忍者ブログ
ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
入院五日目

 晴れて退院となった日、天気まで晴天となった。ちょっと嬉しい気もする。
 回診の時にまた傷を診てもらい、再発のリスクなどを考慮して栄養相談を受けることにしていた。
 お昼を食べてから退院することにしていたので、それまでは通常通りの過ごし方をするしかない。

 通常の入院の場合、たぶん皆、あれこれ準備して、退院の日のための服も用意しているのだろう。
 わたしは緊急手術で、そのまま入院という流れだったから、寝間着ひとつでやってきた。その寝間着も家族に返していたので、着られる服が何も手元に無い。
 なので、まだレンタルの甚平を着ていて、家族が迎えに来るのを待っていた。

 朝食も昼食も食べたけど、結局、一度も完食できなかった。量が多過ぎるのではなく、きっと自分が警戒して食べきれなかっただけだと思うが。
 その間もほうじ茶だけは飲み続け、ペットボトルでも買ってきて、咳対策として置いておいた。
 あたたかいものを飲もうが、のど飴を舐めようが、もう容赦なく咳は出てきていた。うんざりだ。

 昼過ぎ、栄養相談開始ギリギリの時間に家族が来て、指導を受けた。
 食べるならこれがオススメ、この辺は量を調節しましょうなど、プリントを貰ってきた。
 意外だったのが、こんにゃくとかしらたき、わかめなど、一般的にお腹に良いとされているものが、量を考えて食べる枠に入っていたところ。
 特に何の問題も抱えていない方が食べる分には食物繊維たっぷりなものが良いとされるが、わたしのようにちょっと癖のある人間には逆に負担になるので、ちょっとずつが良いのだという。
 わたしはこんにゃくも、しらたきも、わかめも好きだった。なので、制限されるとなると悲しかったが、けして「食べてはいけない」というわけではなかった。
 それは今まで食べていた料理も同様。カレーとかラーメンとかチョコとか。
 三食きちんと、同じくらいの時間に食べること。よく噛んで時間を掛けて食べること。この辺を念押しされたので、肝に銘じた。

 栄養相談が終わってから着替えを受け取り、ささっと着替えて、病院を後にした。
 今は患者の照合と管理をリストバンドにつけたQRコードでやっているらしく、それを切らないと病院から出られないらしい。
 お世話になった看護師に切っていただいて、外に出て、初めて自分が世話になった病院の全景を見た。大きな病院だ。

 のそのそ歩いて、車に乗って、家まで帰ってきた。
 自分の知っている場所まで来ると安心してきて、傷のことが頭から半分抜けていくようだった。
 確かに退院はできるものなら早くした方がいい。多少痛くても、辛くても、日常に戻ればどうにかしようと人の意識は動く。自分の回復力を信じて然るべき場所に居た方が、よっぽど健康的なのだろう。

 すぐにでも風呂に入りたかったが、先に荷物を整理して、家族が畳んでいなかった洗濯物を畳んだ。
 買い物にもまだ行っていないと言うので、買い物リストを掲げて行ってもらうことにした。
 その間、風呂に入って、傷口も汗も綺麗に流した。五日ぶりの風呂はとても気持ちがいい。

 傷口を覆っていたテープのようなものは大方、病院に居た時に剥がしてもらったが、見た目は心許なさそうなテープだけは剥がさずにおいた。
 曰く、人工のかさぶたのようなもので、シャワーを浴びていて取れかけてきたら取っていいもの、らしい。自分で剥がすな、ということである。
 そのテープがあるので、三十八度の湯をしょろしょろ出して、なるべく綺麗になるように流すだけ。清潔なタオルでぽんぽんと軽く拭いて、剥がれそうになったものだけ剥がした。

 いろんな管を留めていたテープ跡もなるべく洗って流したけど、この糊もなかなか強い。
 別箇所にも水ぶくれができているのを見つけて、以前、皮膚科で貰った軟膏を塗った。
 血管が見えにくい所為でぷすぷす刺された注射痕も、やっと気にならなくなってきた。ただ、中で血が出てしまったものは未だ皮膚を青くしているので、そこだけ見た目が悪い。

 風呂から上がって、いつもの過ごし方だとどう傷が痛むのか、どう動けば負担が少ないかをいろいろ試した。
 わたしは座って作業をすることが多いし、つい夢中になって一時間以上その体勢でいることも珍しくないので、適度に気にして立ち上がったりしなければならない。
 でもまぁ、そこはこうなる前も意識して気を付けていたところだから、継続していった方がいいっていうだけか。

 今回、基礎体力を落としたくないと思って歩き続けていたのが功を奏したという実感が強く、自分のやってきたことは間違っていなかったと誇らしく思えた。
 昔から考えを整理するのによく歩いていて、その癖は今も続いている。何も無くてもとりあえず外に出て、好きな音楽を聴きながら三十分ないし一時間歩く。目的地から家に帰るまでの距離が解っていれば、二時間歩くのだって苦ではない。
 そのお蔭で「体力を落としたくない」と思えて、すぐベッドから出たし、多少痛くてもリハビリを続けられた。
 身体の一部に問題があって動きづらい時、他の部位で支えながら立ち上がる、歩く、何かするという動作も、難なくできたのは、このお蔭ではないだろうか。

 と言って、わたしは運動がとくべつ好きというわけではない。
 身体を健康的に保つなら他のスポーツをやった方がいいだろうし、もっと強靭な肉体を持っている人はごまんと居る。
 ただ自分のレベルでいったら、ただの肥満体ではなかったということが嬉しかった。
 歩くのが好きで良かったし、歳を取ってからの重要性も理解できるだけの頭があって良かったと心底思った。


 次の通院日まではとりあえず、仕事は休んでいる。
 友人らとゲームもしたいが、姿勢が固定されるので、ちょっと考えなければならない。
 傷が癒えるのにどれほどの時間が掛かるのか解らないけど、一ヶ月経つだけでも、全然違ってくるのだろうか。
 たくさん食べて寝ていたら、こんな身体でも傷を早く治すことができるのだろうか。

 家に帰ってからも、粥、味噌汁か春雨スープ、湯豆腐という組み合わせで三食を食べている。
 その時はお腹が満たされたと思って切り上げるのだが、家に居る所為か、病院の時よりも腹が減るのが早くなってきた。それでも量を増やすのは少し怖い。
 行きつけの病院で、胃酸を抑える薬を貰えば楽になるだろうか。空腹感よりも、空腹時に胃を傷付ける胃酸の、あのしくしくした痛みが辛いのだ。
 わたしはまだそんなに食べたくないのに、胃は食べ物を欲している。やっぱり手術した後でも、わたしの身体はわたしの精神の思い通りにはならない。

 これからどんどんそうなっていくのだろう。特に、わたしのように精神に負担を抱き易い者は、その負担が肉体にまで及んで、嫌な結果をもたらす筈だ。
 なれば、食生活だけでなく、自分の在り方そのものを見直す必要がありそうだが、わたしはどうにもそれが苦手だった。
 支えがあれば、自分の存在に自信を見出すことができれば、許すことができれば、違ったのだろうか。

 何でもあの一件に結び付けるのは違う、解っている。だが、きっかけはあそこからだ。
 精神的に崩壊して、それでもなけなしの感情で生きて、時々どうにも抑えられなくて、自分の肉体を痛めつけた結果がこれだもの。
 二年近く続く喪失の痛みに、身体が追い付いたようだ。
 これでも、今年に入ってからは書き続けて、幸せで、何某かの答えを得たと思ったのに。

 そういえば、今年が本厄だった。前厄で精神を抉り、本厄で身体を苛み、後厄で何をするつもりだろう。それは誰の意思だろう。
 偶然を当て嵌めて、詮無いことを思う。ただの自業自得、それも解っている。

 できればもう再発してほしくない。先生は「長年かけて少しずつ捻れたのかねぇ」なんて言っていたけど、結構、瞬間的に捻れたんじゃないかって思っている。
 ただ、今まで何度もあの激痛はあったけど、五、六時間を耐えれば治まることが殆どだった。
 曰く、「腸は動き続けているので、耐えているうちに捻れが解消されたという可能性もある」らしいので、今後も自力で捻れが治ることもあるかもしれない。今回のように二回りもしていたら無理だろうけど。
 怯えていても仕方ない。耐用年数を過ぎたであろうこの肉体で生きるしかない。もし、生きる気があるなら。



 余談だが、家族が会社でこの話をしたところ、どなたかが「二回り捻れていたって、なんかダブルアクセルをキメましたって感じですね」と言ったのだとか。
 うーん、うまい。

PR
<< NEW     HOME     OLD >>
Comment
Name
Mail
URL
Comment Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
 
Color        
Pass 
<< NEW     HOME    OLD >>
忍者ブログ [PR]
 Template:Stars