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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

 十三年ぶりに友人と会った。懐かしい場所へ行った。
 当時のいろんなことを思い出して、また懐かしい気持ちになったけど、寂しくはなかった。
 またこの面子で集まる機会を作れるだろうなって、そんな予感があった。

 ここ数日の記憶といえば、寂しいとか苦しいってそんなことばかりだ。
 思い返せば苦しくなり、未来を見れば辛くなり、寂しさの中で以前と変わらず誰かを欲していて、進歩が無いなと自分で呆れていたところでもある。
 そんな中での、とても久しぶりの再会。当時を思い出しても嫌な感じなど全く無く、寧ろこんなところまでやってきたのだって感慨深くなる。

 再会といえば、去年もそうだった。ちょうどこの時期に六年か七年ぶりに、小学校以来の友人に連絡を取り、会ったのだった。
 向こうは「君との友情はてっきり終わってしまったものだと思っていた」と言っていたけど、こうやってまた会うことができたのだから、完全に終わっていたわけじゃないと思う。
 その子に対して、当時の僕はわりと怒っていたのだけど、時間が経った今は「もっと寛大に話し合えれば良かったな」と反省して、また友達としてやっていきたくて連絡したのだった。

 そしてもう一人、三年か四年ばかり連絡を断っていた子にも連絡を入れて、オンライン上で繋がるようになった。
 相手はたぶん僕が連絡しなくなったことに気付いてすらいなかったと思うけど、以前と同じ態度で、なんなら僕が怒った当時よりも余裕のありそうな態度で接してくれている。
 当時の話を聞いて、僕が独善的だったことも解った。まぁ、話している最中に言ってくれればよかったのに、とも思ったが。
 今はちゃんと御礼も言い合える仲。彼女とと面と向かって話せるようになった時、僕が彼女について怒って愚痴り回っていたことを謝ろうと思った。

 こんな感じで、一度繋がった縁をなかなか手放せない。今また繋がってもいいと思ったものを、自分で繋ぎに行く。
 新しい縁も大事だけど、古くから存在するものだって大事にしたいのが自分なのだから、これでいいのだと思う。

 勿論、誰とでも繋がれるわけじゃない。
 恐らくもう話もしてくれないだろうなって人も居て、人伝に聞くに留まっている。たぶん、その人の人生にもう僕は関われない。
 自分から関わりに行けば違う関係を持てるかもしれないけど、相手が僕を怖がっていると思う。だから近付かない。

 それも踏まえて、まだあの子に拘っている自分を客観視してみるけど、再会を願っても、或いは諦めても、どっちでもいいんじゃないか。
 許せた時点で何かが変わり始め、昔を懐かしんで前向きなままだったことで何かが転がり始めた。
 でも、新しい絆はまだ持てそうにない。そういう予感だけは当たるのが悔しい。
 再会を願うのは未練か挑戦か。後者の気持ちが強くなった時、僕の願いはもう一度、姿を変えるのだと確信を持ちたい。

 自分に期待できないし、他人にも期待できない心境から、どうやって動こうか。
 否、もう動き始めているような気がする。毎日の生活は特に激変していないが、その心理だけはめまぐるしい変化を伴う。
 何年も何年も同じことを考えているけど、それが少しずつ変化しているのは解っている。唐突な、大きな変化を望むから、じりじり変わるのが嫌なのだろう。

 変わりたい。まだ手に入れたい。逢いたいんだけど、まだその片鱗も見えない。
 もうすぐだ、もうすぐだって予感はあるのに、時間が掛かる。セレナ達の感覚に近いから、人間の時間の流れについていけてないだけかな。
 願うだけでは手に入らないからと動くけど、動かずにじっと待てといつも注意されるので、今回は自分からは動かない。それが怖いこともある。何か見逃していそうで、いいのかなって。

 懐かしい気持ちは大事なものだ。当時と今と浮彫になって、あぁ楽しかったな、こうだったな、また楽しくなるために頑張ろうって思えた。
 僕にもまだそういう感覚ってあったんだ。頑張りたいとか、楽しみたいとか。
 こうやって楽しみを享受すると、その倍は嫌なことが起こるから、それなら楽しくなくてもいいよって思うくらいだったのに。
 好転しだしたと油断していいのか? まだ慎重であるべきか? 解らない。

 再会を望む人に絶対に会えるわけじゃない。でも、僕はまだ望む。
 こんな程度で終わるような関係じゃないって思えるから、新しいものを作れるってそれだけは確信があるから、願ってしまう。
 それも依存と執着だよねって言われればそうだけど、そこから守れるものを作ることはできるって、この半年で教わったから。まぁそれには当事者二人の協力が必要不可欠だけど。

 死にたい気持ちの先に、楽しみを素直に受け取るものがあって、また進めばきっと絶望するんだろうけど、最後にもう手放したくなった時に、何かが手に入れられる。
 いつも死の間際じゃないと、大事なものが手に入らない。それだけ真剣になっても、いつかは失ってしまう、奪われてしまう。
 同居している希望と絶望で心はかなり疲弊しているが、その繰り返しで魂だって摩耗しているが、願ってもいいだろうか。踏み出すべきだろうか。

 でも、今は懐かしいなぁという気持ちで満たされる。楽しかったことを思い出す。いや、楽しいことばかりじゃなかったな。だけど、楽しかったんだ。
 今だって楽しいよ。好きなことやりながら、制約を受けずに日々をこなしている。それが誰のお蔭か解っているから、無性に苦しくなることがある。一人で生きていけないくせになって。
 来世ではポポルのように生きるだろうから、それまでにたくさん修行しておかなきゃならない。そう信じるのみ。いつも試練に挑まなければ、成長できない。

 許してほしい。
 僕は許す。あの子も、分不相応なことを願う自分も。
 救いを求めれば叩き落されるが世の常だが、経験上、苦しい時にいつも誰かが助けてくれていたのだと思い出した。
 繋がっていると信じる。また会えると信じる。今の自分にならできると信じる。希望を持てばまた失うのだが、それだけではないと信じる。
 途方もない愚か者かもしれない。それも解っていたことだ。

 夕暮れに懐かしい景色を見て、いろんなことを思い出して、それが案外、心地よかった。
 またここに来よう、次はいつ来るのかなって、眩しい気持ちが新鮮だった。
 忘れていたことも思い出して、久しぶりにたくさん笑った。
 「変わってないな」て言われて、内面ぐちゃぐちゃでも根元はそのままなんだと解って嬉しくなった。

 楽しかった、満足だって思いを持って、次の楽しいところへ行く。
 その狭間に不幸や絶望があって、いちいち足を取られるだろうけど、また会いたい。
 死ぬ前にもう一度見られた景色で、僕の中の何かが動いていく。

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