ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
ちゃんと言葉にしなくちゃ、物語にすらならないものだ。
ここ2ヶ月近く繰り返す、希望と絶望の繰り返し。
熱意が醒めてしまった仕事を辞めたくて、もっと情熱的になりたくて、でも今は何もしたくなくて、そんな悪循環が自分で歯痒い。
ゲームしてみたり、本を読んでみたり、日常を変えようと動いてみるけど、劇的に変わることなど有りえないのだった。
何年、人間をやっているのか。そんな夢を見たところで、まだ僕は空を飛ぶことすら自由にできやしないじゃないか。
夢を見るなら現実を見なければならない。ずっと解っていたことなのに、何故また現実からも夢からも目を背けるのだ。
気力も体力も精魂も消えそうだと、助けてほしいと願った。
仕事中に、闇の王と話すような非現実。
彼は言った、「おまえの周りにはおまえに必要な縁しか残っていない」と。
彼は言った、「おまえにはおまえにだけ解る真実があるのだ」と。
真実を抱えて、僕のものではない事実に向き合った時、僕には不可視の仲間が居る。
僕は僕だけで事実に向き合うことができなかった。
人間の仲間はもう居ない。だけど、形に拘る必要はない。
僕には僕なりのやり方があって、大事にしたいものを上手く大事にできれば、それでいいんだ。
今日、やっと『ユメヒトヤ:再誕』の一編が仕上がった。まだ起承転結の起が終わったぐらいだ。
ここまで書くのにそうとうな時間を要した。合間に他の話を書いたり、他のことに煩わされたりして、気が散っていたんだ。
仲良くできていると思っていた人と実は離れてしまっていたり、新しく読んだ本に刺激を受けた所為で自分の文章というものが解らなくなったり、また挫折しそうな気配がする。
僕はやっぱり書くの下手なんだなぁと思った。言葉の選び方もいまひとつ、上手くなれていない気がする。
書きたいことが先行して、技術が追いつかないのかもしれない。いつもそうだ。だけど、これだけ書いてきて、まだその気があるってのが悲しい。
僕に価値が無くても、僕の書いた物語には価値がある。そのことをずっと信じている。
願わくば、『ユメヒトヤ:再誕』は濃霧のなかをふらつくかのように生きている人へ、光明となるものを孕んで届けばいい。
それを光と為すか、災いと為すかは本人次第だが、生きることと死ぬことを限りなく見つめて、ことばを綴ろうではないか。
僕は何処へ行く。何処へも行かない。
言葉を操れている? まだ操られている。
何をしているのだろう。まだ何もしていない。
巫であることに変わりはない。失われた力は花となり、綻ぶその刻を待つ。
僕には僕しか居ない。満たされないのは、完成したくないからだ。
壊れてなんかいない。無理して僕を変えようとしないで。
考えるだけじゃ駄目なんだ。書いていかなきゃ駄目なんだ。
まだ僕は言いたいことの半分も言えていない。
『ユメヒトヤ:再誕』を届けて、君に伝えたいことがあるんだ。
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