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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

 そんな者に終ぞなれる気はせんが、目指すことで救われる心もある。
 今はそんなふうに自分を慰めて、来るべき時に備えるしかなかった。

 自己肯定感というものが俄かに騒がれるようになり、僕に欠如しているものはそれなのだと解り、辛いことや苦しいことを経て、ようやっと形を摑めてきた昨今。
 信頼していた友人に二十年越しに梯子を外され、そんな人間に依存して生きてきた自分を恨み、呪いながらも、それでも生きてきたのは何のためか。
 勿論、書くためである。この身に起きたことを余すことなく形にし、別の物語にし、いつか自分が辿る軌跡として残していかんがため。
 そう言うと崇高な目的になるけど、要はそんなことで命を手放す価値がその人間相手に無かっただけのことである。

 こうして言えるようになっただけでも、生殺し状態にあった二年前の自分には僥倖であろう。
 人間に縛られることなく、或いは自分を卑下し過ぎることもなく、山を下りて谷を抜けて、望んだ景色に戻ってくることができたのだから。
 それだけの力がずっとあったのに、人間に遠慮して、拠り所にして、育んでいたものを大事にしまって、しまい過ぎたのではないだろうか。
 それぐらい、思い出した。僕はあんな人間に頼らなくても歩けるし、よっぽど修羅場を潜って、責任を背負って、自分で決めて生きてきた。その価値も軌跡も汚されることは無く、あの子に汚すことはできない。
 その矜持こそが生きていく上での重要な柱となって、いつかまた会えた時に僕があの子を支えることのできる力へと変わる。そう信じる。
 あの子は最低な人間かもしれないが、そんな人間すらも許し、愛することができる偉大さに触れるといい。そんな尊大な態度だって、きっと冗談でも笑い事でもない。
 だって、僕にはできる。君にはできないことをずっと続けてきた、やってきた。そんな僕が、常に一歩先を行く僕が、それくらいできないわけないだろう。

 確かに、確かにこんな奴だった、僕は。尊大で、我儘で、何とか強くなろうとして、いつもあちこち見ていた気がする。
 いつの間にか人間の間で小さくなって、許されなくなって、萎んでしまっていたんだ。そうなるように仕向けられた、と言ってもいい。受け入れたのは僕だが。
 その洗脳状態にも近かった場所から、三年目の脱出劇だ。いいじゃないか、それで。
 僕が特別なのだから、君ができないのはしょうがない。目の前でそう言ったら怒るだろう。だから追いつけないんだよ。

 まぁ、そんなことよりも目下のところ気にしているのは、身重の今がどう転がっていくかだ。
 重要な検査をいつできるか解らず、初動が遅れたのは手痛い。
 遅れた分を取り戻すことは難しいので、今からでも調べてみて、その結果によってどうするかを決める強い心が必要だ。
 何も無ければ今まで通り。何かあれば選別の対象とする。
 一度は決めたことで、それ故に人の親となることなど無いだろうと決めた筈だが、今こうして目の前にもう一度その選択が浮上してくると、思うところは尽きない。
 でも、それもこれも命を連れていこうとした自分の責任だ。だから考えて、決定して、その結果を受け入れねばならない。
 物言わぬ人間の言葉を聞いて、自分が何をしたかを刻んで、それがやっぱり十字架のように思えても生きるしかないのだろう。

 何も無かったとして、この先に起きることなんて誰も予想できない。
 もしかしたら違う形で病気が見つかるかもしれないし、後天的な要素なんて幾らでもついてまわる。
 自分が病気になるかもしれないし、その所為で悪影響が降りかからんとも限らない。
 考えれば考えるほど暗澹たる気持ちになるし、何かをどうにかしなければと謎の焦燥感に襲われる。全く意味の無いことだが。

 心配したところで、なるようにしかならない。僕の力が及ばない場所での話だ。
 僕にできることと言えば、できる限りのストレスを減らして、健康と思われる生き方をするだけ。それによって保たれる命があるのだから、責任持ってその役目を果たすべきなんだろう。

 当てつけのよーに責任が責任がって言っているけど、それが僕の今の矜持を支えている。
 他の人間には解らない。この悲哀も孤独も伝わらない。
 だから強がってみて、その強がりを本物へと変えてみせる。あんな弱虫のままでいられるか。

 とはいえ、実際に命の選別をまたせねばならないとなった時、僕はどんなにか衝撃を受けるだろう。
 宿っただろう魂からは同じ文言しか聞かれない。生きたいとか、外に出たいとか、そんなくらい。
 僕はこの人間に遭ってみたい。ただそれだけの願いで、責任を果たそうとしている。
 他の人間よりも軽い動機ではあるが、それで表面的にも社会的にも何かを果たせるなら、まぁよいではないか。

 先のことは解らない。解っていることだけを意識して、乗り越えていくしかない。
 次に死にたくなった時は、誰が迎えに来てくれるだろう。

 燥良は笑って言っていた。拍子抜けするぐらい健康的な子が産まれてくれるよ、と。
 そうなれるようにしたいけど、本当にそこは僕の力が及ばないんだ。
 少しだけ歯痒い。もっと人間から乖離した存在だったなら良かった。

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 すごく久しぶりに普通のことを書きます。

 今日はお世話になっている方の、これまたお世話になっている居酒屋の周年記念イベントでした。
 居酒屋の店主がやっているという生バンドの演奏で歌えるという内容で、世話になっている方から去年誘われ、今年に入って本格的にこの話が動き始めました。

 僕は歌うのは好きだけど、生バンドなんて何の縁も無い人間です。
 それどころか、集団で何かを成すという体験は無しに等しい人間です。
 それぐらい集団を避けてきたし、部活の人間関係も上手く馴染めなかったし、サークルで頑張ってみたけど途中で息切れしました。
 その後もゲームを通じて人と何かやってみたり、誰かと合作してみたりしたけど、何人も集まってという場には居合わせないようにしていたのです。

 僕はその居酒屋に何度か連れていってもらい、店主の顔は覚えていました。
 何人かの常連さんにもお会いしたけど、大した話をしていないので殆どの人の記憶から消えているでしょう。
 だから、八割は知らない人ばかりのなかで歌うことになります。

 とても緊張しました。本当にできるのか? と何度も思いました。
 だけど、生バンドの演奏で歌わせてもらえるなんて、僕みたいな引っ込み思案且つ上手く人と関係を作れない人間には、一生来ないかもしれない好機です。
 これを逃したくない、体験してみたい、自分がどこまでやれるのかを試したいと思い、お誘いを受けました。今年に四月のことでした。

 去年の苦しいあの時期に、ただ苦しんでいるだけでは本当に死んでしまうという危機感を覚えた僕は、個別レッスンをしてくれる歌の先生を見つけていました。
 今でもその方の元には通っていて、公私ともに大変世話になっています。
 その方に師事して、来る十二月の今日まで課題曲をひたすら練習しました。

 聴き慣れた、或いは歌い慣れた曲だと思ってそれを選んだけど、実際に採点機能を使って歌ってみると、かなり音が違っていたり、何だか評価がいまいちだったり。
 先生に「こうした方が聞き手が気持ちいいよ」とか、「こうやって歌った方がかっこいいよ」と教わりながら、一生懸命、形にしていきました。

 その途中、リハーサルに呼んでもらったので三回くらい参加してみたけれど、生の音があれほどの迫力とは知らず、一度は雰囲気に吞まれました。
 でも、演者の方々にとても褒めてもらえたこともあって、自信がついたり、自分でハードルを高くしすぎて落ち込んだり、一喜一憂の多い八ヶ月間でした。
 客観的なものの見方はできる方だと思っていたけど、歌に関してはいまいち解らず、先生や演者の方にあれこれ褒めていただいたから、不貞腐れずに頑張れたのかとも思います。

 良い声だと言ってもらえて、上手いから見ていて安心感があると言ってもらえて、正直、天狗になりかけました。こんなに真っ直ぐ褒められたことはありません。
 僕は自己肯定感が低いまま育ってきて、そのまま大きくなってしまったから、人から認めてもらえていない状態などはすぐに解ります。だから評価の場に立つのは嫌でした。
 けど、こうして言葉にしてもらえて、ちゃんと伝えてもらえて、僕も捨てたもんじゃないんだって思えるのがは喜ばしいことでした。

 二度目のリハーサルでひどく落ち込んだものの、三度目のリハーサルを迎えた時に、何かが吹っ切れました。
 良くも悪くも僕の今の限界はここで、これを出し切るしかないんだ――という気持ちをもって、最後の調整に先生と臨んだ日は、先生に「何かが吹っ切れたように感じる、声が澄んでいるよ。言うことないね」と褒めてもらえました。
 背伸びするでなく、卑下するでなく、今の自分を認めてこれから来るものを受け止める覚悟を持つということが、初めてできた気がしました。

 そうして迎えた当日、真夜中に起きて寝不足気味ではあったものの、朝からずっとわくわくしていました。
 喉慣らしでカラオケに行き、現地へ向かい、イベントが始まってもわくわくしたままでした。
 何と言っても、他の方々の歌も生演奏で聴けます。どの人も楽しそうに歌っていて、演者も楽しそうに弾いていて、見ていると笑顔が絶えませんでした。
 こんな感情がまだ自分にあるのだ、と驚きもします。

 自分の番が来る頃、最初の音が鳴る前までは緊張していて、自分の鼓動が五月蠅いくらいだったけど、始まったらとにかく歌に集中しました。
 歌っている間、とても楽しかった。目を閉じてしまう癖があるから、開かなきゃと思っていたのだけど、それも気にならないほど、適度に閉じて開いて、周りを見回していました。
 ただ、間奏の終わりで急に音の入りが解らなくなってしまったところがありました。焦ったけど、すぐに挽回し、「ミスなんてしてませんし?」という堂々たる態度で歌い切ることができました。
 ドラムを叩いていた店主にお願いされた、ちょっと静かになってから一緒に入るところも、お互いの顔は見えなかったけど、音ですぐに解ってタイミングもぴったり合いました。快心の出来でした。

 歌い終わった後もまだどきどきしていたけど、やがて一抹の寂しさがやってきました。
 八ヶ月、あれやこれやと悩んで練習して、いろんなことを考えたのは、全てこの日のため。たかだか四分でも、完成度を上げるためにたくさんのものを積み重ねてきました。
 それが今こうして成就して、終わったんだなという感慨が、少し熱を奪ってしまったように思います。
 でも、その後もイベントは続いていたから、皆さんの歌に楽しくのってきました。

 みんなで何かを造り上げる、それが上手くいくって、こんなにも楽しいことなんだって新しい発見をしたような気持ちでした。
 厳密に言えば僕はここの関係者ではないし、一歩の距離を置いた者ですが、それでも演奏付きで歌わせてもらえたことは、大事な経験となりました。
 何より楽しかったから。達成感もひとしおで、これで終わるのが寂しい、まだ歌いたい、上手くなりたい、もっと聴いてほしいって強く願えたから。
 誘ってくれた方にも、演奏してくれた方々にも、聴いてくださった方々にも、ただ感謝を抱きます。

 そして、ずっと頑張ってきた自分を褒めちぎります。お酒は飲めないからジンジャーエールで乾杯です。
 二年前、心を完膚なきまでに壊されて、信じていたものが消えて、二十年の歳月に打ちひしがれていたけど、その間、迸る熱情を書き殴り、歌に託し、光明を得て、また暗闇に没して、そうやって傷だらけで歩いてきた自分を称えます。
 人間を信じるのはもう嫌だ、また傷付けられる、壊される、捨てられると怯えまくっていた自分が、こうして人前に出て何かを成し遂げられたということを、認めます。

 僕は捨てられるような存在じゃない。何かの代わりに損なわれるような存在でもない。
 こうやって何かができた、人に認めてもらえた。
 そりゃ物語も歌も、いつも誰かが見聞きしてくれるわけじゃない。どちらかといえば、日陰に居ることの多い存在だ。
 でも、少なくとも何かと引き換えにされるほど安い存在ではない。僕が特別だったんだ、それは間違いじゃない。
 そんな気持ちを強く持ちました。

 勿論、相手も同じように思っているでしょうね。普通の人間は責任を回避することに長けています。例え事実と違う人間であったとしても、そのことを認めず、理想像を高く掲げて、自分は清いのだと信じ込むことで生きていけるのでしょう。
 僕はそれを断罪したかった。今はどうでしょう、そんな生き方まっぴら御免よって思うけど、人間として生きるなら少しは見習うべきかしら?
 でも、己の醜さを自覚しないような阿呆ではありたくないわ。
 僕は僕の正体を見極め、欲しいものを儘に手に入れる。そうして生きていく、死ねないうちは。
 この意味も解らないような人間に、僕と付き合っていく価値なんて無いね。不遜でも何でもなく、そう感じます。お前にはお前の正体が見えているのか?

 僕は価値を持たないわけじゃない、見えづらかっただけなんだ。或いは、押し込められて見えないようになっていたんだ。
 まだ何かができる。何かを望める。業の塊と評されたけど、業も背負わずして何を成せる、得られるというのでしょう。
 静観し、冷笑する人間どもにもその片鱗があることを、いまに見せてやる。

 それはともかく、今日は記念すべき日となりました。
 僕のできることがまた増えたのです。素晴らしいことです。
 夕方から何も食べてなくてお腹が減ったけど、この時間じゃもう食べれないな。
 ジンジャーエールだけ飲んで、明日は小さなお祝いを自分にしてあげよう。
 自己肯定感、ポジティブ、そんなものは自分と無縁だと思っていたけど、思わされていただけなんだ。
 誰かに捨てられて傷付いて壊れても、僕はまだ歩ける。それこそ真似できないことでしょう。

 あぁ、良い気分だ。でもやっぱり寂しい。
 誰かとバンドを組むとか、そこまでは考えられないけど、またできたらいいな。
 唯一無二の存在が見つかったら、一緒に歌ってくれるかな。
 見つからずとも、僕ひとりでも充分なのだわ。


 久しぶりに、一緒に作った物語を読んだ。
 あの時はすごく悩んだけど、すごく楽しかった。
 誰かと何かをやるのが苦手な僕が、一つのことを成し得たのだと嬉しかった。
 それも相手が相手だったから。
 途中で投げ出しちゃうんじゃないかって、少し心配もしていた。
 同じ熱量だけど、限界の値は違う。じゃあ、どこかで置いていってしまうかもしれないって。
 一緒にその先を見たいと、書きたいと、少し無理をさせたかもしれない。

 そんな懐かしい話を、もう十六年近く前のものを読んだ。
 本当はその後に書いた、当時の自分の最高傑作を読みたくて、その前提を読もうと思っただけなの。
 だけど、とても懐かしかった。僕とあの子が確かに繋がっていたことを、教えてくれる。

 それと同時に、唐突に悟ったわ。
 こんな話を書く子だもの、そりゃああいう行動になる。ああいうことを言える。
 何で何で何でってずっと悲しかったし、悔しかったし、辛かったけど、ここにずっと答えがあったの。
 夢の持ち主は残酷なまでに、自分の為にしか動かない。僕もそう。
 僕と君の間にあったことは全て無かったことになるわけじゃないけど、たったそれだけのものとして捨てられても可笑しくないの。
 だって、京介は南絵の手を取らなかったから。

 そんな人間が、あんな話を書ける人間が、僕の辛苦に気付くものか。
 気付いたところで、謝るものか。辛くなるものか。立ち止まるものか。
 自分の為に、ただ自分の為に、一緒に行こうと言う者を捨てられる、変えられる。
 そして、それはあの子の中では罪ではない。ただ受け入れているだけなの。
 人間の本質は変わらない。奇跡なんて起きない。絶望も希望も等しく訪れて、去っていく。

 全ての答えが既にここにあったなら、僕はずっと遠回りをしていたことになる。
 同じく僕も盲いていたの。何も見えていなかったの。見ているつもりだったのに。
 大事にされていたと思う。たくさん支えてもらったと思う。
 戻りたいとは思わない、もう思わない、その先が見たいから。
 今度は僕が支えるよって、この十年で何回約束しようとしたことか。
 それすらも、君にとっては価値が無く、ただ受け入れて流すだけのものなんだね。

 誰もが知っていたこと。僕だけが見えていなかったもの。
 だから周りの子が言うんだ、「あんな人間が本当にお前に必要なのか?」と。
 大切にしてくれるだけの人間なら、もっと他に居るということかと思っていた。
 そうじゃなくて、虚無なんだ。真っ黒なだけ。底が無いだけ。浅く、狭く、色が無い。
 それがあの正体で、僕が愛したものの正体で、僕が生きるために必要な要素なんだ。
 僕だって自分の為だよ、また会いたいとか話したいとか、君の役に立つわけないもんね。
 それでもいい筈だ。僕とあの子がそうやって関わってきたことを、もう知っている。

 いろんなことを知る度に辛くなる、苦しくなる、逃げ場が無くなる。
 改めて突きつけられる現実に、僕がどれだけ苦しめられようとも、その手が触れてくれることもなく。
 言葉を用いてどれだけのものを交わそうとも、人間である以上、しがらみに囚われている以上、それ以上でも以下でもなく。
 小さくて、弱くて、月並みで、大したことないんだな。
 そんなでも僕は愛したし、欲したんじゃないか。そこまでは否定しない。
 救われたんだ、確かに。だから君は僕を承認欲求と自己同一性の為に生かしてくれたんだ。

 そんな関わり方でも、あの時はいいと思ったの。
 本当は良くなかった。今になって傷が膿んで、まだ苦しんでいる。血の流れない傷がたくさんある。
 あの子はどうだろう。何を得て、何を失って、何に気付いて、何を諦めたんだろう。
 それを知ることができないのは悲しいな。僕はまだ諦めきれないのか。

 人を信じる理由なんかない。
 幸せを幸せだと認識して感じられる時間も、もう無くなった。
 これからゆっくり朽ちて、錆びて、膿んで、忘れていくだけ。
 そんな人生が嫌だから、僕は抗う。持ち得る力の全てで抗うと決めている。
 その過程で、また会いたいだけ。会えなくてもいい。会いたいだけ。
 せっかくこのしょうもない人生で出会えたものだ、失いたくなかったものだ、機会が欲しい。
 執着じゃなければ、依存じゃなければ、もっと傍に居られた?
 馬鹿を言うな。

 それでも、納得がある。あの物語は標だ。
 だから、君はそうなんだ。僕に対しても、誰に対しても。
 その虚無が、僕と居ることで少しは埋まれば良かったのに。
 そしたらもっと大事にしてもらえたかな。

 今の僕なら大事にできる。理解できる。もっと何かを言える。
 傷付けても、慰めても、近付けないかもしれないけど。
 ただ、夢の獄に居る。現の牢に居る。同じように居るんじゃないかと思っている。
 だって、どうせ君にとっては何も価値が無いんだろう。自分さえも。
 僕だけが知っていればいいんだ、そんなこと。

 また一つ歩けただろうか。ただ辛いだけの日々に光明はあるか。
 大事なものを大事にしたい。幸せな時は幸せなことだけ感じていたい。
 それが上手くできなくて落ち込むし、悲しくなるこの苦痛は、お前には解るまい。
 でもいいよ、許すよ。僕の為に。

 気でも狂えばよかったんだ。もっと早くに死んでいればよかったんだ。
 そんな世迷言を吐いても、僕は明日も書き続ける。証明だよ、証明。
 君にはできっこない。ずっとそう。

 僕だけの唯一無二に早く逢いたい。満たされたい。受け止めてほしい。
 ゆめひとやは大事なものなんだ。あの子にもいつか、その意味が訪れるといい。
 分かたれたくない。


 またともだちになりたいだけだったの。
 誰にも咎められず、阻まれず、自分達でそういう存在を何とかできると思っていた。
 できなくても、いずれはできるようになるだろう。
 一緒に成長したいだけだった。
 彼女達以外で、初めてちゃんと信じようと思った人間だから。
 母親の代わりにして甘えてしまったことは、申し訳なく思う。
 今の僕なら解る。
 ちょうど十年前、僕は近付き方を間違えた。或いは、機を見ることができなかった。
 それも間違いではなく、過程の一つにできるよう、一緒に成長していけると思っていた。
 だからこんなに拘ってしまった。すまなかった。
 忘れないでほしい。二十年も付き合ってきた、やべー奴のことを。
 また会いましょう。


 解放される。自由になる。
 これで君は自由なんだ、と彼女が言った。
 そうか、なら自由なんだろう。彼女が言ったんだ、間違いない。

 ずっと苦しかった、辛かった、惨めだった、悲しかった。
 いつかこのすべてが報われることを願って、呪ったり、立ち止まったり、歩いたりしてきた。
 最後は許すつもりで目を閉じた。閉ざしたと言ってもいい。開くことなんて無いと思った。

 何かが起きると思ったし、誰かに会えると思った。
 今のところ、そんな予兆は無くてがっかりだ。
 これだけ辛い目に遭ったのに、何も起きないなんて。
 占いも、予言も、予知も、何も意味が無い。
 刻一刻と変わっていく世界の中では、すぐに切り替わる僕の運命には、何も手出しできない。
 それが退屈だった。嘘吐きでしかなかった。
 お前達の力の及ばない場所に僕は存在していて、人間でもなくなって、そのまま消えるんだ。

 だけど、解放の兆しだけは受け取った。僕にはもう必要無いんだと思うことができた。
 だからこそ再会も、離縁も、どちらにも転ぶのだと解った。
 ウィルドはそういう意味だったのかもしれない。ペイオースも、たぶん。

 ルーンの結果ですら揺らぐから、何一つ信じるべきではなかった。
 占術の結果なんて一定の可能性を保障するものではない、解っていたのに期待してしまった。
 時間はまだ掛かる。それだけの価値あるものを用意できるか、疑わしい。
 その間に僕はまた真理に辿り着いたぞ。ポポルと会話することで見えたものがあったんだ。

 解放してほしい。もう苦しいのも辛いのも悲しいのも嫌だ。
 相手がどうとかより、自分に降りかかる厄災全てを跳ね除けたかった。
 だが、今はどうだ。僕は明らかに相手よりも上の次元に足を踏み入れたのだと解る。
 それが幻だなどと、誰が断じることができようか。僕にだって、きっとできない。

 もう終わりでいい。僕があの子のために苦しむのは終わりだ。
 あの子がどう幸せであろうと、不幸せであろうと、僕にはもう関係無い。
 関係があるとすれば、また縁が繋がった時だけだ。
 「そんな人間がお前には必要なのか?」と皆が異口同音に尋ねてくる。
 僕にとっては大事な子なんだ。どれだけ呪い、憎もうとも。

 この心に敵うものなんて、幾何も無い。
 僕に必要なものは僕が決める。過去に引き摺られて、もう役目の終わったものに拘ることは無い。
 この先で出逢うことを期待したいのなら、愚かだった過去こそを断罪すべきだ。

 なんて、偉そうに思うけど、本当はどこかでまだ泣いている。
 そりゃそうだ。ずっと一緒に居たかったのだから。僕だけが。
 相手も望んでくれたかもしれないけど、僕ほどの次元じゃない。
 あの子はいつも僕を見下ろしていただろうけど、本当は見上げる側だったんだよ。
 こういう話の時は、特に。だって君にはこんな思考も覚悟もできないだろうからね、と。

 だから、だから、この次元に君が来てくれれば、生きながら辿り着いてくれれば、また会える。
 やっぱり好きだし、一緒に居るのが楽しいから。前みたいにできなくても、楽しいことを見つけられる。
 現世でなくてもいいけどさ。それもやっぱり、魂の弱い人には解らないんだ。

 僕が特別なんじゃない、向こうが特別なんだ。僕につられて、特別だと思い込んだ?
 不思議な縁だ。関わり方だ。大事にしたい。大事にされたい。それは可笑しいことじゃないと、やはり皆が言う。

 それら全てが絡みついていた。足元から少しずつ引いていく。僕を解放してくれる。
 愚劣極まりない現状をして、僕はまた進める。また置いていく。
 解放されたかった。悲しみも辛さも苦しみも、どこかに置いていきたかった。
 自らの罪を悔いるなら話ができるだろうけど、話せないなら、つまりそういうことだ。
 この次元には辿り着けない弱さも、気付かないまま。そういうふうに思っていいのだろうか。

 いいのだ、と皆が言う。僕を持ち上げて、てきとーに言って、生かしたいだけなのでは?
 どうせこんなこと言っていたって、どこかでまた落ち込む。連れていかれる。
 でも、それが少しずつ治まるのなら、僕が自分の強さを認めることにも意味が出てくる。

 解放してほしい。僕はここに居る。明日死ぬとしても、最後まで目を逸らさない。
 罪深き者にいずれ罰が下るなら。
 報われるのはあともう少し掛かる。会えるのも、まだ掛かる。
 今まであんなに辛かったのに、まだ辛くならないといけないなんて。
 それもどこかで唐突に終わる。死ぬかもしれないし、違う何かが起きるかもしれない。

 死んでもいい、生きていてもいい。解放されても歓びを知ることはない。
 これが心壊れた者の現実と、とある人間の犯した罪の証。僕が生きている限り、その罪は消えないし、無かったことにもならない。
 でも、君はきっと殺しには来られないだろう。責任を放り出して、見たくないものから目を逸らすのは、人間として当たり前だから。
 それすらも間違っているのなら、天意が僕を滅ぼす筈だ。

 解放してほしい。解放して。
 もうたくさんだ。縁を結び、呪いを紡ぎ、生まれ変わっても、まだ足りないのか。
 満たされろ。報われろ。それができないなら、お前が殺しに来い。

 今日はどうにも駄目だった。朝からずっと落ち込んでいた。
 何かが起きる気がした。でも、どうせ何も当たらずに終わることも解っていた。
 そんな中で突然に起きた解放の予兆だった。僕はもう苦しまなくていいと、自覚した。

 自覚したところで、いきなり全てが晴れるわけではない。少しずつってところが、もどかしい。
 一瞬で晴れるような何かが起きることを期待している。自分から動くのはもう飽きた。
 今まで僕はずっと自分から動かしてきたんだ。行動してきたんだ。そろそろ誰かに動いてほしい。そんな価値も僕には無いのか?
 見つけてほしい。僕を見つけてほしい。いつかの姉さんと同じことを言っているな。

 離れた縁が再び繋がる日は訪れる。それは僕から、或いは相手から。
 そうなってほしいところだよ。でないと、これだけの葛藤を繰り返したのが無駄になっちゃう。
 でも、今の僕と話すのは怖いだろうね。

 終わりになればいいだけ。終わりにしてくれ。
 早く会いたい。僕を見つけ出してほしい。解放されたんだろう?
 今なら見える筈だ。ここに居るよ。

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