ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
入院三日目
気持ち悪さがすっかり無くなって元気になったわたしは、昨日の分も歩きたいと思って、看護師に頼んでみた。
看護師は快く許してくれて、なんなら一人で歩いてもいいと言われた。後ろからちゃんと見守っているので、ゆっくり歩いてください、と。
意気揚々とわたしは歩き回り、院内をまた観察した。部屋は幾つぐらいなのか、ここはどの辺りにあるのか、窓の外の景色がどんなものか、ラウンジの自販機には何が売っているのか。
ウォーキング・ハイとでも言おうか、歩けることが嬉しくて、ずっと歩いていたような気がする。
三日目になって、漸く着替えをすることができた。着替えとタオルはレンタルにしていて、身体さえ自由に動かせるなら着替えたかったのだが、まだ億劫だった。
浴衣から甚平に着替えさせてもらった。本当はタオルを水で濡らして身体を拭くくらいしたかったのだけど、下半身はまだ感覚が薄く、大人用おむつを穿いていて、おまけに尿に管を通しているから上手く座れず、できなかった。
お風呂に入りたい、髪を洗いたいと思いながら、荷物に入れてもらっていたボディペーパーで軽く上半身を拭いた。
金曜の激痛時、脂汗が凄かったのを思い出す。早くさっぱりしたい。
それと、諸々の管とは別に胸の辺りについていた、何かの機械に伸びたパッチ等も外してもらえた。あれは何だろう、心電図? 他のもの?
パッチが外れないようにと付けられていた時の糊が超強力だったのか、剥がした痕がかぶれて、小さな水ぶくれまでできていた。これがまたとても痛い、痒い。
不衛生な手で触れてはならないと思ったが、周辺の皮膚は痒くなる。自分の肌が弱いのは解っていたが、こんなこともあるものだと呆れてしまった。
午後になるにつれ、咳が出るようになってきた。三日目でやっと咳払いせずに声を出せるようになったと思ったら、今度は咳だ。嫌になった。
これも挿管の影響と思われると話をされたが、個人的に先週の風邪の所為もあるのかもしれないと考えた。市販の薬で一旦治ったと思ったけど、治ってなくて再発したとか?
咳をすると傷が痛んだ。普段のじわじわした痛みより、何度か続く咳でもたさられる痛みの方がずっと嫌だった。
売店でのど飴を買ってきてもらい、荷物に入っていた龍角散を舐め、水のペットボトルを常備し、嘔吐した時用の器にうがいするなど、何とか咳を治めようとした。
けど、こういうものって意識すればするほど出てくるし、治まらない。
夜中もきっと出てくるだろうから、それが一番嫌だ。同室の人達の眠りを妨げたくない。
咳止めが欲しいと頼んだが、薬で止めるようなものではないのだと断られてしまった。
何でも薬で解決するのは良くないのかもしれないが、傷が痛むし、人に迷惑だって掛けてしまうのだから、どうにかしたい。
いっそ眠れないなら夜に院内を歩き回ってみるのもいいや、不貞腐れてそんなことも考えた。
昼食辺りから、流動食ではなくソフト食というものに切り替わった。腸の動きが正常なら、少しずつ段階を上げて食べられるようにしていき、点滴を外せるようにしようということだった。
二口、三口、よく噛んで、呑み込んで、少し休んで、また箸を進めるというやり方で食べたけど、量はやっぱり入らなかった。ほうじ茶だけは相変わらずよく飲んだ。
咳が出るから、もっと食べるのは遅くなった。恨めしい。
痛み止めを点滴にて貰っていたのを、錠剤にしようかという話になった。貰えるのは食事の時で、食後三十分の間隔を空けて服用するのがいいらしい。
三十分はその場で待って、薬をのみ、それからまた歩きに出た。病室で、ベッドで横たわるのはもう飽きていた。どうせ夜だって眠れないで、横たわるだけになるのだし。
前後していまいち憶えていないが、眠れないのは辛いと思い、入眠剤を貰えないかと看護師に願い出た。
わたしが持ってきたものはまだ出せないが、同じような作用の薬は出せるから、それでやってみてくれないかと言われて、大人しく引き下がった。
本当は服用し慣れたものでないと眠れないのでは、と思ったのだけど、嫌がったところで出せないものは出せないのだろうから、しょうがない。
夕方頃、家族と久しぶりに会って、どんな状況かを話した。
わたしは特に聞いていなかった手術内容も、家族から少し聞けた。
二回りも捻れていた小腸を戻し、虫垂を切除したらしく、盲腸の心配は無くなったよと言われた。現場の先生の判断は恐ろしく早いものだ。
どうやら腸の捻転を起こす人が虫垂炎を起こしてしまうと、手術がとても大変らしい。それで先んじて切除したということなので、感謝しか無い。リスクは避けるに限る。
「意外と元気そうで良かった」と言われた。そういえば、わたしはわりと元気かもしれない。
精神的な動揺を抱えた時の方がよっぽど生きづらいから、肉体的なしんどさなんてそこまで――いや、苦痛は苦痛なんだが。どっちがより辛いのかと言ったら、精神の痛みの方がよっぽど辛い。
去年のあの狂いようを思えば、激しい腹痛と一連の流れも辛かったけど意識を手放すほどのことではなかった。それだけだった。
のど飴をひたすら舐め、水分を摂り、まだ来ないお通じを気にしながら、また夜を迎えた。
食事をちゃんと摂らないと、この右手の甲から針が抜けないのだと叱咤して、頑張って食べた。それでも完食はできず、四割食べられたかなって程度だった。
あたたかいものを飲むと喉のイガイガが治まる、と聞いた気がするのだけど、そんな気配は今のところない。
結局、このまま寝ることになるのだから、できるだけ対策しようと思って、スマホでいろいろ調べた。
咳を止められるツボだとか、濡れマスクだとか、いろいろ方法はあるものだ。少し救われた気分になった。
ただこの”ツボ押し”だけは玄人でもない自分では上手くいかず、押しても結局出るものは出た。
濡れマスクを作ろうとしたら、手元にあるのが不織布マスクだったので、水を弾いてなかなか濡らしれきなかった。大体三十分くらいで乾いてしまうので、院内も乾燥しているのだろう。
しかし、できる限りの対策をして、眠るしかない。一番傷を治せる時間はここの筈。
貰った入眠剤はあまり効かなかった。ちょっと眠った気がするけど、本当にちょっと。
目が覚めて、さっきからどれだけ時間経ったっけと思ってスマホを見たら、二時間しか流れていなくて絶望した。まだ朝には全然遠い。
濡れマスクをして横を向き、どうせ起きているならとのど飴をまた舐めて、影絵で遊んだ。
小窓の方は歩いてきた時にカーテンを開けておいたので、ごく狭い範囲で空が見えた。曇っているのか、星は見えない。
転寝して、咳で起きて、飴を舐めて、寝た気がして、再び咳で起きる。不毛なことを繰り返しているうちに、朝がやっと来た。
入院四日目
咳に苛々しながら起きて、何とか朝食もいただいて、回診の時に先生に説明をされた。
手術は成功しているし、今のところ安定しているけど、結局どうして二回りもしたのか、その原因は解らない。だから、再発する可能性は充分にある。
再発したらまた来てください~なんて言われたが、次はきっと開腹手術になるのだろう。今回は違うようだ。
まだ自分の傷を目視していないわたしは、腹を開けた後の痛みを思って戦々恐々としていた。
再発する可能性がある、それはそうだと思う。今までがそうだったから。
胃腸炎かなと勝手に思っていたあの痛みは、小腸が捻転を起こしたことによる痛みだったとすると、かなり長い間、その痛みとお付き合いしてきたことになる。
初めて味わったのは高校生ぐらいの時で、年齢が上がるにつれ、段々とその機会は増えてきた。
頻度が上がれば統計みたいなものも取りやすくなって、全て自己診断だけど、大抵はストレスが極限まで溜まった時、ちょっと食べ過ぎたり、寒過ぎたりしたことがキッカケで起きていた。だからこそ、ストレス性の胃腸炎なんだなぁ、痛いなぁと思っていたわけだが。
まるで腹を雑巾絞りの如く捻じられているように痛い、と表現したことを思い出した。本当に捻れていた。そりゃあ痛い。
再発するかもという話を聞いたことで、ちょっと怖気づいていた。
あの痛みには慣れていたけど、手術後の不便さや傷の痛みにひぃひぃいっている今、これ以上の痛みに見舞われるのは勘弁してほしいという心境だった。ちょっと怖がる部分がズレている。
でも、未来に本当に起きるかどうか解らない物事を恐れていても仕方ない。不確定要素ということでいえば、小腸の軸捻転だけでなく、他の病気や外傷にしたって同じことなのだ。
あんまり不安になっても胃腸はすぐに反応するし、その時はその時だと思うことにした。身体についての不安や恐れは比較的、払拭するのが早い気もする。
この日、背中の強い薬と、尿の管と、点滴が外れた。「明日には退院しましょうか」とも言われて、こんなさくさくでいいのかとも思った。
背中の強い薬が抜けた後、やっと腰回りに感覚が戻ってきた。尿の管も外れて、自分の意思でトイレに行けるようになると、お通じもあって、やっと安心する。お腹の中で起きていることは解らないから、こうして結果が出ないとね。
点滴が外れたのはとても嬉しかった。これでもう少し自由に動けるようになるぞ、と勢い込んで、また歩いた。ちょっと仲良くなったサポートスタッフの人に「もう外れたんですか!」と驚かれたくらいだ。
昼食はソフト食から早くも軟菜食というものになった。お粥や味噌汁がついていて、煮物とか、煮た魚とか、軟らかくしてくれたおかずを食べる。
それでも六割が限界。どうしても完食できない。休み休み食べているからか、途中で「もうお腹いっぱいだ」と思うことが多かった。たくさん食べてまた痛むのが怖いのもある。
ほうじ茶を飲みながら、これで咳が止まったらいいのなと思った。まったく止まる気配が無い。
自由に動けるようになったので、タオルを濡らして身体を拭いた。シャワーを浴びれないなら、せめてこれだけでも。
さっぱりしながら、明日で退院か~仕事いつから行けるかな~咳は止まるのかな~と、また止め処なく考えた。周りのことを気に掛けられるのはいいけど、自分のことを考えた方がいいとも思った。
歩いて、休んで、また歩いて、繰り返すうちに、どう動けば痛みが少ないのかも解るようになる。そうなると、寝転ぶのが逆に嫌になった。起き上がるのがしんどいのだ。
その動きを自分で整理しているうちに、いつかの動きに似ていることに気が付いた。初めて腰を痛めて動けなくなりかけた、あの時に似ている。
ということは、基本的な動き方は腰を痛めた時と同じようにすればいいと解って、気持ちが楽になった。経験は大事だ。
同室の人が「しんどいでしょう」と言って、のど飴をくれた。皆、手術で全身麻酔をかけられた後、同じように咳で苦しんでいるのかもしれない。
厚意に感謝し、再びのど飴を舐めていると、腹が下るような気配がした。慌ててトイレに行き、まぁ便が出たならいいかと思ったけど、何が原因か解らなくて暫し考えた。
原因なんて、のど飴くらいしか無い。のど飴の食べ過ぎで腹を下し、結果、便は出たものの、焦ることになったのだ。阿呆か。
その日の夜、遂にわたしの持ってきていた入眠剤が戻ってきた。と言っても、必要な分だけしか渡されないのだが、それでも待ちに待った瞬間である。
それでも咳は止まらないから、この入眠剤を使ってもきっと途中で起きてしまうだろうけど、まぁいいのだ。使い慣れているものが戻ってきたことで、何だか気が大きくなった。
濡れマスクを装着し、うがい用の水と器を近くにセットし、のど飴も一応セットし、枕辺に喉を潤すようの水を置いて、二十二時頃に薬を服用した。
やっぱり気が付いたら寝ていて、起きたら五時間は経っていた。途中、咳をした覚えもある――ような気がするけど、その一瞬だけ起きて、すぐにまた寝てしまったような。
記憶は曖昧であるものの、咳が出たのに無理矢理寝られたということに歓喜を覚えた。やっと寝られた。病院に来て五時間も意識が無かったのは、初めてではないか?
朝焼けが始まるか否かくらいの時間だが、寝られたことですっかり気を良くしていたわたしは、わくわくしながら窓の外を見ていた。
咳は相変わらず出るけど、気持ちが軽やかなので、そこまで苛々していなかったように感じる。
睡眠は大事だ。きっと傷の治りも良くなる。そう信じることにした。
気持ち悪さがすっかり無くなって元気になったわたしは、昨日の分も歩きたいと思って、看護師に頼んでみた。
看護師は快く許してくれて、なんなら一人で歩いてもいいと言われた。後ろからちゃんと見守っているので、ゆっくり歩いてください、と。
意気揚々とわたしは歩き回り、院内をまた観察した。部屋は幾つぐらいなのか、ここはどの辺りにあるのか、窓の外の景色がどんなものか、ラウンジの自販機には何が売っているのか。
ウォーキング・ハイとでも言おうか、歩けることが嬉しくて、ずっと歩いていたような気がする。
三日目になって、漸く着替えをすることができた。着替えとタオルはレンタルにしていて、身体さえ自由に動かせるなら着替えたかったのだが、まだ億劫だった。
浴衣から甚平に着替えさせてもらった。本当はタオルを水で濡らして身体を拭くくらいしたかったのだけど、下半身はまだ感覚が薄く、大人用おむつを穿いていて、おまけに尿に管を通しているから上手く座れず、できなかった。
お風呂に入りたい、髪を洗いたいと思いながら、荷物に入れてもらっていたボディペーパーで軽く上半身を拭いた。
金曜の激痛時、脂汗が凄かったのを思い出す。早くさっぱりしたい。
それと、諸々の管とは別に胸の辺りについていた、何かの機械に伸びたパッチ等も外してもらえた。あれは何だろう、心電図? 他のもの?
パッチが外れないようにと付けられていた時の糊が超強力だったのか、剥がした痕がかぶれて、小さな水ぶくれまでできていた。これがまたとても痛い、痒い。
不衛生な手で触れてはならないと思ったが、周辺の皮膚は痒くなる。自分の肌が弱いのは解っていたが、こんなこともあるものだと呆れてしまった。
午後になるにつれ、咳が出るようになってきた。三日目でやっと咳払いせずに声を出せるようになったと思ったら、今度は咳だ。嫌になった。
これも挿管の影響と思われると話をされたが、個人的に先週の風邪の所為もあるのかもしれないと考えた。市販の薬で一旦治ったと思ったけど、治ってなくて再発したとか?
咳をすると傷が痛んだ。普段のじわじわした痛みより、何度か続く咳でもたさられる痛みの方がずっと嫌だった。
売店でのど飴を買ってきてもらい、荷物に入っていた龍角散を舐め、水のペットボトルを常備し、嘔吐した時用の器にうがいするなど、何とか咳を治めようとした。
けど、こういうものって意識すればするほど出てくるし、治まらない。
夜中もきっと出てくるだろうから、それが一番嫌だ。同室の人達の眠りを妨げたくない。
咳止めが欲しいと頼んだが、薬で止めるようなものではないのだと断られてしまった。
何でも薬で解決するのは良くないのかもしれないが、傷が痛むし、人に迷惑だって掛けてしまうのだから、どうにかしたい。
いっそ眠れないなら夜に院内を歩き回ってみるのもいいや、不貞腐れてそんなことも考えた。
昼食辺りから、流動食ではなくソフト食というものに切り替わった。腸の動きが正常なら、少しずつ段階を上げて食べられるようにしていき、点滴を外せるようにしようということだった。
二口、三口、よく噛んで、呑み込んで、少し休んで、また箸を進めるというやり方で食べたけど、量はやっぱり入らなかった。ほうじ茶だけは相変わらずよく飲んだ。
咳が出るから、もっと食べるのは遅くなった。恨めしい。
痛み止めを点滴にて貰っていたのを、錠剤にしようかという話になった。貰えるのは食事の時で、食後三十分の間隔を空けて服用するのがいいらしい。
三十分はその場で待って、薬をのみ、それからまた歩きに出た。病室で、ベッドで横たわるのはもう飽きていた。どうせ夜だって眠れないで、横たわるだけになるのだし。
前後していまいち憶えていないが、眠れないのは辛いと思い、入眠剤を貰えないかと看護師に願い出た。
わたしが持ってきたものはまだ出せないが、同じような作用の薬は出せるから、それでやってみてくれないかと言われて、大人しく引き下がった。
本当は服用し慣れたものでないと眠れないのでは、と思ったのだけど、嫌がったところで出せないものは出せないのだろうから、しょうがない。
夕方頃、家族と久しぶりに会って、どんな状況かを話した。
わたしは特に聞いていなかった手術内容も、家族から少し聞けた。
二回りも捻れていた小腸を戻し、虫垂を切除したらしく、盲腸の心配は無くなったよと言われた。現場の先生の判断は恐ろしく早いものだ。
どうやら腸の捻転を起こす人が虫垂炎を起こしてしまうと、手術がとても大変らしい。それで先んじて切除したということなので、感謝しか無い。リスクは避けるに限る。
「意外と元気そうで良かった」と言われた。そういえば、わたしはわりと元気かもしれない。
精神的な動揺を抱えた時の方がよっぽど生きづらいから、肉体的なしんどさなんてそこまで――いや、苦痛は苦痛なんだが。どっちがより辛いのかと言ったら、精神の痛みの方がよっぽど辛い。
去年のあの狂いようを思えば、激しい腹痛と一連の流れも辛かったけど意識を手放すほどのことではなかった。それだけだった。
のど飴をひたすら舐め、水分を摂り、まだ来ないお通じを気にしながら、また夜を迎えた。
食事をちゃんと摂らないと、この右手の甲から針が抜けないのだと叱咤して、頑張って食べた。それでも完食はできず、四割食べられたかなって程度だった。
あたたかいものを飲むと喉のイガイガが治まる、と聞いた気がするのだけど、そんな気配は今のところない。
結局、このまま寝ることになるのだから、できるだけ対策しようと思って、スマホでいろいろ調べた。
咳を止められるツボだとか、濡れマスクだとか、いろいろ方法はあるものだ。少し救われた気分になった。
ただこの”ツボ押し”だけは玄人でもない自分では上手くいかず、押しても結局出るものは出た。
濡れマスクを作ろうとしたら、手元にあるのが不織布マスクだったので、水を弾いてなかなか濡らしれきなかった。大体三十分くらいで乾いてしまうので、院内も乾燥しているのだろう。
しかし、できる限りの対策をして、眠るしかない。一番傷を治せる時間はここの筈。
貰った入眠剤はあまり効かなかった。ちょっと眠った気がするけど、本当にちょっと。
目が覚めて、さっきからどれだけ時間経ったっけと思ってスマホを見たら、二時間しか流れていなくて絶望した。まだ朝には全然遠い。
濡れマスクをして横を向き、どうせ起きているならとのど飴をまた舐めて、影絵で遊んだ。
小窓の方は歩いてきた時にカーテンを開けておいたので、ごく狭い範囲で空が見えた。曇っているのか、星は見えない。
転寝して、咳で起きて、飴を舐めて、寝た気がして、再び咳で起きる。不毛なことを繰り返しているうちに、朝がやっと来た。
入院四日目
咳に苛々しながら起きて、何とか朝食もいただいて、回診の時に先生に説明をされた。
手術は成功しているし、今のところ安定しているけど、結局どうして二回りもしたのか、その原因は解らない。だから、再発する可能性は充分にある。
再発したらまた来てください~なんて言われたが、次はきっと開腹手術になるのだろう。今回は違うようだ。
まだ自分の傷を目視していないわたしは、腹を開けた後の痛みを思って戦々恐々としていた。
再発する可能性がある、それはそうだと思う。今までがそうだったから。
胃腸炎かなと勝手に思っていたあの痛みは、小腸が捻転を起こしたことによる痛みだったとすると、かなり長い間、その痛みとお付き合いしてきたことになる。
初めて味わったのは高校生ぐらいの時で、年齢が上がるにつれ、段々とその機会は増えてきた。
頻度が上がれば統計みたいなものも取りやすくなって、全て自己診断だけど、大抵はストレスが極限まで溜まった時、ちょっと食べ過ぎたり、寒過ぎたりしたことがキッカケで起きていた。だからこそ、ストレス性の胃腸炎なんだなぁ、痛いなぁと思っていたわけだが。
まるで腹を雑巾絞りの如く捻じられているように痛い、と表現したことを思い出した。本当に捻れていた。そりゃあ痛い。
再発するかもという話を聞いたことで、ちょっと怖気づいていた。
あの痛みには慣れていたけど、手術後の不便さや傷の痛みにひぃひぃいっている今、これ以上の痛みに見舞われるのは勘弁してほしいという心境だった。ちょっと怖がる部分がズレている。
でも、未来に本当に起きるかどうか解らない物事を恐れていても仕方ない。不確定要素ということでいえば、小腸の軸捻転だけでなく、他の病気や外傷にしたって同じことなのだ。
あんまり不安になっても胃腸はすぐに反応するし、その時はその時だと思うことにした。身体についての不安や恐れは比較的、払拭するのが早い気もする。
この日、背中の強い薬と、尿の管と、点滴が外れた。「明日には退院しましょうか」とも言われて、こんなさくさくでいいのかとも思った。
背中の強い薬が抜けた後、やっと腰回りに感覚が戻ってきた。尿の管も外れて、自分の意思でトイレに行けるようになると、お通じもあって、やっと安心する。お腹の中で起きていることは解らないから、こうして結果が出ないとね。
点滴が外れたのはとても嬉しかった。これでもう少し自由に動けるようになるぞ、と勢い込んで、また歩いた。ちょっと仲良くなったサポートスタッフの人に「もう外れたんですか!」と驚かれたくらいだ。
昼食はソフト食から早くも軟菜食というものになった。お粥や味噌汁がついていて、煮物とか、煮た魚とか、軟らかくしてくれたおかずを食べる。
それでも六割が限界。どうしても完食できない。休み休み食べているからか、途中で「もうお腹いっぱいだ」と思うことが多かった。たくさん食べてまた痛むのが怖いのもある。
ほうじ茶を飲みながら、これで咳が止まったらいいのなと思った。まったく止まる気配が無い。
自由に動けるようになったので、タオルを濡らして身体を拭いた。シャワーを浴びれないなら、せめてこれだけでも。
さっぱりしながら、明日で退院か~仕事いつから行けるかな~咳は止まるのかな~と、また止め処なく考えた。周りのことを気に掛けられるのはいいけど、自分のことを考えた方がいいとも思った。
歩いて、休んで、また歩いて、繰り返すうちに、どう動けば痛みが少ないのかも解るようになる。そうなると、寝転ぶのが逆に嫌になった。起き上がるのがしんどいのだ。
その動きを自分で整理しているうちに、いつかの動きに似ていることに気が付いた。初めて腰を痛めて動けなくなりかけた、あの時に似ている。
ということは、基本的な動き方は腰を痛めた時と同じようにすればいいと解って、気持ちが楽になった。経験は大事だ。
同室の人が「しんどいでしょう」と言って、のど飴をくれた。皆、手術で全身麻酔をかけられた後、同じように咳で苦しんでいるのかもしれない。
厚意に感謝し、再びのど飴を舐めていると、腹が下るような気配がした。慌ててトイレに行き、まぁ便が出たならいいかと思ったけど、何が原因か解らなくて暫し考えた。
原因なんて、のど飴くらいしか無い。のど飴の食べ過ぎで腹を下し、結果、便は出たものの、焦ることになったのだ。阿呆か。
その日の夜、遂にわたしの持ってきていた入眠剤が戻ってきた。と言っても、必要な分だけしか渡されないのだが、それでも待ちに待った瞬間である。
それでも咳は止まらないから、この入眠剤を使ってもきっと途中で起きてしまうだろうけど、まぁいいのだ。使い慣れているものが戻ってきたことで、何だか気が大きくなった。
濡れマスクを装着し、うがい用の水と器を近くにセットし、のど飴も一応セットし、枕辺に喉を潤すようの水を置いて、二十二時頃に薬を服用した。
やっぱり気が付いたら寝ていて、起きたら五時間は経っていた。途中、咳をした覚えもある――ような気がするけど、その一瞬だけ起きて、すぐにまた寝てしまったような。
記憶は曖昧であるものの、咳が出たのに無理矢理寝られたということに歓喜を覚えた。やっと寝られた。病院に来て五時間も意識が無かったのは、初めてではないか?
朝焼けが始まるか否かくらいの時間だが、寝られたことですっかり気を良くしていたわたしは、わくわくしながら窓の外を見ていた。
咳は相変わらず出るけど、気持ちが軽やかなので、そこまで苛々していなかったように感じる。
睡眠は大事だ。きっと傷の治りも良くなる。そう信じることにした。
PR
Comment
最新記事
(04/22)
(04/12)
(03/06)
(01/22)
(10/04)