ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
こんなことが嫌だった、こんなことを言われて傷付いた、こんな目に遭って悲しかった、という諸々のことを思い出し、勝手に反芻し、傷付き直すこと幾星霜。
それが自分の悪癖であると理解できていても、なかなか治すには至らなかった。そも自力で何とかできるなら、カウンセリングなど不要だったのだ。それはカウンセラーにも言われたことである。
僕が相手のことを侮っていて、その相手から言われたことに納得がいっていないから、今回の歪みが引き起こされた。
そりゃあ君からすれば大した話ではないだろうが、僕からすれば生涯を通した悩みなのだと。そこに寄り添えない時点で、彼女に話を聞く態度というものは備わっていない。昔はできていたように思うけど、もうそういう姿勢をやめたのだろう。
僕はその人に何も期待せずに話している筈だった。なのに、これだけ傷付いたということは、どこかしらで何かを期待してしまったのだろう。
僕の意思とは反対に、何かがまた勝手に動いている。蘇ったこの感覚にうんざりした。
その人はそういう生き方を選んでいる。結婚して、子どもができて、出産して、離婚して、再婚して、余裕ができたように見えていたけど、根本では変わっていないのだ。歪んだ時のまま。
僕にはそう見えたし、それでいいのかって思うこともあるけど、本人が今の方が生きやすいというなら、この状態でいいのだろう。
いくら諭したところで、それを聞ける人間は少ない。誰かに言われて自分を変えるのが大嫌いなのが人間だと、どこかで見かけた。
成程、人に物を言いたがりの人間ほど、誰かに自分のことを指摘されると聞き入れないし、反発してくる。つまらない。
あの子も、彼女も、その類だった。解ってしまえばなんてことのない、つまらない人間だった。
それが解った時、まだ自分が過去の彼らを思い出していることを知った。
とはいえ、過去は過去。あの時から随分と時が流れた。僕の芯はあの頃から変わらず、何とか人の忠告を受けて自分を変化させながら生きてこられたけど、あの子もその人もそれが無理だったのだ。変わりたくなかった。言われたくなかった。
その結果、僕と二人の間には違う境界ができたように思う。もうあの頃のように共有することは叶わないし、僕の言うことや書くことを彼らが理解できることは無いだろう。
或いは、この先の人生で再び交わった時、彼らに自省の心が芽生えていれば、話も同じ次元でできるかもしれないが。
現世が魂の修練場というのは、よく聞く話だ。
その過程で、成長途中だからこそ現段階では物事を理解できない魂も多いのだと聞く。
僕は一歩先を行ったような感覚に囚われているけど、あの子達はどうかな。そんなことも考えないまま、一生懸命に今を生きているのかな。
僕とは生きていく視点が違う。でも、僕はこの視点で生きていくために今の生活を続けているから。流されて、気が付いたらその生活に収まっていた人に、とやかく言われる筋合いは無い。
その一方で、彼らの人間らしい姿は素直に称賛すべきだとも考えている。僕にはできないことだしね。ただ生きていくのも、ただ生殖に及ぶのも。
生命の本懐を果たすその様は正しく人間だし、人間としては彼らの方が遥かに優秀だってことは、何年も前から結論が出ている。
そんな彼らに目をかけて、まだ仲良くしたいと思っている自分が少し変わっているのだ。人間らしくない。
まぁ、それでいいじゃないか。僕はまだ何か学べることが、教えてもらえることがあると思って、その人に近付いた。
今回は言い返せなくて落ち込んだだけだと思う。そこに嫌なことが続いて、風邪を引いた。こんな時に風邪だなんてツイていない。
一旦止まった足の先で、今までのことを考える。
大事なのは僕がこれからどうしたいかだ。どういう存在として誰と関わりたいかだ。
けど、今はそれを考えるための大事な思考部位が熱やら倦怠感やらで、疲弊してしまっている。どうしようもない苛々だけを抱えて二日過ごすのは身体に悪い。
だから許そう。僕は上から見ているに過ぎないけど、見下してはいけない。現状を解っているなら、解っていない者の分も考えられるのは当然だ。それは理不尽などではない。
少しだけ先に居るからといって、その距離は覆せないものではない。僕にできないことをできる者達に尊敬の念を忘れてはならない。
ただ、ちょっとだけ、愚かだなって思うことがあっても許してよ。もう飽きたんだ、悲しむのも傷付くのも。
自分の捉え方次第だよってどこもかしこも言っているけど、それが上手くできなかった時にどうすればいいかは誰も教えてくれない。
大事なことを学んでこられなかった哀れな魂にも、輝ける瞬間はきっとくる。
僕はそれを見てみたい。考えるのを一旦やめたい。巫としてか、人としてかは解らないけど、見守っていようと思った。
許してあげることさ。僕にはそれができる。そういう次元にもう居るんだから。
そうやって自分を持ち上げていく度に、何か取りこぼしている気がする。
これで合っているのかどうか、教えてほしい。忖度なしで。
もし間違っていたとしても、僕は人の指摘を受け入れられるから、間違いっぱなしではないか。
それが救いにして強みだ。
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