ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
ルーンの練習がてら、ずっと似たような質問を繰り返す。
結果は大体同じカード。ケン、ダエグ、ウィルド、エオロー、あとは何だろう、イスやニイド。
凡その似た結果ということは、現状を維持できれば未来はそこまで激変しないのかもしれない。
タロットよりも解釈が直球で、言いたいことをはっきり言ってくるのがルーンなのだと思う。
それが今の曖昧模糊な自分には非常に助かる。タロットもそりゃはっきり言ってくれるけど。
誰かに出会えること、あの子と再会できること、これからの自分、落ち込んでいる時に訊かずにはいられない諸々に、ルーンは真摯に答えてくれる。
自分の実力として、あまり上手く読み解けてないよなって思う結果もあるけど、同じカードが出るなら解釈の拡大は必要無いのかもと考え直す。
タロットでも同じカードが出ることはあったから、即ちそれが鍵となる事象を表しているのだと考える。きっと。
気持ちとしてはすごく落ち込んでいるし、思い返せばやっぱり悲しくて傷付くけど、去年よりは落ち着いている。
だからか解らないけど、結果を表すルーンが固定されているのではって思うくらい、同じものをよく見る。
ケンは特によく見る。占いを始めたての頃から、尋ねればずっと出てくる。
これはマイルーンでもあるので、何か意味があるんじゃないかと深読みしてしまう。
信じるしかない。結果を、占った自分を、ルーンを信じるしかない。
だって他に縋れるものが無い。友人らをカウンセラー代わりにしてはいけないし、言葉はすぐにうつろいを見せる。
自分の心とて例外ではないんだけど、信じるしかないじゃないか。それ以外に今の自分にできることなんて、微かも無いんだ。
信じたら物事は近付いてくるのか? 来ると思う。そういう世界だ、ここは。
じゃあ全て叶うのか? 否、本当に望んでいるものだけを、強く望む者が引き寄せる。
僕はまた創りたいだけ。新しい関係を、失われないものを、大事なものとして創りたいだけ。
自分のしたことは忘れない。罪滅ぼしになるとか、そんな都合のいいことは思わない。
ただ、諦めるよりも次に進みたかった。今度こそ、今度こそと愚かにも願った。
それが自分なんだものって、強情なことを思う。生きている限り、繰り返してしまうのだろう。
新しい関係を、取り戻し新しく育む関係を、どうにか守れる自分でありたい。
信じるしかない。それが上手くいくことを、手に入ることを、守れるような存在となれることを。
とはいえ、自分に対する諦めの境地は果てしなく、毎日落ち込んだり立ち上がったりと忙しないのだが。
その気分に左右される希望と絶望の間で、自分の精神が育まれて何かを生み出せることを切に願う。
書いて見えたものを今度は実践する。今の自分ならできると、やっぱり信じるしかない。
ルーンをそんなに信じられるのか? 信じるしかないんだってば。
無意識下から引っ張ってきた願いと現実への足掛かりとなる希望、逃しはしない。
待つのはなかなか心を削られるが、待った分だけの見返りがあるなら、もう少しは。
死にたいと思うけど、それよりも多く「会って話したい」とか「また仲良くなりたい」と思うことの方が多いんだよ。
馬鹿だと思うよ。甘いと言われても否定できない。それでも、大事だったからね。まだ大事だからね。
その分、呪ったし、怒ったし、傷付けられたけど、それすらも乗り越えたら何ができるようになるんだろう。
僕に会いたくないかもしれない。それでもいいや。
まだ見ぬ人が僕との出会いを望んでくれるなら、僕は精々それに見合った自分へと成長するさ。
これが僕の「信じるしかない」精神の支えになる。どこまで行っても人のことばかり。そういう生き物だ。
信じるしかないなんて、べつに悲劇でも何でもない。
早く話したい。次は何が見えるんだろう。
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