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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

 とても久しぶりに映画の感想文を書いてみようと思った。
 書かなくなってからもずっと映画は観ていたけど、ここに書き残すことに意味を感じなくなって、やめてしまっていた。今ではそれを勿体ないと思う。
 別のSNSに感想を垂れ流していたこともあったけど、その履歴を遡ることは非常に困難だった。なにせ5年分ほどをタグ付けもせず、書き散らしただけだったから。
 あまつさえ、世間では評価が高くても自分としてはあまり感じる部分が無かった映画などは、内容も名前も忘れてしまったりして。老化に伴う現象というものはあるだろうけど、それ以上に納得いかなかったんだろうな。
 兎にも角にも、この『レイク・マンゴー』は何だか感想を別個で書きたくなった。SNSにも後で振り返れるように残すつもりだけど、きっと読み返すことはない。

 友人から「元気がある時にでも観てほしい」と渡されたDVDで、オーストラリア発のミステリー映画らしい。雰囲気というか、パッケージはホラーっぽいのだが。
 内容としては、16歳の娘が行方不明になって後、溺死体となって見つかったという事件があって、その娘の家族に焦点を当てたドキュメンタリーという体。
 最初は家族を筆頭に、若くして亡くなった娘を悼む友人やら祖父母やらが映るだけなのだが、途中から家族の周りで起き始めた不可解な現象へとフォーカスし、やがて娘の知られざる顔までも明かされる。

 これはモキュメンタリーっていう種類の映画に当たるとのこと。『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のような。
 ってなことは、そもそもパッケージの裏側に書いてあった。ブレアウィッチやパラノーマル・アクティビティに続く作品って謳い文句だったので、成程な~モキュメンタリー好きよって思いながら再生した。
 しかし、あの裏表紙にせよ、日本語での予告映像にせよ、いろいろ書き過ぎな気がしなくもない。ネタバレが多いというか、予想がついてしまう文言が多いというか。興味を惹くには仕方ないのかもしれないが。


 とてもよくできたモキュメンタリーだった。演者達の演技がそれぞれ真に迫っていて、いろんな想像を掻き立てられた。
 特に娘のお父さん役の方ね。淡々と事実を話しているけど、時折見せる悲しみの表情がとても巧い。とある事実が判明した時とか、感情を窺わせないけど言葉が過激なだけに「もしかしてこの人、もう実行した後なのでは?」と思わせる。表情と雰囲気がリアルだ。
 亡くなった娘の友人とかさ、悲いんだろうけど表情が何となく違うんだよね。そこがリアル。ただ悲しいんじゃなくて、どこか懐疑的なの。君は本当のアリスをどこまで知っていたんだって訊きたくなる。

 それほど演者達が秀でていたので、映画に漂う色合いも雰囲気も常にどんより。真っ暗。インタビューの内容を思えば当たり前なんだが。
 その合間に差し挟まれる美しい星空、湖の景色、意味ありげな家の外観や室内の様子など、細部に拘って作られた映画なんだなってことが解る。
 音楽もほぼ無し。悲しみを引き立てるような、或いは恐怖を必要以上に煽るような演出も控えめで、ジャンプスケアもモキュメンタリーだからか無し。一部、びっくりする場面はあるかもしれない。
 でも、これの分類ってミステリーなんだよね。ホラーも要素としてあるけど、明確なクリーチャーも悪霊も出てこない。出てくるのは人々の悲しみや疑問や錯綜する思いで、そこから観ている側にいろいろと投げかけてくる・・・・・・と思いながら観ていたけど、投げかけてすらいないかもしれない。
 それぐらい、実に淡泊でリアルで、しれっと見せて、ネタバレして、でも二転三転する話だった。

 なもんで、これはなかなか人に勧めづらい。大多数の人は動きの無い映像、盛り上がりの無い話(特に中盤辺り)で挫折してしまうだろう。モキュメンタリーが好きとか、自分で勝手にいろいろ考えて楽しめるって人じゃないと、これの鑑賞に耐えられないんじゃないだろうか。
 あとは感想を分けるのは、幽霊を信じているか否かじゃないかな。幽霊を信じている人の情緒には何か訴えてくるものが感じられるかもしれん。
 此方は信じている側だから、ラストの展開とか物悲しくなってしまったけど、人によっては「幽霊が出ました、映りました、だから何?」ってなるよなぁ~って想像はつく。それは否定しない。
 娯楽としての映画って感じじゃないから、余計に勧めづらい。このドキュメンタリーのための映画。そういうものがあっていいと思える人間以外には、冗長で単調で鼻白んでしまいたくなるよーな。

 でも、作中のひっそりとした怖さ、エンドロールまで観た時の「そうだったのか~」という納得は上質だと思うんだよな。派手さが無いからこそ、じっくり恐怖を感じられると思う。
 一瞬で出てきて、大きな音が鳴って、ヒィエーって悲鳴が出るもの――ジャンプスケアに食傷気味だった此方としては、良い刺激になりました。

 ネタバレしない程度の感想はこんなもん。下手か。








 この映画の肝って何だろうなって思った時、秘密主義の娘と母のすれ違い、故に娘が抱いた孤独感、もう住む世界を隔てた惜別、生き残った者の再出発などなど、いろんな要素が思いついた。
 ドキュメンタリーで事実を映しているだけだった作中で、急に現実味を帯びたまま感情を揺さぶってきたのは、やっぱり母と娘のカウンセリング風景が交差する場面だったと思う。
 あくまでも目を閉じて想像の中で行われていることだったけど、アリスを揺さぶるには充分だ。部屋の中に来た母に自分の姿は見えていなくて、彼女はそのまま出ていった。
 母は娘を喪った悲しみから少しずつ心が癒えて、前を向けるようになったので、娘の部屋に行っても誰の姿も見ることはなかった。
 ここってとても悲しいけど、生きていく人間には必要な過程だし、死んでしまった人間にはどうしようもないことなんだよな。これが生者と死者を隔てる絶対の理で、悲しみの所以か。
 実際、死者はよっぽどの理解と納得が無ければ、死者らしくいられない。生きている間にいろんなことをやり尽くして大往生しましたって死者が、あの世にどれだけ居るんだろうか。
 生者と死者の世界は限りなく近いのに、けっして重なることは無い。例えば霊能者やら何やらが「その言葉を伝えます」って言ったって、眉唾もんだと思われるのは仕方ないことだ。誰にも視えて感じられるもんじゃないから、当人の想像の域をいつまで経っても出ることができん。
 秘密主義のすれ違いだけじゃなく、存在する世界もすれ違ってしまったんだなって解るのは、観ている側とアリスだけだったろうさ。それが何より悲しいのさ。

 僕は次々と明かされるアリスの所業について、びっくりはしたけど引いたりはしなかった。でも、自分の子どもが同じよーなことになっていたら、冷静に話を聞ける自信は無い。
 アリスの秘密は誰でも抱え得ることだ。だけど、そんなことは思春期の娘には解らないよね。それこそ誰かに話してそう言ってもらわなきゃ、自分だけの世界に閉じこもっていたら見えないことだもの。
 だからやっぱり自分で張り巡らせた壁を取っ払って、弱さや醜さを曝け出せる勇気ってのは必要なんだろうな~って、あんま映画には関係ないけど思いました。「誰も私を助けられないんだ」なんて台詞は、恥も外聞も捨てて全部試した後に言うもんよ。自己陶酔なんてするもんじゃない。
 僕はそういう人間がどーしよーもなさそうな袋小路に自ら飛び込んでいく様を見たことがあるから、尚のことそう思った。思春期の娘じゃなくたってそうなっちまうんだから、人間はとても複雑だ。

 それにしても、いろんな方の感想でも言われていたけど、ご近所さんとアリスは何故に関係を持つことになったんだろうね。それこそ他人から見ればくだらん理由かもしれんが、そこが明かされていないからモヤモヤするって方は結構居たな。
 性欲に溺れる動機なんて、星の数ほどありそうだ。だから僕はそこが明かされていなくても特別気にならなかったけど、これは映画だからちゃんとした理由があった方が締まりがあったかもしれないね。
 それに対してアリスの父が「道端で出会ったら絞め殺す」なんて真顔で言ってて、件の家族はアリスの死後に引っ越しして行方知れずなんてあったから、てっきりアリスの父が有言実行したのかと思ったんだが・・・・・・それも解らなくなった。

 そんな馬鹿なって想像がたくさん飛び出るけど、映画に漂う終始、陰鬱とした雰囲気と明かされる事実によって、誰もが何か秘密を抱えている気がしてくる。とんでもないことをやりきって、平然とカメラに向かって喋っている気がする。
 もしかして、そういう懐疑を呼び起こさせることがこの映画の肝なんだろうかって言いたくなるぐらい、事実を追っていけば周りの人間が怪しく見えてくる、だからミステリーなんだろうか。
 画面の端々に、或いは誰かの言動に、そんなヒントがあるかもしれないと思って見入ってしまった。だけど、見つけることができなかった。大体、エンドロールで写真の端っこにカメラがズームしてくれたからやっとアリスを見つけたよーな僕では、何も見つけられんだろう。

 生者は忘れなければ、或いは訣別しなければ前を向いて生きていけない。彼らの至上命題は生きていくことだから、それは何人にも阻害されてはいけないことなんだろう。
 死者はどうしたらいいんだろうね。生前のことを知ってほしいと思ってあの手この手で近付こうとしても、次元が重なりきってくれないから正しく伝わらない。曲解されて、忘れられて、都合のいいように改竄されてしまう。生者の世界では正しく在ることができない。
 そう思うと、ことある毎に写真に写ったアリスがぼんやりとしているのが悲しい。怒りとか悲しみすらも見せられない、よーくよーーく見たらアリスかもしれないなってくらいの陰影しか写せないのが、悲しいのだ。
 そうして時間が経った時、母は娘から心の距離を取ることができた。母自身が生きていくために必要なことだから。
 「時々忘れてしまうの、娘が帰ってこないことを」って言っていたけど、不思議な台詞だったな。娘が今も近くに居てくれるって感動系でもないし、かといって亡霊を恐れているわけでもないし、何で忘れてしまうんだろうって思ったんだが、そういえば母は娘の遺体を確認していないんだっけね。
 今でもふと帰ってくるんじゃないかって、あの家に居たら自然と考えるのかもしれない。だから引っ越したってのはありそうかな?

 生者と死者の境目を映した作品ってことで、僕の中では位置づけられた。故にとても悲しい気持ちになる作品だった。
 僕は親しい人の死に顔も声もまだ思い出せるけど、それも薄れていくんだろうか。生きていくために忘れていくんだろうか。これからなのか。
 生きるって何なんですかね。大事だったものを忘れてまで生きていくって、正しいのですかね。産めよ殖やせよのために削ぎ落されて、変わらざるを得ないことを、どれほどの人が自覚しているんだろう。
 死した後、また会えるならいいんだけどさ。



 支離滅裂な文章だけど、感想なんで許してください。
 心が壊れてからもっと下手くそになってしまった。それでも書いておかないと。
 変わらない。

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