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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

更新頻度もだいぶ遅くなってきたこのブログだけど、もしかしたら凍結するかもしれんなぁ。
書くことに意味が無いのではなく、ここに載せることに意味が無いのだ。日記帳でも買って、手書きで残すようにしようかな、なんて。

昨今は落ち込んだり、嬉しかったり、本当に悲喜こもごも。

ひとつは、仲良くできていると思っていたフォロワーさんにBにてさよならされたこと。
元々、不思議な方ではあったから、こっちが嫌いになって~とかではないと思うけど、唐突なことだから何か悪いことしたのかと心配になる。
とはいえ、Bでさよならだから、もうメッセもリプもできないのだ。その拒絶の意思が、今後もきっと関わる気が無いのだということを教える。

つい先月辺りにも、仲良くできていると思っていたフォロワーさんに、挨拶無しに消えられてしまって啞然としていたじゃないか。
今回は挨拶あっただけでも良しとするべきか。でも、何で離れたのだろう。
縁が無かったんだ、なんて思わない。せっかく逢えた縁だから、もっと話したかったのに。
或いは、僕の性格に難があるから離れていったのかもしれない。それはそれで仕方ないな。

ネットで会ったとしても、相手は人間だ。礼節は通すに限る。
だけど、ここ何年かはネットで会った人に良い思い出が無い。
個人の趣味のサイトにあったBBS、mixiとか、ここで会った人は今でも付き合いが続いている友人にまでなれたのになぁ。
誰とでもそうなれると思っているわけじゃないけど、相手が何考えているのか解らなくて、また怖くなりそう。

薬を飲んで、カウンセリングを受けて、それでも人が怖いことに変わりはない。
そういったことにショックを受けるのが悪いのではなく、歩みが止まることが悪いんだ。
だから、忘れなくてもいいから、少しは流せるようになりたいな。


金曜にまた大学の時の友人の個展へお邪魔した。
相変わらず躍動感のある絵で、活き活きとしている。生命の力に溢れた絵だった。
生きている、のではなく、生命の力に溢れているのが特徴だと思うんだけど、他の方はどんな風に受け取ったのだろう。

でも、彼女も頑張りっぷりを見ていて、たまに自分が恥ずかしくなる。
何もしていないし、何も残せていない。そのことが悔しかった。
彼女と比べたとて仕方ない。彼女は10年近く、大学の先生に師事して絵の勉強をしたのだから。
そうしていろんことを経て、2回目の個展を成功させた。それは尊いことだ。

僕はまだ何も行動していない。書けていない、歌えていない。まだその力が無い。
力が無いから何もできないのか、何もする気が無いからできないのか。
そのどちからなら、きっと後者も前者も当てはまるのだ。僕には力も才能も無い。
だけど、書くことも歌うことも好きだから、続けていた。誰の為じゃなく、自分の為に。
誰かに称賛してほしくて、それだけで書くのなら、もっと気位の高そうな文章を書くだろう。

やっとここらで開き直ることができた。以前なら、他者と自分とを比べて、敗けて、大事にしたい者から逃げ出していただろう。
今は違うんだ。書きたいから書くんだ。誰の為でもない物語を。いつか誰かに届く物語を。
それが誰にも読まれるなんて思えないけど、もう少し真剣に呼んでくれる人に会えたらなぁ。
そんなことを思う日、少なくありませんな。


おそ松さんも今ハマったしなぁ。人より遅い流行。
長男、次男、四男で一本書いてみたいけど、下手したら処刑されるよね?


あれ、眠いんだな。処刑? 何が あ、なるほどな。

先ずは一本。その後で精霊~の続きも書くことにしよう。
次の世代へ渡すものを、暫く考えておかなくては。
1月に行った聖剣ライブ、まだ耳に残りそうだ。

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日常とは、そんなもんであろうか。

仕事を辞めることを決めて、8月は短時間のシフトで乗り切ることにして、それで何とか落ち着きそうだなーと思えた一週間。
薬が効いてきたのも大きいかな。あれだけ落ち込んだり、電車乗れなくなるほど嫌になったのに、1人で町田まで行けちゃったしね。

まぁ、行けないと困るんだ。
友人が銀座でまた個展を開くから、銀座まで1人で行けないと困るんだ。
個展行くまでに治ってきて良かった。

とはいえ、来月からシフト変更になって社保から抜けることになったので、薬は今月また買っておく。
ジェイゾロフトを一錠ずつでも、いけるかもしんない。今は二錠ずつ。
身体に起きる副作用を少しでも減らしたいのだ。


今日はカウンセリングの後に町田に行って、カレシさんへの誕プレ追加を試みた。
だけど、ネットで調べた店が何故か見当たらなかったんだよな。もう潰れていたのかな。
それならそれで、ネットから名前を削除しておいてほしいもんである。探し回っちゃったよ。

だもんで、町田に行った意味がないって むしゃくしゃして、Ozzで自分の買い物しちまった。
しかもまたスカートですよ。ブラウスや靴を新調するつもりが、リバーシブルのスカートに一目惚れだよ。



おとなっぽいロリィタを目指そう。
早く冬にならんもんか(´ω`)


それから、今日の夕方は彩雲が出ておりましたな。

幻日なのか彩雲なのかって思ったけど、これは彩雲ですな。
3年ぶりくらい。前の家に居た時は、空を見る機会が多かったからなぁ。


カウンセリングに行き始めて一年が経とうとしているけど、先生から見て、わたしは変わりつつあるらしい。
恋人ができたことも良い影響を生んでいるようで、現実的な考え方ができるようになってきた……ように見えるのだとか。

わたしはわたしを過大評価なんて できない。
しかし、少しは変わってないと、あれだけの辛い思いをした意味が無い。
全てはわたしの経験と思い出とだけど、それでも変わりたい、このままではいられないと思ったんだよ。

仕事なんて、すぐに終わる。
毎日なんて、何もしなきゃ何も無いんだ。


夏休みの繁忙期を越えられないかもしれない、と弱気なことを言ったミーティング後、5日程、休みをもらうことにした。
それで気持ちの整理がつくとは考えにくいけど、このままずるずる働くよりマシだと思うのだ。

身体と心を休めること。
そして、9月で辞めるのなら、それまでに何をして、何を学ぶべきかを考えること。
これが休みの間に課せられた。自分の為に、店の為にできることって、何だろな。


それはさておき、今日は元から休みの予定だったから、カレシさんと一緒に居たよ。
最初は、向こうの一人暮らしに必要なものを買って、部屋の整理をする予定だったんだけど、ほぼ整理は終わっていた。
だもんで、急遽、静岡は伊東辺りまでドライブがてら遊びに行くことになったよ。


道の駅にあったマリンパークぽいとこで。
今日は雨が降ると思ってたけど、晴れたね。日傘あって良かった。
この辺りの海は透明度が高くて、魚が泳いでいる姿すら見えるのでした。ほへー。


空もとってもきれい。
傾いているのは、逆光でよく見えなくてもシャッター切ったから。
最近、ちゃんと空を見ていなかったからね、こうして写真に収めたり、空を見る時間があるのは良いことだ。

港でじゃがバタ天、アイス、シューアイスなど食べながら、次に目指したのはステンドグラス美術館。
箱根のガラスの森みたいな感じだと思っていたら、来客が少ない上に、パイプオルガンと昔のオルゴールの生演奏が聴けた。なんという収穫!

パイプオルガンなんて、生を見たのも初めてだし、音を聴いたのも初めて。
奏者の方は勿論プロだから間違えなくて当然なんだろうけど、両手両足、更に横に設置されたスイッチを切り替えての演奏ってすごいなぁ。
ドまん前に座って聴いたぜ!

オルゴールは昔の円盤をセットして聴くタイプ。
もっと大きなやつが、昔の箱根にあったオルゴール博物館にあって、回したことがあるんだけど、こっちのはもっと小さめ。
お金を入れるとストッパーが外れて、演奏がされる仕組みなんだって。
このオルゴールの音を聴きながら、どんな人達が何を思ったんだろうな。


ちなみにステンドグラス美術館はブライダルにもよく使われるようだ。
今日も一組、式を挙げた方が居たみたい。お幸せに。


次に、道すがらあったアジアン雑貨を売っている場所へ。
豊富な雑貨の中から、7月に個展を開く友人への誕生日の贈り物を買う。お金無いけど、今この時にしか買えないものがある!
カレシさんも必要なもん買ってて、そのなかで鞄を買っていた。
アジアン系が似合うんだな、君は。ちょっと羨ましい。

ちなみに、ここで飲み物を買ったんだが、アイスのチャイにごっさシナモンかけられて まいった。
嫌いじゃないけど、シナモンは香りがする程度でいいんだよ…(´・ω・`)


来た道を戻って、カレシさん家でまったり。
そういえば、男性の部屋に上がってもそこまで緊張しないな。電気代とか水道代とかは気にしてしまうけど。
どうしても、前の人とのことがあるから、相手の部屋に行った時はなるべく迷惑かけたくない。水道光熱費で責められるのはもう嫌だ。

今の方はとても優しくて、僕のことをとても大事にしてくれる。
だから僕も頑なだった心がほぐれて、結婚とか子どもとか、未来というより将来の具体的な展望を持ち始めた。
…それなのに休職したのは痛手ではあるが。

現実の自分にできることと、できないこと。それぐらい、もう解っていなくちゃいけない。
夢を見る為には現実を見なければならないんだ。僕は働くのが嫌なんじゃなくて、どんな仕事で働いていけるのか解ってないだけだ。

カレシさんの部屋に居る時に観ていたテレビで、某人気講師が「群像の感覚を持つことが大事」と社会に出る上での心構えのようなものを話していたが、そうね、うん、ほんとそうね!!!

自分を客観視した時、何が強みなのか、他の人とどんな連携で仕事にあたるべきなのかが、あまり見えていない。
だから理想が高くなって、現実の自分とのズレで悩んだりする。今が正にそうだ。もっと自分はちゃんとできると思っていた。

群像の感覚を持てば、自然と仕事を選ぶこともできるだろうか。
今のとこ失敗を繰り返して、それでもやっているような状態だけど。

今のカレシさんとずっと一緒にいたいのなら、どんな役目を負い、何を果たすべきなのだろうか。


きてしまった、久しぶりにきてしまった。
電車に乗れなくなり、駅まで行ったものの引き返してしまった。
あぁ、またか。自分で自分が情けなくなりますな。

昨日の休日、さんぽに行こうと思って外に出た時に、上手くさんぽする自分を思い浮かべられなかった。
この時点で「まずいかも?」と思ってはいたのだ。
休職した時も、その前からも、30分近く歩くのは欠かさない。酷い時は3時間近く歩いているけど(これはもう徘徊レベルだ)、大抵は1時間くらい、光を浴びる為、外に慣れておく為に歩くのです。

あとは元から歩くの好きだから、歩くの特に苦ではないんだな。
考えをまとめる為にも歩いたりするし、生活の一部になっているかも。

その歩く行為がもし、嫌だなーとか、しんどいなーと思うようになっていたら?
その時は自分の中で、何かが限界にきてしまったのだと思います。そういう目印になるんです。
同様に、ゲームするとか書くとか、自分の好きなことも、どうも始められない、ぼーっとするって時は、要注意だなー、と。
自分の趣味を楽しむことすらできないんじゃあ、わたしにとっては生きている意味が無いからな。そんな余裕も失せるくらい辛いんだな、と解るんだ。

それが昨日あって、どうにもぼんやりして、どうにも動けなくて、でもたくさん寝れば治るだろうと22時半には寝たと思ったが、駄目だったな。
朝、準備して家を出る頃には身体が鈍くなって、「電車に乗るのか」と思ったら過呼吸気味になってしまった。

それでも親には言えないので、おとなしく家を出たんだけど、駅に着くと改札に行けず、トイレに行ってゼィゼィ。過呼吸になりかけて、余計に焦る。
職場の方々に連絡して、治まってから家に帰って、去年まで行ってたメンタルクリニックに薬をもらいに行ったのでした。

処方されたのは、ソラナックスとジェイゾロフト。以前も渡されていたもの。
そうな、レキソタンからソラナックスに変えたんだっけ。忘れていた。
ソラナックスの効き目は1週間くらい経ってからと聞いたので、飲み続けてみよう。

本当は薬による「頭が誤魔化されている感じ」が嫌で飲みたくないのだが、ここまできたら文句は言っていられない。
仕事も休みがちになり、周りに迷惑を掛けているのだから、薬で少しでも動きやすくなるなら安いもんだ。
…まぁ薬自体は高いな。駄目になった自分が悪いとはいえ、きつい。

ここでようやく現状がのっぴきならない状態まで来たことを、痛感する。
これは続けるか辞めるかではなく、辞めるかで考えないといけないかな。

今ここで働いているのは、
・人間関係が良い、病気に理解がある
・ほぼ定時で終わる
・天然石を扱っている
という良い点があるからだ。

じゃあ悪い点は というと、自分の態度も入ってくるけど、
・仕事に対しての熱意が無い
・対人恐怖症が接客により悪化
・土日祝も出勤
・フルタイムパートだが給料はそんなに高くない
こんなところだろうか。

ネックなのは、仕事に対しての熱意が無いことと、対人恐怖が勝ってきてしまったこと。
去年の今頃はまったく余裕で、多少は嫌な客が来ても、顔に出ることはなかった。
今は顔にも態度にも出ちゃうし、気持ち悪くて仕方ない。喉がすぼまるような感じがして、頭の中は常にパニックの様な状態になる。
「今は仕事だから」と区切っておきたくても、いつの間にか自分の頭がごちゃごちゃになってしまうのだ。

熱意をもって仕事をすると空回りしがちだから、まぁ少しは手を抜いて考えるべきかもしれない。
1年半居て仕事にも慣れてきたし、手の抜きどころも良い意味で解ってきた。

だけど、対人恐怖はどうしたらいいだろう。仕事しながら克服すべきか。
この状態では違う仕事に行っても、仲間に溶け込めなくて、また病むだろうな。現にそれで前の会社は辞めてしまった。
そこと比べたら、ここは人ができているし、何でも話せるんだ。みんな助け合おうとしている。

だから、わたしの仕事に対する目線がどうにかなれば、続けても問題が無いと思っている。
五月蝿くて傲慢な観光客にうんざりして、自分では何も調べようとしない馬鹿さ加減にも笑いすら出てこなくなったが、言うて客ですから。お金落とせば客ですが、その前にも客ですから。
わたしには彼らを退けるだけの力がある筈なんだが。違ったかな。

身体の不調がすぐに出てきて、何も考えられなくなるのは、この陽気の所為か。
パソコンやスマホの見すぎ、気温差による体調不良、女性ホルモンの影響などなど、歳を取ったからこそ、今まで考えつかなかったようなことが原因になってきているかもしれない。

試しに薬を飲んで、朝起きた時は軽くストレッチをして、なるべく朝の光に当たってみよう。
自分の意識をいくら強くもったって、脳内のことが解るわけじゃなし。
可能性のあることは何でもやってみるのがいいだろう。

辞める辞めないについては、今まで結論を出しづらくて、答えるのを先延ばしにしていた。
お店を休職して一旦考えるとか、扶養内のシフトにするとか、手を考えたけど、社保の恩恵を受けられないのは辛いし、支払いやカウンセリング代、或る程度は自由にできる金が欲しいなら、悠長に休みを増やしている場合ではない。
なら、仕事を変えるという話になるけど、変えた先の人間関係を上手くやる自信なんか、まったく無い。

結婚するとか、先が決まっていれば、この金欠且つ中途半端なパートも続けていられるのかもしれない。
けど、それは相手に経済的にも精神的にも負担になる。そんなこと望まない。わたしはわたしの力で立っていたいのだ。それができないなら、結婚してはならないと思う。
ただでさえ貯金が無く、病んでいて、この先も正社員になれるかどうが解らん人間なのだ。この必要かどうかも解らん人間が結婚だなんて、バカ言っちゃいけねーな。
でも、それを夢見ることのできる相手が居るから、ちったぁ自立したい。働いて、自分で自分のこと何とかできて、足手まといにならないところを見せたいのだ。

その気持ちも、焦って仕事を決めようとする様も、2年前によく似ている。
大阪の子にプロポーズ紛いのことをして、正社員を決めたけど、駄目だったな。
そもそも自分の力量以上のことしようとしたから、駄目になったんだっけ。

いつもそうだ、自分の理想に無理に近付こうとして、あれやろうこれやろうってなる。
無理にでも動かないと、自分は変われないのだと思っている。
だけど、何が今必要なことなのか、自分にできることが何なのかが解っていないのは、悲しいな。それでは自信なんて生まれる筈もない。

今の僕は病気を克服する為に、元のシフトに戻して(今は休日10日)、フルタイムパートで頑張っていくのが良いのかな。
これで自信が戻ってきたら、正社員を探すか。或いは、自分のやりたい石の仕事が見つかれば、人間関係を置いて、やれるようになるかもしれない。
いずれにしろ、まだここに居るべきだろうか。

連れに以前、相談した時は、
「次の場所に行ったら、今まで支えてもらっていた分を自分ひとりで できるようにならないといけない。今、支えてもらっている影響はかなり大きいんじゃないか?」とのことで、成程、その通りだった。
だからって、ずっとこの店に居たら、自分ひとりで全然動けなくなりそうだけど…それも怖いけど…。

何するにも中途半端で、駄目ですねぇ。
何だったら、人並みにできるのだろう。
でも、そうして自分のハードルをガチ上げするんでなく、「自分にはここまでしかできないからこそ、ここまではがんばろう」って思うことも、必要なのかもしれない。

結局、答えらしい答えは出せない。
まだ悩むようかな。
とりあえず、薬でまかなえるのなら、月8日休みに戻さないと、まったく稼げない!


ここ3ヶ月、そして2週間ほど、自分では結構重たい症状に悩んでいる。
とにかく疲れやすい。人と話すのが嫌だ。接客業だから仕方ない、仕事だから仕方ないと割り切ろうとしても、身体がついていかない。
それでも無理矢理にでも動く。そうすると、どこかで歪みが生じる。どう解消していいのか、解らない。

落ち込みやすいのはいつものことだけど、こんなに落ち込むものかと驚いた。
どうしてこんなに落ち込んでいるのかも、解らない。以前より、良い環境になったのに。
もう原因がどうとか、そういう次元ではないのかも。脳内で認識できる事柄から離れた場所で、僕の意識や身体を苛む何かが成長を続けている。
だから、店に居ても頭の中がパニックになる。何をしているのか、解らなくなる。
時々は一日、余裕をもって動くことができる。今日は駄目だった。

こんなことを繰り返していると、いろんな声が聴こえる。
もう死んだ方がいいのか、でも死ねないじゃないか、もう動きたくない、誰にも会いたくない、まだそんな弱っちゃいない、ここで休んだらもう動けなくなる、しっかりやらなきゃ愛想尽かされる、もうしんどい、まだやれる、もうやれない、僕には何も期待できない、何も気にせず自分の為に生きなければ。
こんなことが繰り返されれば、パニックになる。仕事中にいきなり考え出してしまう。「今はそんな場合ではない」と思っても、全く考えが止まらない。
集中している間は考えずに済むのに、気が緩むと駄目になる。

疲れやすい。もう動ける気がしない。休みたい。部屋から出たくない。
けど、そういうふうに動いたら、余計に何もできなくなる。それが怖くて無理にでも動いている。
親に相談などできない。あの人達に助けを求めても仕方ない。誰に助けを求めるわけにもいかない、こうなったのは自分の所為だ。
だから、ここから助かりたかったら死ぬしかない。だけど、死ぬこともできない。それではずるずると生を飽食するしかなくなってしまう。

何でこんなに悩むのだろう。どうしてこんなに落ち込むのだろう。
僕はどうなりたいのだろう。
こんなに疲れて、しんどくなって、いったい何をそこまで感じているのか、自分でもまるで解らない。
ただ何となく思うのは、いろんなことが重なって、潰れて、自分のなかに染み込み過ぎたんだなってこと。
何か行動を起こそうにも、時すでに遅く。自分の中が潰れてから、店長と話したり、本社の話を聞いたから、余計に駄目になった。

まだ仕事をできるだなんて、思っていない。もう休ませて。辛い。
そんなに追い詰めちゃだめだよと言われる。追い詰めないと動けない。生きていけない。
身体に鞭打って、みんながんばって生きているのだろう。
それが僕にはできないのか。みんなと同じようにがんばれないのか。

もうちょっと自分はできると思っていた。働けるようになったと思っていた。
これじゃ休職していた時と何も変わらない。がっかりだ。
何もしたくない。

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