忍者ブログ
ふらみいの、とうかの、言葉吐しと成長録
ちょうど以前の満月の時か、こんな時間に外に出て、ゆっくりと小さな丘を目指した。
驚くべきことに、こんな時間の、こんな時期でも人は歩いているものだ。殆どがじいさまだったけど。
自分一人しか歩いてないと思っていたから、道行く先に人影を見つけては、構えた。向こうもかなり驚いたとは思うがね。

以前の日記より三ヶ月しか経っていなかった。
それでも状況は激変したと自ら捉える。
僕は均衡を保てなくなった。もとより危険であったが、それはより顕著になり、言葉の半分以上が虚ろなものだ。
心の問題について、人に話せなくなった。どうせこの人も離れていく、理解しようとしてくれないと思うと、口から次いで出ていくのは上滑りというか、意味のない単語ばかりになった。

僕の状態が悪化しようとも、その心根に何が潜み腐っていこうとも、周りの関心を引くことはない。
それが正しい反応だ。人間が生きていく為に必要なものなんだ。抱えられる荷物の質と量は決まっている。

だけど、それでは僕が納得しなかった。わたしは諦めるしかなかった。
不安定になり、言葉と思考は尖り、孤独感は増し、己の不甲斐なさに呆れ、奥底にあった独占欲の復活に頭痛がする。
僕もまた、いつかの姉さんのように諦めるのか。その方が楽だし、生きていけるから。
どうやって生きていたいのか、今となっては夢にすら出てこない。

友人のネット付き合いに伴い、稀薄になった現実の関係を嘆いて、傷付いて、とうとう自分から話しかけるのをやめてしまった。
元からあまり人の話を聞かないひとだったけど、それにしたって対応が酷い。
そのくせ、ネット先での関係には注意して、楽しげにしている。
今まで辛かったのだから、好きなことを優先したらいい。
だけど、現実に友人を支えてきたものを、彼女は忘れていったのだろうか。
そのなかに僕が居ないことは明白だ。やりきれないな。

大事なひとに大事なものができて、それを喜ぶ反面、昔から気にしていたこと、許せなかったことが溢れてしまった。
もうその大事なひとに近付くことすら、痛く、怖いのだ。これまで幾度となく話を聞いてもらい、助けてもらって、今度は此方の番だと思っていたというのに。
昔から、恋とやら、僕から大事なものを奪っていくんだ。だから嫌い、虫唾が走る。
優先されるべきは恋人という風潮で、それまであった友愛や親愛の情は恋慕以下と捉えられるが、世の習いだ。
では、今までの経験は全て、恋人とやらができるまでの予行演習だったとでも?
そんな人間関係の踏み台になる価値があったとは、自分に驚きだ!

怒りが治まらず、かといって誰かに話すこともできない。
伴侶からは「もっと強くなってほしい」と言われてしまった。そういう問題に捉えているのか。
強くなるとはどういうことだ、物事に鈍感になればいいのか?

僕は自分のことを理解してほしくて、言葉を尽くして語っていた。
聞いてくれる人は居たし、そのお蔭で築けた関係も少なからずあったろう。
だけど、満たされない。満たされずに来た。

生死を懸けて冒険すれば、本当の仲間はつくれると思っていた。
平穏の上の友情は瓦解しやすく、ともすれば虚構になるのだから、お互いの心理を追い詰め、本音を出さなければ信用できないと思っていた。

十年前と比べて、僕のチカラは弱くなったと感じている。
姉さんが居ない影響か、薬の影響か、守護者たちは相変わらず居てくれるけど、自分が解らなくなる時がある。
人間とも繋がれず、守護者とも離れてしまったら、僕は何処に行くべきなのだ。

帰りたいと思う。
自分の帰るべき場所は、ずっと前から解っている。
皆、裏切る。捨てゆく。忘れて、去った。
恋人とやら、僕を殺しにくればいい。割礼でも施せば、少しは気も紛れるだろう。
ネットで繋がるのは、手軽で安心か。かつて、僕らもそうだった。ネットから繋がったものだが、正面からぶつかれないのなら、姿の見えない隣人に過ぎないな。

愚かなのは僕だ。けど、そうさせたのはおまえ達だと、責めたい。
こんなにも壊れたのは僕の責任だが、キッカケはおまえ達なのだと、責めたい。

いつでも向き合うつもりでいたけれど、僕の言葉は強すぎた。いつも相手が居なくなる。
そも向き合うことを必要とされていない。付かず離れずの曖昧な関係を、皆は好むようだった。
たかが恋人、家族に心の居場所まで取られた気がした。その重要性が解らないのは、僕がイカれているから。

ひとが幸福になることに邪魔になるのなら、殺されて然るべきだ。
それすら、ひとは与えてくれない。自分達の手は汚したくないのだ。
なにひとつ、以前のままではいられない。そんなことは解っていた筈だ。
離れゆくものを思うと、自分を破壊しなければ気が済まない。
もう行き場のない気持ちは、ひとや自らを呪う以外に消しようがなくなってきた。

耐えてきた。今まで同じようなことがあっても、耐えてきたんだ。
だが、今回は違う。支えが無いんだ。少なくても存在していた支えがひとつひとつ離れて、最後の支えすらも失ったような、そんな寂しさなんだ。
人間は忘れてしまう。忘れるから生きていけるらしい。
僕は忘れられてしまう。忘れるから会えるのかもしれない。

すごく怒っている。同時に傷付いて、悲しくなった。
自分がどれだけ周りに依存していたか。
その周りの為に何かしたくても、気持ちが邪魔をする。自分の感情を優先してしまう。
友だち甲斐が無いよなぁ。こんなことでは、失うばかりだ。

しかし、自分を矯正するのも疲れた。
踏みにじられたものを元に戻すのは、気力が要る。たとえ、自分の仕業であっても。
もう消えたいのだ。
或いは、この器さえ動いていればいいというのなら、僕自身はもう眠らせておくれ。
姉さんみたいに、違う人格を宿せたらいいのにな。皆と距離を取り、不必要な接触はしない、伴侶を支えるだけの肉塊だ。

僕の物語が終わる時は、まだか。
自分で終わらせるのなら、その一時が重要になってくるぞ。
疲れたな。疲れたよ。何でこんなに苦しんでいるのだろう。
ひとの中の順位、気持ちの範囲、そんなものを常に占有したいだなんて、馬鹿だなぁ。最も忌み嫌われる。これが誰の中にある欲求だとしても、向き合うことは稀だ。

自由にはなれそうにない。
誰もが忘れてしまっただろう景色を、僕ひとりが憶えている。
夜に歩いたことも、夕焼けに家路を目指したことも、みんなは忘れているだろう。
その景色を上書きできる程の存在に逢っただろう。
人間の営みの中に紛れこめなかった自分が悪いのだ。

認めるしかあるまい。ここでさよならだということ。
書き終わるまでは。自分が保てるうちは。
苦しいので、誰かに話したい。上手く話せない。
もう聞けるひとなど居ないんだ。
幼馴染みメンバーの一人から、「愛されずとも、誰かを愛することはできるだろう」と言われた。
僕にはそんな高尚なこと、できそうにないよ。
みんな居なくなる。居なくなった。他の人間が、感情が奪っていった。違う、幸せになりに行ったのだ。

僕の幸せは、帰ること。
みんなが憶えていてくれること。
必要として、忘れずにいてくれることだ。
PR

大学時代の友人らの活躍、
ついったで知り合った方の活躍、
それらを見ていると、自分が何の成果も残していないことに気付かされて、生きる意味のようなものを見失う。

これは昔から傾向があったけれど、最近は特に酷くなった。
他者を妬んでいるわけではない。友人の成功は素直に喜ばしく、凄いことだと思えた。
だが、自分はどうだ。心の状態に振り回され、仕事を辞め、教習も上手くいかず、毎日何も生み出せずに終えている。
そういう時があってもいい。それがずっと続くと辛くなるし、苦しくなる。

ならば、何か残せばいい。動けばいい。
何度もそう思ったが、わたしが動いて何を残せるのだ? と思ってしまうのだ。
これは逃避で、悪夢で、甘えなのだと自分に気付かせても、途方もない無力感が襲ってくる。
所詮は生まれてくる必要の無かった者が、どう足掻いたところで何を残せる筈もないと。
いずれは忘れ去られるのだから、固執する方が愚かなのだと。

わたしはこれまで自分にしか書けない物語を書いてきたり、歌ってきたりしたつもりだ。
けど、それは誰かに認められる手段でしかなかった。
じゃあ、書籍化されれば、音源が配信されれば、承認欲求は満たされるのか?
その為に捧げる時間を、本当に誇れるのか?

最近思い出すのは、小学生の時のことだ。
誰に読ませる予定が無くても、机に向かって書いていた。
自分より上手い人間はたくさん居る。絵も描いてみたけど、酷いものだ。
それでもわたしは楽しかった。時間も忘れて、ひたすら描き、表し、できたものを自分で読み直して満足したものだ。

その時のようになれないのは、繋がりが増えたからか?
誰に認めてもらいたいと思って、こんな悩みを繰り返しているのか、わたしにも解らない。
誰も彼もを知れる機会は嬉しいが、インターネットに囚われてわたしは随分と周りに依存し、固執してきた。
それは報いとなり、呪いとなり、わたしに結果をもたらすのだ。心が死ぬのか、器が崩れるのか、どちらが先かは解らないけど。

わたしは居なくても良かった。
生きていれば失うばかりだ。
友人たちにはどうか幸せになってほしい。
わたしが辛いのは、わたしを認められないからだ。
自分が居なくなると困るのは、わたし自身だというのに。
死ぬのは怖いが、生きることの方が怖い。

この時期はニコニコの生放送で毎日ホラーを流してくれるので、怖いもの見たさで観る分にはいいのだ。
コメントも多く、気の抜ける会話もあって、ちょっとほっこりしたりする。
一人でホラーを観るのだったら、洋画がいい。邦画は無理。
というヘタレ精神で、『メキシコ・オブ・デス』を観た。

オムニバス形式で、一話は十分くらい。
台詞は少なめ、演出はグロが強め、R18入るぐらいにはエロス、だけどグロめ。
食事の前後では観ない方がいい。気持ち悪くなると思われ。グロ耐性あっても。

ホラーというよりも、実話とか逸話を基にした話がごろごろしているという感じ。
内容は以下に。サイト参照致しました。

「いけにえの祭壇」若者の失踪事件を追う記者が見た衝撃のメキシコの実態
「ハラル・デ・ベリオ」傷付いた犯罪者二人が迷い込んだのは淫乱な魔女の棲む館だった
「排出」姉の膣から経血を取ってこいと悪魔に囁かれた少女の運命
「ささいなもの」キャンプ場で処女を襲う好色トロールの衝撃
「重要なのは中身」幼女が恐れる浮浪者の正体とは
「人形」謎の人形島のとある秘密とは
「7回の7倍までも」インディオの儀式により、死人を蘇らせる男。その目的は?
「死者の日」蘇る美女たちの地獄のショータイム

と、こんな感じです。

印象が強かったのは「ささいなもの」と「7回の7倍までも」かな。
というか、「ささいなもの」は女の子のヒス加減も相まって、結構観ているのがキツかった。
「精霊は”ささいなもの”を奪っていく」と言っていたけど、トロールは精霊なのか・・・・・・。
まぁ、綺麗なものだけが精霊ではないもんな、うん・・・・・・。

個人的に好きなのは「7回の7倍までも」と「死者の日」ですね。復讐劇が好き。
あとビジュアル的に死者の日のメイクが好きなんです。カラフルな骸骨ってなんかセクシー。
ベリオも結構好きです。あの魔女が好きなのかな。
ハニートラップにかかった男性を嘲笑うことなかれ。あんなん誰だって引っかかるわ。たぶん。

見応えはあるけど、グロいんですよね。
グロテスクというか、エロもあるけど吐瀉物とかね・・・・・・別方面でグロですね。
人に勧め難い映画であることは確か。




 
と、思うことにした。

会社を辞めることになり、先週遂にその時を迎えた。
まだできることはあったんじゃないか、
そもそも自分はまだ甘えているんじゃないか、
これ以上の迷惑を掛け続けるつもりか、
結果を出せなかったのなら引き際は間違えるな、
などなど、自問自答を繰り返した一ヶ月が過ぎて無事に終了。
制服を返したり、失業保険のこと調べたり、主人の扶養に入る準備をするものの、調子の良い時と悪い時がハッキリ分かれる。

恐らく次のストレスは教習なのである。
わたしはこっちでまだ結果を出せていない。
それどころか、友人の方が良い成績で先に卒業していったこともあって、余計にできなくなってきている。

わたしなんぞが免許を取れるわけないだろーにと、何度思ったことか。
それでも始めたのなら、期限ギリギリまでやってみようとしたのに、刹那の人間関係に挫折して、自分の価値を見失って、空白の期間が空いた。

周りからすれば、くだらないこと。
しかしわたしからすれば、大事なこと。
教習に行っても結果が出ない。何度も同じことの繰り返しだ。
終いには、効果測定ですら8回は落ちている。勉強すれど、内容が頭に入らない。そのうち文章の意味が解らなくなる。

会社というストレス源から離れて、自分を休ませる期間だ。
その間にできることはやっておきたくて、免許を習得しようと考えていた。
だのに、実際にやったらコレだ。ちっとも内容が頭に入らず、技能も同じことの繰り返しでもう空き時間が無い。

今は実家に居た時より、ずっと気楽だ。
主人とも話し合って、方向性を決めた。
免許も、取れなければ仕方ないと言ってくれたが、そこで失望はさせたくなかった。
だけど、受からない。覚えられない。技能もできない。

焦り、逸る気持ちが邪魔をしているのは解っている。
カウンセリングでも、今は集中力が落ちて人並みのことがやりにくいだけだと言われた。

どうしてわたしはそうなのだろう。
ゲームしたり、家事したり、教習行ったりして備えるんじゃ駄目なのか。
せめて結果が欲しい。ぼろぼろになったけど、会社も辞めざるを得なくなったけど、これだけはできたよって証にしたい。
けど、教習に行こうと思うと嫌になるのは、教官の態度の所為か?
ほんのちょっとしか会わないのに。

こんなに神経質では、生きていけないぞ。
何故今まで生きてこられたんだ。
ゲーム感覚で始めてみたらいいよ。
受かるまでやるんだ、当たって砕けて。

こちら、無事にクリアとなりました。
実は途中で投げ出すんじゃないかとヒヤヒヤしていたけど、そうでもなかった。
まぁ、投げたとしてもPS4で安い時に買ったものだから、あんまり損は感じなかったかもしれないが・・・・・・。

巷で噂になったのは、やはりヒロインとPにまつわる炎上騒動。
近年でも結構な規模で炎上していたように記憶している。友人もテイルズはずっとやっていたけれど、炎上騒動を聞いてからは手を出さなくなったとか。
その中身までは知らなかったので、試しに炎上騒動にまつわるページを片っ端から見ていった。
いやー酷い。テイルズファンの怒りもごもっとも。何がまずいかって、これが記念作品として出ているのがまずいだろう。
アビスの時だって、あのシナリオとキャラクターでさんざん物議を醸した筈なんだが、あんまり響いてなかったのかな。

そこまで悪評を聞いていながら何故プレイする気になったのかといえば、この後の作品であるベルセリアをいたく気に入っているからだ。
ベルセリアもそこまで期待しないで、安くなっていた時に買ったものだったけど、あれは主人公も仲間キャラも好きになれた。嫌いなキャラが居ないという、個人的に稀有なゲームだったのだ。
その未来の世界で起きたことがゼスティリアの話だというので、ベルセリアの世界がどんなふうに変化したのかを知りたくて始めたというのが、最大の理由。

あと、幼女が好きなので、エドナを使ってみたかった。その兄でもあるアイゼンも好きなキャラだしね。
主人公のスレイも、藤島さんの絵で見た時は「派手な格好の人だな」と思ったけど、アニメを見ると「ありだな」と感じた。耳につけているイヤーカフスが可愛い。おしゃれ。


クリアにかかった時間としては70時間ぐらいだろうか。
去年からずっと100時間越えて当たり前のゲームばかりやっていたから、物足りなかったな。
話は長引きそうだったのに、わりとあっさり終わった印象。そもそも物語の序盤が終わる頃にラスボスと顔合わせしているしね。
今回のラスボスは自分の手足となる者が少ない、というか印象薄いから、余計に一人しか居ないと感じて、ラスボスに辿り着くまでが短く感じたのかも。
一応、RPGらしきことをしているのに、中身のぎっしり詰まっている感じがしなかったのは残念。
試練の神殿を回ったり、戦争を止めたりしたのに、ドラマ性のあることやっているのに、何故か実感は薄い。何がいけないのだろう。

話は賛否両論あると思うけど、わたしは全ての要素を含めて、ありといえば、あり。
各設定やキャラの言動を考えるとツッコミどころあるんだけど、大筋はあれでいいんじゃないでしょうか。他に方法の取りようがない。

音楽は桜庭さんと、椎名豪さんのお二人。楽しませてもらいました。
というか、椎名さんはわたし初めて聴いたのだけど、ものごっつ好みだった。サントラ買おう。
ドラゴン戦といい、試練神殿の曲といい、心が躍ったよ。


戦闘に関しては、不満と諦めが半々だなー。
本当にカメラワークが悪い。敵の方に否応なしに向いていて、ちょっとしたタイミングで壁にめりこんだり、ぐるっと回って自分も敵も見えなくなる。
この弊害がシームレスバトルで引き起こされるものなら、無理してシームレスにしなくて良かったのに。どうせリザルト画面で一旦、場面を切り替えるのだから。
「シームレスにこだわった所為で、技が全体的にしょぼい」という意見をどこぞで聞いたけど、確かにしょぼい。ベルセリアやったから思うだけかもしれないけど。
秘奥義が出しづらい。これはわたしが下手なだけか。

とにかくカメラで最初はよく酔ったので、途中からエドナが加入したこともあって天族ばかり使ってたな。
今作は神依化という、天族と憑依合体して力を底上げする能力を使って戦うことが、戦闘の前提としてあるらしく、単一のキャラで敵を倒そうとすると苦労する。
倒せないことはないけど、相手が術者だったりすると、魔法連発されて簡単に倒れる。魔法を防ぐ為にも神依の使用は必須だった。
わたしはそれが嫌だったので、人間キャラをあまり使わず天族キャラ(主にエドナ、ミクリオ)を使うことにより、或る程度の戦闘時のカメラワークを固定し、敵の術者の術を止めることに奮戦した。後はスレイと脳筋なロゼがボコボコにすっから。

神依の何が嫌って、キャラが二人だけになるのが嫌なんだよなぁ・・・・・・。
今作の設定上、人数が限られてしまうのはしょうがないんだけど。それでもRPGでせっかく四人まででパーティ作れるのに、憑依合体して二人しか戦ってないって何だか味気ない。
・・・・・・まぁ敵に勝てない方がストレスだから、何度も使ったけども。


キャラクターに関して、特に炎上の種火となったヒロインについては、もう何も言うまい。
ただわたしは物語の進行が別段おかしいとは思わなかったな。いや、スレイが導師にさらっとなった理由とか、ロゼが従士にさらっとなった理由はよく解らなかったけど。
アリーシャのが断然ヒロインっぽいデザインだし、良い子なんだけど、末席とはいえ王女だからねぇ。国なんて関係ない導師についていくなら、王位を捨てなければならなかったろうさ。
王位を捨てずに従士になって、しかも序盤はスレイも導師として未熟だからその反動で身体に影響が出るとか、それは主神が早くに教えるべきだったろう・・・・・・。
そしたらアリーシャもスレイもさっぱり別の道に行けただろうに。

けど、アリーシャが離れても別の街でアリーシャの装備が売っているのを見ると、やっぱり何らかの理由でアリーシャは仲間から外されてしまったのでしょうね、Pの意向かな??
ロゼが悪いというか、無理にアリーシャを外したことによって、仲間の選択できる幅は狭まり、更にアリーシャをヒロインとして宣伝しておきながらスポット参戦なんて、あまりな扱いよ。そらーロゼにヘイトが集まるよ。

わたしはそんなにロゼは嫌いじゃないです。ヒロインぽくはないと思っていますが。
スレイとは仲良しきょうだいって感じだし、暗殺者であることをちゃんと受け止めているようには見えた、ような気がする。
ロゼの独善で暗殺がなされるのに穢れを生まないとかおかしい、という意見を見かけたけど、彼女は暗殺ギルドで仕事を請け負って、周辺を洗ってから、依頼者の依頼を果たすべく殺しているのだろ。「殺すのが仕事」というくらいだ。
仕事をすること、それを自分から進んでやっていることだったら内容がなんであれ、穢れを生むことはなさそうだ。
んまー攻略本には「善悪を超越した存在」とか書かれてしまったらしいので、善悪超越神ロゼなんて言われていたな。それはないだろ、殺しは罪だってこたー彼女も解っている。

実はゲームをプレイしてみると、サブイベやチャットなどでロゼが或る程度の認識を持っていることは解る。
それ以上に、周りがロゼを持ち上げすぎな節はある。なにかにつけて「さすがロゼ」って言うし。世間知らずか。いや、世間知らずだったな。
言葉で賞賛するしかないキャラって、大抵はファンから良く思われないよなぁ。Pの推しをゴリゴリ勧められているように感じられて、余計に良く思われないよなぁ。

しかし、これでデザインがアリーシャ並みに可愛かったら、どうだったんだろうか。
わたしはロゼの露出が無い服装、好きよ。旅に出るなら、あっちが正解でしょう。動きやすく、且つ肌は守れる。
アリーシャのデザインは可愛いけど、王女様としては少々、破廉恥かと。年頃の娘が腿を出し過ぎじゃて。


物語に関しては、ネタバレ無しで書くと、「こうするしかないよね」と思った。
とにかく主人公のスレイが精神的に達観している節があるんだよな。天族に言われるままに動くラジコン導師なんて言われていたから、どんだけラジコンになるのかと思ったら、わたしはそこまで感じられなかった。
どちらかというと、主神の方の発言が引っかかること多かったんだけど・・・・・・。
スレイは「こうしたい」て意思を勿論持っていて、周りがそれに意見を言うと、「そうだよね、じゃあこうしようか」と少し形を変えているに過ぎないんじゃないかな。
それがゲームの主人公らしからぬ物分かりの良さで、逆に言えば熱さが無いから、ラジコンなんて言われてしまったのかと。
アニメではそのへんが補完されて、熱い子になっているらしいので、アニメを見るのが楽しみだな。

そんで、ミクリオとの関係は本当に切っても切れないな。
BL的な意味でいいと思っていたが、話を進めると何故この二人がこんなにも一緒なのかが解る。
或る意味では、ブロマンティズム?? そこまで大きなもんじゃないか。
ゲーム中の称号にあるように、「同心異体」だ。

あ、でもスレイにちょっとだけモヤモヤしたことはある。
アイゼンをドラゴンから治す方法を見つけようと言ってエドナをレイフォルクから連れ出したのに、大してその方法を探す素振りなく、結局殺すことになったのはどうなんだ。
方法を探して、文献漁ってとか、必死になった描写があればいいけれど、それが無いとエドナを連れ出す為に嘘を吐いたようにしか見えない。
そんな子ではないと解っていても、アイゼンの元に行く前のイベントで見たエドナと同じく「約束はどうなったの?」と思うのは当たり前だ。
途中参加のザビーダはアイゼンと約束しているからね、それを果たす為に、そんで長く生きている天族として「ドラゴンは治らない」と知っているから殺すつもりで来ていたけど・・・・・・
このへんはもう少し丁寧に描いてほしかったな。エドナの希望をそんな形で潰さんでもよかったろ。

それから、とあるキャラが無駄死にだーと言われていたので、恐る恐る話を進めてみたら、あんまり無駄死にに感じなかったぞ。
なんていえばいいのか、彼はあの場面で自分の命を使うことにより、ケジメをつけたのではないか。過去の清算というか。
あのまま仲間に居続けても彼の心のうちは晴れないし、贖罪の機会みたいなものだったのかもしれない。
跡を継ぐザビーダも居たしね。
ていうか、ザビーダどれだけ生きてんだよ。


世界地図を手に入れることがなかったから、あんまり解ってなかったけど、確かにベルセリアの世界観を何となく残している部分はあったな。
天変地異によって大地の様相が変わってしまったようだから、ベルセリアの時に無かったレイフォルクが大陸の中にあるし、遺跡も崩れたりしているけど。
ローグリンに人が住んでいることには驚いた。あの不毛な大地に住んでいるのは、やはり天族への信仰が篤いからか?
ラストンベルもあれ、ストーンベリィなのかな? 鐘とラディッシュベルでしか判断してないけど。
凱旋草海とか、あの辺がアルディナ草原とか、考えるとおもしろい。


さて、今回のゼスティリアとベルセリアは三部作らしい。
なれば、この世界の行く末を語る話が出てくるはずだ。
願わくばそこにスレイとミクリオ、ベルベットとフィーが居てくれたらいいなぁ。
あれから更にどれほど経てばいいのか解らんが、導師の存在は途絶えないだろうからな。
ということは、災禍の顕主の存在も途絶えないのだろうが。

総評として、ベルセリアをできたから全クリできたと感じました。
クリア後ダンジョンはやるけど、二周目は・・・・・・どうだろ、しんどいかな。戦闘が。
ベルセリアの世界が恋しいので、戻るかもしれない。



<< NEW     11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21     OLD >>
忍者ブログ [PR]
 Template:Stars