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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

 すごく久しぶりに普通のことを書きます。

 今日はお世話になっている方の、これまたお世話になっている居酒屋の周年記念イベントでした。
 居酒屋の店主がやっているという生バンドの演奏で歌えるという内容で、世話になっている方から去年誘われ、今年に入って本格的にこの話が動き始めました。

 僕は歌うのは好きだけど、生バンドなんて何の縁も無い人間です。
 それどころか、集団で何かを成すという体験は無しに等しい人間です。
 それぐらい集団を避けてきたし、部活の人間関係も上手く馴染めなかったし、サークルで頑張ってみたけど途中で息切れしました。
 その後もゲームを通じて人と何かやってみたり、誰かと合作してみたりしたけど、何人も集まってという場には居合わせないようにしていたのです。

 僕はその居酒屋に何度か連れていってもらい、店主の顔は覚えていました。
 何人かの常連さんにもお会いしたけど、大した話をしていないので殆どの人の記憶から消えているでしょう。
 だから、八割は知らない人ばかりのなかで歌うことになります。

 とても緊張しました。本当にできるのか? と何度も思いました。
 だけど、生バンドの演奏で歌わせてもらえるなんて、僕みたいな引っ込み思案且つ上手く人と関係を作れない人間には、一生来ないかもしれない好機です。
 これを逃したくない、体験してみたい、自分がどこまでやれるのかを試したいと思い、お誘いを受けました。今年に四月のことでした。

 去年の苦しいあの時期に、ただ苦しんでいるだけでは本当に死んでしまうという危機感を覚えた僕は、個別レッスンをしてくれる歌の先生を見つけていました。
 今でもその方の元には通っていて、公私ともに大変世話になっています。
 その方に師事して、来る十二月の今日まで課題曲をひたすら練習しました。

 聴き慣れた、或いは歌い慣れた曲だと思ってそれを選んだけど、実際に採点機能を使って歌ってみると、かなり音が違っていたり、何だか評価がいまいちだったり。
 先生に「こうした方が聞き手が気持ちいいよ」とか、「こうやって歌った方がかっこいいよ」と教わりながら、一生懸命、形にしていきました。

 その途中、リハーサルに呼んでもらったので三回くらい参加してみたけれど、生の音があれほどの迫力とは知らず、一度は雰囲気に吞まれました。
 でも、演者の方々にとても褒めてもらえたこともあって、自信がついたり、自分でハードルを高くしすぎて落ち込んだり、一喜一憂の多い八ヶ月間でした。
 客観的なものの見方はできる方だと思っていたけど、歌に関してはいまいち解らず、先生や演者の方にあれこれ褒めていただいたから、不貞腐れずに頑張れたのかとも思います。

 良い声だと言ってもらえて、上手いから見ていて安心感があると言ってもらえて、正直、天狗になりかけました。こんなに真っ直ぐ褒められたことはありません。
 僕は自己肯定感が低いまま育ってきて、そのまま大きくなってしまったから、人から認めてもらえていない状態などはすぐに解ります。だから評価の場に立つのは嫌でした。
 けど、こうして言葉にしてもらえて、ちゃんと伝えてもらえて、僕も捨てたもんじゃないんだって思えるのがは喜ばしいことでした。

 二度目のリハーサルでひどく落ち込んだものの、三度目のリハーサルを迎えた時に、何かが吹っ切れました。
 良くも悪くも僕の今の限界はここで、これを出し切るしかないんだ――という気持ちをもって、最後の調整に先生と臨んだ日は、先生に「何かが吹っ切れたように感じる、声が澄んでいるよ。言うことないね」と褒めてもらえました。
 背伸びするでなく、卑下するでなく、今の自分を認めてこれから来るものを受け止める覚悟を持つということが、初めてできた気がしました。

 そうして迎えた当日、真夜中に起きて寝不足気味ではあったものの、朝からずっとわくわくしていました。
 喉慣らしでカラオケに行き、現地へ向かい、イベントが始まってもわくわくしたままでした。
 何と言っても、他の方々の歌も生演奏で聴けます。どの人も楽しそうに歌っていて、演者も楽しそうに弾いていて、見ていると笑顔が絶えませんでした。
 こんな感情がまだ自分にあるのだ、と驚きもします。

 自分の番が来る頃、最初の音が鳴る前までは緊張していて、自分の鼓動が五月蠅いくらいだったけど、始まったらとにかく歌に集中しました。
 歌っている間、とても楽しかった。目を閉じてしまう癖があるから、開かなきゃと思っていたのだけど、それも気にならないほど、適度に閉じて開いて、周りを見回していました。
 ただ、間奏の終わりで急に音の入りが解らなくなってしまったところがありました。焦ったけど、すぐに挽回し、「ミスなんてしてませんし?」という堂々たる態度で歌い切ることができました。
 ドラムを叩いていた店主にお願いされた、ちょっと静かになってから一緒に入るところも、お互いの顔は見えなかったけど、音ですぐに解ってタイミングもぴったり合いました。快心の出来でした。

 歌い終わった後もまだどきどきしていたけど、やがて一抹の寂しさがやってきました。
 八ヶ月、あれやこれやと悩んで練習して、いろんなことを考えたのは、全てこの日のため。たかだか四分でも、完成度を上げるためにたくさんのものを積み重ねてきました。
 それが今こうして成就して、終わったんだなという感慨が、少し熱を奪ってしまったように思います。
 でも、その後もイベントは続いていたから、皆さんの歌に楽しくのってきました。

 みんなで何かを造り上げる、それが上手くいくって、こんなにも楽しいことなんだって新しい発見をしたような気持ちでした。
 厳密に言えば僕はここの関係者ではないし、一歩の距離を置いた者ですが、それでも演奏付きで歌わせてもらえたことは、大事な経験となりました。
 何より楽しかったから。達成感もひとしおで、これで終わるのが寂しい、まだ歌いたい、上手くなりたい、もっと聴いてほしいって強く願えたから。
 誘ってくれた方にも、演奏してくれた方々にも、聴いてくださった方々にも、ただ感謝を抱きます。

 そして、ずっと頑張ってきた自分を褒めちぎります。お酒は飲めないからジンジャーエールで乾杯です。
 二年前、心を完膚なきまでに壊されて、信じていたものが消えて、二十年の歳月に打ちひしがれていたけど、その間、迸る熱情を書き殴り、歌に託し、光明を得て、また暗闇に没して、そうやって傷だらけで歩いてきた自分を称えます。
 人間を信じるのはもう嫌だ、また傷付けられる、壊される、捨てられると怯えまくっていた自分が、こうして人前に出て何かを成し遂げられたということを、認めます。

 僕は捨てられるような存在じゃない。何かの代わりに損なわれるような存在でもない。
 こうやって何かができた、人に認めてもらえた。
 そりゃ物語も歌も、いつも誰かが見聞きしてくれるわけじゃない。どちらかといえば、日陰に居ることの多い存在だ。
 でも、少なくとも何かと引き換えにされるほど安い存在ではない。僕が特別だったんだ、それは間違いじゃない。
 そんな気持ちを強く持ちました。

 勿論、相手も同じように思っているでしょうね。普通の人間は責任を回避することに長けています。例え事実と違う人間であったとしても、そのことを認めず、理想像を高く掲げて、自分は清いのだと信じ込むことで生きていけるのでしょう。
 僕はそれを断罪したかった。今はどうでしょう、そんな生き方まっぴら御免よって思うけど、人間として生きるなら少しは見習うべきかしら?
 でも、己の醜さを自覚しないような阿呆ではありたくないわ。
 僕は僕の正体を見極め、欲しいものを儘に手に入れる。そうして生きていく、死ねないうちは。
 この意味も解らないような人間に、僕と付き合っていく価値なんて無いね。不遜でも何でもなく、そう感じます。お前にはお前の正体が見えているのか?

 僕は価値を持たないわけじゃない、見えづらかっただけなんだ。或いは、押し込められて見えないようになっていたんだ。
 まだ何かができる。何かを望める。業の塊と評されたけど、業も背負わずして何を成せる、得られるというのでしょう。
 静観し、冷笑する人間どもにもその片鱗があることを、いまに見せてやる。

 それはともかく、今日は記念すべき日となりました。
 僕のできることがまた増えたのです。素晴らしいことです。
 夕方から何も食べてなくてお腹が減ったけど、この時間じゃもう食べれないな。
 ジンジャーエールだけ飲んで、明日は小さなお祝いを自分にしてあげよう。
 自己肯定感、ポジティブ、そんなものは自分と無縁だと思っていたけど、思わされていただけなんだ。
 誰かに捨てられて傷付いて壊れても、僕はまだ歩ける。それこそ真似できないことでしょう。

 あぁ、良い気分だ。でもやっぱり寂しい。
 誰かとバンドを組むとか、そこまでは考えられないけど、またできたらいいな。
 唯一無二の存在が見つかったら、一緒に歌ってくれるかな。
 見つからずとも、僕ひとりでも充分なのだわ。

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