ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
きてしまった、久しぶりにきてしまった。
電車に乗れなくなり、駅まで行ったものの引き返してしまった。
あぁ、またか。自分で自分が情けなくなりますな。
昨日の休日、さんぽに行こうと思って外に出た時に、上手くさんぽする自分を思い浮かべられなかった。
この時点で「まずいかも?」と思ってはいたのだ。
休職した時も、その前からも、30分近く歩くのは欠かさない。酷い時は3時間近く歩いているけど(これはもう徘徊レベルだ)、大抵は1時間くらい、光を浴びる為、外に慣れておく為に歩くのです。
あとは元から歩くの好きだから、歩くの特に苦ではないんだな。
考えをまとめる為にも歩いたりするし、生活の一部になっているかも。
その歩く行為がもし、嫌だなーとか、しんどいなーと思うようになっていたら?
その時は自分の中で、何かが限界にきてしまったのだと思います。そういう目印になるんです。
同様に、ゲームするとか書くとか、自分の好きなことも、どうも始められない、ぼーっとするって時は、要注意だなー、と。
自分の趣味を楽しむことすらできないんじゃあ、わたしにとっては生きている意味が無いからな。そんな余裕も失せるくらい辛いんだな、と解るんだ。
それが昨日あって、どうにもぼんやりして、どうにも動けなくて、でもたくさん寝れば治るだろうと22時半には寝たと思ったが、駄目だったな。
朝、準備して家を出る頃には身体が鈍くなって、「電車に乗るのか」と思ったら過呼吸気味になってしまった。
それでも親には言えないので、おとなしく家を出たんだけど、駅に着くと改札に行けず、トイレに行ってゼィゼィ。過呼吸になりかけて、余計に焦る。
職場の方々に連絡して、治まってから家に帰って、去年まで行ってたメンタルクリニックに薬をもらいに行ったのでした。
処方されたのは、ソラナックスとジェイゾロフト。以前も渡されていたもの。
そうな、レキソタンからソラナックスに変えたんだっけ。忘れていた。
ソラナックスの効き目は1週間くらい経ってからと聞いたので、飲み続けてみよう。
本当は薬による「頭が誤魔化されている感じ」が嫌で飲みたくないのだが、ここまできたら文句は言っていられない。
仕事も休みがちになり、周りに迷惑を掛けているのだから、薬で少しでも動きやすくなるなら安いもんだ。
…まぁ薬自体は高いな。駄目になった自分が悪いとはいえ、きつい。
ここでようやく現状がのっぴきならない状態まで来たことを、痛感する。
これは続けるか辞めるかではなく、辞めるかで考えないといけないかな。
今ここで働いているのは、
・人間関係が良い、病気に理解がある
・ほぼ定時で終わる
・天然石を扱っている
という良い点があるからだ。
じゃあ悪い点は というと、自分の態度も入ってくるけど、
・仕事に対しての熱意が無い
・対人恐怖症が接客により悪化
・土日祝も出勤
・フルタイムパートだが給料はそんなに高くない
こんなところだろうか。
ネックなのは、仕事に対しての熱意が無いことと、対人恐怖が勝ってきてしまったこと。
去年の今頃はまったく余裕で、多少は嫌な客が来ても、顔に出ることはなかった。
今は顔にも態度にも出ちゃうし、気持ち悪くて仕方ない。喉がすぼまるような感じがして、頭の中は常にパニックの様な状態になる。
「今は仕事だから」と区切っておきたくても、いつの間にか自分の頭がごちゃごちゃになってしまうのだ。
熱意をもって仕事をすると空回りしがちだから、まぁ少しは手を抜いて考えるべきかもしれない。
1年半居て仕事にも慣れてきたし、手の抜きどころも良い意味で解ってきた。
だけど、対人恐怖はどうしたらいいだろう。仕事しながら克服すべきか。
この状態では違う仕事に行っても、仲間に溶け込めなくて、また病むだろうな。現にそれで前の会社は辞めてしまった。
そこと比べたら、ここは人ができているし、何でも話せるんだ。みんな助け合おうとしている。
だから、わたしの仕事に対する目線がどうにかなれば、続けても問題が無いと思っている。
五月蝿くて傲慢な観光客にうんざりして、自分では何も調べようとしない馬鹿さ加減にも笑いすら出てこなくなったが、言うて客ですから。お金落とせば客ですが、その前にも客ですから。
わたしには彼らを退けるだけの力がある筈なんだが。違ったかな。
身体の不調がすぐに出てきて、何も考えられなくなるのは、この陽気の所為か。
パソコンやスマホの見すぎ、気温差による体調不良、女性ホルモンの影響などなど、歳を取ったからこそ、今まで考えつかなかったようなことが原因になってきているかもしれない。
試しに薬を飲んで、朝起きた時は軽くストレッチをして、なるべく朝の光に当たってみよう。
自分の意識をいくら強くもったって、脳内のことが解るわけじゃなし。
可能性のあることは何でもやってみるのがいいだろう。
辞める辞めないについては、今まで結論を出しづらくて、答えるのを先延ばしにしていた。
お店を休職して一旦考えるとか、扶養内のシフトにするとか、手を考えたけど、社保の恩恵を受けられないのは辛いし、支払いやカウンセリング代、或る程度は自由にできる金が欲しいなら、悠長に休みを増やしている場合ではない。
なら、仕事を変えるという話になるけど、変えた先の人間関係を上手くやる自信なんか、まったく無い。
結婚するとか、先が決まっていれば、この金欠且つ中途半端なパートも続けていられるのかもしれない。
けど、それは相手に経済的にも精神的にも負担になる。そんなこと望まない。わたしはわたしの力で立っていたいのだ。それができないなら、結婚してはならないと思う。
ただでさえ貯金が無く、病んでいて、この先も正社員になれるかどうが解らん人間なのだ。この必要かどうかも解らん人間が結婚だなんて、バカ言っちゃいけねーな。
でも、それを夢見ることのできる相手が居るから、ちったぁ自立したい。働いて、自分で自分のこと何とかできて、足手まといにならないところを見せたいのだ。
その気持ちも、焦って仕事を決めようとする様も、2年前によく似ている。
大阪の子にプロポーズ紛いのことをして、正社員を決めたけど、駄目だったな。
そもそも自分の力量以上のことしようとしたから、駄目になったんだっけ。
いつもそうだ、自分の理想に無理に近付こうとして、あれやろうこれやろうってなる。
無理にでも動かないと、自分は変われないのだと思っている。
だけど、何が今必要なことなのか、自分にできることが何なのかが解っていないのは、悲しいな。それでは自信なんて生まれる筈もない。
今の僕は病気を克服する為に、元のシフトに戻して(今は休日10日)、フルタイムパートで頑張っていくのが良いのかな。
これで自信が戻ってきたら、正社員を探すか。或いは、自分のやりたい石の仕事が見つかれば、人間関係を置いて、やれるようになるかもしれない。
いずれにしろ、まだここに居るべきだろうか。
連れに以前、相談した時は、
「次の場所に行ったら、今まで支えてもらっていた分を自分ひとりで できるようにならないといけない。今、支えてもらっている影響はかなり大きいんじゃないか?」とのことで、成程、その通りだった。
だからって、ずっとこの店に居たら、自分ひとりで全然動けなくなりそうだけど…それも怖いけど…。
何するにも中途半端で、駄目ですねぇ。
何だったら、人並みにできるのだろう。
でも、そうして自分のハードルをガチ上げするんでなく、「自分にはここまでしかできないからこそ、ここまではがんばろう」って思うことも、必要なのかもしれない。
結局、答えらしい答えは出せない。
まだ悩むようかな。
とりあえず、薬でまかなえるのなら、月8日休みに戻さないと、まったく稼げない!
PR
Comment
最新記事
(04/22)
(04/12)
(03/06)
(01/22)
(10/04)