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ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録

 高校生の頃に、いつもと同じノリで「仲良くなった友達を基にキャラを作って、冒険活劇でも書いてみよう!」と思った。
 大体、キャラの絵を描いてみたのが、高一の夏休みくらい。
 そして、好きなゲームも一致していたのでこれしかないと思い、そのゲームにちなんだ名前を付けて、物語を書き始めた。

 正直、その友達らのことは好きではあったが、どんな人間かをよく知っていたわけではない。
 だから八割くらいは自分の想像で補った。外見は十割、自分の想像だ。
 それでも散見する人間性を捉えて物語に反映させるのが得意だ、と自分を信じていた僕はとにかく書いてみれば解ると言わんばかりに、せっせと物語を書き進めていった。

 途中までは順調だった。大学生になる頃に、少し躓いた。
 社会人になってからは大いに躓いて、病んで、関係性もどんどん変わっていった。
 病んだ心そのままで書くと物語が紛い物になってしまうことを恐れて、書かない年数が増えてきた。
 書いても後で読み直して削除、加筆、そして数ヶ月後にまた削除、といったことを繰り返し、そこで無駄になった時間は数十時間に上るだろう。

 そうこうしている間に、自分も変わった。友達も変わった。
 今となっては、残っている人間関係など無い。皆、居なくなった。
 僕だけが変わらずに残っている、そういうことではない。僕も変わったけど、一緒に居ることは叶わなかった。
 その所為で、僕は完全に壊れてしまった。人に期待した自分が愚かだと、これほど痛感したことはない。
 それでもまだ書き続けた。これを書き上げなければ、死ねない気がずっとしていた。

 誰が読んでくれるわけでもない。強いて言えば自分。自分のために書き続けた。
 友達にも読んでほしい、感想を聞かせてほしい。
 数年前ならそれも容易だった。書き始めた頃は、もっと素直に聞けた。
 今は何もかもが遠い。
 実に二十年近く掛けて、物語は一応の完成を迎えた。

 その二十年の間、何もできていない日々がちらほらある。数年は確実に損をしている。
 でも、全くの無駄ではない。僕にとっては大事な軌跡であってほしい。
 これを書き上げれば、きっと何かが見えてくる。変われる。自分の中で完結するものがある。
 そう信じて、特にこの三年、四年は凄まじい勢いで書き続けたと思う。
 ちょうど最愛の友人を喪失しかけていた年数だ。正気でいられるのは書いている間だけなのかもしれなかった。

 まぁ書き上げたと言っても、まだ骨組みを作れたに過ぎない。
 ここから肉付けの作業に入る。足りない説明とか、単語の統一とか、そういった細かい部分を修正していきたい。
 それが終わったら、本当に完結。物語は次の舞台へ。

 幼馴染みメンバー以外でこんなに動かしたくなる人物が居るのか、と自分が不思議でならない。
 二十年も経って、この物語のキャラは僕の想像していたものより、ずっと良い子達に育ってくれた。感慨深い。
 だから愛着が湧いてしまって、別の話を書く時も必ず使ってしまう。
 それでもいいか。僕はプロではない。自分の望むものを自分で綴りたいだけ。

 だから完結して清々しい一方、まだ書き足りない部分とか、最後の最後に仕方ないから幸せな終わりにしてあげようとか、いろんなことを考えている。
 時が経てば何かが失われる。生きている限り、悲しいし苦しいことも続く。それで物語が終わってしまうのは、とてつもなく現実的で、だからこそ痛々しい。
 だけど、そこに少しの救いをもたらしてあげたくなった。珍しく、ハッピーエンドへの道筋を示そうと思えたのだ。
 そうなるくらいには、この子達のことが気に入っている。

 二十年も書いていると、書いていることこそが当たり前になって、完結なんてできないかもしれないと思ったこともある。
 喪失感に耐えられなくて、終わりにするのが嫌になるんじゃないかって。
 それは僕が現世でやり残したこととなって、死ぬことができないんじゃないかって。
 だが、ここまで来たらしっかり終わらせてあげなければと思えて、突っ走った。脇目も振らずに突っ走った。
 お蔭で偏りはあるものの、伝えたいことは何となく解るような気がする。粗削りな文章が二十年前とそんなに変わらなくて、顔から火を噴くこともあるけれど。

 書いていなければ自分に価値は無いと思っていた学生時代から、書いていようがいなかろうが価値が無いと思い知らされた社会人時代を経て、今はその頃の思いを一気に思い出せた気分。
 あれだけ苦労して手に入れた絆も宝物も、人間の本能や感情に左右され、失ってしまった。
 二十年掛けて馬鹿をやり通した、そういう気分だ。
 物語の中ではそうじゃない。二十年を通して、あの子達は成長し、歩き出した。僕が衰えたのは肉体だけで、感性や筆力までは落ちていないと裏付けてくれるかのよう。

 誰の為でもなく、自分の為だけ。プロではなく、アマの中でも棒にも箸にも引っ掛からない存在だが、満足感と充足感には溢れている。
 誰かにこれを読んでもらいたいとも思う。でも、批判や批評に耐えられるかな?
 僕が生きた証のようだ。そりゃ大事にし過ぎて、どこにも出せないね。勿体ない。でも、解ってほしい。

 物語は一旦の区切りを見せても、続いていくものだ。だから尊くて、ちょっと寂しくなる。
 この子達も、現代に産まれていたら、こんなふうには生きられなかった。あの世界で、あの宿命を背負ったからこそ、こういう終わり方になったんだと、自分でも納得している。
 それが僕にとっては不思議だ。僕もあの世界に生きていたなら、今とは全く違う考え方をしていただろう。
 それは周りの人も同じ。この環境、この立場だからこそ、生き方が変わっていく。
 僕は早くあの世界に帰りたい。こんな世界に来なければ、こういった失い方をせずに済んだかもしれないと、いつも悲しくなってしまう。

 心は常に続きを書きたいと、逸っていた。
 やっと最後を見通せるようになって、久しぶりに友達と話したくなった。
 それもやっぱり僕の都合で、向こうは社会人として忙しくしているのだから、もう僕の言葉が届くことはないのだろう。
 そんな果敢ないものを後生大事にしようとしていたなんて、自分はつくづく現代向きの人間ではない。
 早く終わりにしたい。死ぬのが怖い。でも、死ななければまたこの前のように失うんだろう。

 肉付け作業を終えて、書きたいことも書ききったら、やっと死ねるようになるのか。
 僕の夢の続きは、僕にしか見えない。それでもいいよ。ここで失い続けるよりは。

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