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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

 新年を迎えて早々に訪れたのは、もう終わったと思っていた話が蒸し返され、また相手の心境に変化があったという報告だった。
 非常に居心地が悪く、また終わった話だからとこっちは気持ちを切り替えて二年ばかりを生きていたので、頭の中が混乱している。

 どうして人間は皆、決めるのが遅いのだ。
 時間は無情に流れていくものだし、その間に手に入れるものや失うものは同じだけの数に収まることが無い。
 だからこそ、決断を迫られた時に凄まじい速度で計算し、想像し、自分の未来を描き出して、なるべくそこに近付けるように物事を決めるものではないのか。
 確かに、その場で決めたことを後で悔いることもあるし、悔いていたけど後々になってやっぱり合っていたな~なんて思い返すこともあるだろう。
 その場になってみなきゃ解らないこともたくさんある。後悔して「あの時あぁしておけば」と思うのが嫌なのも解る。
 でも、何でこの機に言うのだ。もう終わったと思っていただけにショックだ。
 つまり、相手の中では終わっていなかったのだ。

 相手の望みを承諾すると、僕はこれからほぼ自分の時間を取れなくなる。
 周りの友人の様子を見ていればそれは嫌でも解るし、周りの友人が何故その状態でもじり貧で耐えられたかも解っている。
 彼女達は自分で決めたし、対象を愛しく思うことができる。それが原動力となり、独り立ちするまでの間に支えてあげようと思えるのだろう。
 僕にはそういった母性の様なものが無い。
 常に自分の為に時間も人間も消費したい。

 例の一件で精神は破壊された。
 友情や親愛といったものは所詮、人間にとっては彼、彼女がより良い存在となり、別な人間と生殖行為に臨む為の踏み台にしかならない。
 人間の本分は生むことと殖えることにある。
 その目的の為の消費が許されるのは、恋愛や家族といった感情や関係以外の存在や事象だ。友人やら仕事やら趣味やら、何でもいいけど、恋愛と家族というものからすればクソほどの価値も無いのだ。
 そういう人間の方が多い。そして彼、彼女らは最も人間らしくて、本能に忠実だ。生き物としては優秀なんだ。

 勿論、それは誰にでも当て嵌まることじゃない。家族を大事にしながら友人を大事にできる人もたくさん居る。
 だけど、そう思うようになってしまった。歪んでいると解っていても、そう思わざるを得なくなってしまった。

 そういう奴らと同じ行為をする、生殖の為に己を犠牲にする。そんなこと、一度も自分の為に望まなかった。
 相手の為とか誰かの為とか考えたことはあるけど、それも否定されてから気付いた。自分の為に望まなければ、何をやっても続かないものだ。

 周りが本能溢れる人間ばかりで自分が可笑しいなら、そいつらを最大限まで利用してやろうと思った。
 僕は僕の為に生きるし、僕の為に奴らを利用する。人間の本能から外れても自分の為に生きたいと思う人に対して、真心を返すようにしようと。

 そんな僕がどちらかと言えば本能に近い側の人間と関係を結んでいることが、そもそもの破綻かもしれない。
 気付いた時に関係を清算することを申し出たが、相手もハッキリしなかったから、話を終わらせた。終わったと思った。
 こうしたい、いやそんなでもない、やっぱこうしたい・・・・・・と相手の中で葛藤が進んで、再び望みを口にできるようになるまで、二、三年は掛かったということだ。

 気持ちは確かに変化する。前は嫌だったことが今は良かったり、その逆もあったりするよ。
 けど、こればかりは僕に掛かる負担が大きすぎる。自分で望んでもないのに負担を抱えて生きていける気がしない。
 精神疾患持ち、体力の低下、胃腸に難あり、ストレス耐性はゼロ。思考もより偏屈になって、自分の為に生きようと、それを自分に許した矢先の出来事だ。
 なんだってこう人間は考えるのが遅いんだ、そこにまた話が戻っていく。

 厄年の近い歳だと、神社に行った時に見かけた。
 前厄があったとして、去年がそれに当たるなら、成程、確かに厄としては強烈だった。僕の感性を壊し、時間を奪い、呪詛の心を蘇らせたのだから。
 それも年末に収束していき、今は少し落ち着いてきたところだが、そこで新たな厄が降りかかる。もう厄だと思っている時点で、生殖に向いていない。
 本厄がこれなら、きっと今年で僕のささやかな生活は終わる。本当に死ぬことしかできなくなる時間が訪れる。

 或いはその辛苦に耐えれば、僕にすらも変化が訪れて何かが変わるかもしれない。違ってくるかもしれない。
 もし、変化も何も起きなかったら?
 その博打はあまり打てない。人の命が懸かるから。誰かの精神が懸かるから。僕だけならまだしも、周りの人間に耐えられるわけがない。

 契約を結んで六年目になるが、何故もっと早く決めなかったのだ。六年も経てば器の劣化は著しい。
 此方の機嫌や心境の変化を待っていたのかもしれない。そもそも前述の様に、此方が普通の人間と契約を結んだのがまずかったのかもしれない。

 僕だってこんなふうになる前は、あの子との依存を断ち切ろうと必死だったから。
 これが最後の努力になればいいと頑張った結果、契約を結んで穏やかな生活を手に入れたと思っていたから。
 相手の望みを叶えてあげたいところではあるが、僕がぼろきれ以下の精神になることを覚悟しなければならない。

 僕は大事な友人を不当な理由で失って、自分の糧となる創作の時間までも奪われるのか。
 それを誰が慰めてくれる。誰が「その後きっと大丈夫だよ」と保障してくれる。
 奪われる前に手放すのか、できるのか、死ぬこともできなかったくせに。
 本当の厄災が訪れるとすれば今年なのは間違いない。僕自身の器か精神が死ぬことかもしれない。
 けど、それは誰かにとっての喜びになるんだ。僕の死がもたらす影響はその程度のものなんだ。

 人間の為に尽くすべきなのか。踏み台にされた後、また踏み台になって、自らの器と時間を駆使して作るべきなのか、新たな人間を。
 そこに生じる感情も責任も、誰も背負えない。僕にしか背負えない。
 というか、こんな精神状態で十月十日も胎内に居たら流れそうじゃないか。守ることもできない。僕は僕が死なないようにぎりぎりで保つのに精一杯だ。

 支えが欲しい。二人で生きていけるという支えが欲しい。
 紅弥が居たら、或いは叶ったかもしれない些細な願いだな。
 いつもそうやって他者に預けているから、こうして自立できなくなるんだ。
 人間以下の存在として生きてきて、そこだけは未だに反省している。

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