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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
とうとう十年の歳月が流れた。
 手に入れたものは多いが、失ったものも多い。
 失ったものの大きさがとてつもなくて、僕は完全に壊れてしまった。
 自分が幸せになることを許容できるかどうか怪しかったけど、もうそんな次元すらも越えてしまった。
 今はただ死すべき瞬間を待つのみ。
 死ぬのが怖いと思わなくなるそのいっときを願って、ひたすら書いて書いて歌って書いて書いて歌って、自分を表現するのみ。
 それは誰の為にもならないことだし、僕自身の為になっているかも疑わしい。
 だけど書かないと飽和する。歌わないと苦しくなる。
 楽になりたくて、許されたくて、どこかに行きたくて、誰かを手に入れたくて、ずっと続けている。

 十年も経ってしまえば、何かが変わるだろうと思っていたのか。
 何も変わらない。自分が幸せになるとは信じられないまま、死ぬべき時を待っているだけ。
 自分で命を断てないから、そんな元気も無くなってしまったから、誰かが僕の全てを抱えてくれるなら、殺されることも厭わないほど。
 憎しみと孤独を包むゆりかご、僕が死すべき時に迎え入れる何かの懐、その夢を見てただ眠りたい。

 時々思う、十年も経っていたらどんな人間になっていただろうか。
 そんなことを思う権利は勿論、無い。誰かを殺して幸せになれる道理など無い。
 壊れたのも、子宮筋腫で日毎苦しむのも、罰されているからなのだと思えば、甘受すべきなのだ。

 だけど、もう疲れた。
 大事なものを奪われて、誰もその責任を負うこと無く、生殖特化の人間様の踏み台になる時間に、ただ疲れた。
 それでも罰は続くんだね。殺したから、壊したから、呪ったから、許されないまま。
 じゃあ、僕を殺した奴らはどうなる。壊した奴らはどうなる。そいつらは誰に許され、何を失い、どこでその過ちに気付くんだ?
 人間はそんなことも解らないまま生きていけるのか。だから生めよ殖やせよと数を増やすのか。自分の罪を濁す為、誤魔化す為に。
 そんな人間を信じた僕は、確かに愚かだったのだ。

 その中で救いとして受け取れるものがある。僕の生み出した世界で、僕の生み出した子達が、何とか幸せになろうとしている。
 僕もそうして自分の中を整理しながら、どこかへ歩き出している。その先で誰かに会えたらいいとまだ思ってしまうけど、きっと誰も居ないのだ。
 寂寞を抱えて生きていくには、心は脆過ぎる。僕も弱過ぎる。
 そんな僕を許せるのが、ポポルだった。まさかこんなふうに近付くことになろうとは。

 疲れたな。疲れたよ。踏み台にしかならない出来損ないは、誰かの記憶に残りもしない。
 死んでも生きていても、どっちもでいい存在のまま、何かを創って踏みにじられて奪われて、それでも夢見るのは自分だけの侵されない居場所だった。
 可哀相に。叶わない夢を見て、まだ心を壊されて、人間に可能性を見つけようとしている。

 十年経って、ポポルが許してくれた。それだけでいいじゃないか。
 僕は僕を救いたい。失う前に救いたかった。
 殺しても奪われても、罰だと思えば受け入れられると思ったけど、僕にそれだけのことをしてきた奴らが幸福なままなのは、納得できないよ。
 それこそが僕の小さな、取るに足らない価値なんだよって言われているみたいで、悲しい。

 助けてポポル。僕だって仲間が欲しかった。奪われない居場所が欲しかった。唯一無二の時間とぬくもりを知るひとに、捨てられたくない。
 君がそうならないように守るのは僕だ。だから、救われない僕を君の力にしてほしい。
 結局、自分を救えるのは自分だけ。人間に見向きもされない出来損ないにできるのは、それくらいだった。

 大丈夫、きっと死ねる時が来る。怖くなくなる時が来る。
 それこそが僕だけの啓示の時だ。恐れずに踏み出せる、罪が許される瞬間だ。

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