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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

 何年か前に観た映画をまた観よう、というブームがきている最近。
 ちょうど7年前に観た『SPLICE』をまた観てみようという気が起こり、雨に閉じ込められた部屋の中で陰鬱としながら観た。
 今の自分の環境と思考から見たら、何か捉え方が変わるんじゃないかと思ったのである。
 あと友人から借りて読んだ、アガサ・クリスティの『春にして君を離れ』で母親の子に対する執着やらアレコレを垣間見た時に、何となくこの映画を思い出した。

 と言って、一日に何本も映画を観られるわけじゃないし、一般人よりはきっと多くの作品を観たけど、種類は偏っているし、映画マニアと呼ばれるほどの知識も無いから、たぶん数年前に思ったことの焼き増ししかできない。
 しかも道を外れていろいろ思い出す。何でこんなに映画を観るようになったんだっけ、とか。 

 そも傑作でもB級でもZ級でも映画を観ようと思い始めたのは、ほぼ十年前のことだ。
 その時はまだ実家に居て、弟と観る機会が多かったのだが、その前からちまちまと父に勧められたものは観ていたように思う。

 それが自分の意思で洋画を観るようになり、ホラー、サスペンス、ミステリー・・・・・・はあんまり観なかったな。
 サメ、ゾンビ、モンスターパニックなどなど、少しずつ分野を広げて楽しめるようになった。言うなれば、映画初心者だったんだ、その時は。
 邦画はかなり限定されたものしか観ることがなく、アニメはまぁ問題無いけど、こと恋愛系に関しては未だに拒否反応が酷いため、観られなかった。
 邦画のサスペンスやホラーも、人から勧められたものを観てみたけど、当たった回数は少ない。中には自分から「おーし、観てやろうじゃないの」と意気込んだ結果、時間を無駄にしたなと悪態をついた作品もある。もう二度と観ねぇよ!

 映画初心者の時よりも多くの作品に触れているなら、新たな視点を獲得するかもしれないと思って、冒頭の一文に帰る。前置きがいつも長い。
 あと文章を組み立てるリハビリも兼ねている。精神が壊れてからどうも文章の組み立てが上手くいかない。続ければ成果は出る筈なので、気長に書き連ねることにする。
 人に宛てて書くのであれば、もう少しマシなことが書けるだろうか。これを誰に宛てて書いているのかといえば、自分に宛ててなので多少可笑しくてもいいやって気がしている。






 あらすじとか経過は省いて、率直な感想だけを書くと、やっぱり罪深い話だな~という強い印象が残った。
 昔はこの印象に対して「まるで『第9地区』を観た時のよう」と評していたけど、『第9地区』がだいぶ薄れた今はもう少しだけ違う点から『SPLICE』を捉えている――気がした。

 『春にして君を離れ』は母親の持つ気質や、今で言う毒親を表した話だ。読む人間に不快感をもたらし、「あぁこういう母親居るよね」と何度でも頷かせてくれるよーな傑作であった。
 これを渡してきた友人は僕の母親に対する感情やわだかまりを知っているが、「読んでほしい」と言ってきた。ちょっとした実験のようなものだったと思う。
 結果、僕はその緻密な構成と、母親の心理状態の的確な描写などに舌を巻くこととなり、正直、この母親に自分のトラウマを刺激されることは少なかった。
 いや、多少は「このやろう」て思うことはあったけど、終わりの方なんて「お前みたいな人間はそんな程度だ、知っていたよ」と満面の笑みで読了することができた。知っているのだ、知っていることが展開されて、起承転結を経て、あの母親は許されることなく楽になることもなく終わった。それが良かった。

 『春にして君を離れ』の母親と、この映画の母親はちょっと方向性が違うと感じる。元を辿れば同じようなもんかもしれないけど、僕にとっては映画の方が醜悪な、よりリアルな母親だと感じた。
 しかし、洋画の研究者タイプの女性ってのは、どうしてこう暴走しやすいのかね。だからこそ優秀なんだよって言われるとそうかもしれないが、人の話を聞かなすぎだろう。邦画でもこういうタイプって居るのかな、それともお国柄が関わってくる?
 映画の方の母親は研究熱心だし、きっと優秀だから或る程度の我儘も許されていたけど、まぁ暴走しやすい。そして、過去の傷が癒えていない。だから同じことを繰り返す。そのことに気付いてすらいない。そういう人間の方が世の中には多いみいたいだけど。

 母から娘に受け継がれる何某かの呪われた因子は、確実に存在する。例えば虐待とか、執着とか、依存とか、そういった歪みや偏りのあるものを受け取った子は、自分が子を産む時に必ず投影するんだと思った。
 投影せずに済むのは、自分自身に向き合い、癒しが完了した娘だけじゃなかろうか。でも、そんな人が果たして何人居るというのか。人間の心は複雑怪奇で、癒しを得る瞬間も十人十色で、そんなこと言っている間に時間は過ぎていく。出産できる年齢も限界が近付く。
 どうして精神が成熟する頃に、人間の身体はどうしようもなく衰えてしまうのだろう。子を産むに充分な精神が育つのって、いつなんだ。今なら産めると思った時に産めない身体になっているのは、あまりにも悲しい。今の自分がそれに近い。

 なもんで、自分が経験していくであろう出産や子育てに関して、必ずしも良い思いばかりが浮かぶわけではない。引き継がれた因子により、癒しきれない自分の精神の未熟さにより、産まれてくる子に負担を掛けるだろうことは目に見えている。
 それなのに産もうとする辺りが、業が深い。その業の深さを『SPLICE』はよく表現しているなって、当時も今もきっと思った。

 映画の母親――エルサは、先ず自分が母親と上手く関係を結べていなかった。だけど、母親を求める気持ちはあったから、生家を取り壊さずに残し、かつて軟禁でもされていたんかって言いたくなるような質素な子ども部屋で寝ることができたんじゃないか。
 その投影がドレンとの間に当然のように起きる。最初は可愛い娘として甘く育てておきながら、反抗期のようなものが始まると支配と抑圧でドレンを縛り付ける。「私に反抗したわ!」て驚いている辺りとか、よくよく性格が出ているな。

 そう、きっと子どもの頃は可愛いんだよね。子どもというか、新生児や乳幼児期は。自分では何もできなくて、こっちが世話を焼いてあげないといけないってところが、母性をくすぐりまくるんだろう。
 そうやってエルサ自身の承認欲求だの、過去のトラウマだのも重ねながら、ドレンを楽しくおままごと教育で躾する。
 けど、ドレンに自我が芽生えて、親の言うことに首を縦に振らなくなると、生意気に映って支配したくなるのかな。それって子どもを私物化しているわけよな。別個体じゃなくて、エルサの言葉を借りれば「あなたは私の一部」なの。切り離しができていない。
 「あなたは私の一部」はDNAをあげたことに対する台詞かなって思っていたけど、こうしてみると言葉の通りだ。ドレンを使って過去の自分を救うつもりか、自覚は無さそうだけど。
 きっとエルサの母親も、過去の自分をエルサに投影して教育してきたのだろう。その結果のエルサなわけで、そりゃ旦那のクライヴも「自分の家系を見直してみろ」みたいな台詞を言いたくもなる。継がれているんだ、脈々と。

 母の狂気はエルサに継がれて、エルサ自身も狂気じみた執着で以てドレンを育てたけど、後半になるにつれ支配と抑圧は強まり、ドレンも生物としての側面を強めていった。
 他所の感想を読んで初めて気が付いたことだけど、クライヴと交わった後のドレンが毒針を構えたのは、子種を貰ったからこのオスはもう用無しっていう生物界の道理に沿った行動だったのね。あそこでエルサが目撃しなければ、クライヴはもっと早く死んでいたわけだ。
 カマキリとか、確かメスは交尾の終わったオスを食べて滋養をつけ、卵を産むんだっけ。それと同じことをしようとしていたのなら、ドレンは純粋な生物だな。殺される側は堪ったもんじゃないが、そもそも人間を造り出したのではなく、新たな生命を造り出したのだから、人間の倫理観なんて当て嵌まらんね。

 死んだと思ったら急に生き返るってのを何度か繰り返しているドレンだけど、最終的には性別が何故か変わってオスになっていた。これは結局どういうことだったんだろう。最初から両性具有だったのか。
 でも自分と同じ種が居ないのは解っていただろうから、そこで使ったのがエルサだったのね。もしドレンがメスのままだったら、クライヴの子を孕んだままでいたのかい?
 というか、ドレンの中には子宮か精巣はあったのか? クライヴに襲い掛かった時点では子宮が無いとあんなことにはならんと思うのだが、もっと言えば初潮とか無かったんか?
 一度死んだ時点で内臓を作り変えて、エルサに襲い掛かった時には精巣ができていて、精通もどっかでしていて、それで孕ませられたってこと?
 一分が一日みたいな速さで過ぎていくって生物だしな、超速進化もできなくはないんだろうけど、どうせ気持ち悪いものを描写するならそこも入れてほしかったな。

 ドレンの欲求って生物としてはすごく素直なんだけど、如何せん見た目と生み出された過程がね・・・・・・観ているこっちは一応、人間側に立って観ているので、倫理観がバグりまくることうけあいな展開。近親相姦、獣姦、強姦と、思いつく限りのバグ入れましたって感じ。畳みかけてくる。
 無論、不要な人間は悉く殺されてしまうし、食料にすらされなかったな。あれがもしメスのドレンだったら、遺伝子が似通っているだろうクライヴの弟からも精子を貰ったりしていたのかしら。
 近親相姦の時点で、真っ当な生命は産み出せないとは思うけど、そんなことドレンには解らなよね。
 人間の倫理観から離れると興味深い内容だけど、多くの人は不快感を示すだろうよ。正常な反応だよ。

 性別に限って書いてきてしまったけど、母から娘へ継がれるものがあるなら、父から息子へ継がれるものもあるよな。というより、自分達の遺伝子を使って何かを産み出すって行為自体が、父でも母でも自分の要素を継がせるってことになるんだから、絶対あるよな。
 そうやって連綿と歴史が続いていくわけだけど、それ自体が人間に課せられた呪いみたいに感じる。もっと単純な生物であったなら、バグを抱えることも少なかっただろう。バグって何だ、心とか感情とか?
 自分のトラウマが癒えていなかったら、それが子に継がれる。継がれるだけなら眠ったまま発芽しない可能性もあるけど、そのうち親となった側が自分の親と同じことをする。それも発芽か。
 そしてまた繰り返し。どこかで連鎖を断ち切りたいけど、人間にはまだできないかもしれない。歪に、時々は真っ直ぐに、継がれていくんだね。

 悠久の思いを抱きながら、自分は母と同じようなことはしないようにしたいと思いつつ、そういう人ほどやってしまうのだと予想はついている。
 そうして呪いを引き継ぐのが解っていて子を成すのも、罪深い。倫理はどうなっているんだ、倫理って何なんだ。

 僕はまだ未熟だ。未熟なまま、引き継ごうとしている時点で、失敗作のやることでしかないかもしれない。
 浮かれるには自覚した罪と罰が多過ぎる。できない。

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