって、4日目であります。明日行けば、とりあえず土日がお休みになるという。
一昨日と昨日は新人研修の為に本社に行っていて、自分が行くことになった営業所には、初日と今日しか行っておりませぬ。
それもあってか、かなり他人行儀になってしまう。新人研修の35期メンバーと居る時は、空気に誤魔化されて楽しかったのになぁ。
そうだな、前のパート先では、気さくで話しやすい人ばかりだったから、緊張せずに話せたんだよな。
今は違う。なんだか事務所の女性陣を他所他所しい方々と感じてしまって、思うように話せない。
わたしを避けているわけではないけど、仲良くなろうっていう感じでもなく、それが今のわたしの精神にものすごい負荷をかけてくる。
いや、会社は友達を作りにいく場所ではないけどさ。でも、仲良しになった方が仕事はしやすいさ。
説明を聞くのだって、多少は仲良くなっておいた方が聞きやすいのさ。断片的に話をされても理解しがたいもの。流れから先ず説明してほしかったんだけどな。
2日目だし、まだ1ヶ月も経ってないから、自分の働き場所だと思うことができなくても、仕方ない。
これから徐々に慣れていけば、今は辛くてもそれを笑って話せる時が来るかもしれない。
しかし、辛いと思ってしまう。何でこんなとこで仲良しごっこしながら笑ってんだろって思ってしまう。
まぁ、まぁ・・・・・・今ちょっと私生活の方で落ち着かない事態が発生しているので、それもあってこんなに考えこんじゃっているのでしょう。
その事態ってぇのは、もうわたしにどうにかできる余地など無いのです。完全に待機状態です。
自分で動いてどうにかなるようなことでもないから待つしかないのだけど、それがすっごく辛いのでしょうね。辛いよ、実際。待つしかないんだもの。
だから、再びついったも荒れております。死にたいとか普通にのたもうた。
お友達ごっこじゃなくて、ちゃんとした友達が欲しいなぁ。会社でそういう人を作ることは可能だと思うんだけどなぁ。
この会社に入る前は、「こんなふうに笑って仕事できたらいいよなー」と思ったものだ。そこに惹かれて面接行ったのだし。
でも、実際に入ってみると、自分に合うか合わないかも解ってくるわけで。これはもしかしたら合わないのでは? と思い始めていて。
仲良くなれそうな人も居ない、私生活も荒れてきている、こんなん駄目だ。何で生きているんだよって、すぐ思ってしまう。
本当、何しに行ってんだろ。
お金を稼いで、経験を積んで、自分が守りたい人間やら一緒に居たい人間と平等になりたかった。
だけど、こんな程度じゃ平等もクソもねーな。どんだけ頑張っても追いつかないもんかもしれねーな。
夢を見ているのはわたしの方だ。墜落するのはわたしの方だ。
人に約束を打ち立てて、立派なとこを見せたくて、頑張ろうとしたけど、無理だったのかなー。死にたかったら、酒の一気飲みでもすべきかねー。
何でこんなに駄目な子になってしまったんだろ。頑張っても報われたことがないから、頑張るの辛くなってやめちゃったもんな。
もっと綺麗なものだとか、頑張っているものが好きだもの、みんな。
そしたら、わたしが守りたいと思った人達も、そっちを選ぶだろう。わたしじゃなくてもいいだろう。
それでも伝えたのは、わたし自身がそうしたいと願ったからだ。周りがどうとかより、わたしがそう在りたいと、伝えたいと、解ってほしいと思ったからだ。
それが、理解されないようなら、死んでいいかな。
マジつまんねって思ったなら、きっと今度は躊躇いなく死ねる筈だ。
わたしはわたしの夢の為に生き、完全にそっちの存在になる為に器を棄てる。
うん、なんかそんな感じだ。
先なんて要らない。わたしの生きる先に、守りたいものが無いのなら、もう器を動かす必要は無い。
決めたら、少しは楽になれそうだった。
どうしても会社に馴染めないようなら、辞めるしかないけど。死ぬぐらいなら辞めるしかないけど。
適応障害ったって、環境が変われば大丈夫だと思っていた。
そうじゃなくて、環境の変化に弱いことなんだってね。くそー、それは否定できない。
でも、こんなにも短期間で弱ったのは初めてだ。前の会社の時は、ここまで酷くなかったぞ。
久しぶりに、前の会社の同期や、パート先の子達に会いたくなりました。
来週も行けるようになるかな。なってほしいな。
明日、また話してみたり、自分から動いてみたりしよう。
死ぬ期限が解っていれば、その間にどんなことがあったって、まぁ大丈夫でしょう。
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プラタナスの葉末に風は眠る / ALI PROJECT
2014/05/22
日常
こんばんは、ふらみいです。
キーボードの一部がまーったく反応しなくなって、そろそろ1週間経ちそうです。
前に住んでいた場所は、20分も歩けばヤ●ダさんがあったんだけど、ここはそうはいかないからなー。困ったなー。
っても、押せないのは「!」辺りの上のキーなんですが。書き物をするふらみいしか使わないキーなので、親父も気付いていない様子。うーん。
以前からちょいちょい使えなくなることがあって、でも次の日になると直っていたりしたんだな。
それが今回起きないってことは、やっぱり駄目になってしまったのだろうか。
今は余計な出費を抑えたいとこだけど、押せないと苛々します。替えようか。
さて、今日は久々に大学時代の友人と会ってきましたよ。
その友人との付き合いも随分と長くなってきましたが、なかなかさっぱりした気質の子で付き合いやすいこと風の如しですよ。
その彼女が母校の総務で臨時の職員として働いていると聞いて、あぁ成程~なんて思ったものです。大学に様々な形でみんな関わっていくのだなぁ、と。
そこでの仕事をいろいろ聞いたのだけど、
例えば、その日の授業を休むにあたって、親が大学に電話してくるとか。
例えば、単位取得の為にどの授業を取っていいのか解らず、「何を取ったらいいですか?」と学生課に直接訊きにくる学生が居たりとか。
例えば、「電話を掛けられる静かな場所が欲しいので、教室ひとつ借してください」と言いにくる学生が居たりとか。
例えば、成績表を学生本人と学生の親に送付して、親から「ウチの子の単位取得数ゼロってどういうことですか?」と電話が来たりとか。
とにかく、「話が通じないor解らない学生が多い」のだそう。
というか・・・・・・、どういうことだ、親が電話してくるとか。そんなこと、本人に聞けばいいではないか。
休みの連絡だって、べつに大学では必要ないだろう。後で自分が困るだけなのだから。
どの授業を取っていいのか解らないって、ウチの大学は他の学科の授業も取れることが魅力なんだぞ。選り取りみどりではないか。
なんつーかな、何で大学に来たのだろう。とりあえず大学行っておけって感じだったのかな。
でも、とりあえずで行くには、私大は高いではないか。高いのに学生生活の半分は夏休みやら冬休みやらなんだぞ。
奨学金で行くのならともかく、親に出してもらって行くのなら、あんまり遊びまくっている場合でもないのだぞ。目的があって休学とか、そういうことなら仕方ないのだろうが。
ふらみいはもう大学を卒業しております。ストレートで出ております。
何で大学に行ったのかって、父親が大学への進学を勧めてくれたことと、まだ学びたいことがあって自分でも大学に行く気があったから。
父親は自分が大学に行って(彼は一浪か二浪して国立に行った)楽しかったから、自分の子どもにも大学に行っていろいろ学んできてもらいたかった様子。ふむ。
んで、高校の英語担当の教師に「あなたみたいな変な人がいっぱい居るよ」と言われて、その大学を受験することにしたのです。
その教師のおかげで、面白い大学に行けました。面白い人達にも逢えました。行ったことは無駄にはなりませんでした。勉学以外のことも学べたわけだし。
まぁ、ふらみいは目的があって大学に行ったので、それなり授業は出ていたし、単位も取っていたし、学生生活を楽しませてもらっていたのですよ。
自分で授業を選択できることが有り難かったし、学科も越えて選べることが非常に魅力的だった。
しかし、逆にその体制で困ってしまう人も居たのだな。何でその大学にしたのだろう。
与えてもらったものに沿ってしか動けないというのなら、正社員になっておいた方が良かったのではないか?
あぁ、高卒と大卒じゃ給料が全然違うのだっけ。だからみんな大学に来るのか。その為に来るにしては、やっぱり私大は高いような・・・・・・。
ふらみいが通っていた頃も、「大学に住んでいるの?」て感じの人達は居たし、「っつーか俺らこの1年トランプしかしてなくね?」とか言っている人達も居たし、手をぱちんぱちん打ち合わせて遊んで「俺はまだ大丈夫だけど手がもう限界」とか言っている人達も居たから、変わっていたといえば変わっていたが。
でも、昔と今を知っている職員の方から見たら、「昔は生命力や意思がちゃんとあった」らしい。
今はそういうものが一切感じられないのだって。ぬーん。ますます何で大学に来たのだろう。
ウチの大学はアウトローな人達ばかりだけど、何かしら意欲をもってなんぞ行動している人が多かった。
今の学生にそのような意欲は無く、何をしたらいいのか解らないままで大学に来ているということのなのだろうか。
それって、大学に来る意味があるのかなぁ。
在学中にもしかしたら何かを見つけて光り出す可能性もあるかもしれないが、それは探す姿勢が無いと見つからないものではないか? 待っているだけでは、何も手に入らない。
そういうことはしたくない、与えられるものだけ待っていたいって人は、4年の間に腐ってしまわないか?
勿体無いな、と思うのは、自分の意思で大学に行って出ていった人だからだろうか。
別に何の目的も無く大学に行って出ていっても、それが当たり前だと言ったら当たり前になるのだろうか。
親が出てくるってのも、なかなか謎ですね。何か重要な局面で親がいつも絡んでくるという。
でも、自分のことを決めるのに、親に相談するものか? 単位のどれを取るかってことで、いちいち親に相談するか?
親が死んだらどうするのだ。明日も元気に生きていてくれる保障なんて、どこにも無いんだぜ。
そんなことも考えないで、ただのんべんだらりと生きるというのは、どんな気持ちなのだろう。
ふらみいには恐怖以外の何物でもないが。
馬鹿にしたいわけではなく、「そんなんでいいの?」と思うのです。
まぁ、本人がいいってんなら、いいのだろうが。
ただ話は合わないだろうから、できるだけ関わりたくないな。
大学は自分を試す場所だと、今も昔も思っていました。
それをどこかで誰かが伝えるべきなのではないかなー、なんて。
ただ行くには、代償が大きいだろう。
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健全ロボ ダイミダラー / 遠藤会
2014/05/11
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