ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
どうしても、負けてしまう。何度繰り返しているのか、自分でも忘れてしまうほどである。
こんばんは、ふらみいです。
先週はずっと落ち込んでいました。今もまだそれを引き摺って、どうにもならない状況にあります。
なんだろうねぇ、どうしてだろう。
仕事が始まって、すぐに慣れたかったけど、人の環境がそうもいかなくて、そのことがふらみいを苛みました。
前回の職場を辞める際に患った(のだろうか)適応障害が、もう一度、悪さを働いている様子。
環境の変化についていけず、心身ともに疲弊した状態が続きました。
まぁ、始まってまだ1週間だしね。慣れないことばかりで、そらー疲れるよね。
人と仲良くなるのだって、今までがみんな壁のない人ばかりだったんだから、そらー呆気にとられるよね。
何事もこれからなんだ、腐りさえしなければ見つけることができる。
とはいえ、今は仕事以外にも少々てこずっていることがありまして、そのことも相まって駄目になっているのでした。
大事な人に大事なことを伝えて、そのお返事待ちです。もう待つことしかできません。ふらみいにできることは、もう無いのです。
その状態がとても歯痒く、いつまで待っていればいいのかも解らず、本当は不安で焦ってどうにもならないけど、相手が混乱しているのなら辛抱強く待っていなければと思うのでした。
でも、そうやって待っても結局、駄目だったら?
そう思うと、すごく怖いのです。その時は死んだって誰からも文句は言われない筈。
だから、その人の所為にして死ぬわけじゃないけど、駄目な時の対処を考えているのでした。
その人はふらみいが死んだら悲しんでくれるようだったけど、その悲しみは伴侶が居れば薄らぐような儚いものです。気にすることではあるまい。
ふらみいが居なくても、その人の歩む先に起きることは変わらない。
何で頑なにそう言い続けるのかって、わたしが居てその人の人生に良いことがあったなんて、思えないからですよ。
まぁ、それを判断するのは、その人自身であってわたしではないのだが。
わたしが居なくても生きていけるような人に、わたしが死んだら悲しいよって言われて、あぁじゃあ死んだらいけないって思うことは、悪いことではない。
だけど、わたしにとっては辛く重く永い苦しみであった。
その人はただ素直に話してくれただけだけど、わたしにとっては嬉しい気持ちと苦しい気持ちと半分ずつです。
わたしが居なくても生きていけるくせに、悲しいなんて馬鹿言ってんなよって思っちゃうぜ。
・・・・・・そういうことじゃ、ないんだよなぁ。
なんかわたしは自分の弱さに負けて、その人の気持ちを台無しにしている気がするんだよなぁ。
本当は信じたい。ちゃんと応えてくれることを信じたい。
ついったでシカトされようとも、他の人と仲良く話していようとも、その時のその人の気持ちがどんなものか、大体は予想がつく。わたしからの言葉は必要ないだろう。違う、そうじゃないってば。
応えて一緒にいられることになったら、わたしはわたしの為にも成長しなくてはいけない。そう約束して待つつもりなら、もう弱音なんて吐けない。
この間に、別の何かが起きてしまったら? それはもう諦めるしかないのか?
結局、わたしはわたしの存在を強く保つことができない。
その人の横に並ぶに足る力が、今も昔もずっと不足している。だから、代替品の行動しかできない。
しかし、わたしとて一介の存在だから。その人のことを自分の目で見てきているから。信じたい気持ちが強い。その反動で不安も強くなる。
その苦痛は、その人に解るだろうか。信じたいものを信じたい、しかし信じきることが怖いという、その気持ちは解ってもらえるだろうか。
わたしはその人と居ると、いろんなことを知ることができる。いろんな苦楽を見つけることができる。
だからまだ一緒にいたいと思ったけど、その人の意志がどうなのか解らなかった。
もし違う心同士だったら、きっともうこんな居心地のいい関係は続けられないんだって解っていた。
いつまでもこのままじゃいられない、だけど、この関係を失くすことがとても怖かった。
代わりなんてどこにも居ないのだ。わたしも、その人自身も。
その人の周りにはいつも人間が居る。わたしなんぞより、よっぽど明るくて素敵な人間達が居る。
そんな卑屈な気持ちに負けて、諦めるようなことはしたくなかった。ちゃんとわたしの言葉を伝えなくては、死んでも死にきれなかった。
だから、伝えた。伝えることができた。
それを「嬉しい」とその人は言ってくれたけど、きっともうそこで気持ちは終わってしまうのだろうと、考えてしまった。
弱い自分が、諦めてもう死になさいと優しく言うけれど、万に一つの可能性もあるではないか。
それに、所謂「失恋」のような形で傷付いたからとて、死ぬほどのことないじゃないか。
・・・・・・でも、この世界で果たしたいことなんて、幾つも無いんだもんね。
死んだっていいじゃんね。わたしが居なくたって、わたしが居るから、こんなことになったんだ。ね。
断られて、その人がちゃんとした伴侶を見つけていくのを見守るなんて、もうできないのだろう。
幸せになってほしいって思ったことは、嘘じゃないのにな。
その隣に並ぶ人間を呪ってしまったら、君はきっとわたしを憎むだろう。
弱いわたしに残された時間も余裕も、微かしかありませぬ。
いつ返事が来るのかも解らないまま、その人が何を考えているのか解らないまま、徐々に死んでいくことだけは避けたい。
わたしは誰だ。誰だった。
こんなにビクビクして、駄目だ。伝えたのはわたしだ、覚悟をしていた筈だ。
どーんと構えていましょう。大丈夫、巫女だからとか人間だからとか、そんなんじゃなく、ふらみいだから、どーんと構えていましょう。
何度そうやって決めても覚悟しても、辛いものは辛い。
だから、じぶんでじぶんを殺さないように、しっかりしなくちゃいけなかった。
諌められて、宥められて、見えてくるものがあるといい。わたしが見ようとしなくちゃ見えないか。
馬鹿なら、馬鹿なりにひたむきにやっていくしかない。
そうすれば見えてくるものだってあるだろう。焦っていては見えないものだってあるだろう。
何歳になっても手遅れなことなんて無い。
考えてさえいれば、何事も間に合って、大丈夫になるだろう。信じたいのである。
変わらないと信じたい。その人のことを、ちゃんと信じたいのである。
作業用BGM
デアペイダー / ZABADAK
PR
Comment
最新記事
(04/22)
(04/12)
(03/06)
(01/22)
(10/04)