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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

すぐに自分の行動に意味を求める辺り、自分で自分の首を絞めているのかなーと思うけれど。

今日は久しぶりのカオス会だった。
いつもの4人が久しぶりに揃って、両声類の子と冥王できるよねって背丈の子と、6人でわいわい。
いつもの4人は多かれ少なかれ歌うことに関してはガチ勢なもんで、いつもここで歌うと「このままじゃだめだな」という気持ちになる。
いや、べつに何の団体を目指しているわけでもないけれど。

ここで歌うのも、もう何回目になるだろうか。
元々は大学卒業後くらいに、サンホラを歌おうという名目で集まり、それぞれのパート分けなども上手くできて、それぞれの特性も活かされて、ここで歌うことが恒例行事になったのだ。
それがもう何年続いているだろう。5年? もっと??
この間に、サンホラ以外も歌うようになり、寧ろそれが普通になり、今ではサンホラよりも他の歌を歌うことが増えてきた。

僕はハモるの大好きハモラーで、他にも熱意あるハモラーが居る。
声楽やっている娘も居れば、特撮界隈の歌は大抵歌えるという方も居る。
個性豊かな面子の中で、僕は一番、声量が無いのだった。それが難点。
だけど、僕にはソプラノ~テノールまで出せる声があり、わりとどんなジャンルの歌も歌える。それが強みといえば強み。
一般人からは「普通の歌を歌っても普通に上手いんだけど、ふらみいの真価はサンホラ、アリプロ、志方さんにある」と言っていただけて、自分でもそうだろうなって感じる。

まぁ、そんなこんなで自分の強みを活かせて且つ楽しく歌えるから、ここに来るの好きなんすよ。
何歌ってもフォローくれるし、合いの手入るし、なにより僕がハモることができるってのが嬉しいんよ。
基本的に音程ちゃんとしている人じゃないと、ハモりにいけないし。
生意気ながらも、僕にとっては僕がハモれる人かどうかで、その人の歌の上手い下手を判断する。大抵は普通に上手ければハモれる。のびのびとハモれるのは、やっぱり歌うことが好きな人達だけど。

今日も楽しく歌って、ごはん食べながら「ここで歌うのは良いね」なんて話して周りに喧嘩売るような言い方しちゃったけど、そもそも僕にとって歌うことって何だろうって考えた。
それは表現の手段のひとつ。けど、そもそも僕は自分で作詞作曲はしないので、人の歌を歌うだけである。
それじゃあ歌うのが好きというより、人の真似をするのが好きと言った方が正しいかな。
元の歌い手に敬意を表して、なるべく似せて歌うのが信条だから、あながち間違いではない。作った人が何を思って作詞したのか、作曲したのかに思いを馳せることもある。それもきっと間違いじゃない。
でも、一番は僕の世界を潤してくれたものを、僕が自分を置き去りにして表現できるかどうかだ。その間だけ、僕は作品を表現する一部でありたい。だから、こんなに歌うことに対して妥協しないのだと解った。

物語を書くことは、自分の世界を表現すること。僕の視たもの聴いたことを、言葉によって現世に表すのだ。
歌を歌うことは、込められた抽象的な世界を僕なりになぞらえて表現すること。頭の中で溢れる想像を、詳細に、上手く、綺麗に表現したい。それは何の為とかじゃなく、歌がそういうものであるから、忠実になぞらえて表したいのだと解った。

そういえば、僕はちゃんと考えたことが無かったのだ。
僕自身が歌いたいのなら、作詞作曲を自分で行えばいい。そうじゃなく、人の造ったものをなぞって歌ってばかりいるのは、何なのか。
誰かの作った歌に込められたものを受け取りたいのか、それとも自分なりに解釈したものを表現したいのか、ただ単にその歌が好きだから歌いたいのか。
恐らくどれも当てはまるけど、僕がその作品を表すただの一部品になることを望んでいるのかもしれない。電子の歌姫のように、曲の一部となって違和感なくその世界を完成したいのかもしれない。

それを考えたら、何故、人から褒められても、あんなに納得できないのか解る。
足りないのだ、まだ。僕は一部になれていない。もっと近づきたいのに、自分の力不足の所為で思うように表現できないのだ。
だから、物足りない。いつも飢えているような状態。それは物語にも繋がる部分があるけど、こっちの方がもう少し浅い場所にある問題なのかな。

歌うということは、表現するということ。
歌うということは、自分じゃないものになるということ。
だとしたら、僕はまだ歌えるだろう。巧くなるだろう。


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