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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

9/21に天然石の店を辞めて、それから1週間経つ頃には、もう次の仕事が決まっていた。
派遣だけど、今の連れと話して雇用形態にこだわらないとのことだったので、働ける範囲で選んでのことだ。

無論、正社員の方が良いだろうとは思うし、何より賞与がありがたいのも解っているつもりだ。
だけど、そこに掛かる重圧に、今でも結構、辛いんである。
新しい場所に行くのに「上手くできるかな」とか「しっかりやらなきゃ」とか思うことは今までもあったが、様々な思惑や将来への設計図込みで気持ちが強くなりすぎたのか、今は言葉にならないままの唯々重たいものを抱えていて、それがとても辛いのだ。

1週間前ともなれば、その焦りや不安は輪をかけて強くなる。
こちとら、病んで駄目になって再起してまた駄目になっての繰り返しだからなぁ…。
またそうならない為に、今度こそと意気込んではいるものの、大抵、そうして力を入れると失敗するのだ。

じゃあ、どんな心境でいるべきか?
その見当がつかないから、普通にしていた。
普通にしているつもりで、1人の時に「上手くいかなかったら?」と考えてしまった。

何故こんなにも不安になるのか、病んだことにも原因はあるが、今の連れとの結婚を考え始めたからだと思うのだ。
しっかりしなければ、自立しなければ、お金を貯めなければ、逃げては駄目だなどと自分を知らずに追い込み、戦わせようとしている。
結婚するには自分の努力が8割だろう、と踏んでのことだった。
でなければ、どうしてこんな存在と今後の人生を共にできよう。

連れとは、一緒に住むことや、犬を飼いたいことなど話し合っている。
和やかに家事は分担できるし、喧嘩になりかけても話し合いは可能だ。
少なくとも、わたしはあの人に尊敬できる部分を見い出せたし、自分の欠点をあの人と一緒にいる為に治そうとしている。

そこまでできるのは自分の中でも嬉しい変化なのだが、不安もあった。
いくら家事を分担できようが、欠点を治そうが、金銭でも精神面でも自立できてなきゃ駄目なんだ。
その自立が懸かっているのが、今回の派遣だ。ここで踏ん張りが効かなければ、わたしはあの人の元から去るべきなのかもしれない。


不可視の仲間は、ただ見守る。
いつでも共にあること、僕が頑張ろうとしていることを知ってくれている。
本当は変わっていくことを恐れる僕のことを、僕はちゃんと知らねばならない。
変わることは怖い。でも、変わらないことはもっと怖いのだ。
見てみたい景色があるなら、変わらずにはいられない。

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薬が切れて、国保の保険証が来て、買ったはいいものの副作用に悩んで飲まずに2週間は経ったろうか。
目に見えて変化が起きているために、薬を抜いたら正常にすら戻れないものかと、少し悲しくなる。

飲んでいるのは、ジェイゾロフトとソラナックス。
以前も飲んでいたその組み合わせを、6月からまた飲み始めた。
そうすると、少しは感情が抑えられる。辛いことも、死にたくなるような悲しいことも、とりあえず置いておこうという気持ちになる。

以前はそれが薬に騙されているんだと思えて、すごく嫌悪感を抱いていたのだが、前回のお店で人に迷惑掛けまくった時に「そんなこと言ってる場合か」と、やむなく飲み続けることとなった。
自己判断でやめたら、ロクなことが起きないのだ、精神安定剤の類は。

そんでも、このジェイゾロフトによる性機能の障害に少し悩んでいて、飲み続けることに抵抗があった。
本当は飲まずして、落ち着いた人格を形成したかった。
性機能障害に因って、今の連れと争ったことはないけど、自分が物足りない気持ちになっているのは事実だ。

しかし、連れにとっては、そこよりも寧ろ薬を飲む前の感情過多なところに手を焼いていたようだから、こちらとしても文句は言えず、薬を飲むしかない。
薬を飲んでいれば、生理前症候群の症状も和らぎ、連れに迷惑を掛けることもなかった。

が、薬を飲まないこの2週間ほどで、以前の状態に戻ってしまったようだ。
先日の地元の祭の人混みにものすごく苛立ち、些細なことでも声を荒らげてしまい、就職だ将来だと母親と言い争いにもなって、その話の片鱗が出ると、ものすごく苛々する。
そして今も、変換が上手くいかないスマホに苛々し、書けないことに苛々し、そんな苛々に左右される自分に呆れる。

そうして、自分は薬を飲まなきゃ普通の状態でいられないのだなーと自覚し、落ち込む。
こんなんで結婚とか出産とか、夢見てんじゃねーよって思うのだ。

僕はもう薬に因ってしか、自分を抑えることができないのだろうか。
少しは自分で自分を制御できたら、楽になると思っていたのに。
今まで薬で誤魔化されて見えていなかった部分が暴れだしたが如く、感情が爆発する。
それを抑える為にか、殺意や色欲が頭をもたげる。
その姿は、確かに元々の自分に近い。
その姿を認める度に、普通の幸せなんて遠い夢の中の出来事なのだと思える。

僕は幸せになっていい存在ではないんだよ、と言われているみたいだ。
苛立ちが、不安が、羨望が、ないまぜになって僕を見据える時、そこにはいつも戸惑って何もできない僕が居る。
抗うことも以前なら考えていたのに、今は何もできない。結局、薬を飲むしかない。

とはいえ、こんな凶暴な面を晒すことを望む人が居るだろうか?
このままだと薬も過剰に飲んでしまいそうだ。
そんなに凶暴な本性なら、しまっておいた方がいいのではないか?
それは「嘘を吐いている」のではなく、「普通の人になる」だけのことなんだ。そう信じるしかない。

首にまとわりつく髪も、食べたのにすぐ減るお腹にも、苛々は臨界点を越す。
連れに相談したいけど、余計な心配は掛けられない。あんまり呆れられて、離れていかれるのも悲しい。
そこで我慢をしたら、関係は変わってしまう。悩みすぎてしまう。
やはり薬を飲むしかないのだ。死にたいのなら話は別だが。

紅弥もセレナも心配そうに見ているけど、どうにもできない。
薬を飲まない方が自然体だから、いろんなものを身近に感じる。それだと感情も受け入れ過ぎて、辛いんだけどね。

薬、薬、そればかりが僕を閉ざす。


先日、友人の紹介で知り合った娘さんと、中華街の天然石屋を巡ってきた。
以前行った岩座とか、チャイハネの一部コーナーとか、そんなんを見学に。

彼女も石が好きとのことだけど、まだ知らないことの方が多いらしい。
事実、僕のマメ知識に頷きまくってたので、基本的なことしか知らなかったのだろう。
そう思うと、やっぱり僕の知識量は他のスタッフよりはあるんだな。本を読んだ成果かな。

行ったのは、岩座、エスニック雑貨の店、中華街にあるうちの系列の店、個人がやってそうな不審なとこ(失礼)
何も買う気なかったんだけど、たまたま寄った「龍」って店でファントムクォーツのブレスレットを見つけて、30分くらい悩んで、買ってしまった。

ついこの間、地元のジャスコにある石世界でクソみたいな接客態度を尻目に、マザーオブパールを買ったばかりだ。

まぁ、これは安かったからそんなに。1,500くらい。
金のロンデル外して、自分の手首に合わせてカスタマイズしたから、さっそくつけてる。
これをつけるキッカケは、たぶんカレシさんともっと仲良くなりたいかだろなぁ。

ファントムクォーツは石そのものが好きで、小さなポイントなら既に持っていた。
けど、やっぱりブレスレットが欲しくて探してたんだけど、やはりどこも高いもんである。
ガーデンクォーツを安く手に入れてしまった身としては、ファントムクォーツもどこかで安く売っているのでは? と期待していた。

それで見つけた「龍」では、綺麗な針の見えるルチルですら半額セールで3,000と驚異的な安さを見せる。
スーパーセブンも、真贋はともかく値段はピンキリだったけど、半額セールの対象になってて驚いた。

友人はスーパーセブンを半額3,000円そこそこで買い、僕はグリーンファントムを3,000そこそこ、レッドファントムを8,000ノほどで買った。
おまけしてもらって10,500円也。
ただしグリーンファントムの元値は6,000くらいだし、レッドファントムは17,000だっていうから、かなりお得に買えたと思う。

けど、決めるまですごく悩んだ。
まだ自分はこれを持つべきではないと、頭の中で声が反芻していたのだ。
マザーオブパールをつけていた所為か、優しさや愛情に心が傾いていたのかもしれない。
本来好きなのは水晶系だから、またとない機会ということも解っていた。
でも、手を出すのは躊躇われた。

店の中国人のねーちゃんに
「何を悩んでいるの?」と訊かれて、
「正直、まだこれを持つべき時期じゃないと思う」と素直に答えたら、
「考えすぎよ」と諭された。

曰く、僕は綺麗な針の見えるルチルを半額セールで見せられても、ファントムを手に持って離さなかった。
店内には種々様々な石があったのに、ファントムを手にし、レッドファントムが無いかと訊いてきた。
それはつまり、それらの石と縁があったということ。選んだのなら、きっと石たちは力を貸してくれるとのこと。

「あなた、決断力が無いでしょう」と言われ、反論しようとしたが、最近確かにそうだと思い直した。
僕はあまり決断するのに時間は掛からない方なのだが、4月くらいから、適応障害が悪化し、薬を飲み始めてからは、物事を決めるのにすごく悩むようになった。
自分でもそれがショックで、どうしてかなと考えたら、恐らく後悔するのが怖くて決められないのだと解った。

けどね、それじゃ駄目なんだよ。
自分の言動の責任は自分で持たなきゃ。
石はきっと力を貸してくれる。
紅弥は「いらねーだろ」なんて言っていたけど、僕は確かに石に惹かれていたんだ。
お得な買い物だってこと、きっと時間が経てば経つほど解るようになる。


今は少し大きいので、後でまたゴムもらって自分用に直すぞー。
ガーデンクォーツよりは素直、かなぁ。


きっと祭を楽しんでいるのだろう。

いやーすごかったな、明け方の雷。
なんとなく3時半に起きてしまって、空がたまに光るもんだから「あ、雷だ、でも仕事あるしなぁ」と見るのを諦めたんだ。

ところが、4時過ぎ頃にだんだんと活発になってきた雷は、光って唸って落ちてと荒ぶりはじめた。
その音にびっくりして、寝台に転がったまま、魚のよーにビタンと跳ねたわい!

雷は好きなんだけど、びっくりしないわけではない。寧ろびっくりするけど、その美しい一瞬を見たいだけ。
2008年だか、豊作だった時があったけど、それ以降はあまり大物を目にしていない。
その中では、今朝の雷は結構すごかったんじゃないだろうか。

惜しむらくは、ちょうど僕の部屋からは見えない所で落ちまくっていたこと。
幕電の状態は問題ないけど、落雷の瞬間を見たいと思ったら外に出ないと見られないだろうな。
しかし、そこまで命知らずではないので、窓から窺う程度。

轟音を響かせて、ばりばり景気よく落ちる雷。
夜勤だった弟は帰ってくる途中、自分の住んでいる付近(と思われる場所)に太い雷が落ちるのを目の当たりにしたらしい。
そうだね、光ってから次にまた光る感覚がちょっと短かったかも。いつの間にあんな大きな雷雲へと育っていたのか。

で、雷のことを調べたら、「雷樹」なんて現象あるのね。
正しくはスパイダー雷っていうのか?
これと稲妻がごっちゃになるんだけど、稲妻は発光する現象そのもののことで、雷は総称だけども本当は音のことを指しているんだっけね?
ってことは、稲妻は横に走る雷のことと思っていたけど、それをスパイダー雷って呼ぶのではないだろうか?

雷を好きって人がなにしろ周りに少ないものだから、そういった情報を交換することもできない。
最近になって、やっと光ってから音が鳴るまでの数秒×340で大体の距離が解るようになった(場所が解るとは言っていない)

落雷で亡くなっている方も居るので、不謹慎に大騒ぎはできないのだが・・・・・・
やはり自然の為せる荘厳さを目に焼き付けたい。
今夜もまた来るのだろうか。


久しぶりに店長に腹が立った。
その物言いに、ハッキリしてくれと返したくなるのを堪えた。
その態度が気に入らなかったのか、ひたすら他のスタッフと話しまくるその様子は、自分のナワバリを主張しているように見える。
自分の捉え方次第と解っていても、腹が立ち、目に余ると思ってしまった。

辞めるまで、余計なことは起こしたくない。
しかし久しぶりに腹が立ち、彼女の行いは稚拙で、退勤15分前に「日報とトイレ掃除、どっちをやりますか」と言われて、また頭にきた。
あんたがさっさとどかんから、こんな時間になったんだろうが。でも日報を書くのも、トイレ掃除も15分で終わらせられる。あんたにはできないだろうがな。
そんなことを心で毒づいて、またこの状態かーなんて呆れて、連れに会いにいった。

一週間ぶりくらいに会った連れはいつもと変わらず。
だけど僕は店長のことで腹が立っていて、妙に話して妙なテンションだった。
仕事の愚痴はあまり言いたくない。だけど、自分の中で留めておくには重たくて、話したいけど話しちゃ駄目だと思うと、辛かった。

結局、連れには話したけど、僕にも悪かった点はある。諭されずとも、解っていた。
解っているのにできないのは、僕が幼稚だからだ。まだまだケツの青いヒヨッコだから。
連れはそんな言い方しないけど、根本的に悪いのは店長だけど、僕ももう少し立ち回れたのではないかと言われ、そのとおりだなと思った。

帰り、何気ない好みの話をして、僕と向こうと意見が食い違った。
それは別段、おかしなことではないのに、何故か急につまらなくなった。
なんだ、君は好きじゃないのか、僕だけなのか、そっか、もういいや。
そんな感じで、そそくさと車を降りた。

その話が出る前までは、普通だった。
でも、少しだけ思ったかな。今日も気持ちを伝えられなかったな、なんて、ガラにもなく思ったのだ。
誕生日の時でさえ、好きだと言われず。さすがに寂しくなったが、好きでもない相手とここまで長時間過ごす筈がないと考え直し、言葉にしないくらいでなんだ! と自分を叱咤した。

けど、会えない時間が長い。たかが一週間、されど一週間。
好きだとは思うが、最近言われてないよって話をした。我儘だと思うけどと言ったら、「それはわがままじゃないよ」と言ってくれた。
なのに、誕生日のお祝いに好意を伝えてもらえることはなかった。

それが何だってんだい、と、もう一度、自分を叱咤する。
だけど駄目なんだ、違和感が生じる。
好きだって言ってもらえない、好みが違う、また会えない、なんか、もう、いいや。そんなふうに巡る。

酷い話だ。会えないだけで、言葉が足りないだけで、何でどうでもよくなるんだ。
それほど僕にとって、伝えるということ、会えるということが重要なんだろうが。それは相手も同じ筈だ。
どうしてこんなに我儘になるんだ。どうして相手の気持ちが解っているのに、不安になるんだ。

襲いくる陰が嗤うんだ。
「おまえは大事にされることに飽きたんだよ」
酷い目に遭って、自分の価値を見失って、それでも相手に縋るのは辛いことだ。
なのに、それをまた望んでいるって?
堕胎するような目に遭いたがっているって?
馬鹿を言うな、そんな筈ないだろう、やめてくれないか。

七ヶ月が経った。
価値観の擦り合わせは続いているし、未来への見通しも立てられそうな気がしている。
だけど、どこかで「この人と一緒にいられないかも」と怖がる自分が居る。お金が無いから? ズボラだから? 自分のことも自分でできないから?
僕と一緒にいることを、この人は望んでくれないだろう。そう感じるから、せめて会って、話して、気持ちを伝えたいのだろうか。
それが無いと、何を考えているのか解らないとでもいうのか。解るよ、解る。感じるのに。

違和感が、ずっとある。それが怖い。
好きじゃなくなっちゃうのかな、一緒にいられなくなるのかな、呆れられちゃうのかな、飽きちゃうのかな、酷いことばかり浮かび上がってくる。
こんなに良い人は居ないって、昨日、自分のブログを読み返して痛感したばかりじゃないか。
この、そっこーで思考が180℃転換するのを、本当にどーにかしたい。少しは気持ちの方向性を保っていられないのか。

会えないくらいで、好きだって言ってもらえないくらいで、どうでもよくなるもんか?
なるのかもしれない、前回と同じようになりたくないから。違う人間を相手にしているのに、同じになりようもない。

また一週間。
この前までは「あとちょっとで会えるぞ!」なんて思っていた。
今は、何も思わない。このまま会わなくてもいいかな、なんて。その方が、次にまた来るであろう「会えない苦痛」を新しく受けずに済む。

一緒にいられないんなら、今のうちに離れるべきなんだ。
一緒にいたいけど、それだけじゃ駄目なんだ。当たり前だよ。
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