ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
毎日同じことで悩んで苦しんでいると、いったい何がそこまで自分を追い詰めるのかと哲学せねばならない気がしてくる。
本当に同じだ。同じ内容、同じ言葉、同じ描写を毎回脳裡で繰り返して、また傷付く。痛む。膿んでしまう。
ということは、そこに思考を重ねていけば、ここまで苦しまずに済むのではないかと思うことは、至極当然だった。
だけど、考えても考えても解らない。
他方からは「恋愛で見ていたからでは」と言われて、恋愛面で考えてもみたけれど、どれだけ考えても相手の子を産んであげようと思ったことはない。家庭も善意から持たせてあげようと思ったこともない。
『一緒に居られればいいけど、きっと一緒には居れくれない。だから、今の関係が一番だ』
『いつでも話せたらいいけれど、きっと相手は望まない。だから、年に数回会えれば充分だ』
そんなふうに考えて、相手が本当は僕のことを望んでいないのだという事実から逃げていたのかもしれない。何年も何年も。
幸い、僕と相手の中間に位置するような人間は元からほぼ居なかったから、互いが別の集団ではどのように振る舞っているのかなど、解らなかった。どんな集団に属しているかも知らなかった。
だから、自分と相手のことしか解らない。客観的な視点を持っているつもりでも、そこは別の側面からの考察だとか実績がいつも欠いていた。
僕はどうして苦しんでいる。何がそこまで悲しませる。
言ってしまえば、よくある別離だ。意見が食い違い、環境を違え、仲良くしていくことが難しくなった人間は、今までも居たではないか。
それら全てに食い下がったわけではない。中には、さっぱりと途切れても痛みの一つも感じなかった関係もあった。途絶する未来がすぐ見えていたから。
この子は、何が違う?
途絶する未来を想像してばかりだった。僕だけが話したくて、必要としているんじゃないかと、二十年ずっと不安を残してた。
恋愛面から近付いたこともあったが、有耶無耶のうちに無かったことになった。たぶん、相手も忘れている。
では、親友なのかと言えば、当て嵌まる部分もあるし、違う部分もある。
本当に、単純に、理解なんて不要なほど、僕とあの子の関係は特殊だった。俗に言う「友達以上恋人未満」が一番近いかもしれない。
そう言ったら、相手は否定するだろう。僕の見目がもう少し良かったら、そこまで力強く否定することはなかったかもね。
なんだかんだ言ったって、僕の見目が完璧であればここまで拗れなかったと思う。
特別な関係、二人だけの秘匿、そういったものは優れた容姿を持つ者にのみ許されるのだと、最近思うようになった。
器でなければお互いを認識できないから、見目の良さを追求するのは当然だ。
それが解っていながら、僕は見目の醜さを置いてあの子の傍に居たいと思った。それもまた間違いだった。
そこまで理論が成立していて、ここまでもう諦めた方がいいと答えが出ていて、何故受け入れられない。どうして終わることを怖がっている。
あの子がそんな人間ではないと信じていたいからか。
あの子がもし見目で何かを決めるような子で、本当に無責任なだけだったとしたら、そんな人を信じてきた自分の立つ瀬が無いからか。
離れるのが耐え難い。あの子から離れたら、僕は存在できなくなってしまう。
それは依存というものでは?
依存の何が悪い。
僕が存在できないって程度なら、あの子の為にはならない。
依存だけで終わらせてなるものか、少しは役に立ちたいんだ。
ずっと昔、僕のことを必要かと尋ねて、必要だと言わせたことがあったような。
あれをあの子の意思で言ってくれたら、少しは違ったのかなぁ。
あの子が僕みたいにいつも相手に対して真っ向から好意を伝える子だったら、こんなに寂しくなかった?
たぶん、それもあるけど、僕がちゃんと信じ切れなかった所為だ。
結局こうやって必要ない存在だっていじけて、あの子の言葉を疑って、行動に傷付いて、正しく見ることができなくなった、僕の所為だ。
僕がこうなったのは、あの子が原因でもある。その責任を取れよと追い立てて、逃げ場を無くしてやりたくなる。そうしないのは、あの子が僕に対して責任を取るなど、僕を選ぶなど有り得ないと解っていて、それが目の前でちゃんと現実になってしまうのが恐ろしいからだ。
それらの悩み全ても見目が良ければ、あんまり拗れなかったわけだよ。
人間やっぱり見た目なんだよ。中身が大事とか言っているけど、こうして土壇場に来た時に本性も本心も解るものなんだよ。
どれだけ奇麗言を宣ったところで、バレる時はバレるのさ。
ここでこうして一人でうだうだぐちぐち言い続けて、これからも言い続けて、相手は他の人間と正常な関係を作って幸せになっていくのだろう。
僕は置いて行かれるだけだから。選ばれないだけだから。それをどれだけ辛いと言ったって、もう日の目を浴びることはなくなったんだ。
君が落とした地獄だ。どうしてここまで悩んでいるのか、苦しんでいるのか、一欠片でも理解できそうなら、きっと僕は君を許せる。
離れるのは度し難い。僕の為でしかない。そりゃ君だって離れるだろうさ。
そこにまつわる全ての原因が環境でも自他共の変化でもなくて、ただ見目にまつわるものだとしたら、これは全くの喜劇だ。出来が悪いだけの。
僕自身がどうしようもなく壊れて、何日も経った。離れてしまったことを認められないみたいだ。
また話したい、誰の為に? また会いたい、誰の為に?
君の為になるのは、きっと僕がもう関わらないことなんだろうね。君も本当はそれを望んでいたりするのかな。
何度も問い掛けられて、繰り返されて、君も嫌になってきているだろうね。それとももう慣れていたっけ。
まだともだちでいたいってのは、不遜か。
めちゃくちゃ文句言ったし、怒ったし、傷付いたし、呪ったからな。
だけど、味方でいたいってのは本当。今でも頼ってもらえるなら、助けたいと思う。
そう約束した。そうすると決めた。何がどう変わろうと、僕は約束を破りたくない。
逃げる前に話してほしい。止められるかもしれない、あと少しだけ力をあげられるかもしれない。
君にも少しは響いてほしい。僕と離れることを寂しがるなんて、想像もつかないけど。
僕は君に預け過ぎた。そういう人が居るってことが、今までずっと支えになっていたんだ。
君の中の僕も、支えになれていたら良かったのに。
諦めたくない。離れたくない。狂っているのは解っている。
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それがどんなにか辛い選択であるかを、僕は知っている。たぶん君も知っている。
口では軽々しく自分のことを貶してみても、本音ではまだ期待を持ちたいというのは当たり前だ。
自分に完全に失望してしまったら、その自意識を抱えて生きていくのは難しいから。
生きていくには多少の誤魔化しも必要だし、何でもかんでも真正面から見据えていたら、事実の重さにやっぱり生きていけなくなるから。
半年続いた責め苦と呪詛は、きっともうすぐ終わる。
さすがに疲れた。どれほどの密度と濃度で果たしたかは、自分でも計り知れない。
その重さで僕自身もまいってしまったが、そうなることは解って実行したつもりだ。
その極めつけが思い出すこと、即ち自分に価値は無く、不当な扱いを受けても仕方ない程の欠陥品だということ。
そもそもが上等な扱いを受けるに値しないし、相手も他に良いものを見つけたらそっちに行くのは当たり前なわけで、そこに少しでも「ぼくのことを見て必要としてくれる」と希望を持ってしまったのが間違いだった。
世の中の全てにその真理が当て嵌まることは、絶対に無い。
皆、誰かしらに良かれ悪しかれ必要とされ、自意識を保つために誇りを懸けて、或いは堕落してしまった後で、何某かの奇跡と対峙できる瞬間があると思う。
僕にもきっとある。それとも、もう味わった後で、これからは失っていく一方だろうか。
最初は凄く怒っていた。何でこんな仕打ちを受けねばならないのかと、お前がしっかりしていればこんなことにはならないと、とても怒っていた。
だけど、ある時、ふと思い出した。僕にはそうしてもらうだけの価値が無いことを。
だから今までさんざん覚悟を問うようなことをしても、良き回答など得られたことがない。向き合ってもらった試しがない。
それを他の人間に対しては行った、それが何よりも許せなかった。
でも、そこだって、僕に対しての気持ちや覚悟は持てず、責任も果たす気が無ければ、他の人間に対しては動けるなんて当たり前の話だ。
要は僕が選ばれなかっただけ。尤もらしいことを言われたけど、僕を選びたくなかったという単純な事実を、聞こえのいい言葉や誤魔化す態度で巧妙に隠していただけだ。
それが自分が悪者にならないためか、僕に悪いと思ったからか、もう解らないけど。
そんなことを十年は続けていた。僕は真剣だったし、必死だったけど、相手はそうじゃなかった。
見せてほしかった必死さや覚悟は、他の人間には見せられるようだ。
僕は選んでもらえなかった。また捨てられてしまった。
世間から見ればこの選択は正常な判断だ。友人と伴侶を天秤にかけて、しかもその友人が気狂いとあらば捨てるは道理。
そこで如何に積み重ねられたものがあろうとも、築けたものがあろうとも、性欲と愛欲には敵いはしないのだ。何故なら、彼らは人間だから。
人として、真っ当な社会人として生きていく上で、最良の判断だったのだ。それも解っている。
解っているから悲しいし、壊れてしまった。
本当に壊れてしまったじゃないか。この歳にして、この壊れ方は存外キツいものがある。
もう戻れない。僕の為に誰が何をしてくれるって?
自分がどれだけ最低なことをしたとしても、僕みたいな欠陥品相手ならノーカンだと思えた方が、きっとあの子も気楽だろう。既にそうしているかもな。
自分自身を諦める、それはとても辛いこと。
もう必要とされない、人のふりをした塵なんだと、思いたくなくても思ってしまう。これは呪いだ。
周りにまだ友達でいてくれる人は何人も居るし、彼らが僕の為に何か言ってくれるなら、それは否定したくない。
それはそれとして、僕はどうしようもない塵なのだ。捨てられて、選ばれない存在なのだ。
人間誰しもが僕を捨てるわけではない。拾ってくれる人も居る。
それでも、君には何度も捨てられ、選ばれなかった。それがどんな意味を持つか、味わってもらいたい。
塵だけど生きている。夢を見る。
早く帰りたい。自分でいられる場所に帰りたい。何度もそう願うけど、まだ帰れない。
自分で器を捨てないと意味が無いのか。
でも死ぬのは嫌だ。僕が僕を捨てきるのには時間が掛かる。
きっと諦めきれない。奇跡なんて起きないのに、まだ諦めきれない。
心は壊れてしまったけど、生きてはいる。それが厄介だ。
どうやって死んでいけばいい。塵にはそのやり方も解らないようだ。
高校生の頃に、いつもと同じノリで「仲良くなった友達を基にキャラを作って、冒険活劇でも書いてみよう!」と思った。
大体、キャラの絵を描いてみたのが、高一の夏休みくらい。
そして、好きなゲームも一致していたのでこれしかないと思い、そのゲームにちなんだ名前を付けて、物語を書き始めた。
正直、その友達らのことは好きではあったが、どんな人間かをよく知っていたわけではない。
だから八割くらいは自分の想像で補った。外見は十割、自分の想像だ。
それでも散見する人間性を捉えて物語に反映させるのが得意だ、と自分を信じていた僕はとにかく書いてみれば解ると言わんばかりに、せっせと物語を書き進めていった。
途中までは順調だった。大学生になる頃に、少し躓いた。
社会人になってからは大いに躓いて、病んで、関係性もどんどん変わっていった。
病んだ心そのままで書くと物語が紛い物になってしまうことを恐れて、書かない年数が増えてきた。
書いても後で読み直して削除、加筆、そして数ヶ月後にまた削除、といったことを繰り返し、そこで無駄になった時間は数十時間に上るだろう。
そうこうしている間に、自分も変わった。友達も変わった。
今となっては、残っている人間関係など無い。皆、居なくなった。
僕だけが変わらずに残っている、そういうことではない。僕も変わったけど、一緒に居ることは叶わなかった。
その所為で、僕は完全に壊れてしまった。人に期待した自分が愚かだと、これほど痛感したことはない。
それでもまだ書き続けた。これを書き上げなければ、死ねない気がずっとしていた。
誰が読んでくれるわけでもない。強いて言えば自分。自分のために書き続けた。
友達にも読んでほしい、感想を聞かせてほしい。
数年前ならそれも容易だった。書き始めた頃は、もっと素直に聞けた。
今は何もかもが遠い。
実に二十年近く掛けて、物語は一応の完成を迎えた。
その二十年の間、何もできていない日々がちらほらある。数年は確実に損をしている。
でも、全くの無駄ではない。僕にとっては大事な軌跡であってほしい。
これを書き上げれば、きっと何かが見えてくる。変われる。自分の中で完結するものがある。
そう信じて、特にこの三年、四年は凄まじい勢いで書き続けたと思う。
ちょうど最愛の友人を喪失しかけていた年数だ。正気でいられるのは書いている間だけなのかもしれなかった。
まぁ書き上げたと言っても、まだ骨組みを作れたに過ぎない。
ここから肉付けの作業に入る。足りない説明とか、単語の統一とか、そういった細かい部分を修正していきたい。
それが終わったら、本当に完結。物語は次の舞台へ。
幼馴染みメンバー以外でこんなに動かしたくなる人物が居るのか、と自分が不思議でならない。
二十年も経って、この物語のキャラは僕の想像していたものより、ずっと良い子達に育ってくれた。感慨深い。
だから愛着が湧いてしまって、別の話を書く時も必ず使ってしまう。
それでもいいか。僕はプロではない。自分の望むものを自分で綴りたいだけ。
だから完結して清々しい一方、まだ書き足りない部分とか、最後の最後に仕方ないから幸せな終わりにしてあげようとか、いろんなことを考えている。
時が経てば何かが失われる。生きている限り、悲しいし苦しいことも続く。それで物語が終わってしまうのは、とてつもなく現実的で、だからこそ痛々しい。
だけど、そこに少しの救いをもたらしてあげたくなった。珍しく、ハッピーエンドへの道筋を示そうと思えたのだ。
そうなるくらいには、この子達のことが気に入っている。
二十年も書いていると、書いていることこそが当たり前になって、完結なんてできないかもしれないと思ったこともある。
喪失感に耐えられなくて、終わりにするのが嫌になるんじゃないかって。
それは僕が現世でやり残したこととなって、死ぬことができないんじゃないかって。
だが、ここまで来たらしっかり終わらせてあげなければと思えて、突っ走った。脇目も振らずに突っ走った。
お蔭で偏りはあるものの、伝えたいことは何となく解るような気がする。粗削りな文章が二十年前とそんなに変わらなくて、顔から火を噴くこともあるけれど。
書いていなければ自分に価値は無いと思っていた学生時代から、書いていようがいなかろうが価値が無いと思い知らされた社会人時代を経て、今はその頃の思いを一気に思い出せた気分。
あれだけ苦労して手に入れた絆も宝物も、人間の本能や感情に左右され、失ってしまった。
二十年掛けて馬鹿をやり通した、そういう気分だ。
物語の中ではそうじゃない。二十年を通して、あの子達は成長し、歩き出した。僕が衰えたのは肉体だけで、感性や筆力までは落ちていないと裏付けてくれるかのよう。
誰の為でもなく、自分の為だけ。プロではなく、アマの中でも棒にも箸にも引っ掛からない存在だが、満足感と充足感には溢れている。
誰かにこれを読んでもらいたいとも思う。でも、批判や批評に耐えられるかな?
僕が生きた証のようだ。そりゃ大事にし過ぎて、どこにも出せないね。勿体ない。でも、解ってほしい。
物語は一旦の区切りを見せても、続いていくものだ。だから尊くて、ちょっと寂しくなる。
この子達も、現代に産まれていたら、こんなふうには生きられなかった。あの世界で、あの宿命を背負ったからこそ、こういう終わり方になったんだと、自分でも納得している。
それが僕にとっては不思議だ。僕もあの世界に生きていたなら、今とは全く違う考え方をしていただろう。
それは周りの人も同じ。この環境、この立場だからこそ、生き方が変わっていく。
僕は早くあの世界に帰りたい。こんな世界に来なければ、こういった失い方をせずに済んだかもしれないと、いつも悲しくなってしまう。
心は常に続きを書きたいと、逸っていた。
やっと最後を見通せるようになって、久しぶりに友達と話したくなった。
それもやっぱり僕の都合で、向こうは社会人として忙しくしているのだから、もう僕の言葉が届くことはないのだろう。
そんな果敢ないものを後生大事にしようとしていたなんて、自分はつくづく現代向きの人間ではない。
早く終わりにしたい。死ぬのが怖い。でも、死ななければまたこの前のように失うんだろう。
肉付け作業を終えて、書きたいことも書ききったら、やっと死ねるようになるのか。
僕の夢の続きは、僕にしか見えない。それでもいいよ。ここで失い続けるよりは。
順調に調子は悪くなっていく。
呪詛の反動か、それとも元からの気質と病気の所為か、日に日に死を思う時間が増えていく。
それでも日常生活に支障をきたしてはならないと、短時間の仕事にも出て、家族との会話もして、友達と約束をして、日々を凌いでいる。
いつまでその誤魔化しが続けられる?
本当は歩みを止めたい。手元にあるもの全てを燃して、僕の生を終わりにしたい。
だけど、いざ死のうとした時に「生きたい」と願ってしまう瞬間が怖い。
本当は生きていたかった、忘れないで欲しかったと心から強く願う瞬間が訪れてしまったら、僕は生きている間も死ぬ間際にも、自分に嘘を吐いていたことになる。
嘘を吐いてまで生きて、嘘を吐いてまで死んで、誰にも何も残せないなんて、虚しいな。
不可視の仲間は言った、あの子も辛い思いをしているのだと。
彼らは僕の居る次元とは別を行き来して、人の心情にも踏み入ることが多い。それらの情報は僕の手元には持って帰れないけど、あの子達が言葉の膜を通さずに取得できる確かな情報だと、僕は信じている。
曰く、あの子が今まで語ってきた言葉に嘘は無い。ちゃんと僕のことを見て、時には逃げ出して、それでも僕との関係を終えることができなかったのには、彼なりの理由がある。
曰く、今こうなって辛いのは僕だけではない。あの子自身も人からの信頼を失い、自身の価値観を覆され、戸惑いと失意の中で懸命に生きている。
僕に話したいことも微かながらあるかもしれない。だけど、軽々しくできない仲になってしまった。情けないと思う。でも、自分で選んだことだから、投げ出せない。
曰く、僕との関係を完全に断ちたいわけではない。そりゃできるなら話せたらいいけど、話せない。今はとにかく近付けない。近付かれるのも困る。それぐらい微妙な均衡の上に、あの子とあの子の大事な人間が立っている。
僕はいつかあの子に「全て捨てて行方をくらませても許してやる」なんて、偉そうに言い放った。
でも、僕のことは忘れてほしくなかった。僕にだけは居場所を教えてほしかった。どうせ教えてくれないだろうけど、もしかしたらって。
頑張り過ぎだと思ったんだ。不慣れなことして、初めての体験に脳が浮かれて、押し寄せる日々の生活と重圧で息をつくのもやっとなんじゃないかって。
きっとすごく頑張るだろうけど、そのうちふと居なくなってしまう気がした。
あの子には死んでほしくないと思った。すぐに駆け付けられる距離じゃないから、せめて死ぬ前にこっちに挨拶に来いと思ったんだ。
その時に全力で止めようと。全力で話そうと。
僕には君が必要なんだと、誰が君の傍に居ようと関係なく君を愛していると、何度でも伝えてきたから、また伝えようと思ったんだ。
本当にあの子が少しでも僕のことを思っているのなら、そんな期待をまだ持ってしまう。
どうしてこんなに辛いのか解ったよ。僕は信じたいんだ。君とまた話せる時を。
今までのこと全てが、どうせあの子が自分には関係ないからと好き勝手言っているんじゃないかと思えて辛かった。
たかだかちょっとの付き合いの人間を優先して、そこに届きもしない僕を顧みてくれないのが辛かった。
どうせ人間は外見で側に置く者を決めるから、君の隣に僕が並ぶことは有り得ないんだけど、それでも少しは許してほしかった。
あの子が今まで僕にしてくれたこと全て、今の人間と至る為の予行演習にされたみたいで、大事なものとしての格差がついていくことが辛くて、それを否定しきれないほど情けない行動ばかりの君が嫌いで、学ばないとこも嫌で、良い子ぶって八方美人なとこも嫌いで、だから呪詛で以て報いを受けさせようと思った。
君が僕に額づいてまで謝ることなど有り得ないから、そこまで僕に対して悪いなんて思っても会いにくることもないだろうから、そこまでの価値なんて今もこれからも無いのなら、こっちも実力で無理にでも歩む先を捻じ曲げてやろうと思った。
そこまでしても、昔からの積み重ねを否定しきれない。本当は否定したくない。
あの子にとって、僕が何某かの代替品だった時なんて無いと思いたい。他の人間と比べてとか、関係性なんかを越えて、ちゃんと繋がりがあったと信じさせてほしい。
僕があの子にしたことは褒められないことばかりだ。他の人間と交わってさえいれば回避できたものを、二十年も縛り付けていた。
けど、その呪縛もあの子が望んで傍に居てくれたなら、僕の心も救われようというものだ。
そこが一番期待できない。信用できない。でも、信じたいというジレンマで胸が痛む。身体の調子が可笑しくなる。心に罅が入って二度と元に戻らない。
もうすぐ君と会った時間分だけ掛けてきた物語が完結する。
それを是非読んでほしいけど、ここでまた連絡したらこじれると思う。
僕が死ねば、君は君の大事な人に許されるのか?
僕が死ぬ時は幼馴染みか誰ぞに物語を託して、それを死後にでも渡すことは許されるだろうか?
本当に、こんな分かたれ方を経験するくらいなら、さっさと死んでおけば良かったよ。
何度も思ったよ。あの幸せだと感じた頃に死んでおけば、この十年何度も感じて考えていたんだよ。
あの子にとっては大したことな時間でも、僕にとっては幼馴染みと過ごした時間並みに大事だったんだよ。
だからこんなに傷付いた。こんなに悲しくなった。死にたいと思うのは逃げたいからなのか、贖罪からなのか、解らないけど。
僕が家族を持っているのはこの上ない幸福だ。
でも、こんな人間の成り損ないと一緒だなんて、彼には悪いことをした。
もっと早く決心がつけば、もっと速やかに自分にとどめを刺せれば、無駄な悲哀を周りに撒き散らすこともなかったのに。
これだけ苦しんで痛んで辛いのに、君だって辛いんだよって聞かされたら、そうなのかなって思ってしまう。
だったら君と話せるようになる時まで、僕はもう少し生きておくかって。
君の話を聞いて、君にぐいぐい物を言えるのは、僕しか居ないんだから。そう信じてしまったから。
何でこんなにあの子の為に動こうとするのかなんて、解らないよ。ともだちだからかな。あの子のお蔭で生きてこれた部分が大きいからかな。
半年経っても何も終わらないし変わらない。傷ばかり深まって、もう治らないんだって解って、じくじく痛む度に呪詛が深まる。
死にたいのに、死ぬのが怖いんだ。こんなに頑張っていろんなものを手に入れて築いてきたのに。
まぁ築いた先でいとも容易く奪われてしまったから、死にたくなったんだけどさ。
他にも手に入れて大事にしたいものが、いっぱいあるんだよ。それらにまで期待できなくなって、信じられなくなって、そんな辛さが君に解るか。無茶苦茶言っているな。
全部あの子の所為にしたい。思いっきり引っ叩いてやりたい。それでも僕は君の味方でありたいと思う心がある。呪ったくせにな。それとこれとは別だよ。
要らない人なのが僕なんだって解っても、期待も信頼も捨てきれない。
だから余計に苦しんで、辛くなる。諦め方が解らない、失い方も解らない。
どうせ君に届かないなら、誰かに渡しておきたい。こういう存在が無様にも人に期待する
様を、誰かに憶えておいてほしい。
ただの狂人紛いの戯言だ。あの子の目に留まればいいけど、きっと最後まで読んでくれないだろうね。
話したら解ることがたくさんあるのに。
君が誰と居るか、何を背負っているかは知っている。けど、どうでもいいよ。
話がしたい。君の助けになりたい。望むなら君を殺せる者で在りたい。
僕はどうせ捨てられるだけなんだから、君に期待されたこともないんだから、好きにやらせてもらう。
どうしてこんなに言葉が溢れてくるんだろう。壊れてしまったから、抑えが効かないのかな。
本当に辛いんだったら逃げてもいい。周りの人間は君への評価を改めるだろうが、僕の中の評価は変わらない。
どうしようもない奴だが、そいつに僕は助けられた。救われた。居場所を作ってもらった。その恩を返したい。じゃあ呪うなよって、言われそうだな。
僕を居場所として必要とし、守ってくれ。忘れないでほしいな。
どんな関係が増えようと、どこに行こうと、あの子との繋がりがあったなら、怖いものなんて無いままいられたのに。
君にとってそんな存在になれなくて、すまなかった。
装うことにも、何もないように振る舞うことにも、疲れただけ。
何を得ても失うだけだと知り、何を語り掛けても所詮は予行演習でしかないと解り、心は大層傷付いた。
人間皆がその傾向にあるのだと思うようになった。
恋愛して結婚して子ども産んで、人間の大役を果たす為に彼らは友情より恋愛を優先するのだ、と。
でも、そうじゃなくて、ただ単に僕が使い捨てられるだけの存在だったのだと、裏付けが取れたのだと気が付いた。
人間様が寂しくならないようにする、次のより良い相手を見つけるまでの時間稼ぎ、それが僕の存在意義なのだと、気が付いた。
恋愛して結婚したって、ちゃんと友達付き合いを保てている人は、僕が知らないだけできっと世界のどこにでも居るだろう。
勿論、伴侶を大事にして、家族が第一だという人間だって居るだろう。
そういったいろんな種類の人間にとって、棒にも箸にも引っ掛からず、使い捨てがいいとこ、喚き始めたら一気に捨てに行く、そういう存在が自分なのだと思い出した。
ここ数年は自信が無いながらも、自分の存在に少しは肯定的で在ろうとした。
それは人間を信じる為の要にしていた存在によって、脆くも崩れ去った。
相手にも事情はある、けど、君を今まで信じてきた僕にはとても受け入れ難い。
お前は自分にできないことを、僕に言い続けてきたのか。自分の時は我が身可愛さの余りに、誤魔化して、上手くやったつもりになって、自己同一性を保とうとしているのか。
誰かの言うことを聞いて、誰もが匙を投げるような人間を傍において、そんなことができる優しい自分に酔っている?
たかだか数年の付き合いの人間に遠慮して、二十年に及ぶ関係を切ったのは、切る機会を探していたからか。その人間が大事だからか。
それらの事情が理解できていても、僕はやっぱり傷付いたままだ。
僕がどれだけ悲しんだかも知らないで、のうのうと生きて子どもを作って幸せになろうだなんて、虫が好すぎると思わないか?
その時、唐突に思い出した。十代の時に何度も感じたことを、やっと思い出した。
僕は常に何かの代替品だ。もっと良いものが手に入るまでの、もっと素敵な関係が作れるようになるまでの、その場凌ぎの存在でしかない。
そんな扱いをあの子にされるなんて、思いたくない。でも、現実ではなってしまった。
あの子にとっても、結局僕は。
きっとこんなことを日がな毎日考えている人間よりも、多少面倒があっても愛らしい人間を傍に置きたいと思うことは、間違いではない。誰だってそうする。
僕がこうなったのは自分の所為だ。だけど、君の所為もある。解っているだろう。
ここでこうやって言葉を残して、何も残すことができない自分をせめて残して、こんなことが何になるんだろうな。
だからもっと早くに死んでおけば良かったんだ。
誰にとっても代替品だと解っていながら、自分にも良い関係が作れるだなどと、夢を見るからだ。
気が付いたら、とても疲れた。良い子でいようとか、迷惑掛けずにいようとか、そういった善行になるだろうものに、何の意味も感じられなかった。
まぁ、ずっと良い子だったわけじゃない。呪っているし。
こうして精神が半壊し、脳の破壊も済んだ後、たらたら垂れ流すのは血のようなもん。
それでも幸せになれると思い込んでいるのなら、それをいつでも破壊してやりたい。
相手の人間関係に恨みなんて無い。勝手にやれ。
あの子が、ここを大事にしてくれなかったことが、何より悔しい。馬鹿にしてんのか。
だから僕は何度でも呪うし、何度でも地獄に堕ちる。精神が今より良くなることなんて、けして無いだろう。
死ぬまであとどれくらい掛かるか解らない。
それなのにもう一度得たものが「自分は代替品だ」という意識だなんて、悲しいことだな。
いっそ僕は誰かに造られた機械か何かであればいい。造物主だけを盲目的に信じて、愛していけるではないか。
人間になんか生まれるんじゃなかった。自分だけのものなんて望むんじゃなかった。
今更言ってももう遅い。
取り繕うのを忘れたら、僕はもっと要らない人間になる。それでいいのかもしれない。
ひとりで死ぬのは怖い。死んでも周りの人間は僕を覚えていてくれないんだと解って、尚のこと怖い。
この先をどうやって生きていくなんて、考えるだけで無駄だった。
僕が辛いのに、誰も気にしないのが、普通だ。
もっと優しくしてくれよ。僕は周りに優しくしているのに。本当にそうだろうか。
人に望み始めたら際限が無いし、もっと傷付くことになる。
自分が満たされずとも他者に優しくできるだけの人間になるには、もっと心を喪うしかない。
もう壊れる部分なんて残っていない。だから疲れた。何も要らない。どうせ捨てられる。
そういえば、夢の中で電話がかかってきていた。
これがもし現実になったら、少しは精神も上向きになるのかなぁ。
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