ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
それがどんなにか辛い選択であるかを、僕は知っている。たぶん君も知っている。
口では軽々しく自分のことを貶してみても、本音ではまだ期待を持ちたいというのは当たり前だ。
自分に完全に失望してしまったら、その自意識を抱えて生きていくのは難しいから。
生きていくには多少の誤魔化しも必要だし、何でもかんでも真正面から見据えていたら、事実の重さにやっぱり生きていけなくなるから。
半年続いた責め苦と呪詛は、きっともうすぐ終わる。
さすがに疲れた。どれほどの密度と濃度で果たしたかは、自分でも計り知れない。
その重さで僕自身もまいってしまったが、そうなることは解って実行したつもりだ。
その極めつけが思い出すこと、即ち自分に価値は無く、不当な扱いを受けても仕方ない程の欠陥品だということ。
そもそもが上等な扱いを受けるに値しないし、相手も他に良いものを見つけたらそっちに行くのは当たり前なわけで、そこに少しでも「ぼくのことを見て必要としてくれる」と希望を持ってしまったのが間違いだった。
世の中の全てにその真理が当て嵌まることは、絶対に無い。
皆、誰かしらに良かれ悪しかれ必要とされ、自意識を保つために誇りを懸けて、或いは堕落してしまった後で、何某かの奇跡と対峙できる瞬間があると思う。
僕にもきっとある。それとも、もう味わった後で、これからは失っていく一方だろうか。
最初は凄く怒っていた。何でこんな仕打ちを受けねばならないのかと、お前がしっかりしていればこんなことにはならないと、とても怒っていた。
だけど、ある時、ふと思い出した。僕にはそうしてもらうだけの価値が無いことを。
だから今までさんざん覚悟を問うようなことをしても、良き回答など得られたことがない。向き合ってもらった試しがない。
それを他の人間に対しては行った、それが何よりも許せなかった。
でも、そこだって、僕に対しての気持ちや覚悟は持てず、責任も果たす気が無ければ、他の人間に対しては動けるなんて当たり前の話だ。
要は僕が選ばれなかっただけ。尤もらしいことを言われたけど、僕を選びたくなかったという単純な事実を、聞こえのいい言葉や誤魔化す態度で巧妙に隠していただけだ。
それが自分が悪者にならないためか、僕に悪いと思ったからか、もう解らないけど。
そんなことを十年は続けていた。僕は真剣だったし、必死だったけど、相手はそうじゃなかった。
見せてほしかった必死さや覚悟は、他の人間には見せられるようだ。
僕は選んでもらえなかった。また捨てられてしまった。
世間から見ればこの選択は正常な判断だ。友人と伴侶を天秤にかけて、しかもその友人が気狂いとあらば捨てるは道理。
そこで如何に積み重ねられたものがあろうとも、築けたものがあろうとも、性欲と愛欲には敵いはしないのだ。何故なら、彼らは人間だから。
人として、真っ当な社会人として生きていく上で、最良の判断だったのだ。それも解っている。
解っているから悲しいし、壊れてしまった。
本当に壊れてしまったじゃないか。この歳にして、この壊れ方は存外キツいものがある。
もう戻れない。僕の為に誰が何をしてくれるって?
自分がどれだけ最低なことをしたとしても、僕みたいな欠陥品相手ならノーカンだと思えた方が、きっとあの子も気楽だろう。既にそうしているかもな。
自分自身を諦める、それはとても辛いこと。
もう必要とされない、人のふりをした塵なんだと、思いたくなくても思ってしまう。これは呪いだ。
周りにまだ友達でいてくれる人は何人も居るし、彼らが僕の為に何か言ってくれるなら、それは否定したくない。
それはそれとして、僕はどうしようもない塵なのだ。捨てられて、選ばれない存在なのだ。
人間誰しもが僕を捨てるわけではない。拾ってくれる人も居る。
それでも、君には何度も捨てられ、選ばれなかった。それがどんな意味を持つか、味わってもらいたい。
塵だけど生きている。夢を見る。
早く帰りたい。自分でいられる場所に帰りたい。何度もそう願うけど、まだ帰れない。
自分で器を捨てないと意味が無いのか。
でも死ぬのは嫌だ。僕が僕を捨てきるのには時間が掛かる。
きっと諦めきれない。奇跡なんて起きないのに、まだ諦めきれない。
心は壊れてしまったけど、生きてはいる。それが厄介だ。
どうやって死んでいけばいい。塵にはそのやり方も解らないようだ。
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